第百二十二話「絵に映る女」
絵は、見つめる者に何かを返す。
時に、記憶。
時に、失われた者の影。
依頼者は、新築マンションに越してきたばかりの夫婦。
リビングに飾った風景画――緑の丘と白い家が描かれた、何の変哲もない一枚だった。
だが、引っ越しから三日目の夜。
妻がその絵に気づいた。
「丘の奥に、女の後ろ姿が描かれてるんです。
でも、昨日までそんなのなかった」
絵の制作年は10年前。
贈り主は義姉で、古道具屋で見つけたという。
それを聞いた瞬間、俺は嫌な予感がした。
“どこから来たかわからない古い絵画”――ありがちな入口だ。
俺が調査に訪れたとき、
絵の女は、確かに小さく丘の中腹あたりに立っていた。
背は中背、黒髪の長い女性。
輪郭があいまいで、まるで最初からそこにいたようにも見える。
さらに三日後――
女は丘を下り始めていた。
絵の構図が自然に変化しているのだ。
監視カメラを設置すると、
深夜3時14分、絵の前の空気がわずかにゆがむ様子が映った。
誰かが絵に“触れている”ように見えた。
やがて、依頼者の夫が夢を見るようになったという。
「毎晩、あの丘の上に立っている夢を見るんです。
女が近づいてくるんですが、顔が……よく見えないんです。
ただ、どうしてか“知ってる人”のような気がして」
調べを進めると、この絵は元々“ある画家の遺作”だった。
画家は自死しており、その原因は妻の失踪だったという。
失踪当時、最後に妻を見たという証言者のひとりが語っていた。
「彼女、あの丘に行くって言ってたのよ。“呼ばれてる”って」
俺は依頼者の家に戻り、深夜に絵と対峙した。
女はもう、丘の手前まで来ていた。
もうすぐ、家に到達する構図だった。
「――お前は、誰を探してる?」
俺がそう問いかけると、
女の顔が、ふとこちらを振り向いた気がした。
目が、確かにあった。
だがそこに、瞳はなかった。
翌日、絵を白布で包み、画廊に依頼して封印処置を施してもらった。
女の姿は、そこでようやく動きを止めた。
次回・第123話「電話ボックスの男」では、
深夜の公園にある古い電話ボックス。
そこに繰り返し現れる、“受話器を取ってもしゃべらない男”。
だがその男の口は、常に開いている。




