第百十話「踏切の先の家」
約束の場所に、
誰かが“帰る”だけで、
その影はようやく眠る。
都内近郊の住宅街。
その外れに、いまは使われていない私鉄の線路が伸びている。
遮断機も信号も取り外された古い踏切と、
その向こうに建つ、誰も住んでいない古民家。
依頼者は近隣に住む主婦で、こう語った。
「毎晩、20時になると踏切の音がするんです。
カンカンカン……って。
でも、線路はもう廃線なんですよ。
それだけじゃなくて……子どもが立ってるんです。
白い服で、ランドセルを背負った……男の子が」
「その子がね、毎晩、線路を渡ってあの家に入っていくんです。
“ママが来るから、ちゃんと帰らなきゃ”って」
俺は現地へ向かった。
線路は錆びつき、草に覆われていた。
だが、踏切の前に立つと、なぜか空気が歪んだような音を立てた。
20時ちょうど。
誰もいないはずの空間で、**カンカンカン――**と遮断機の音が鳴り響いた。
続いて、列車の通過音。
そして、静寂。
俺の目の前を、ひとりの少年が横切った。
白いシャツに、赤いランドセル。
左手には、千切れかけた母親の写真を握っている。
「……ママ、今日は来るかな。
はやく帰らないと……ママ、また泣いちゃうから……」
そう言い残し、廃屋へ入っていった。
翌日、俺は市の事故記録を調べた。
20年前、あの踏切で6歳の男児が列車にはねられて死亡していた。
事故当時、母親は遅れて駅に向かっていた。
男児は、母の姿を探して線路へ飛び出したという。
事故後、母親は深く精神を病み、
家族のもとを離れて消息を絶った。
俺は、男児が入っていった廃屋の中を調査した。
埃だらけの座敷に、一枚の紙が貼られていた。
「まま、ぼく、ちゃんとかえってきたよ」
下手なひらがなで書かれたその手紙は、
すぐ近くに置かれた古い仏壇の上に貼られていた。
その夜、再び現地へ行くと、
廃屋の前に一人の女性が立っていた。
「ここ……わたしの家でした。
あの子が帰ってきた夢を見て……足が勝手に動いてたんです」
それは、行方不明になっていた母親だった。
俺は静かに言った。
「あの子は、今もあなたを待っていました。
“今日こそはママが来る”って、20年、あの踏切を渡り続けていた」
母親は震える手で仏壇に線香をあげ、
「ただいま」と呟いた。
その瞬間、屋内に微かに――
踏切音が、もう一度だけ鳴った。
次回・第111話「白線の外の男」では、
駅のホームに立ち続ける“線の外側の男”。
話しかけた者は――消える。
彼はなぜ、そこに立ち続けるのか?




