第百七話「呼ばれる非常階段」
呼ばれる声は、
時に優しく、時に凶暴だ。
だが、
それは決して“助け”ではない。
依頼者は、都内のIT企業に勤める若手社員。
最近、勤務先のビルの非常階段で奇妙な現象が起きていると訴えた。
「深夜残業していると、非常階段から……
自分の名前を呼ぶ声が聞こえるんです。
最初は同僚のイタズラかと思ったんですが、誰もいなくて。
それで、数人が試しに階段を登ってみたら……
帰ってこなかったんです」
俺は依頼者とともに、そのビルへ向かった。
午後11時、非常階段の扉を開けると、冷たい空気が流れ出した。
階段は薄暗く、外の風の音と混じり合いながら、微かな声が響く。
「〇〇……〇〇……」
自分の名前だ。
はっきりと、何度も繰り返し呼ばれる。
俺は静かに階段を上り始めた。
声は徐々に大きくなり、まるで背中を押すように。
「戻れ」と思った瞬間、
数段上で、声が急に止んだ。
目の前には、扉があった。
扉を開けると、そこは暗闇の中に光が射し込む狭い部屋。
壁には、過去にこのビルで働いていた人々の写真が飾られていた。
一枚の写真に、俺は息を呑んだ。
そこには、依頼者とそっくりの若者が写っていた。
しかし、その写真の日付は30年前だった。
背後で扉が閉まる音がした。
振り返ると、非常階段の出口は消え、
そこにいたはずの声も、もう聞こえなかった。
数時間後、警察が捜索に入った。
だが、階段に登った者たちの行方は分からなかった。
俺はビルを後にし、空を見上げた。
次回・第108話「霧の中の約束」では、
深い霧の立ちこめる山道で、
幼い姉弟が交わした“不思議な約束”の真実が明かされる。




