第百三話「笑わない子供」
感情は、共有される。
ときに、それは生まれる前から始まっている。
依頼者は、都内にある私立保育園の園長。
相談内容は、こうだった。
「ある女の子が入園してから、
夜の園内に“誰かの笑い声”が響くようになったんです。
録音すると、必ず子どもの声で“ケラケラ”と……
でも、その子は――一度も笑ったことがないんですよ」
少女の名は、三條美優。
5歳。両親は長期入院中で、祖母に預けられている。
他の園児と遊ばず、常に静か。
返事はするが、表情に起伏がない。
何より、泣かない。笑わない。怒らない。
まるで、感情の壊れた人形のように。
俺は夕方、園を訪れた。
ちょうどお迎えの時間帯で、廊下に笑い声が響いていた。
だが、それは一人だけ無音の子を中心に、渦巻いていた。
三條美優――
目が合った瞬間、わずかに首を傾けた。
その目には、まるで“感情を観察している”ような光があった。
まるで、自分ではなく、他人の感情を記録しているかのように。
夜。
園に残されたレコーダーを確認した。
時刻は22:41。無人のはずの保育室で――
「アハハハハ……ヒヒ……エヘヘヘ……」
確かに、笑い声が幾重にも重なっていた。
だが奇妙なことに、そのどれもが、録音開始時の“無音”から突然現れる。
環境音や遠ざかる気配がなく、“声”だけが浮かび上がるのだ。
翌日、俺は祖母に話を聞いた。
「あの子ね、生まれてすぐに……双子の姉を亡くしたんですよ。
へその緒が絡まって、息ができなかった。
でも、抱かれたのは姉のほうだったって。
美優は……ひとりきり、保育器の中で泣かなかった」
「それから一度も、声を出して笑ったことも、泣いたこともないんです」
俺はもう一度、保育室に入った。
ぬいぐるみが並ぶ棚の奥に、小さなスペースが空いていた。
そこにだけ、誰も近づいた形跡がない。
俺はそっと、その奥に音声レコーダーと手鏡を置き、録音を開始した。
しばらくして、カタ……という音とともに、録音が動いた。
「あのね、あのね、わたし、ここにいるよ」
「でも、みゆはきづかないの」
「わたしのぶんまで、ずっと……わらってないの」
声は、震えていた。
そして最後にこう囁いた。
「おわかれ、したほうが、いいよね……?」
翌朝。
録音データは切れていたが、
ぬいぐるみの中に、二体の似たうさぎの人形が並んでいた。
以前は一体しかなかったはずなのに。
その日、美優は初めて――
給食のあと、小さく微笑んだという。
次回・第104話「終電ホームの案内人」では、
終電を逃した者たちの前に現れる“白い案内人”の話。
ついて行った者は口を揃える――
「帰ってこられなかったかもしれない」と。




