プロローグ 偉大なる魔術師の死①
2012年、日本。S県M市。
雪が降っていた。街は静かだったが、それは死の静寂だった。
爆発と炎。崩れ落ちる家。絶え間なく響くサイレン。
瓦礫の下から上がる叫び声は、やがて音の喧騒にかき消されていく。
少年は走っていた。肺が焼けるように痛む。呼吸は浅く、足元は定まらない。
それでも止まるわけにはいかなかった。
母は去年失った。父も、この混乱の中で命を落とした。
何もかも失った。
だから、どこへでも行けた。
少年は人気のない場所を求め、立入禁止のフェンスの前で立ち止まる。
「警告」と書かれた看板。破れた金網。
大人が屈めば何とか入れそうなその隙間を、迷うことなく潜った。
中は鬱蒼とした森だった。雪の下に埋もれた枯葉が音を殺してくれる。
少年は慎重に進んだ。
そのとき——
人の声がした。
「……もう諦めろ。お前らのボスは死んだ」
男の声。冷静だが、微かに疲れが滲んでいる。
「弔い合戦だ。我々にとっては神のような人物だった」
「……俺にとっては最高の友人だったさ…!」
少年は木の陰に身を潜め、そっと覗き込んだ。
そこには二人の男がいた。
一人は金髪の男。黒いコートを纏い、片手には短い杖。
もう一人は、血に濡れた丸眼鏡の男。ローブの袖の中で、杖を強く握っている。
丸眼鏡の男が杖を振り上げようとした、その瞬間——
光が閃いた。
轟音とともに、彼の右腕が弾け飛ぶ。
雪が紅く染まる。
「お前らには聞きたいことが……山ほどある」
金髪の男が杖を突きつける。
「なぜ地球に目をつけた」
「アンタが言えるか?……ヒーロー?」
少年は息を呑んだ。
——バキッ。
足元で小枝が折れる。
音が響く。
金髪の男が即座に杖を向けた。
「誰だ!」
少年は恐怖に震えながら、両手を上げ、木の影から出てきた。
「……子供?」
金髪の男が困惑する。
「なぜこんなところに……避難しそびれたのかい?パパやママは?」
少年は首を横に振る。
金髪の男がゆっくりと近づこうとした、そのとき——
金属音。
金髪の男が反射的に振り返る。
丸眼鏡の男が懐に入っていた手榴弾のピンを抜いていた。
「守ってみろよ、ヒーロー」
彼は、ためらいもなく、金髪の男ではなく少年に向かって手榴弾を放り投げた。
「逃げろ!」
金髪の男が杖を振る。
「ファガーズ!」
光が弾ける。
多面体の膜が少年を包み込むと同時に、爆発が起きた。
衝撃波があたりを吹き飛ばす。雪が舞い、木々が揺れ、音が世界を支配する。
金髪の男は地面に叩きつけられ、少年も膜の中で転がった。
——音が消える。
視界の先で、金髪の男が血の海に沈んでいた。
「……大丈夫かい?」
かすれた声だった。
少年は泣きながら、小さく頷いた。
金髪の男は微かに笑う。
「泣かないで」
血に染まった腕で、杖と小さな木箱を差し出す。
「ファガーズ・アルバエン……膜が消えたら、この杖を箱に入れて……燃やしてくれ」
少年は怯えたまま、涙を流し続ける。
男はそっと、少年の手を握った。
「……名前は?」
「……シゲキ」
「そうか、シゲキ…シゲか…すまないな……腕を出してくれ」
震える手。伸ばされた小さな腕。
男は拳を合わせ、静かに呟く。
「ああ…ははっ…恐怖心に打ち勝つ魔法だ」
「さあ、行くんだ……駅へ……各駅に……避難所が……」
シゲキは頷き、駆け出す。
フェンスの先——
すれ違う薄緑の髪の男と、フードの影たち。
それでも振り返らない。ただ、走る。
******
雪が降る。
金髪の男の前に、薄緑の髪の男が跪いた。
「エミー、なんてザマだ…待ってろ、すぐ助ける」
「……もう、いい」
「なに言ってる、まだ——」
「助からない。この傷は魔法じゃない……手榴弾だ。モロに食らって、魔力も、もうスッカラカン……」
沈黙。
「……それに、もう……疲れたんだ」
雪が積もる。
血の温度を、冷たく覆い隠していく。
遅れてやってきたフードの人物に薄緑の髪の男が囁く。
「エマセス・ネポ……死亡を…確認しました。すみません」
誰も、何も言わない。
ただ、雪が降り続けていた——