92.筆頭宮廷魔導士
私は小首をかしげて疑問を口にする。
「もうそんな噂があるんですか?
だって現筆頭宮廷魔導士のカストナー侯爵は、まだお若いですよね?」
八年前、お父様から若くして筆頭宮廷魔導士を受け継いだカストナー侯爵。
今はまだ、四十代前半だったはず。
お父様は五十歳を機に『早めに引退した』と言っていた。
普通は六十を超えても、勤め続けるものだそうだ。
それだと、カストナー侯爵が引退するまでかなり時間がある。
その間に他の人間が功績を上げることもあるはずだ。
もう『確定』なんて噂が出るのは、早すぎると思う。
フランツ殿下がうなずいて応える。
「だがカストナー侯爵は凡才だ」
執務は如才なく行える、デスクワークに特化した人材らしい。
なので、華々しい功績がないそうだ。
お父様のように、知略や魔導で大きく秀でている人でもない。
そこで新進気鋭として華々しい功績を上げた私が台頭してきた。
私はお父様と同じ特等級魔導士で、外交実績で『知略も証明された』とみなされたらしい。
フランツ殿下は「世代交代を予感させるには、充分な状況だろう?」と言った。
次に私が『華々しい功績』をあげたら、陛下は私を筆頭に引き立てるつもりじゃないか、と予想していた。
本来、筆頭宮廷魔導士は国王陛下の懐刀。
もっと信頼されるべき参謀であるべきだそうだ。
――なるほど、私には古代魔法と神託という反則技がある。
国王陛下が私を頼りにするのも、仕方ないのかもしれない。
だけど、そこに私は反論していく。
「筆頭宮廷魔導士なら、ジュリアスの方が相応しいですわ。
幅広い分野に精通し、視野も広い。
参謀という意味でなら、ずっと向いて居ましてよ?」
いつも私のフォローをさせてしまうので、埋もれがちになってしまうけれど。
実力はお父様が認めるほどの折り紙付きだ。
直感型で行動してしまう私は、『参謀』としてあまり向いてないと思う。
ジュリアスがあきれたようにため息をついた。
「あなたのフォローは俺の務め。気にする必要はありません。
ヒルダに足りないところを、俺が補えばいい。
夫婦で力を合わせる――なんの不思議もないでしょう」
殿下がうなずいて笑った。
「それには俺も同感なんだ。
あとはヒルデガルトが納得するだけだな」
私が納得するだけって……ええ~?
なんでジュリアスまで、もう筆頭を諦めちゃってるのかなぁ?
ジュリアスが私の顔を見て、ニヤリと微笑んだ。
「もうここまでリードを広げられたら、抜き返すのは無理ですよ。
あなたにはファルケンシュタイン公爵家という後ろ盾もある。
入り婿の俺では、もう太刀打ちできません」
じゃあ、私が『次期筆頭宮廷魔導士』になるのは、時間の問題ってこと?!
困惑する私の顔を見て、周りのみんなが微笑ましそうに笑っていた。
****
私たちが談笑しているところに、ひょろっとした黒髪の男性が近づいてきた。
「エドラウス侯爵、条約締結おめでとう。
見事な功績だったね」
私は振り返って応える。
「カストナー侯爵! ありがとうございます!」
彼がパスカル・フォン・カストナー侯爵。
現在の筆頭宮廷魔導士だ。
王宮で宮廷魔導士を統べる人なので、本来なら私やジュリアスの上司に当たる。
だけど私たちはフランツ殿下直属なので、例外となっている。
なので、この人と会って話をする機会もあまり作ってこれなかった。
カストナー侯爵が、柔らかい笑みで私に告げる。
「君のことは期待しているよ。
既に、『私の次』を噂されているみたいだしね」
私は慌てて応える。
「そんな! カストナー侯爵だって、まだお若いじゃありませんか!
まだまだこれからではありませんか?」
カストナー侯爵の顔に、わずかに自嘲の笑みが乗る。
「……私は見ての通り、平凡な男だ。
私より相応しい者が居なかったから、ヴォルフガング様から地位を譲り受けた。
ただそれだけの男だよ。
より才能に恵まれた若者が居るなら、席を譲るのはやぶさかじゃないさ」
それからいくつかの言葉を交わし、カストナー侯爵は私たちから離れていった。
「……覇気のない方ですね」
私は正直な感想をぽつりと告げた。
フランツ殿下がうなずく。
「そうだろう? 無害だが、特に益もない。
厳しいことを言ってしまえば、『国家運営の邪魔にならない』。
ただそれだけの男だ」
国難が続く状況で『国王の懐刀』を務めるには実力不足――殿下は一刀両断で告げていた。
そういえば、前回の国難だった古代遺跡破壊問題の会合でも、顔を見なかったっけ。
前筆頭宮廷魔導士であるお父様がその場にいたとはいえ、よく考えたら不自然だ。
『国王の懐刀』を務めるべき筆頭宮廷魔導士が、あの席から外された。
それがすべてを物語っているのだろう。
陛下からの信頼が、カストナー侯爵にないんだな。
少なくとも、国難に共に立ち向かうパートナーとして、見てもらえる人じゃないんだ。
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夜会の終わりが近づく頃、フランツ殿下から『父上がお前を呼んでいる』と言われた。
案内をする騎士のあとをついて行くと、ホールの近くにある大きな軍議室に辿り着いた。
夜会はまだ、もうしばらく続くはずだ。
不思議なタイミングで呼び出すんだなぁ。
それに、軍議室?
なんでこんな設備が、ホールに隣接して備え付けられてるんだろう?
訝しみながら、騎士に促されて重厚な扉を開け、中に足を踏み入れる――。
「――え?!」
そこには陛下とユルゲン兄様、さらに東方国家群の元首たちが席についていた。
その顔はみんな、真剣そのものだ。
驚いて固まっている私の背後で、鉄の扉が閉まる音がした。
陛下が立ち上がり、私に告げる。
「エドラウス侯爵、君の席はこちらだ」
その手が指し示すのは、陛下の隣。
えー? なにこの状況?
さっぱり状況がつかめないまま、陛下の隣に腰かける。
それを確認すると、陛下が場に居る人間に向かって声を上げる。
「これでそろったな。では本題に入ろう。
――ユルゲン、始めてくれ」
ユルゲン兄様が椅子から立ち上がり、書類を手に持ってそれを読み上げ始める。
「書記官を務める、ユルゲンです。よろしく。
――ええと、まずですね。
そう遠くないうちに帝国が、東方国家群に対して軍事行動を起こす、という情報があります。
これは確かな筋の情報で、裏も取れているそうです」
……いつのもマイペースな口調だけど、なんだか『他人事』だな?
その情報の裏を取るのが、諜報員であるユルゲン兄様たちじゃないの?
元首たちがざわつき始めた。
小さな声で不安をささやき合い、対応を考えてるみたいだ。
ユルゲン兄様が言葉を続ける。
「確かな時期や動員規模は不明ですが、帝国は『強力な新型兵器』を用いてくる。
これも、確かな筋の情報らしいです。
詳細は不明ですが、『携行型火砲の類ではないか』、という諜報部の報告があります」
――ユルゲン兄様の言う『確かな筋』って、もしかして神託のこと?!
どうやら今のユルゲン兄様は、『一人の書記官』としてこの場に居るみたいだ。
徹頭徹尾、『報告書で見聞きした情報』として語っている。
普段なら書類なんて見ないで会話する兄様が、書類を読み上げる姿も珍しい。
あれだけ機転が利いて記憶力がいい兄様に、書類なんて不要なのに。
つまりこれは、兄様が諜報員であることを隠したいんだな。
……なら、この場に居なければいいのでわ?
なんで人前に出て、こんな芝居をしてるんだろう?
他の書記官を連れてくれば、済む話じゃないの?
私の疑問をよそに、ユルゲン兄様が言葉を続けていく。
「ですので東方国家群全体として、『帝国の南進をどう防ぐのか』。
それを今の内から方針として打ち出しておきたい。
今回はそういう趣旨で集まっていただいてます。
もちろん、我がレブナントはそれを全面的にバックアップしていきます」
ユルゲン兄様が言い終わり、着席した。
それに続いて陛下が発言する。
「現在帝国領と東方国家群の国境は、隣接する三国の連合軍が砦を防衛している。
だが、それで防ぎ切るのは難しいだろう。
何か意見のある王は、述べてもらえないだろうか」
室内のざわめきが大きくなっていく。
元首たちは近くの元首と顔を見合わせ、意見を交換し始めた。
――なるほど、これはそういうことか。
祝賀会にかこつけて元首たちを招集して、こっそり会合の場を設けたんだ。
帝国の密偵なんて、どこに居るかわからない。
これから進軍する先になら、諜報員を潜ませるのが定石だ。
これだけの人数を招集すれば、当然目立つ。
こちらの動向を、帝国に察知されたくなかったんだな。
……なんか、むちゃくちゃ重要な会議だと思うんだけど。
なんで『ただの宮廷魔導士』である私が、ここに呼ばれてるんだ?
まったくもって理解不能だ。
私は答えの出ない疑問で小首をかしげながら、東方国家群の元首たちを見守っていった。




