84.王女救出作戦(2)
湖畔にある貴族の別邸、その扉を無遠慮に開ける。
そのまま、ずかずかと中に足を踏み入れていく。
途中、立ち尽くす兵士が居たけど、私には目もくれなかった。
『隠遁』の魔法、うまくいってるみたいだ。
これは泉の畔で勉強した、古代魔法のひとつだ。
この魔法に包まれると、『声さえ出さなければ』他の人間に存在を感じられなくなる。
現代魔術にも同様の術式はあるけど、おそらくこの古代魔法がオリジナルなんだと思う。
この魔法を三年前に知っていれば、遺跡破壊も簡単だったかもしれない。
今でも時々あの場所を訪れ、古代魔法の勉強をしている。
その中で修得したものだ。
まっすぐ廊下を進み、地下への階段を探り当てる。
そのまま階段を下っていくと、見張りの兵士が三人、雑談に興じていた。
大変に仕事熱心で、結構なことだ。
半ばあきれつつ、先に進む。
角を曲がった先には、石畳の牢獄があった。
仲には足を鉄の鎖でつながれた少女がひとり。
汚れたドレスを着て、うずくまっている。
年齢は十二歳ぐらいだろうか。
まともに食事を与えられていないのか、かなりやつれて見える。
意識もないみたいで、目をつぶったまま動く気配がない。
牢屋の鍵を確認する――魔力対策が施されてる。
魔力で鍵を開けることが、簡単にできないような仕掛けだ。
だけどそれは『人が使う魔術』の話。
神の奇跡である『古代魔法』なら、簡単に開けられるだろう。
解錠の魔法で鍵を開け、中に入り少女の状態を確認する。
――かなり衰弱してる。これはちょっと危ない。
イングヴェイの権能を少しだけ借り、少女に生命力を与えた。
全力の権能でなければ、私の魂への負荷も少ないみたいだ。
少しずつ、少女の頬に赤みがさしてくる。
『隠遁』の魔法をいったん解除し、少女の意識が戻るまで生命力を与え続けた。
少しして、少女のまぶたが動く。
――おっと、そうだ。
用心して、牢屋の周囲に『遮音』の結界魔法を張っておく。
少女の目が私を見て、驚いたように声を上げる。
「……えっ?! 誰ですか、あなた!」
少女は『この場所に居るはずがない他人』の存在に驚いていた。
びっくりして壁際まで逃げ出されてしまった。
じゃらじゃらとくさりが激しく音を立てる。
『遮音』の結界を張っておいて正解だ。
なるだけ優しく微笑みながら、私は告げる。
「私はレブナント王国の使節です。
アンナ王女、あなたを救いに来ました」
彼女はまだ、混乱しているようだ。
「救い出しに?! でも、なんでレブナントの人が……」
まぁ突然現れて、こんなことを言われても信じられないか。
私はゆっくり、諭すように言葉を紡いでいく。
「あなたのお父様に頼まれました。
『娘を救い出してほしい』と。
あまりゆっくりしている時間はありません。
私の言う通りに、付いてこれますか」
アンナ王女は戸惑っていたけど、ここからは逃げ出したいのだろう。
小さく、でも確かにうなずいてみせた。
私は内心でほっとしながら告げる。
「ではまず、その鎖を何とかしますね」
イングヴェイの破壊の権能を少しだけ借り、『足枷を破壊するナイフ』を作り出す。
鋼鉄製と見られる足枷は、いともたやすく断ち切られた。
――出力を抑えれば、結構『権能そのもの』も使えるんだな。
私はそのまま、アンナ王女に問いかける。
「立てますか」
「ええ、大丈夫だと思います」
立ち上がった王女の足には、足枷で作られた傷が残っていた。
だけど歩くのに問題はなさそうだ。
一度アンナ王女を観察した後、古代魔法版『蜃気楼』を作り、それに足枷をはめ直す。
壊れた部分は古代魔法で修復した。
アンナ王女は『蜃気楼』を初めて知ったらしい。
呆然と「なに、これ……」とつぶやいていた。
「気にしないで? ただの身代わりですわ。
あなたが逃げたことを隠しておきたいの」
王女はおそらく理解できないまま、一度だけおずおずとうなずいた。
まり魔術や魔法に詳しくないのだろう。
今度は王女自身に『別人の姿をかぶせる』古代魔法をかける。
レブナント王国の自宅に居る、侍女の姿を借りた。
王女は自分に何が起こったか、よく理解できていないようだ。
背が高くなり、服が侍女のお仕着せに変わったことを驚いていた。
「これから『隠遁』の結界を張ります。
黙ってついてきてください。
声を出さなければ、気付かれることはないですから」
王女がうなずくのを確認してから、私と王女を『隠遁』で包み込む。
ひとつの『隠遁』魔法の中でなら、お互いを認識することもできる。
二人で牢獄を出たあと、古代魔法で元通りに施錠した。
最後に牢屋の遮音結界を解いておく。
私が先導し、手招きで王女を出口まで誘導していく。
兵士の横を通る時、王女はとても緊張しているようだった。
だけど兵士たちが全く私たちに気付く様子がないのを見ると、足早に通り過ぎていった。
無事に屋敷から外に出て、ジュリアスたちと合流したところで『隠遁』を解除する。
ジュリアスが安堵したように小さく息をついた。
「無事でしたか。
……その侍女、見覚えがありますね。
レブナントに残してきているはずですが、つまりそういうことですか」
私は微笑んで応える。
「ええ、そういうことよ。
さぁ、馬車に戻りましょう」
私たちは焦る様子を見せずに、ゆっくりと馬車へ戻った。
****
私の馬車にはジュリアスとアンナ王女のみを乗せた。
そのまま馬車は、在外公館へ向けて戻っていく。
今回、古代魔法の大安売りをした。
ここまで連発したのは初めてだ。
イメージした現象が、理論をすっ飛ばしてそのまま魔法として姿を現す。
……やはり古代魔法、反則では?
私は古代魔法の不条理に、密かに頭を悩ませていた。
便利すぎて、これに頼ってると堕落する気がする。
現代魔術で思考力を鍛えられた私に古代魔法を与えるのは、余りにも危険に思えた。
古代の魔導士でも、ここまで古代魔法を使いこなせなかったんじゃない?
っていうかイングヴェイ、私にゲロ甘過ぎない?
私が望むものは、なんでも叶えようとしてる風に感じる。
あのでたらめな神の力を、片鱗とは言え借りるのだ。
まるで神にでもなったかのような錯覚を覚えそうだった。
今回は人命がかかっていた。
事実、あんな王女の衰弱は、かなりひどい物だった。
だから決断できたけど、今後は余程の時以外は使うまい、と固く心に誓った。
****
在外公館に戻る途中で、ユルゲン兄様が馬で合流した。
兄様には馬車に乗ってもらい、馬は馬車につないで連れ帰ることにした。
ユルゲン兄様が怪訝な顔で私を見て告げる。
「いやぁ、驚いたよ。君が急に出かけたって聞いてね。
王女の居場所に、心当たりができたんだろう?
だけど、もう帰ってきたのかい?」
私はニコリと微笑んで応える。
「ちょっと王女を救出してきました。
身代わりには古代魔法版『蜃気楼』を置いてきています。
国外へ脱出するまで、維持できますわ」
ユルゲン兄様は顎が外れそうなほど口を開け、驚いていた。
のんびりと笑っていない兄様を見るのは、初めてかもしれない。
「……私たち諜報部の仕事、なくなったね」
「ごめんなさい、アンナ王女の安否がどうしても気がかりで。
とても兄様の報告を待っていられませんでした」
私が申し訳ない気持ちで告げると、ユルゲン兄様は笑いながら応える。
「君がクニューベル伯爵を見て、そう直観したなら、きっとそれは間違ってないよ。
君の直観は当たると、父上も言っていたからね」
実際、あの衰弱状態だと二日後も命があったか怪しかった。
私はアンナ王女に告げる。
「今日見たことを、誰かに言わないでくださいね」
彼女は戸惑いながら、黙ってうなずいた。
もっとも、今回の件自体が極秘裏に進められている。
アウレウス王からも、王女にきつく口止めが言い渡されるはずだ。
馬車はその後、まっすぐ在外公館に戻っていった。




