83.王女救出作戦(1)
エシュヴィア公国レブナント在外公館。
そこが私たちの拠点だ。
夜会から在外公館に帰る途中、ジュリアスが疲れたようにため息をついた。
「まったく、肝が冷えましたよ。
よくもあんな提案をする気になりましたね。
下手をすれば、激高した公王が我々の命すら奪いかねない」
私はニコリと微笑んで応える。
「そこは公王の人柄を見てから判断してるよ。
あの人なら、そんな事にはならないと思って。
最悪でも、公国から追い出される程度じゃない?」
ジュリアスががっくりと肩を落として応える。
「ヒルダ、我々は今、アウレウスのアンナ王女の救出に動いています。
この国から追い出されたら、アンナ王女の命が危うくなりますよ。
理解していますか?」
「当たり前じゃない、そんなこと。
でも、そんなことにはならないって思ったから提案したの。
これはあの夜会の場でないと言い出せないし、機会は逃せないよ」
私がきょとんと見つめる瞳を、ジュリアスは疲れた表情で見つめてきた。
「……言いたいことは山ほどあります。
ですが、あなたに常識が通用しないのも、よく知っています。
俺は帰ってすぐ、やることができました。ひとりで眠れますか?」
「子ども扱いしないでくれる?
そのくらい、できるに決まっているでしょう?
でも何をするつもり?」
ジュリアスがニヤリと微笑んで応える。
「先に手を打っておくだけですよ。
あなたに負けてはいられませんからね」
どうやら、詳しくは教えてくれるつもりがないらしい。
私は小さく息をつくと、ジュリアスの耳を引っ張って抗議しておいた。
****
在外公館に戻ると、ジュリアスはユルゲン兄様の部下と何かを話していた。
彼はそのあと執務室に向かった。
……こんな夜から、書類仕事だと?
何をする気なんだろうなぁ。
私はウルリケに尋ねる。
「ユルゲン兄様は、まだかしら」
「はい、まだお戻りになっておりません」
「そう、ありがとう」
割り当てられた部屋に戻り、ドレスを脱いでいく。
まだ兄様が調査を開始してから四日目。
結果が出るまであと三日から十日はかかる。
だけど私は、クニューベル伯爵をこの目で見てしまった。
これ以上、そんな悠長に待っていることなんてできない。
今この時も、王女がどんな目に遭わされてるか、わかったものじゃない。
あんな男の手から、一刻も早く救い出さないと!
着替え終わった私はウルリケに告げる。
「私が出てくるまで、決して誰も中に居れないで。
取次もしなくていいわ」
「はい、かしこまりました」
ウルリケはそう言って、侍女たちを連れて部屋の外に出て行った。
扉が閉まると、念のために魔力遮断の結界術式を展開する。
そして机の上に、エシュヴィア公国の地図を広げた。
イングヴェイの気配を手繰り寄せ、私は祈る。
(――イングヴェイ。探し人の位置を示す魔法を使いたいの。力を貸して)
手元に彼の魔力が集まってくる。
それを地図の上に広げ、魔法をイメージして編み上げた。
地図を覆った魔力は、ある一か所で強く光り輝いていた。
(ありがとう、イングヴェイ)
それに対し、彼の返答はなかった。
だけど気配が『構わないよ』と言っているような気がした。
イングヴェイも、『これくらいなら力を貸してもいい』と思ってくれたみたいだ。
古代魔法は神への祈り。
神へ奇跡を願い、神が応じることで成立する魔導。
人の世界に干渉したがらないイングヴェイが、力を貸してくれるかは賭けだった。
今はただ、力を貸してくれたイングヴェイに感謝の祈りをささげた。
****
私とジュリアスは翌朝、さっそく光が示した場所に向かうことにした。
私は出発前にウルリケに告げる。
「あなたはここに残って、ユルゲン兄様が帰ってくるのを待って。
戻られたら『私がそこに向かった』と伝えて欲しいの」
「はい、かしこまりました」
ウルリケはすんなりと受け入れた。
この情報は、信頼できる相手にしか教えたくない。
ユルゲン兄様とウルリケなら、私の行動の意味を説明しなくてもわかってくれるはず。
在外公館とは言え、ここはエシュヴィア公国内。
今はまだ、慎重に動いた方が良いだろう。
ウルリケ以外の侍女を何人か伴い、ジュリアスと一緒に馬車に乗りこむ。
ジュリアスはどうやら、徹夜で仕事をしてたみたいだ。
「何をしてたの? とても眠たそうだけど」
彼はニヤリと楽しそうに微笑んだ。
「あなたという人間を思い出しただけですよ。
この三年間は大人しかったですからね。
すっかり忘れかけていました」
意味の分からないことを言うなぁ。
でも楽しそうだし、私のフォローをしてくれるつもりなのかな。
ジュリアスは馬車の中で仮眠を取るため、目をつぶった。
私は間に合うように願いつつ、馬車を公国唯一の湖に向けて出発させた。
****
湖に到着し、辺りを見回す。
畔には、貴族の別邸がひとつ、あるようだ。
別邸の様子を遠目に伺う。
外に見張りが居る様子はない、か。
全員で湖の畔を散策する風を装い、屋敷に近づいて行く。
やっぱり、誰かが出てくる気配はない。
だけど魔法は、確かにこの湖を指していた。
他に建物は見当たらないし、そうなれば『中に誰も居ない』とも考えにくい。
湖を眺めつつ、警戒魔術で屋敷の様子を探っていく。
――居る。外の様子を窺う気配はないけど、兵士が四人か。
だけど王女らしき反応は、屋敷の中に見当たらなかった。
兵士が潜んでいて、王女が居ないわけがない。
――となると、地下室か。
警戒魔術の範囲を、屋敷の地下に移す。
兵士が……三人。
もう一つ、反応がある。
動き回る成人男性とは別に、床にうずくまるようにして動かない、弱い反応がひとつ。
幼い少女の体格だ。
たぶんこれが、アンナ王女で間違いないだろう。
広範囲の警戒魔術で、魔力をかなり消耗した。
一度術式を解除し、一息ついた。
――さて、どうするか。
王女は極秘裏に奪還しないといけない。
できれば奪還したことも、最後までばれない方が国境を越えやすい。
それなら『蜃気楼』を身代わりに置いておくしかない。
そんな長期間の『蜃気楼』の維持――通常の魔術では不可能だ。
――あとは、イングヴェイが力を貸してくれるかどうか。
王女を見つけた以上、『引き返す』という選択肢はなかった。
索敵魔術の反応で、かなり衰弱してるのがわかってしまったから。
王族とは思えない、微弱な魔力反応だった。
もう今の私の魔力残量では、多くの魔術を使うことはできない。
ジュリアスを頼ったとしても、七人の兵士を相手取るのは厳しいものがある。
そもそも寝不足のジュリアスも、多くを期待できるコンディションじゃない。
ここからは、古代魔法に頼る!
私はイングヴェイに祈りをささげた――それと同時に、手元に魔力が集まってくる。
どうやら私の考えたプランに、賛同してくれるらしい。
「ジュリアス、みんなとここに残って居て」
彼は私を見つめて応える。
「……気を付けてください」
私は微笑んでうなずいた。
イングヴェイの魔力で魔法を編み込み、身にまとっていく。
私は貴族の別邸に向かい、まっすぐ無警戒に歩きだした。




