71.嵐の前
国王陛下とのお茶会から数日後。
朝の教室に居るみんなの顔に、緊張が混じっていた。
たぶん、お茶会の話を聞かされたんだろうなぁ。
王国存亡をかけた大仕事。責任は重大だ。
人前でむやみに語れる話じゃない。
「おはよう、ヒルダ」
「おはよう、クラウ」
何気ない、いつもの挨拶。
だけどその目からは、不安がぬぐいきれてない。
私は、みんなの表情を順番に見ていった。
フランツ殿下の目を見る。
不安を感じてない訳じゃない。
だけどそれ以上に、国家を背負う人間の覚悟が感じられた。
その姿には、王者の風格――その兆しがあった。
クラウはいつもの儚い微笑み。
だけど私を見る時だけ、わずかな不安が見え隠れしてる。
心配、させちゃってるな。
今回は危険な任務だもんね。
身の安全なんて、誰も保証してくれない。
クラウの本性は甘えん坊で、心優しい女の子だ。
自分に及ぶ危険より、私のことを心配してるみたい。
ルイズ、エマ、リッド。
やっぱり大任過ぎて、心細いんだろう。
無理して笑っているのがわかってしまう。
ディーターは前回の特別課外授業以来、一番様子が変わっていた。
自力で『蜃気楼』を維持できたことが、自信につながってるんだと思う。
もう『軟弱貴公子』と呼ばれていた頃の姿は、そこにはなかった。
力強い眼差しで、不安を押し返してる。
彼だって、ファルケンシュタイン公爵家の男の子だもんね。
お父様の直系として、困難に立ち向かう気概を持ってくれたんだ。
ベルト様は私を心配してなのか、表情が陰っていた。
数少ない前衛なのだから、頑張ってよね!
私の心配をしてる場合じゃないよ?
ジュリアスは、いつもの落ち着いた雰囲気。
特等級魔導士として、遺跡破壊を担当するのは私たち。
だけど私を心配させまいとして、いつも通りに振る舞ってる。
私のことを心配する素振りもみせない。
それでも、目にはやっぱり少し暗い陰があった。
ジュリアスが優しい人だってことは、いくら隠してもわかってるんだからね?
フィルとハーディは何も知らされていないみたい。
いつも通りに談笑している。
ときどき私をちらちらと見てる――まだ諦めてないのぉ?!
みんなの顔を確認してから、私は自分の席に腰を下ろす。
そしていつものように、自習の本を開いた。
今さらじたばたしても始まらないし!
自分ができることを、精一杯やるんだ!
私の両肩に国家の存亡がかかってる? だからなに?
私はいつも通り、『自分が許せる自分』であり続けるだけ。
その結果、その道が愛しい人たちとの別れになったとしても……後悔なんて、するもんか!
そうして、午前の授業が始まった。
****
午後の魔術授業の時間になった。
お父様から次回の特別課外授業の内容が告知された。
次回は七月の頭。
目的地はシュネーヴァイス山脈中腹にある古代遺跡。
その遺跡を調査する、という名目らしい。
日程は三週間だけど、最大一か月を見込んでるみたい。
グランツからシュネーヴァイス山脈までは馬車で一週間弱。
そこから中腹まで上るのに、三日から五日ぐらいかかるらしい。
順調な旅程なら、往復で三週間前後。
だけど道中に登山が待っている。
山では何が起こるか、予測するのが難しいらしい。
何かトラブルがあれば、一週間程度のマージンを見る、と言われた。
指示された魔力鍛錬をしながら、クラウが不安気にぽつりと漏らす。
「随分な長旅になりそうですわね」
私はのんきに応える。
「道中の食事は、食料車を連れて行くみたいですわよ?
今回はまともな物を食べられると思いますわ」
往復二週間分の食材や調味料を運んでいくらしい。
大人数になるから、現地調達には頼れないみたいだ。
エマが会話に参加してくる。
「どうも今回の特別課外授業、国外まで喧伝してるみたい」
すでに国内外、広範囲に噂が広まってるらしい。
詳しくはまだ誰も知らない。
ただ、『レブナント王国のエリート学生が、古代遺跡調査に向かう』ということだけ。
古代遺跡調査は、本来高度な魔導士の仕事だ。
そして各国が保有している古代遺跡は、厳重に管理されている。
そこに学生が向かうこと自体、前代未聞ということだった。
「――何か新しい発見でもしないと、がっかりされるかもねぇ」
「え゛?! それはさすがにどうなんですか?!」
お父様たちの仕業かな。
情報工作、ということだと思うけど。
『学生の研修』ということを、アピールしたいんだろう。
だけど本当の目的は『調査』じゃなくて『破壊任務』だよ?
任務の結果がどうなろうと、『何も分かりませんでした』って言うしかないんだけど。
大人の都合で、私たちが振り回されてるなぁ。
ほーら、みんなが余計に緊張し始めた。
ルイズがエマに応える。
「手ぶらで帰ってくる私たちのことも、考えて欲しいわ」
みんなの気持ちを代弁した一言だ。
思わずうなずいてしまった。
だけど、リッドが気楽にみんなに告げる。
「なーに、エリートとはいえ所詮学生なんだ。
専門家でも分からないもんは、わからないのが当たり前さ。
気負う必要なんてないだろ」
確かに、それは一理ある。
リッドの言葉で、みんなから余計な気負いが抜けていく。
こういう時、楽観主義のルイズは頼りになるなぁ。
ジュリアスは、フィルとハーディを見てるみたいだった。
「彼らは詳細を知らされてないみたいですね」
ベルト様がそれに応える。
「下手に教えて、情報が漏れても困るからな。
彼らは信用が置けるとは言い難い。
仕方がないだろう」
彼らはクラウやエマの情報網でも、未だに正体がつかめない。
どこに通じてるのかもわからず、懸念材料の一つだ。
最悪、現地で拘束して転がすかなぁ。
だけど信用できるなら、彼らも貴重な戦力だ。
有効活用できることを祈ろう。
フランツ殿下が、真剣な目でみんなに告げる。
「だが日程が決まった以上、あとは腹をくくって臨むだけだ。
全員、万全を期してくれ。頼むぞ」
王者の風格で発破をかけてきた。
みんなの顔が引き締まっていく。
こういう所は、ちゃんと『王子様』だよなぁ。
私も負けていられないぞ?!
****
フィルとハーディは、シュテルンの空気が違うことに感づいていた。
「なぁフィル、お前はどう思う」
ハーディのぶっきらぼうな質問に、フィルが微笑んで応える。
「どうもこうもないさ。
何が起こるのかはわからないが、彼女の心を盗める機会があれば狙うだけ。
ついでにシュルマン伯爵令息を蹴落とせれば万々歳だ」
ハーディが口の端を持ち上げて笑った。
「フン、いつものお前らしくないな。
もっと狡猾に立ち回るのが『フィル・ブランデンブルク』だろう?」
「そういうお前こそ、いつものお前らしくないぞ?
もっと豪放に立ち回るのが『ハーディ・ドレフニオク』だっただろう?」
二人が黙って小さく笑い合った。
「お互い、柄にもないことになっているな」
「まったくだな。
――彼らの気配が不穏だ。
今回の課外授業、覚悟が必要かもしれない」
ハーディがフィルを見て告げる。
「覚悟? どんな覚悟だ?」
フィルは真剣な顔で告げる。
「……命を賭す覚悟だ」
ハーディが「フン」と鼻で笑った。
「彼女の力になれるなら、この命などくれてやる」
フィルが口笛を吹いて茶化した。
「おーおー、そこまで本気か。
私はそこまで覚悟ができるか、まだわからないな。
だがそれでも、世界で唯一見惚れた女性だ。守ってみせるさ」
二人の男たちは拳を打ち付け合い、魔力鍛錬に戻った。
その様子に、他の人間が気付く様子はなかった。




