44.クールダウン
「まったく、無茶をするんだから」
医務室で私の手当てをしながら、クラウが笑っていた。
私たちの後を追って、ルイズたち女子も来ている。
リッドはおかしそうに、お腹を抱えて笑っていた。
「いやー、スカッとしたね!
見たかい? あの男の呆然とした顔!」
「ごめんなさい、心配をかけてしまって」
みんなが侮辱されたと気付いた瞬間、体が勝手に動いていた。
頭が真っ白なまま、フィルを殴り抜き、何かを叫んでいた気がする。
だけど、クラウに手を握ってもらうまでの間を、よく覚えていなかった。
私は肩を落としながら治療を受けていた。
包帯を巻き終わったクラウが告げる。
「はい、おしまい」
そう言って、私の右手を優しく叩いていた。
ルイズが私の肩に手を乗せて告げる。
「侮辱だなんて、大袈裟よ。
あんなありきたりの口説き文句、本気で受け取ったらだめよ?」
彼女の眼差しも、優しいものだった。
エマが治療具を片付けながら告げる。
「さっすが『こいつは怒らしちゃいけないランキング』不動の一位だよねー!
クラウが気圧されたのも納得の怖さだったよー!」
私はあきれながら応える。
「ですから、そんな不名誉な一位は要りませんけど」
クラウが苦笑して告げる。
「自覚がないのも、困りものだわね。
――ヒルダの気持ちは嬉しいけど、あれはやりすぎよ。
あとで謝罪をしておきなさい」
「それはできません」
自分でも驚くほど、きっぱりと言い切った。
声から温度が消え去ったのを自覚していた。
私の口が言葉を紡ぐ。
「なにより、あの男を前にして、冷静で居られる自信がありません」
クラウとジュリアスが、私の目を見てため息をついた。
ジュリアスが私を真っ直ぐに見て告げる。
「やり過ぎた暴力は、あなたの評判を著しく貶めてしまいます。
きちんと謝罪をして、和解をするべきでしょう」
「なんと言われようと、わたくしは譲る気がありません」
リッドが茶化すような口調で告げる。
「すっごい吼えてたもんなー。
『その汚い口で、彼の名を呼ぶな!』だっけ?
そんなにジュリアスをけなされたのが、気に食わなかったのかい?」
う、私はそんなことを口走ってたのか。
急に恥ずかしくなってうつむいてしまった。
クラウたちがため息をシンクロさせた。
「しょうのない子ね。
でも気持ちが落ち着いたら、もう一度考えてみてね?」
ジュリアスが眉をひそめて告げる。
「帰ったらヴォルフガング先生に、体を診てもらってください。
あのような無茶をして、無事で済む訳がありません」
言われてみれば、右腕全体が軋んでる。
よく脱臼しなかったなぁ。
私はジュリアスにうなずいて立ち上がった。
私たちは六人で、医務室を後にした。
****
「フィル、生きてるか?」
ハーディがフィルのそばに近寄り、声をかけた。
フィルは壁際に吹き飛ばされたままの姿勢で、呆然とヒルデガルトを目で追っていた。
彼女が食堂から去ったあとも、動けずに居たのだ。
「……パネェ。とんでもない女だな、あれは」
ようやく立ち上がったフィルが、鼻血で真っ赤に染まった顔面を、魔術で綺麗にしていく。
ハーディがニヤリと微笑んだ。
「あいかわらず、見事な腕前だな」
フィルがニコリと微笑みを返した。
「長年、鍛え上げてきたからな。
しかし、とっさに魔術で防げなかったら死んでいたよ」
――治癒魔術。フィルの得意魔術だった。
幼い頃から生傷の絶えなかった彼が、自然と身に付けて行ったものだ。
ハーディが興味深そうにフィルの顔を見ていた。
「あの小さい身体、華奢な腕で、お前をここまで殴り飛ばすか。
俺好みの女だな。あの気迫、気に入った」
フィルが両眉を上げて驚いてみせた。
「おや、お前も彼女を狙うのか?」
ハーディが片眉を上げてフィルを見る。
「まさかお前、死にかけておいて、まだ諦めないのか」
フィルがクスリと微笑んだ。
「あんな面白い女だとは思わなかった。
これは、簡単に諦めたらもったいないだろう?」
「では俺たちは、恋敵ということか?」
「婚約者殿を蹴落とすまでは、共闘でもかまわないだろうさ。
どうやら彼女は、一筋縄ではいかなそうだ」
ハーディが眉をひそめた。
「むぅ、ややこしいことになるか。
では俺の出番があったら呼んでくれ。
蹴落とし終わったら、きちんと教えろ」
頭脳労働はフィルが担当。
力仕事がハーディの担当だ。
フィルが軽妙に笑いながら応える。
「構わないよ、相棒。
まずはシュルマン伯爵令息を潰そう。
そこから先は、早い者勝ちだ」
異端の男たちは、小さく笑い合いながら食堂を後にした。
彼らの様子を、遠くからフランツ王子が観察していた。
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食堂に戻ると、フランツ殿下とベルト様がまだ待っていた。
「あら、先に帰られなかったのですか?」
殿下が心外そうに顔をゆがめた。
「お前、俺たちを薄情者だと思ってないか?
あまり大勢で医務室に行っても邪魔だろうと、遠慮しただけだぞ」
あ、そうなのか。
席に戻り、冷めてしまった紅茶を左手で飲む。
右手はしばらく、満足に動かすことができなさそうだ。
クラウたちは新しい紅茶を持ってきて、一息ついていた。
殿下が真面目な顔でクラウに告げる。
「なぁクラウ。お前はフィル・ブランデンブルクとハーディ・ドレフニオクを知っているか」
クラウが眉をひそめて応える。
「もちろん知っているけれど、それが何か?」
「さっきまで、フィルのそばにハーディが居た。
どうやら仲が良さそうだぞ、あいつら」
クラウが考えこむようにうつむいた。
「そう……あの二人に交友関係があるのね」
ベルト様が殿下に告げる。
「今日はシュテルン選考会に参加する生徒しか来ていないはずです。
ということは、そのハーディというのも応募したということでしょうか」
殿下がうなずいた。
「そういうことだろうな。
合否まではわからないが、あの二人が同じクラスだとしたら面倒かもしれん」
ジュリアスが殿下に尋ねる。
「そのハーディという男、何者ですか」
「ドレフニオク伯爵家の嫡男だよ。
生粋の騎士の家系だ。
人を扱う能力が不足しているが、個人の技量ではノルベルトの上を行く」
私は思わず驚いて声をあげる。
「ベルト様より、騎士として上なのですか?!」
「いや、『戦士としては』上だろう。
だが個人が強いだけでは、戦争に勝つことはできない。
騎士としては、ノルベルトの方が上だ」
えーと、つまり頭が悪いってことかな?
ジュリアスがため息交じりで私に告げる。
「そうではありません。
『人の上に立つ資格がない』と言い換えれば、わかりますか。
騎士は指揮下の者たちを統率する職務があります。
ハーディには、その能力がないということでしょう」
ああ、なるほど?
戦えば強いけど、人に指図するのがヘタなのか。
ジュリアスが続けて殿下に尋ねる。
「ではフィル――」
私の右手が、強く音を立ててテーブルを叩いていた。
「……その名前を、わたくしの前で出さないでください」
私の冷たい声を聴いて、ジュリアスは小さくため息をついていた。
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夕食前に、帰宅してきたお父様に体を診てもらっていた。
お父様はため息をつきながら、私の右腕に治癒魔術を施していく。
「いったい、どんな無茶をしたらここまでダメージを負うんだい?
全治三か月、重症だ。
骨にも筋肉にも、酷い損傷がある」
そんなにひどいのか。
「人を殴ってしまったんです。
無我夢中なので覚えてませんけど。
たぶん≪身体強化≫で、加減なしに」
お父様が笑って告げる。
「ハハハ! その噂は本当だったのか!
もう生徒たちの一部で噂されているようだよ。
目撃した人間が少ないから、信じる人間も少ないだろうがね」
お父様が私の目を見て告げる。
「誰を殴ったのか、何故殴ったのか。
それを私に言えるかい?」
「それは――」
名前を言おうとした。
理由を言おうとした。
だけど口に出そうとすると、それだけで心を怒りが支配していく。
怒りを抑えるのに精いっぱいで、言葉にする事ができなかった。
お父様が小さく息をついた。
「よくわかったよ。
あとでジュリアスたちから事情を聴いておこう。
お前は無理せず、心と体を癒しなさい」
「……はい、お父様」
お父様の治療は三十分近くに及んだ。
それでようやく私の腕は完治し、夕食を開始することができた。




