39.初デート(2)
ジュリアスがヒルデガルトをエスコートする姿を、遠くから眺める集団が居た。
「ジュリアス様、中々やるわね」
ルイーゼが感心するようにつぶやいた。
「初手で白いチューリップかー。
ジュリアス様らしいよねー」
エミリが楽しそうに目を凝らしていた。
「誠実でいいんじゃないかしら。
婚約を結んだ後に『恋人になりたい』だなんて。
それに、初々しいヒルダも素敵ね」
クラウディアが満足そうに微笑んでいた。
アストリッドは、横に居るノルベルトに告げる。
「ノルベルト様は、これからどうするつもりだい?
まだあんたにも勝ち目は残ってると思うけど」
ノルベルトは応えなかった。
ただ険しい顔で、先を行くヒルデガルトを見つめていた。
クラウディアが横目でノルベルトを見る。
――今の婚約者を捨ててまで、ヒルダに挑む気概はない、か。
ノルベルトの婚約は、多額の融資と引き換えに家が結んだもの。
それを破棄するなど、簡単に決断できることではない。
だとしても、その程度の決断ができない男に、ヒルデガルトを渡すつもりもなかった。
クラウディアにとって、彼女は腹心の友。
彼女の幸福につながらない男など、近づけるつもりは毛頭なかった。
****
「そろそろ歩き疲れたでしょう。
少し休憩しましょう」
オープンカフェに立ち寄り、道に面した席に座る。
私は隣の席に大切に花束を置き、ジュリアスの顔を盗み見ていた。
ジュリアスは二人分の紅茶と軽食を注文したあと、私を見つめた。
「ここまでの感想を聞いてもいいですか?」
「……結構なお手前でした」
私は蚊の鳴くような声で応えていた。
見つめられるほど胸がうるさくなっていく。
今にも心臓だけが、体の外に飛び出しそうだ。
こんな自分、初めて知ったな。
横に座るウルリケが、クスリと笑ったような気がした。
「お嬢様、緊張しすぎですよ。
それでは体がもちません」
「だって、仕方ないじゃない!
わたくしだって、なんとか落ち着こうとしています!」
男らしさとは無縁のジュリアス。
そんな彼を、ここまで男性として意識する日が来るだなんて。
……『恋人になってください』か。
私はジュリアスと、恋人になりたいのかな。
ジュリアスは、私のどこがいいんだろう?
紅茶が届き、なんとか落ち着こうと口に含んだ。
緊張で手が震えてるのか、カップがカタカタと音を鳴らした。
笑みを漏らすジュリアスの気配で、私は意を決して口を開く。
「ねぇジュリアス。私と恋人になることに、迷いはありませんか。
婚姻しても構わないと、本当に思ってらっしゃるのかしら」
言葉を口にしてから、さらに心臓がうるさくなっていく。
あーもう! うるさい! 少し落ち着いて!
ジュリアスが紅茶を飲んだ後、一息ついた。
「あなたはまだ、自分の魅力を認められないのですね。
俺の方こそ、あなたに相応しい自分になりたいと願っているというのに。
あなたは今でも輝いて見えるほど、魅力的な女の子ですよ」
――嬉しかった。
その言葉を『嬉しい』と感じる自分に驚いていた。
未だに私は、この左目を認めることができないでいる。
だけどジュリアスは、『左目を含めても魅力的だ』と言ってくれた。
そんな彼に、私は何を返せるだろう。
親しい兄弟子だと、ずっと思っていた。
困った時に手を差し伸べてくれる、優しい人だ。
そんな彼と今、私は婚約者の関係にある。
彼となら、家庭を築いて子供たちに愛を与えられるだろうか。
……そこに不安はないように思える。
あるとしたら――。
「ジュリアス。聞かせて。
わたくしはグランツを卒業したら、貴族社会から離れるつもりでいます。
あなたはそんなわたくしに、ついてくるつもりなのですか?
それとも、『共に貴族社会で生きて欲しい』と願っていますか?」
ジュリアスが少し考えこんでいた。
「……俺はあなたが望むように生きるだけです。
貴族だろうと平民だろうと、どんな道でも構わない。
あなたと共に、暖かな家庭を守り切って見せます」
――やっぱりそうか。
ジュリアスなら、そう言うんじゃないかって、薄々感じてた。
自分を主張せず、私を立ててくれる人だ。
でもそれじゃあ、この国に三人しかいない特等級魔導士が二人も貴族社会を去る。
お父様は現役を引退してるから、実質的に国が特等級魔導士を失ってしまう。
その損失は計り知れないだろう。
ジュリアスだって、貴族として生きる方が才能を発揮できるはずだ。
私以上に優秀な魔導士の将来を、私が閉ざしてしまうことになる。
それだけが、私たちの関係で障害だと感じていた。
黙り込んで考えていた私の耳に、ジュリアスのため息が聞こえた。
「あなたは考え過ぎですよ。
貴族社会と距離をとっても、国に貢献する道はあります。
俺の将来が閉ざされる訳じゃない」
それは半分は本当で、半分は嘘。
言葉に偽りはないけど、『最善の道ではない』と認める言葉。
結局私は、ジュリアスから奪うだけ奪って、何も返せないのだろう。
ジュリアスが再びため息をついた。
「言い方が悪かったですか?
あなたが俺に愛をくれるなら、俺はそれで充分なんです。
何かを返したいなら、あなたの心をください」
できるだろうか。
私がジュリアスから奪ってしまう以上の愛を、私は与えられるだろうか。
「ジュリアス、わたくしは――」
言いかけた私の唇に、ジュリアスの指が押し付けられていた。
「……今はそれ以上、考えないでください。
いつか、より良い道が見つかるかもしれません。
グランツを卒業するまでに、その道を探してみませんか」
私は黙ってうなずいた。
唇に、彼の指の感触が残り続けていた。
****
ジュリアスは「今日は楽しむことだけ考えてください」と私に告げた。
私は彼の言う通り、今は目の前にあることに集中した。
町にある店を回り、公園に立ち寄り、池でボートに乗った。
日が暮れる頃、私たちは馬車に乗り込み、グランツ伯爵邸を目指した。
窓から差し込む赤い日差しが、ジュリアスを赤く照らし出していた。
「どうでしたか。一日の感想は」
私は心からの微笑みで応える。
「とても素敵な思い出になりました!」
ジュリアスから受け取った、宝石のような言葉たち。
私はそれを、大切に胸の宝石箱にしまい込んだ。
胸に白いチューリップを抱え、その意味を噛み締める。
「ねぇジュリアス。
その……恋人になったら、今度は何が変わるのかしら」
「付き合い方は、婚姻するまで今と変わりませんよ。
ですがきっと、お互いに心を通い合わせる仲になるんじゃないですか?
それこそ、フランツ殿下とクラウディア嬢のように」
そっか、ジュリアスは結婚するつもりがなかったって言ってたっけ。
女性と付き合うのも、今日が初めてだったんだろうな。
それでも私は、今日を目いっぱい楽しんでいた。
「ジュリアスは、今日を楽しめましたか?」
彼が私を見つめ、優しく微笑んだ。
「あなたを独り占めできたのですから、充分満足していますよ」
私はそれ以上何も言えず、真っ赤な顔で胸に抱く花束を見つめていた。
****
家に着き、ジュリアスに「また明日!」と元気に告げて別れた。
家の中に入り、着替え終わってからベッドに倒れ込む。
「――はぁ。心臓が壊れるかと思いました」
今日一日、心臓がずっとうるさかった。
これからもずっと、こんな調子なのだろうか。
……明日から、どうやって学院に通ったらいいの?
明日のことを考え、ひとりベッドの上で頭を抱えていた。
だって! ジュリアスは毎朝迎えに来るし!
逃げ場がないじゃない!
それになんなの?! ジュリアスったらずっと冷静でさ!
私ばっかり取り乱して、馬鹿みたいじゃないか!
ジュリアスだって、少しは取り乱してもいいと思う!
こんなの、私ばっかりで不公平だ!
私は『いつかジュリアスを取り乱させてやる!』と、固く心に誓っていた。




