34.編入(2)
学院に着いてから、私は様々な視線にさらされた。
珍しいものを見る目。
噂を確かめようとする目。
それ以外にも、私を見つめてくる視線もあった。
どこか嬉しそうに私を見ている。
これが多分、私のファンが向けてくる目なのだろう。
ジュリアスと並んで教室に入ると、やはり同じような視線を浴びせられる。
しばらくは珍獣扱いかなぁ。
早く慣れてくれるといいんだけど。
「ヒルダ! あなたの席はここよ! ここ!」
大きなクラウの声が教室に響き渡った。
興奮気味のクラウは、立ち上がって自分の左隣の机を叩いていた。
その周囲にはルイズ、エマ、リッドの姿もある。
三人は困ったように微笑んでいた。
ジュリアスと共に中央の席へ向かい、クラウの隣に腰を下ろす。
私の左隣には、ジュリアスが座った。
クラウが私に抱き着いて告げる。
「ようやく一緒のクラスになれたわ!
この日をどれだけ待ちわびたことか!」
興奮気味のクラウは、私の首に抱き着いて離れない。
そこに『学院の女王』の姿はなかった。
心からの笑みを浮かべる、十四歳の少女が居るだけだ。
「クラウ、ちょっと落ち着いて?
そんなに感情を表に出しては、淑女失格ですわよ?」
「しょうがないじゃない!
我慢できないんだもの!」
クラウの右隣に座るルイズが、彼女を私から引き剥がした。
「ほらほらクラウ。
ヒルダは逃げないんだから、落ち着きなさい」
クラウの前にはエマとルイズ。
後ろにはフランツ殿下とベルト様が座っていた。
「見事に固まってますわね」
安心と言えば安心なのだけど。
エマが私に振り返ってニタリと微笑んだ。
「いつもはジュリアス様だけ、離れた席なんだけどね。
さすがに婚約者の隣は譲れなかったのかしら?」
その言葉で、私の顔が火を噴いた。
「あ、改めて言わないでくださるかしら?!」
「えーなんでー? 婚約したんでしょ?
婚約者なのは確かなんでしょー?」
それはそうなんだけども?!
私の後ろから、フランツ殿下が告げる。
「婚約おめでとう、ヒルデガルト。
理由はどうあれ、めでたいことに変わりはあるまい」
ああ、殿下はクラウから事情を聞いてるのか。
ベルト様は、どこか陰のある微笑みで私に告げる。
「婚約、おめでとうございます」
私は二人に「ありがとうございます」と応えた。
そっか、もう周囲に知れ渡ってるのか。
これからは、婚約者が居る人間として振る舞わないといけないんだな。
……そんな状態で、恋人候補なんて探せるの?
やっぱりそれは、とっても不誠実に思える。
じゃあ、ジュリアスと結婚する?
……それはまだ、私の心に答えがない気がした。
ジュリアスが私に告げる。
「難しく考える必要はありません。
一緒に過ごしていれば、自然とわかることですから」
はて?
「ねぇジュリアス。わたくし、何か口走ってましたか?」
「いいえ? ですがあなたの考えることなら見ればわかります。
あなたは表情に素直に心が現れる」
それで心の声に返事ができたのか。
まるでお父様みたいなことを。
器用だな?
そして教室に教師が入ってきて告げる。
「では、授業を始めます!」
こうして、私の学院初日が始まった。
****
「まさか、編入初日から自習になるとは思いませんでしたわ」
私はジュリアスに連れられて図書館に来ていた。
グランツの授業は、五十人弱の生徒に対して同時に行う。
私がいつものペースでポンポンと質問をしていたら、『ペースが早すぎる!』と叱られた。
決まった速度、決まった内容で進められる授業は、私には遅すぎたのだ。
教師は頭を抱え、『君は自習をしていなさい』と告げた。
自習を命じられて困惑する私に、ジュリアスが『俺が案内します』と連れて来てくれた。
ジュリアスは自習の常連。慣れたものだそうだ。
本棚の間を歩きながら、ジュリアスが教本を見繕っていく。
彼から手渡された教本を胸に抱え、彼の後を付いて行った。
ジュリアスは魔導書を手に取っているみたいだ。
「魔導書? 授業と関係ない本でも構わないの?」
「月末の定期試験で結果を残せば、文句は言われません」
この『結果さえ残せば不問とされる』のがグランツの特徴らしい。
こうして、ジュリアスのように優秀な生徒が腐らないようにしてるのだろう。
彼が貸出書類に必要事項を記入していく。
彼に続いて、私も真似て空欄を埋めていった。
どうやらジュリアスは普段、放課後か早朝に本を借りているらしい。
貸出書類にはずらーっと、彼の名前が記されていた。
「……あら? ジュリアスはどうして、今日は本を用意してなかったの?」
「あなたが自習になるのは予測していました。
こうして一緒にやり方を教えた方が、わかりやすいでしょう」
どうやら、私のために敢えて事前に本を用意しなかったようだ。
私は微笑んで告げる。
「ありがとう、ジュリアス」
彼はプイッとそっぽを向いて応える。
「婚約者として、当たり前のことをしたまでですよ」
そうは言うけど、横を向いたジュリアスの耳が赤い。
さては照れてるな?
私がクスリと笑うと、眉をひそめてジュリアスが告げる。
「とにかく、早く戻りますよ」
「はーい」
私は彼と並んで、図書館を後にした。
****
昼休みの学食は、大勢の生徒が食事を楽しんでいた。
私たちはひとつのテーブルを囲んで座った。
ルイズがあきれるように私に告げる。
「あなた、あれがマイペースなの?
どうして午前中だけでノートが何冊も埋まっていくのよ」
「どうしてと言われても……。
教本の要点をまとめて、書き込んでいるだけですわ」
グランツ編入前のペースは、いつもこんな感じだった。
それに驚くみんなの姿を見て『やっぱりあれはおかしかったのか』と再認識した。
お父様、無茶苦茶なペースでスケジュールを組んだからなぁ。
それをこなしてしまった自分がおかしいのだろうと、今なら少しは理解できる。
ジュリアスが私に告げる。
「今のペースであれば、すぐに今年度のカリキュラムを終えるでしょう。
そうしたら後は、俺のように魔術書でも読めばいい」
ジュリアスは既に、昨年度までに最終学年のカリキュラムを勉強し終えたらしい。
なので今年度は、もっぱら魔術の勉強をするつもりのようだ。
「ジュリアスったら、優秀なのですね」
クラウたちに、自習をしている様子はない。
グランツの授業は決して温くはないという証拠だ。
フランツ殿下があきれたように私に告げる。
「編入初日から自習の時点で、お前もだいぶおかしいからな?」
ジュリアスが殿下に告げる。
「ヒルダ嬢はヴォルフガング先生に鍛え上げられましたからね。
先生の教えについてこれる時点で、普通じゃありませんよ」
やっぱりそうなのか……。
――あ! そうだ、ハンカチ!
私は不意に噂話を思い出し、ベルト様に告げる。
「ベルト様、ひとつお伺いしたいのですが。
わたくしがお借りしたハンカチを『お守りとして持ち歩いている』というのは本当でして?」
ベルト様は真っ赤な顔でうろたえはじめた。
「どうしてそれを?!」
そうか、本当なのか。
そんな人だなんて思わなかったな。
私はジト目で見ながら告げる。
「ベルト様、そのハンカチを今すぐ渡してください。
洗ってからお返ししますので」
「ええっ?! 今すぐですか?!」
なんで渋るかなぁ?
「ベルト様? わたくしはジュリアスと婚約した身です。
そんな私がベルト様に『そのようなハンカチ』の所持を、許せると思いますか?」
彼は渋々、懐から一枚のハンカチを取り出した。
私はそれを受けとり、懐にしまい込む。
「明日までに、きっちり綺麗にしてお返ししますわね」
浄化魔術で、きれいさっぱり新品同然にしてあげよう!
ベルト様はがっくりと両肩を落としていた。




