33.編入(1)
お父様はジュリアスとの婚約契約を、彼の両親と取り交わした。
これで私とジュリアスは、正式に婚約者となった。
小さな晩餐会が我が家で開かれ、シュルマン伯爵一家が参加した。
ジュリアスとよく似たシュルマン伯爵は、機嫌よく笑っていた。
その笑顔が、なんだか胸に痛い。
「ごめんなさい、少し風に当たってきますわ」
私は居心地が悪くて、席を外してバルコニーへと逃げた。
バルコニーで真っ暗な空を眺め、ため息をつく。
「いいのかなぁ、こんな婚約で」
「いいんですよ、こんな婚約でも」
背後からジュリアスの声が聞こえた。
びっくりして振り返ると、そこにはすまし顔のジュリアスの姿。
驚いている私の横に、ジュリアスがやってくる。
あっけに取られていると、ジュリアスが私に告げる。
「貴族の婚約なんて、だいたいこんな感じです。
親同士が家の都合で契約する社会。
味気ないですけどね」
「……ジュリアスは平気なの?
あんなに喜んでいるご両親を、裏切ることになるのに」
「父上たちはすべてご存じですよ。
我が家の家督は弟が継ぎます。
俺は家を継ぎません」
――え?!
「どういう……ことなの?」
「ですから、父上たちはすべて理解した上で喜んでくれているんです。
『婚約しただけでも一歩前進だ』とね。
あるいは俺がヒルダ嬢と婚姻でもすれば儲けもの――そう考えているでしょう」
今まで、婚約すらうなずかなかったジュリアス。
そんなジュリアスが、望んで婚約を結んだ。
その前向きな姿勢を、親として嬉しく思っているらしい。
これで『次の婚約』を考えられるようになるかもしれない。
そういった前向きな考えだそうだ。
親として、子供の幸せを何よりも願う。
そんな人たちらしい。
「……優しい人たちなんですわね。
さすがジュリアスのご両親ですわ」
ジュリアスは真顔で夜空を見上げていた。
「俺は父上たちのように優しくはありませんよ」
「そんなことありませんわ。
わたくしのために、こうして形だけの婚約にうなずいてくださいました。
優しくない人には、できないことだと思います」
それにいつも、なんだかんだと私の心配をしてくれる。
ジュリアスが優しくなかったら、誰が優しいというの?
彼の顔は、どこか迷っているようだった。
「……俺は利己的な人間です。
自分のためにならないことはしない主義です。
他人に興味もありません」
私は小首をかしげてジュリアスを見つめた。
「それじゃあ、この婚約も自分の為だったと、そうおっしゃるの?」
「そうですよ?
俺があなたを守るため。
そして、あなたを手に入れるために必要だからうなずきました」
……なんて言ったの?
私を、手に入れる?
困惑する私の顔を、ジュリアスが見つめた。
「もう婚約は成立しました。
この契約の破棄条件は『あなたに他の恋愛相手ができるまで』です。
ですからようやく、この言葉を口にできます」
ジュリアスが一呼吸をおいて私に告げる。
「俺はあなたの心が欲しい。
そしてあなたの夢を、俺が直接叶えたい」
――ちょっと待って?!
それってつまり、どういうこと?!
私の『可愛いお嫁さん』の夢を、ジュリアスが叶えるの?!
それって、それって……。
頭が真っ白になって居る私に向かって、ジュリアスが再び口を開く。
「俺をひとりの男性として見てください。
すぐにできなくても構いません。
そうしてひとりの女性として、あなたの答えを聞かせてください」
呆然とする私と真剣なジュリアス。
わたしたちは、しばらく見つめ合っていた。
「……夜風に当たり過ぎても体が冷えます。
そろそろ中に戻りましょう」
ジュリアスに促され、私たちは部屋の中に戻った。
****
あのあと、晩餐会をどう過ごしたのか覚えていなかった。
気が付いた時にはネグリジェで、ベッドの中に入っていた。
ジュリアスが、私のことを想ってるの?
彼は精霊眼になった後の私しか知らない。
それでもなお、私を好きだと言ったの?
男性から好意を告白されたのは初めてだ。
こういう時、私はどうしたらいいんだろう。
自分の気持ちがわからない。
だって、私はまだ彼をちゃんと男性として見たことがないんだもん。
優しくて穏やかな男性と結婚するのが夢だった。
そんな夫に、ジュリアスはなれるのかな?
……優しいし、穏やかな人だとは思う。
意地を張ると強情になるけど、それは私もお互い様だし。
ジュリアスと温かい家庭を築けるのかな?
今の私に、その結論を出すことはできない。
まずは最初の一歩だ。
ジュリアスを男性として見るところから始めてみよう。
それで自分の気持ちを見極めて、それで返事をするしかない。
方針が決まり、私は目をつぶる。
私の意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。
****
編入当日、ジュリアスが予告通り、馬車で迎えに来ていた。
「行ってきますわね、お父様」
「ああ、行っておいで。
気を付けるんだよ?」
私はお父様にハグをしてから、家の外に向かう。
玄関前ではジュリアスが、先日のように私を待っていた。
「おはよう、ヒルダ嬢。
編入当日ですが、落ち着けていますか」
「ええ、おはようジュリアス。
落ち着けているといいのですけど」
正直、編入に対する緊張感はどこかに行っている。
ジュリアスと一緒に馬車に乗るということの方が、今の私には大事だ。
彼の手が馬車から差し伸べられる。
なるだけ意識しないよう、でもこわごわと彼の手を取り、馬車に乗りこんだ。
最後にウルリケが乗り込み、馬車が走り出す。
ウルリケが私に告げる。
「婚約者とは言え、婚姻前に二人きりにならないよう、お気を付けください」
「はい、わかっています」
ジュリアスは私の前の席に座っている。
彼の視線を浴びていると、なんだかそわそわと落ち着かない。
ジュリアスがフッと笑って告げる。
「そう緊張しないでください。
俺は俺、あなたはあなた。
婚約したからって、それが変わる訳じゃありませんから」
そりゃーそうなんだけどさぁ?!
ジュリアスが私を女の子として見てるって知っちゃったんだよ?
今まで通りに過ごせるわけ、ないじゃん?!
三十分間、無言の時間が過ぎていった。
ウルリケがふぅ、とため息をついて告げる。
「お嬢様、僭越ながらアドバイスを。
今は学業に専念し、婚約のことは一度お忘れください。
このままでは、編入初日から大きな失敗をしてしまいますよ」
――そうだ、今日は編入初日。
まずはそれだけ考えよう!
私は気持ちを切り替えてジュリアスに尋ねる。
「ねぇジュリアス、何か気を付けておくことはありますか」
「特にありませんよ。
あなたはいつも通り振る舞えばいい。
噂が多く流れてますが、それに惑わされないように」
なんでもエマが中心となって学院中に噂をばらまいてるらしい。
エマは情報通の女の子。
学生の社交界で、噂を操るのが得意な子だ。
なんでも高水準でこなすクラウが『私より巧いわよ?』とほめていた。
クラウのプラン通り、私の影響力に関する噂はもちろん。
それ以外にも『面白そうな噂』も率先して流してるらしい。
なんだか気が重たいなぁ。
ただでさえ精霊眼で、私の印象は最悪なのに。
私を女子として見てくれる男性、現れてくれるのかな。
ジュリアスが苦笑交じりで告げる。
「ですから、噂に惑わされないように。
社交界の噂は、虚実入り乱れるものです。
噂がそのまま真実だと思う生徒は、多くありません」
そっか、それならなんとかなるかな。
よーし! まずは学院に慣れるところからだ!




