32.学院見学(5)
ヒルデガルトが去った部屋の中。
クラウディアとルイーゼ、ジュリアスが黙ってテーブルを囲んでいた。
「それで話とは?」
クラウディアがニコリと微笑んだ。
「チャンスは与えたわ。
これをものにできるかどうかは、ジュリアス様次第。
頑張らないと今のままでは、貴方に勝ち目はないわよ?」
ジュリアスはしばらく、黙ってクラウディアの顔を見つめた。
「……どういうつもりですか」
「ヒルダはね。私にとって、とても大切な友人なの。
あの子には幸せになってもらわないと困るわ。
今あの子の周囲に居る男性は、ノルベルト様とジュリアス様。
新しい誰か、というのも面白いけれどね」
ジュリアスは真面目な顔で応える。
「俺かノルベルトをヒルダ嬢の相手にすげようと、そういうことですか」
クラウディアがニコリと告げる。
「あの子に不満があるのかしら?
ないわよね? ――ええ、知ってるわ。
だったらもっと頑張らないと、勝ち取れないわよ?」
ジュリアスが深々とため息をついた。
「……もう一度聞きます。
どういうつもりなのか、教えてください」
「あの子の同世代で、あの子を任せられるとしたら二人だけ。
ノルベルト様かジュリアス様。
でもどちらも、まだあの子に相応しいとは言い切れない」
「それで、俺に何をさせたいんですか」
「言ったでしょう?
これはあの子を守るための婚約。
でもあなたが努力すれば、その先に進むこともできるわ」
ジュリアスがひたとクラウディアの目を見つめた。
「……彼女の心を、射止めてみせろと?」
「当たり前じゃない。
その程度もできなければ、あの子を幸せにはできないもの。
これは最初で最後のチャンスだと思いなさい」
少しの間、ジュリアスは考えこんだ。
この婚約の意味、それが及ぼす影響。
そしてヒルデガルトにとって、これがどういうものになるのかを。
「……あなたの言いたいことはわかりました。
ヒルダ嬢をこれ以上、待たせられません。
俺はこれで失礼します」
クラウディアが楽しそうに微笑む。
「ヴォルフガング様にはあなたから伝えなさいよ?
あの子に任せていると、何を言い出すかわからないわ」
ジュリアスはクラウディアを一瞥したあと、黙って窓から部屋を出た。
****
「――あ、ジュリアス! やっときましたわね!」
女子寄宿舎の裏庭側からジュリアスが出てきた。
なんだか真剣な顔で考えこんでるみたいだ。
「ジュリアス? どうかしまして?」
「……いえ、なんでもありません。
そろそろ十五時になります。
正面玄関に移動しましょう」
正面玄関では、既にウルリケが控えていた。
「待たせましたか? ウルリケ」
「いえ、まだ時間前ですし、お気になさいませんよう」
先に乗り込んだジュリアスに手を取ってもらい、馬車に乗りこむ。
その手の感触が、なぜだか新鮮だった。
……クラウが変なことを言うから、意識しちゃったじゃないか!
馬車が走り出すと、ジュリアスが私に告げる。
「婚約の件は俺からヴォルフガング先生に伝えます。
両親の承諾は得ていませんが、反対はされないでしょう」
「そんな! 本気であの話を進めるつもりでして?!」
「もちろん本気ですよ。
婚約者の存在は、あなたを守る強固な盾となる。
といっても、我が家は家格が低い家です。
横恋慕をされない保証はありませんがね」
私はおずおずと応える。
「でも、ジュリアスはそれで構わないの?」
「……あなたは何も心配しなくていい。
俺とヴォルフガング先生に任せてください」
そうまで言われたら、黙るしかない。
ふぅ、と小さく息をついた。
その後はこれといった会話もなく時間が過ぎていった。
だけどジュリアスが私を見つめる瞳が、やけに気になった。
****
家に帰ると、ジュリアスと一緒にお父様の居る書斎へ向かった。
書斎には――私?! なんでもう一人の私がソファに座ってるの?!
まさかこれ、お父様の『蜃気楼』?!
私たちが書斎の中に入ると、『もう一人の私』は炎に変わって消えていった。
お父様が満面の笑みで告げる。
「お帰りヒルダ。学院は楽しかったかい?」
「ええまぁ……。
それよりお父様?!
勝手に『蜃気楼』で私を作らないで欲しいと、お願いしましたよね?!」
「ハハハ! すまないね。
お前の姿が見えないと、どうにも落ち着かない。
ウルリケには許しをもらっているから、それで許してはくれないか」
――ウルリケが?!
彼女に振り返ると、ウルリケが淡々と告げる。
「あまりに落ち着かないご様子でしたので、特別に許可しました。
お嬢様のご不満は理解しますが、あれでは家人に示しが尽きませんので」
お父様、どれだけ寂しかったっていうの?
でもまぁ、ウルリケが許可を出すっていうなら、余程のことなんだろう。
仕方ないお父様だなー。
私がため息をついていると、お父様が告げる。
「そんなことより、なぜジュリアスがここに居るのか。
その説明をしてくれないか?」
私が口を開こうとすると、ジュリアスが私を手で制した。
「――俺が伝える、と言いました。
ここは任せてください」
そしてジュリアスは、クラウから提案された婚約のことをお父様に伝えていった。
お父様は眉をひそめ、ジュリアスを見つめていた。
「……話は理解した。
ヒルダを守る、良い策だと思う。
だが君はそれでいいのか」
ジュリアスが私とウルリケに振り向いて告げる。
「ここからは、俺とヴォルフガング先生だけで。
ヒルダ嬢は部屋に戻っていてください」
真剣な瞳で言われてしまい、私は黙ってうなずいた。
ウルリケを連れ、お父様の書斎を辞去した。
****
ヒルデガルトが去った書斎で、ヴォルフガングが告げる。
「人払いをした。君の本心を聞かせてもらおうか」
ジュリアスはまっすぐヴォルフガングを見据えて告げる。
「俺は本気です。
必ず彼女の横に立ってみせます。
彼女に相応しい男になって、彼女を守り通します」
ヴォルフガングはジュリアスの視線を受け止め、吟味するように見つめ返した。
「……気持ちは負けていないようだね。
現時点で、君はヒルダから男性として見られていないだろう。
それを乗り越え、あの子を振り向かせることができるのか?」
「それは理解しています。
ですがもう、彼女を諦めるつもりはありません。
誰かに譲るつもりも、もうありません」
ヴォルフガングが厳しい目で告げる。
「あの子は貴族社会から距離を取り、平民同然として生きて行く。
君は貴族の栄光を手放し、泥臭く生きて行くことができるのか?」
「その程度、彼女が俺の横で微笑んでくれるなら、なんてことはない。
俺の居場所は彼女の隣です。
この場所を明け渡すつもりはありません」
ヴォルフガングがゆっくりとうなずいた。
「いいだろう。婚約を許可しよう。
早速、君の家に話をしに行くとしようか。
あの子の編入前に、婚約を締結しておく必要がある」
ジュリアスは黙ってうなずき、ヴォルフガングと共に書斎を後にした。
****
その夜、お父様は夜遅くに帰ってきた。
ジュリアスの両親と婚約について、細かく打ち合わせをしてきたらしい。
正式な書類の作成は後日になったらしいけど、編入前に間に合うそうだ。
婚約かぁ。実感わかないなぁ。
クラウたちも、こんな感じで婚約したんだろうか。
『そこに自分の意思がない婚約』って、味気ないものなんだな。
だけどクラウたちは、婚約相手と良好な関係を築いてるらしい。
結局、きっかけはなんだって構わないんだろうか。
……ジュリアスが婚約者か。
不思議な気分だ。
形だけだって話だったけど、婚約者には変わらない訳で。
婚約者をさしおいて恋愛相手を探すなんて、とっても不誠実だ。
――じゃあ、ジュリアスと結婚するの?
それはまだ、自分にも分からなかった。
今までの関係が壊れてしまった気がして、切ない夜を過ごした。




