二度としない
【詐欺師・19】
魔女だとか心臓だとか肺だとか。
知ったことか。知らないことを語られて、ああそうかいと流せるほど俺は大人じゃない。
百歳がなんだ、二百歳がなんだ! 女たらしを舐めるんじゃない──
瑠璃を抱えて浜に昇る。軽かった。
濡れた身体に砂が張り付いて、気分はこれから揚げられるフライである。セットもぐちゃぐちゃ。たらふく海水を飲んだから喉は焼けるように痛むし、指先は震えるし、目頭は熱いし、ああもう、得など一つも無い。
瑠璃が生きていなかったら、こんなこと後悔するところだ。
「死なないって言ったじゃないですか」
瑠璃の頬は上がっていた。逆行するように目尻は低い。ああ、一般的に笑顔と呼ばれる表情だ。しかし無理して笑って、誤魔化して。
そんなものが、通じると思うな。
このクズ野郎が、女の笑顔と泣き顔を幾つ見てきたと思っている。
「なんで飛び込んだ」
しかし瑠璃は答えない。
ぱくぱくと唇は動くけれども、言葉は続いて出てこない。呼吸をしなくても生きられると言った割には、随分と空気の移動が多い。
頭の中で必死に逃げ道を探っているように見えた。
瑠璃の細指が、砂を握る。
海水を含んだ白砂が、強く、固く。八つ当たりのように固まった。
「わたしは……あなたたちの運命を弄んで、歪ませて」
一瞬止めて、瑠璃は顔を上げる。
「最悪な癖に」
瞼。
瑠璃の瞳が輝いた。彼女の夜が水平線の彼方へと消えた。
体温を知らぬ鉱物のようなその眼は今、潤いに渦を巻く。
瞳の内に星は無い。海の底のように少し青く、しかし光を失った。
遥か彼方の生まれたての入道雲が、まるで瑠璃から噴き上げる湯気のように膨れてゆく。瑠璃は顔を腫れあがるみたいに真っ赤にして、歯を噛んだ。
「ちょっと優しくしてもらったら、分不相応にも嬉しくなって、舞い上がって」
語る言葉に、吐き捨てる毒に、煩わしいくらいの熱が宿る。身体に無理矢理詰め込んで抑え込んでいたはずの内側からの重圧が、爆ぜる温度で大いに燃える。
「気持ち悪いじゃない……」
吐き切って──吸う。
【瑠璃】が息を吸って、そのままむせる。
深く青い瞳。肩で吸い上げる大気。震えているのは赤く、心臓だった。
そこにいたのは、ただの瑠璃。魔法の世界から遠く離れた、人の体温を重ねる女の子。
海の青と白が、果てなく似合う空色の女の子。嗚呼。
罪は消えない。消えてしまうのは、何時か雪がれてしまうのは罪悪感だけだ。
だから俺たちに選べるのは、苦悩に貫かれようと諦めずに付き合い続けるか、何もかもを放って捨て去ってしまうか、その二つの分かれ道だけ。
諦めないことは面倒臭い。他にずっと楽な道があるのに、態々険しい道を踏む理由は、意地以外に何も無い。
けれども残念、岸波瑠璃には俺がいる。
今ここで我が軟派発動しなければ、俺は詐欺師なんてやってない。
険しい道は花で飾ろう。薄い空気に砂糖菓子の味を付けよう。大丈夫、ゴールの先にご褒美があると、信じられなくても信じさせよう。俺は詐欺師。どんな不幸も、まるで幸福であるかのように誤魔化そう。
「死にたくないなら、死にたくないって言ってくれ」
嬉しかったって、俺たちに言いたいくらいに幸せだったなら、続けたいと願えばいい。
人の傷になるような死に方をしないで欲しい。
もう瑠璃は岸波瑠璃で、岸波新葉の姉なのだから。
「止めて欲しいんだったら──いくらでもそう言ってくれ。諦めたくないなら言ってくれ」
俺にできることをやらせて欲しい。終わってないって信じたい。
「勝手に死ぬのだけは、頼むからやめてくれ……」
後悔を堆く積み上げて、追いかけてこないか不安になって振り向いて、でも本当は追いかけて引きずっていってくれたらどれだけ楽だろうって妄想して、でもそんなことを彼女たちが望まないことは誰よりもわかっているから、その度に自分に殺意を燃やす。黒い円環の中で、丸まって眠る最悪の生存を断ち切りたい。
そんな俺の傲慢と我儘のために。
魔女でも瑠璃でもなんでもいい。
ただ呼吸をしていて欲しい。
それ以外はもう、何も求めないから──




