表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/19

詐欺師・網島修理の生業

【詐欺師・9】

「今日はもう眠ります」

 瑠璃を高級そうな椅子に下ろして、部屋を出た。

 抱き締められていた頭の中が、しかし所在なくクラクラ揺れる。何処から整理していいのかもわからない。

 瑠璃の肌は石のように冷たかった。

 途方に暮れて見上げた視線をがっくりと失墜させてみれば、覗き込むような視線と繋がった。

 岸波真司から聞いていた。そういえば、もう一人いるのだ。

 岸波新葉。岸波家の長男。小学生のガキ。

「どうしました? 弟君」

「おれわかるよ。アンタ屑だろ」

 最近の子供すっごいこと言う。

「……見る目があるな。姉ちゃんと違って」

「人のコンプレックスを弄るなよ。屑が」

「は? あ、ああ違うそういう意味で言ったんじゃ、いや……すみませんでした」

 新葉は随分幼く見えた。しかし、低い視線は見下すように細い。

「アンタ見たろ、あの部屋。おかしいんだよ」

「趣味は人それぞれだからなぁ」

「誰も聞いてないんだから素直に言えよ。どうせ思ってるだけで瑠璃にはバレるんだから」

「そっかぁ……」

 そんな気はしていたが、正面から言われると思った以上に言葉に詰まった。

 思考が読める人間が自分の対面にいたことは、思い返してみると酷く苦痛に思われた。俺は彼女を騙せないし、彼女には俺の薄汚い中身が見えてしまう。どちらにも得は無い。

 とっても逃げたい。

 頭の中を空っぽにすれば思考は読まれないのだろうか。

 ばなな。

「──頼むよ」

 アホの面を世間に晒していると新葉が言った。

 背負った影は薄くとも、しかし幼き少年の背には重すぎるように見えた。

「この家、おかしいんだろ」

「お前何歳?」

 求めた言葉とは違うものが出てきたものだから、新葉は唇を尖らせた。しかし抗っても仕方ないと思ったのか素直に、九歳であると答えた。

 ──ああ、ガキだ。年齢も、精神も。

 詐欺師に本当のことなど、言うものではない。

 悪しき者は鼻が良い。

 肉の柔らかいところを嗅ぎ分ける、砂泥よりも細かい嗅覚がある。

 そんな風に、何か期待に目を輝かせてしまっては付け込まれる。

 希望が見えれば望むものがわかる。望むものがわかれば適した餌がわかる。詐欺師は上手い釣り人に似ている。そして悪しき者は身体を身軽にも霧に変える。目から鼻から口から、毛穴から。探るように獲物を見つめる。

 泥船がどちらかなど、考えるだけ無駄だった。

 しかしきっと、藁をも掴もうと溺れる者に、下賤な詐欺師は濡手を伸ばす。

「辛かったよなぁ」

 それは騙す為に吐いた言葉。カモにネギを括りつけようと垂らした涎。

 けれども零れた言葉は血よりもぬるく。人の温度を重ねてゆく。

 俺は詐欺師。しがない詐欺師。

 けれどもどうにも甘ったれで中途半端な詐欺師。

 こんな自分が嫌になることは幾度となくあって、けれどもその度、頭を撫でつけられて砂糖は中身にまで染み込んだ。

 見知らぬ男。見知らぬクズ。顔しか取り柄が無いクソ野郎に、それでも縋らねばならないと覚悟したこの少年は、果たして。

 今までどんな心地で生きてきたのだろう。

 嗚呼愚か。慣れ合いをせずにいられない。自分のせいで人が死んで、自分の生で不幸が生まれて、それでも寒さに耐えられない。

 何処まで行っても中途半端。何時まで経っても足が生えない。

 しかしそれが、行動を起こさない理由にならないことも、深く重く、知っていた。






【詐欺師・10】

 新葉はあるゆることを話した。

 瑠璃と血が繋がっていないこと、瑠璃が来たのは三か月前であること、そしてその頃から両親の様子がおかしくなったこと。

 そのことを、自分以外が全員忘れていること。

 泣きそうな顔で、怖かったと零す。

 嗚呼褒めれば、ほめたたえただけ、次から次へと根が惚れる。葉も惚れる。面白い様に──

 きっと褒められることすら、久しぶりなのだろう。こんな子どもの三か月は、きっと漫然と生きる大人の何千倍も価値があって、天秤の皿も地に足付ける。

 訊きたい情報と同時に、別に聞きたくもない日常の世間話も聞いてやった。そういうのは大事だ。詐欺師として。

 宿題がどうの、給食がどうの、最近読んだあの本が、あのテレビが。

 そんな他愛のない話を。当然の会話を。

 話したいことがたくさんあって、伝えたいことがたくさんあって、でもそれを誰に話していいかわからない。

 こんなガキが。

 詐欺師に容易に誑かされるほど愚かなガキが。

 背は低い。肉も無い。声変わりだって、まだしていないこんなガキが。小さな身体に収まり切らないくらいの容量を声で吐く。熱暴走のように──

 ふと、頭の中で煮えたのは何だったのだろう。

【同情しますよ】

 言った温度を噛み潰す。お前が真に同情してやるべきなのは、世界の底辺で口を開ける詐欺師なんかじゃなくて──

「聞きたいんだけどさ」

「何さ」

 素直に鳴った反射の音に首が折れる。子どもの素直で透明な声を鼓膜に受けて、三半規管はとてもまともじゃいられない。

 床と見つめ合って垂れるのは、獲物を前にした垂涎か、それとも目玉の水漏れか。

「瑠璃が家に来る前、父ちゃんと母ちゃんどんな人だった?」

「そんなの決まってるだろ」

 逡巡も無い。決まっているだって、

 ああ、わかってる。

 だって風変わりした今と変わり無くクソ野郎だったら、お前はそんな憔悴しない。

 瑠璃を疎ましく思うことだってないだろう。

「世界で一番の親だったよ」

 世界で一番好きだったから、途方もなく。替えなど効かない。効く訳もない。

 忘れられないこと、ずっと頭にこびりついて剥がれないこと、絶望に近しいこと、刻まれた傷が癒えないこと。それらは最愛の証左だった。

 滾るのは目玉の裏側だった。煮えるのは腹の底だった。

『世界で一番の親だったよ』

 だった、って。

 諦めるにはまだ早いはずだ。

 事実が、しかし立ち上がる気力を失って、死体のように目の前に横たわっていようとも、部外者の俺には関係ない。徹頭徹尾どうでもいい。

 だから、そんな無気力など知ったことではないのだ。

 諦めることなど、叶って堪るものか。

 詐欺師は人を騙す生き物で、自分を騙すことは基本のゼロ番目。あまりにも原初の欲望に酷似していた。

 姉さんに求められて、演じた最高の男。

 ああ俺は、演じている瞬間だけは本物でいられるのだ。

 詐欺師のきほん、きほんのほ。本物を追い求めろ。

 ──本物の理想を。

 立ち上がり、伸びをする。喉は酷く乾いていた。

 しかし足は動く。何処かへ進もうとする気力を焼べれば、十分に、真っ直ぐ進めるとアキレス腱の痺れが語る。

 未来の展望は何も描けぬまま、頭の中は白地図よりも真ッ新に吹き飛んでいた。だからそこに絵を描こう。幸せな絵を。

 宗教画とも相違なく崇高な最高の理想を。

 この世の人間、全員が幸せな妄想を。

 どうせ何処へも終着しない、この頭の養分で育てて生かせ。

「なあ」

 なに?

 少し、明るい声で返されて嗚呼もう、俺は。背中がくすぐったいような、どうしても守ってやりたいような、そんな傲慢な想いに浸されて。

「姉ちゃんも連れて、どっか行こうぜ」

 言って指した人差し指が、何も描けぬまま──沈んだ。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ