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転んで、杖

【遺書代筆・11】

「あわ? なんかの比喩ですか?」

「それも考えたけれども……どうやら、本当に泡になって消えたらしい」

 九歳の子どもの言葉を一体どれ程信じられるのか。

 見間違いかもしれないし、あんな親に構ってもらえない寂しさばっかりに、誰かの興味を引こうと嘘を吐いたのかもしれない。証言としては弱過ぎる。

 だから、私が信じるのは自分自身。

 岸波新葉が嘘を吐くような子どもではないと信じている、自分を信じる。

「網島修理は岸波瑠璃、岸波新葉と海に行った。でも家に帰ってきたのは網島修理と新葉君だけ。そしてそれを最後に網島修理は行方不明」

「しゅーくんと海……?」

「そこ……?」

 網島修理が絡むと一瞬で阿呆になるのだけは何とかならないものだろうか。

「興味湧かない?」

 唸り声を長く伸ばして、何度か左右に折れ曲がってから、雨傘制はたけのこみたいに伸びた。

「わたしには過去のことはわかりません。見えるのは未来だけです」

 照明の光が、ちらと過って彼女の瞳に星を写す。先を見通すように見開かれた瞼。

「瑠璃さんのことは探れないし、何が起きたのかもわからない。正直天伊さんの仕事の戦力になれるとは思えません」

 雨傘制は言って、しかし写真を手に取った。

「ただ、しゅーくんが絡んでるなら、無理を言ってでも参戦させてもらいますよ」

 口元を隠して怪しく笑う。気分は悪役のようだった。楽しそうで何より。

「んで、何すりゃいいんですか」

「とりあえず瑠璃さんの写ってる写真を選別して」

「はーい」

 小さく敬礼してから意気揚々と作業を始める彼女から視線を外す。

 雨傘制に伝えていないことが、一つある。

 それはなに故かと問われれば、それを伝えてしまえば、もしかしたら彼女は酷く不機嫌になって、瑠璃さんを調べることに、協力してくれなくなるかもしれないからだ。

 新葉君が、私に言った事実はもう一つある。

【瑠璃は修理を殺そうとしていた】

 子どもの戯言と流すには、耐え難いほどに真黒い。






【遺書代筆・12】

「写真少ないですねえ」

「日常的に撮るものでもないし、こんなものじゃない?」

「あーSNSとかやらなそうですもんね」

 やらないのではない。

 やり方がわからないのだ。

「とは言ってももう少しくらいあってもいいんじゃないですか。可愛い娘の写真なんて幾らあっても足りないでしょう」

 言ってえくぼに指を立てる様に、何事かが痒くなる。これがうざいという感覚なのだろうか。

 誰もが親に可愛がられるわけではない。例を挙げれば一番身近に私がいた。

 自らを綺麗に飾った写真を欲しがったことはない。けれども、そういう機会が欲しくなかったと言えば嘘になる。望んで独りになったこんな愚か者でも、後悔が無いわけではないのだ。

 手に入らないからこそ眩しくって憧れて、同時にそう、こんな風に眉も歪む。

「あーほら、天伊さんは写真撮られなかったんですか。ほら、家族写真」

 言って数十枚の写真の束が差し出される。めくって眺めてみると、こちらの目が焼かれて目玉焼きになりそうな程に、眩しい。

 どれもこれも、家族の和気あいあいとした団らんの風景だった。

 山登り、シュノーケリング、スキー。随分とアグレッシブだ。自然が好きなのだろう。そういえば家の庭もなかなかに賑やかな様子だった。

 心の底から楽しんでいるのだろう、着膨れした雲の間隙に差す日のように、底抜けに明るい笑顔である。

 意外だった。

 岸波真司も、岸波まどかも。彼らにこんな表情ができたとは。

 まるで別人のように朗らかな笑顔で隣に立ち、新葉君の頭を撫でる。そして三人に寄り添うように立つ瑠璃嬢もまた、薄氷のように笑んでいた。

 嗚呼岸波家が、こんな風に自由に全身で大自然を満喫して──、

「どうしました?」

 喉に針が突き刺さる。

 串刺しにされたように声は出ない。時間が止まる。骨が氷にすり替わる。

 内側から、じっとりと冷えてゆく。

「貴方だったら、目の見えない大切な人を連れてこういう所に行く?」

 薄く唸って雨傘制は目を閉じる。

 眉間にしわを寄せて、必死に想像しているようだった。

「わたしだったらおうちデートで別に……」

「何の妄想をしているのあなたは」

「へへへ」

 誤魔化すように笑って、すぐに冷える。

「障碍者用の登山グループやシュノーケリングの施設はあります。けれども、こんな風に介助も無しに歩いているのは……」

 雨傘制は首を捻る。釣られて私の首も折れる。

 泡になって死んだ女の子。殺されそうだった詐欺師。目が見えないけど、山中も水中も歩けた。意味不明の箱庭。写真の中の岸波家は、随分と様変わりしていた。

「もしかしてなんですけどね」

 耳を寄せるように促される。

 別に、周りに人などいないというのに、雨傘制は手招きをする。

 自分の認識からも、外れて欲しいくらいにバカげた推論だから、世界に音を残すことすらしたくない。

 嗚呼彼女の言いたいことは何となく、私だってわかっていた。

(幽霊だったりして)

 耳元でくすぐるように鳴った音。

 幽霊。

 彼岸からやってきた亡者。

「そんなものいるわけないじゃない」

「わあ断言。遺書代筆とかやってて見たことないんですか?」

「無い」

「信じてないから見えないんですよ」

「見てないから信じてないの」

 綺麗な水掛け論だった。数式とも相違ない。

「それに、もし幽霊がいるなら私の仕事はもっと減っているはず」

 存在としてそこにいるなら、何者かが感知できるカタチでそこにいるのならば、伝えたいことがあるはずだ。けれども彼らは語らない。伝えない。

 言葉が無理でも、行動がある。行動が駄目なら思念がある。それでも、私の仕事は減らないし、私は仕事を辞められない。

 幽霊がいるのならば、一度お目にかかってみたいものだ。

 再会してみたいものだ──

「なしてそんなに否定なさるんですか」

 雨傘制は唇を尖らせた。妙に可愛らしくって思わず苦笑いが漏れる。

 膨れてゆくのは過去だった。真っ黒な記憶が、煙となって身体から抜けて行かない。

 無理に穴を開けるように吐ききって、言葉で蓋をする。

「迷信深い田舎で育つと、信じすぎるか、全く信じないかのどちらかになるのよ」







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