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第55話

 チャリンド邸のミュリエラの部屋。

 夜遅くになって帰ってきたビブリンは、ミュリエラの前で【道具箱】から素晴らしい見栄えの白磁の器を具現化して、どんと置いてみせた。


「ミュリエラ様。取り戻してまいりました。これが子爵家の白磁です」

 ミュリエラは目を丸くした。

「ここまで成果を上げるとはおもわなんだ。一体、何をどうしたのじゃ?」

「まず要点をかいつまんで申し上げますと、カールッドの地下犯罪組織との接触に成功しました。交渉の結果、彼らの盗品の流通網より入手したのです」

「この短時間で、よくそこまで入り込めたものじゃなあ……」

「順を追ってご説明します。極めて興味深い情報が含まれておりますよ……」

 ビブリンは、奇妙な縁によって関わりを持つこととなった「(パン)」について、判明した事実を主人に報告し始めた。


 ──(パン)

 東洋の言語で「ギルド」を意味するこの組織は、彼ら自身もその起源について失伝するほど昔より存在する組織であった。

 外征を繰り返すメーノン王国によって海外より連れてこられた異民族や、様々な理由で故郷や部族から追放されたエルフやドワーフ。そのほか、社会から疎外された者たちが集って「(パン)」を構成しているのだという。


 これは、(パン)の幹部四人を見ても明らかだった。


 追放エルフのシシー。彼は、同族からの制裁の証しとして、長い耳の先を切り落とされている。彼にはエルフでもごく一部にしか持ちえない特殊な才能があり、人の嘘を見抜けるのだという。この能力を買われ、幇の情報部門を統括している。


 南方人のナサリアドゥ。(パン)の武力たる実行部隊の長。逃亡奴隷の親を持つ地下世界の申し子で、(まみ)えぬ故郷の地への強い憧れを抱き、人々をかの地へいざなうと信じられている「女神(タマリ・エシェ)」なる存在への強い信仰心へと転化している。


 シシーと同じく、同族から追放されたドワーフのダフドー。酒場を中心とした禁制品の販売網の管理と金庫番を担当している。ノールドルストム家の白磁の器も、彼の一声で在庫から転がり出てきた。


 そして、(パン)の長たる、東洋人の若い男。

 彼は組織を結束させている謎めいた宗教の祭司でもあった。本名ではない称号を襲名することで権威を保っており、彼は百七十五代目なのだという。

 その称号こそ──【肝喰らい】。


「──なんと、【肝喰らい】とな!?」

 その名を聞いて、ミュリエラは仰天した。

「はい、ミュリエラ様」

 ミュリエラは大きく息を吸うと、感慨深げに言った。

「意味は明らかじゃな。オルソンドのやつ、こんな形で名を残しておったとは」

「やはり、あの方が作り上げた組織なのでしょうか……?」

「ふーむ。はっきりとは分からぬが……」


 ミュリエラは目を瞑り、千年前の過去に想いをはせる。

 大逆の賊徒【肝喰らい】オルソンドとの思い出は、ミュリエラの主観的な時間軸においては、半年も経っていない出来事ではあった。

 カールッド王城での祝宴で、昔の仲間に報奨金を分け与えて更生の手助けをすると言っていたオルソンド。王都に屋敷を与えられ、監視下に置かれた彼が、かつての盗賊団の部下を呼び寄せて、更生の名目で資金を与え──それで何が起こるかは、火を見るより明らかだ。

 はぐれ者同士が身を寄せ合って生きる、無法者の相互扶助組織が誕生したのだ。


「……あやつが()()()()()わけではなかろう。萌芽となる組織は作ったのじゃろうが、メーノン王国と人類社会の変遷とともに変容し、遠い異国の風習と信仰を取り入れ、“(パン)”なる形態の組織となったのじゃ」

「オルソンドという名前すら忘れられているようでしたが……」

「侠客らしいひねくれ様じゃなあ。オルソンドの名を残すのでなく、肝喰らいの名を残すとは。じゃが……まさか、わらわの名が女神として伝えられておるとは夢にも思わなんだ!」

 ミュリエラは笑った。

「彼らは私に類似した存在も崇拝しておりました。なぜでしょう?」

「なぜ、とは?」

「私が女性の姿を得たのはごく最近の事です。なのに、彼らはミュリエラ様に仕える“知識の番人をする女性の下位神格”を認知していたのですよ。おかしくありませんか?」

「ふーむ。それは妙じゃが、おおよその察しはつく」

「私には分かりません。お教えください」

「まず、ビブよ。おぬしの存在──【道具箱】を備え、わが下問に答える司書(ビブリオティカ)──のことも、オルソンドが語り伝えたのであろう、わらわの名とともにな。そして、わらわの姿が長い時間をかけて、その者らが故郷(ふるさと)より持ち込んだ異教と習合し、その……タ、タマ……タマタヤ……ハイ……ハイニャ……」

大いなる海(タマリ・エシェ・ン)に有りて理(・タマハト・マアル)を司る女神(=アタタヤ・ラハト)。または海嘯娘々ハイシャオ・ニャンニャンです、ミュリエラ様」

「そう、その女神(タマリ・エシェ)だか娘々(ニャンニャン)だかの信仰が生まれると同時に、おぬしも神格化されたのじゃ。そして女神に侍る下位神となれば、性別も当然、女となる。男神ということになっておれば、夫婦神(めおとがみ)だったかもしれぬな」

 そう言って、ミュリエラは皮肉っぽく微笑んだ。

「彼らはミュリエラ様を崇拝しています。姿をお見せすれば喜ぶでしょう」

「……それはだめじゃ」

「なぜです?」

 ビブリンの疑問に、ミュリエラは厳しい顔で答えた。


「彼らが崇拝しているのは、あくまでわらわに関する伝聞が長い時間をかけて変化した()()にすぎぬ。わらわではない。これを無視して彼らの崇拝対象であるかのように振る舞って歓心を買い、忠誠を得んとするは、不誠実。人々を裏切り、害する行為にほかならぬ」


 この言葉に、ビブリンは内心──正確には、ビブリンの自我を構成する魔法的な論理回路に──痛みに酷似した心理的負荷(ストレス)を覚えた。


 刹那、その論理回路の防衛反応により、ビブリンは数刻前の出来事を内部記憶に再生し、追体験した──……。


 ……──貧民街の一角の目立たない建物に、新しく(しつら)えられた「廟」。

 窓のない部屋を数え切れぬ蝋燭と灯篭が飾り、昼間のように照らしている。

 東洋風の祭壇に捧げられた供物と祭器。

 子豚の丸焼きや、風変わりな青銅の器に入った酒。

 おそらく楽器と推測される、奇妙な形をした鐘の釣り下がった木枠。

 その他、数限りない宝物が、焚き上げられた香の煙に燻される。

 正面には三枚の縦長の紙が掲げられていた。

 中央の紙には、「九海蒼妙夜水青霊真知天仙玄女元君」。

 左側の紙には、「書霊妙智仙娘」。

 そして、右側の紙には、ビブリンにはまだ読めない東洋の文字で──

「神威剣聖白夜星玄光雷斗勇天神元君」という、勇武をもって剣の名を鳴り響かせる、男性の神格の名前が記されている。

 それらからなる祭壇を背にし、ビブリンは椅子に座り、四人の男たちから謎めいた儀式によって忠誠を捧げられていた。


「……我、道に帰依せしむ。我、師に帰依せしむ。我、経に帰依せしむ」


 (うやうや)しく頭を下げ、両手を組んだ【肝喰らい】が祈りの文言を唱える。

 続く後ろにはダフドー、ナサリアドゥ、シシーが同じ姿勢で頭を下げている。が、ダフドーだけは承服しかねる様子なのが、儀式の間に見せる態度や表情からうかがえた。

 だが、幇主レーヴア・フォン・パンたる【肝喰らい】がビブリンへの服従を決定した上に、実行部隊のナサリアドゥは全面的に賛成どころかビブリンを現人神か何かのように崇拝し、シシーは態度を明らかにしない。四人の幹部の中で、反対者はダフドーだけなのであった。


仙娘(シェンニャン)様」と、【肝喰らい】。

「お願い申し上げます。私どもはこの国で存在を認められておらぬ者です。嵐に遭えばたちどころに倒れる葦の如しでございます。寄り合って生きる葦の束でございます。どうか、仙娘(シェンニャン)様に置かれましては、私ども(パン)の秘密をお守りくださいますよう、伏してお願い申し上げます」

 彼らにとって、超自然的な力を持つビブリンは、逆らえぬ相手である。

 口封じしようとしたところで、恐るべき人智を越えた仙術で極寒の地獄へと吸い込まれてしまうのだから敵わない。

 ならばもうせめて、組織存続を図るべく、服従を誓い、懇願するしかない──。

 それが幇主レーヴア・フォン・パンの決断なのだった。


 ビブリンは答えた。

「私はミュリエラ様より、人を(いたずら)に害してはならぬよう、厳しく命じられています。あなた方の非合法な活動のすべてを承認するわけではありませんが、組織の露見を防ぐことが少なくとも人命の保全に繋がるのでしたら、そうしましょう」

「ありがたく思います、仙娘(シェンニャン)様」

「ひとつ尋ねていいですか?」

「なんでしょうか」

「あなたのお名前は何というのですか。【肝喰らい】は本名ではないでしょう」

 この言葉に、【肝喰らい】を除く幹部三人がぎょっとして顔を見合わせた。

 どうやら、名を尋ねるのも禁忌のたぐいの風習らしい。

 東洋人の男はややあって口を開いた。


「……他ならぬ書霊妙智仙娘シューリン・ミャオジー・シェンニャン様のご下問。お答えします。私めは、(ラウ)。リロール・(ラウ)と申します」


 ──……


 ……──ビブリンは、リロール・(ラウ)という青年が自分を書霊妙智仙娘シューリン・ミャオジー・シェンニャンと呼んで拝礼し、それを自分がなんの疑問もなく受け入れた場面を反芻した。

 ミュリエラの言う、虚構と知って崇拝させる、不誠実そのものだ。

 その瞬間、ビブリンは、この失敗をすぐに主人たるミュリエラに報告せねばならない衝動にかられる。そして、口を開く。


「……それで、実は──きわめて──特異──かつ、表現の難しい──関係──を、結ぶこと──となり──まして、ご報告──申し上げます──」


 ビブリンの口調は妙に重苦しいものとなっていた。

 我ながらビブリンは、自分の声が途切れ途切れになり、制御が効かなくなっていることに戸惑った。

 ミュリエラが眉をひそめる。「……む? 何があったのじゃ?」


「私──としても、この──報告──の、奇妙さ──に、今、処理が──」

「ビブリン? どうしたのじゃ? 様子がおかしいぞ?」

「はい──非常に──困難な──状態です──」


 ビブリンことビブリオティカの人格を構成する魔法的論理回路は、これまで経験したことのない混乱に見舞われていた。

 一つ、人々を害さぬべし。

 一つ、主人たるミュリエラの下問にすべて答えるべし。

 これがビブリオティカに刷り込まれた基本命令である。

 (パン)の秘密を守ると【肝喰らい】ことリロール・(ラウ)と約束したにもかかわらず、それに反してミュリエラに全てを報告しているのは、ミュリエラへの報告の義務が命令として上回っているからだ。


 ところが、たった今──ミュリエラは、それと知って虚構の神格として自らを崇拝させることを、人々への裏切り、加害行為と断じた。

 まさに、書霊妙智仙娘シューリン・ミャオジー・シェンニャンという虚構の神格として崇拝されたビブリンは、このミュリエラの言葉によってその魔法的論理回路に多大なダメージを負う。

 その負荷は、今こうしてミュリエラに(パン)の秘密を報告している行為も、ミュリエラより与えられた基本命令に違反している疑念を発生させ、その一方で、知り得たすべてについてミュリエラに報告し、下問に答えなければならない基本命令もまた、依然として支配的であった。

 相反する二つの基本命令の間でビブリン=ビブリオティカの思考は袋小路に陥り、その結果、指数関数的に増大する処理によって機能停止の危機に見舞われた。

 設計者にして製作者のミュリエラも想定していない事態であった。


「ミュ──リ──エラさま──く──る──しい──です──」


 か細く助けを求めるビブリンの声に、ミュリエラは目を見開く。

 そして、座っていた椅子から立ち上がり、ビブリンに歩み寄ると、しっかりと抱きしめた。


「もう、言うでない。報告に及ばず。よいか。()()()()()


 ビブリンの耳元に優しくミュリエラが語りかけ、報告の義務を解く。

 その途端、ビブリンは自らの魔法的論理回路を停止寸前に追い込んでいたジレンマから解放され、通常の思考を回復した。


「……ミュリエラ様……」

「何も言うな。お主が心苦しく感じておることを、無理に吐露してはならぬ」

「はい。……ですが、なぜですか?」

 ビブリンは、情報収集のために自分を作ったミュリエラが、その目的に反する命令を出したことを理解しかねていた。


「それは、おぬしが向き合い、考えるべきことだからじゃ。ただひとつ命じおくならば──決して、人に対して、誠実さを失うべからず。わらわが日ごろ教えている通りにじゃ」

「かしこまりました」

「今後も、特段、()()について、強いて報告は要さぬ。よいな」

「はい」

「どうしても判断に迷ったときのみ、わらわに相談するがよい」

「仰せの通りに」

「少し、一人にしてたもれ。階下へ行って、メイドたちの手伝いでもするがよい」


 一礼して部屋を退出したビブリンは、ミュリエラの叡智に感服していた。

 やはり、自分が仕える主人は【大賢者】であった──。

 ビブリンが見舞われた基本命令の衝突や論理回路の障害をたちどころに察し、それらを解消する指令を出してみせた。

 収拾した情報の報告を至上の存在理由とする自分が、秘匿性を要する地下組織の指導者に祭り上げられてしまった……という複雑に矛盾した論理問題に対して、ミュリエラはそれについてビブリンを報告の義務から解放することで、難なく解決してみせたのである。

 素晴らしい手法であった。

 ミュリエラの信頼に応えねばならない。

 その信頼に応えるために、なにをすべきか。

 自主性をもって(パン)を統御し、その力でミュリエラに陰から奉仕しつつ、犯罪組織たる(パン)の反社会性をできうる限り抑制し、と同時に組織を構成する人々へも誠実であらねばならない。それが答えだった。

 検討しなければならないことは山ほどある。

 あれこれと考えながら、ビブリンは階段を降りていった。


 ──ビブリンが去った自室で、ミュリエラはひとり、大きくため息をついて天を仰いでいた。


「(ついに、そういうことになってしまったのじゃな……)」


 人ならぬ存在たる魔導具が、まさかこんな短い時間で人のように振る舞い始めるとは、ミュリエラにも予想のつかぬことであった。

 だが、事実として、そうなりつつある。

 ミュリエラはビブリオティカの製作者であり、教育者だ。

 だが、いまビブリオティカが直面している事態に対して、ミュリエラは充分に教え導くことができそうにない。

 この点については、口惜しいが認めざるを得ない。

 そういう経験が乏しすぎるのだから。

 ならばもう、ビブの主体性を重んじ、報告の要なしと言うしかないではないか。

 毎日、何があったかを報告されたところで、下世話というものだ。

 ジゼが娘のアニエについて語っていたことを思い出す。


 ──女親は、娘の気持ちを男親より分かっているもの──。


 その方面に疎いミュリエラでも、ビブリンのあの挙動が何に起因するものかは、分かりすぎるほど分かっているつもりだった。

 だから、あえて報告は求めない。

 ミュリエラは我が子に等しい魔導具の成長を喜びながら、同時に胸の苦しみも覚えていた。おそらく、これが「親」の感情というものなのだろう。


 ミュリエラは、ビブリンとリューメックの恋を認め、陰ながら見守ってやることに決めたのだった。

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