第52話
男たちはビブリンに目隠しをして、手を引いて酒場の外へといざなった。
馬車らしきものに乗せられる。
魔導具たる“ビブリオティカ”の状態ならば暗闇でも周囲を把握できるのだが、今はそうもいかない。ビブリンは限られた人間の五感を余すところなく用い、音や匂いや振動から状況を把握することにした。
ビブリンの横から、男性の寝息のようなものが聞こえる。
おそらく、リューメックだろう。
「牙なき人々を護るべし」という主人の信条に従い、ビブリンもまた最低限の自衛を除き、人類に危害を加えぬことを掟として我が身に刻んでいる。
リューメックがただ眠っているだけで、男たちもひとまずは彼を生かしていることにビブリンは安堵した。
やがて、馬車が走り出す。
ビブリンは感覚を研ぎ澄まし、馬車の立てる音や振動の観察につとめた。
しばらくすると、馬車が止まり、ビブリンは降ろされる。
せっつかれて建物へ入り、階段を上がる。
「……よし。いいぜ」
目隠しが取られる。
そこは、窓のない部屋だった。
何人かの男たちがいる。酒場で会った者たちとは別だ。
注目すべきは、彼らの人種。いわゆる“メーノン人”がいないのである。
ビブリンの目の前のテーブルの正面中央に座っている男は、東洋の人間だ。
その隣にいるのは、磨き上げられた黒曜石のような肌を持つ南方人。
驚いたことにエルフまでいた。が、長いはずの耳を切り落とされている。
東洋人にビブリンを連れてきた片目のドワーフが寄り、何事かをささやく。
ビブリンにもそれは聞き取れたが、大半が暗号や符丁で構成されており、もはやメーノン語とは別の言語といっていいものだった。
報告を済ませたドワーフが空いた席へと腰を落とす。
見れば、彼らの背後には、東洋の気配を色濃く匂わせる祭壇のようなものが築かれている。何本もの蝋燭の光に照らされて、複雑な文字が縦方向に記された大きな縦長の紙が三つ並んで掲げられているが、ビブリンには解読できなかった。
だが、筆記の方向が左から右ではなく上から下になっていることから推察して、東洋の言語だろう。
ミュリエラと共に万物の知識を広く得たビブリンことビブリオティカでさえ目にしたことのない神秘的な祭壇を背にして、四人の得体のしれぬ男たちが並び、ビブリンに対する検分が始まった。
「……最初に言っておくが」と、ドワーフが口を開く。
「此処まで来たからには、何事もナシで帰れるとは思うな。俺たちは女でも容赦しねえ。俺たちが納得するか、お前が死ぬかだ。この世から消える。クソ袋も揚がると思うな」
「私の同行者はどうなるのですか?」
「お前次第だな」
「了解しました。満足のいくよう努めます」
南方人が白い歯を見せて笑った。
「おい、ダフドーの伯父貴。あんたの言う通りだ。この女、胆が据わりすぎるほど据わってやがる」
ダフドーと呼ばれたドワーフが顔をしかめ、南方人を睨みつけた。
「クソ度胸で惑わされんな、ナサリアドゥ。この女は幇の秘密を知ってやがんだ。出処を突き止めたら、忙しくなんのは実働部隊のお前らだぞ」
ナサリアドゥと呼ばれた南方人は口を閉じるが、表情から笑いは消えない。
ビブリンは幇と聞いて声を発した。
「幇……それは知っています。東洋の言語で、ギルドを意味する言葉。なるほど、あなた方の集団をそう呼ぶのですね」
男たちはまじまじとビブリンを見つめた。
「本当に、胆据わってやがんな……」ダフドーがつぶやく。
「──そんでよ」中央の席に陣取る東洋人の男が口を開いた。
その男が言葉を発するや、にやにや笑っていた南方人のナサリアドゥは即座に表情を引き締め、ダフドーも姿勢を正す。エルフは無言だが、わずかに顔を傾け、静聴の態度を示した。
「お嬢さん。まだ質問に答えてないな。【肝喰らい】の名をどこで聞いた、んで、その名について何を知ってる?」
東洋人の男は、かの土地特有の漆黒の髪と瞳を持つ、ナイフのように冷たく研ぎ澄まされた雰囲気を持つ若者だった。その声は落ち着き払っていて、若さに似合わぬ威厳をたたえている。
ビブリンは答えた。
「私の知る【肝喰らい】は、故人の二つ名です。遠い昔、私はその方に帯同しておりました。人間の男性で、オルソンドという方です」
エルフが東洋人に耳打ちした。「嘘は言ってないよ、兄弟」
東洋人が黒い瞳の浮かぶ目を胡散臭そうに細めて言った。
「先代も、先々代も、そんな名前じゃない。誰なんだ、そいつは?」
「メーノン王国では名の知られた盗賊団の頭目でした。その後【勇者】リアスタン殿ならびに私の主人と友誼を結び──私の知る限り、最後には銀五千リブレンを得てカールッドに居を構えていたはずです」
東洋人はエルフに目配せをする。エルフはうなずく。
「……おい、お前は」と、東洋人。
「本気でそんなこと言ってんのか。頭イカれてんのか。【勇者】だと? おとぎ話の読み過ぎでイッちまってんじゃないか」
「ガキの寝咄のこと言ってんなら、オルソンドじゃなくてオウゾンドだろ」
口を挟んだナサリアドゥに、ビブリンが答える。
「時間の経過によって、そう変化したようですね。オルソンドはオウゾンドと同一人物であると断定してよいでしょう」
「すると、なんだ、お前さんはよ」と、ダフドー。
「昔話の世界からやってきて、しかも、昔話の“バクチ打ちのオウゾンド”がよ、【肝喰らい】だっつってんのか?」
「はい」
ビブリンの迷いのない答えに、耳を切り落とされたエルフが反応した。
「こいつ、本気でそう考えてる。意識の流れがブレない。言ってることが真実か、頭がイカれてるか、じゃなきゃ“枯死を司る者”級の達人だ」
「シシーの兄弟が言うんなら、違いないな……」東洋人が眉をひそめた。
「じゃあ、結論が出たな。こいつぁイカれ女だ。話は終わり。後は任せてくれ」
と言って、ナサリアドゥが席を立とうとする。
「会話から察するに、私は殺害されるのですね。そしてナサリアドゥさん、あなたが私を殺し、死体を片付けると」と、ビブリン。
「胆据わりすぎにも程があんだろ」ダフドーがつぶやく。
「なんでそう思った?」と、東洋人の男がビブリンに問う。
この男の名前だけはまだわからない。
ビブリンは答えた。
「まず、私はあなた方に対し、【肝喰らい】の名について満足な説明を与えられませんでした。誠実に説明したつもりでしたが、致し方ありません。あなたがたにとってこの名がどんな意味を持つのかは分かりませんが、極めて秘匿しなければならない呼称であることは伺えます。不安を除くには、口を封じるしかないです」
ナサリアドゥが押し黙ったままビブリンに近寄っていく。
静かに殺意を固めたナサリアドゥの歩みを見つめる東洋人が、やれやれといった風で言う。
「不思議なもんだ。これから死ぬってのに、なんでそんなに落ち着いていられる」
「まったく不安でないわけではありません。心配事はあります」
「なんだ? せめて聞いてやるよ」
「私の同行者です」と、ビブリンは答えた。
「リューメックさんは【肝喰らい】について何も知りません。彼の命を助けていただけませんか。ただ単に、私を歓談に誘って、巻き込まれただけなのです」
「……そいつは、お前さんの恋人か」
「いいえ。ですが、何人であろうと、故なくして害されてはならぬと、主人から教えられております」
この言葉に、ビブリンに近づこうとしていたナサリアドゥが動きを止めた。
「そうだ、何者だろうと、故なくして虐げられちゃなんねえ……」
「胆が据わってんじゃないな、こりゃ。女のくせに漢気がありやがる」
ダフドーは感嘆の色を隠さない。
「……その、主人ってのは誰なんだ? お前は誰に雇われてる?」
東洋人の男の質問に、ビブリンは少し考えた。
グリューデン女伯爵の称号をここで出すのは適切ではないように思えたし、また【海嘯の魔女】の二つ名も、無用な混乱を招くだけだろう。
そこで、簡潔に答えるだけにした。
「雇われてはいません。お仕えしています。主人は、ミュリエラ様です」
一同の雰囲気が目に見えて変わった。
「みゅりえらさまって言ったか、こいつ」
「聞き間違いじゃなけりゃな」
「何なんだ、マジで」
「冗談もここまで来ると不気味だぜ」
「おい」と、ナサリアドゥがビブリンの鼻先に顔を近づけて怒鳴った。
「いい加減にしやがれ! なんでお前が──その名まで知ってる!」
「ミュリエラ様は私の主人であり、教師であり、また製作者でもあります。逆に、その名はあなた方にとって何を意味するのですか? 【肝喰らい】も?」
「明麗婀羅さまは、“大いなる海に有りて理を司る女神”の真名だ!」
と、ナサリアドゥが祭壇を指差して叫ぶ。もしビブリンが東洋文字を解せたら、祭壇に掲げられた縦長の紙には「九海蒼妙夜水青霊真知天仙玄女元君」と記されているのが読めただろう。
「そして【肝喰らい】は」と、東洋人の男。
「俺のことだ。第百七十五代【肝喰らい】、幇主。あんた、面白すぎるな。海嘯娘々の信者となれば、殺すわけにもいかなくなっちまった」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
lévua 【名詞】主人、支配者




