第48話
チャリンド家の馬車がカールッドの街をゆく。
乗客はミュリエラ、ビブリン、そしてデミアルである。行先はノールドルストム邸のあるカールッド西の住宅街だ。
「家は今、病人だらけなのです」と、デミアル。
「ボン・サーのことはよく知りません。艦隊勤務から帰ったら、家じゅうが奇妙な鉢植えだらけでした。ソヴリネによると、それなりの値打ちだそうですが……」
値打ち、という言葉を口にしてデミアルは口ごもる。
「それ以上、お言いなさるな」と、ミュリエラが言った。鉢植えを売りにきたなどと、わざわざ口にさせたくもない。
「その鉢植えがご祖母どのの手になると申されるのじゃな。よもや、ご祖母どのがわらわの命を狙っているとは考えにくいが」
「めっそうもございません!」と、デミアル。
「安心めされよ。目星はついておりまするゆえ」
「よろしければ、告発に助力させていただきますが」
「ご当家の不祥事とされかねませぬ。それはわらわの本意ではござらん」
デミアルは黙り込んだ。
ノールドルストム邸の前に馬車が止まる。
馬車から降りたミュリエラは、ノールドルストム邸の扉の前で体を強張らせた。
「魔力の渦がある……」
「渦、ですか?」と、ビブリン。
「たった今、わらわが名付けたのじゃがな。魔力の泉の反対。吸い込む点がある」
邸内は、内なる無限ならぬ樹妖だらけであった。
玄関に飾られたピンク色の花の躑躅を始めとして、居間や廊下など、ありとあらゆる場所に花が樹木と化した小さなボン・サーもどきがある。
ミュリエラはそれらに近づかないよう、慎重に歩を進めた。
「おそらく、わらわが近づくと発動する仕掛けになっておるからの」
ビブリンに鉢植えを洗いざらい裏口から運び出すよう指示してから、デミアルの案内で病床のイゼシュラを見舞う。
ベッドの上の老婦人は昏睡状態にあった。
「(極度の魔力切れの症状に似ておるな……)」
ミュリエラは口を結んでうなだれ、イゼシュラの回復を祈った。
「子爵殿。ご祖母どのは利用されたか、巻き込まれたにすぎぬ」
「巻き込まれた、ですって?」
「然り。おそらく、魔力の渦に“吸い取られて”おるのじゃ。一刻の猶予もならぬ」
別の寝室では、ソヴリネがベッドに臥していた。
「思った通りだわ! ミュリエラ様の方から来てくださった」
と、ミュリエラの姿を見たソヴリネが力なくはしゃぐ。
「ソヴリネ嬢。ご気分はいかがか」
「どうってことありませんわ。ただちょっと疲れ──」
ソヴリネが慌てて綿布を掴み、顔を押さえる。
鼻から一すじの血が流れ出していた。
「うーむ。典型的な魔力切れの症状ぞ」
「……魔力切れ……?」と、デミアルが首をかしげた。
「当世ではお目にかからぬかもしれぬがの。昔はよくあったものじゃ」
「失礼ながら、伯爵夫人。これは壊血病かと」
「雑腫れ?」今度はミュリエラが首をかしげる番だ。
「長く洋上にいるとかかる病です。南方の海の瘴気のせいだとか、体内の四液のバランスが崩れるためだとか、諸説ありますが原因は不明です。陸に戻ると治癒するのです。ソヴリネが陸でこんな風になっているのは、なぜかわかりませんが」
「ミュリエラ様、わが家の内なる無限はいかがでございますか」と、ソヴリネ。
「驚かされ申した、とだけ言っておきましょうかの」
嘘は言っていない。が、魔物の襲撃については黙っておいたほうがよいだろう。
この誇り高い少女が知ったら、立ち直れなくなってしまうかもしれない。
「そうでございましょう! ミュリエラ様の内なる無限の流行の一助になれば幸いですわ。ぜひ、ご友人がたに、わが祖母の妙なる技についてお伝えくださいませ」
いかにも体調が悪そうなのに、少女は饒舌だ。
ミュリエラはどうしたものかと考え込んだ。
樹妖を作り出したのがイゼシュラの技であるはずがないのだ。
おそらく、魔力の渦たる特異点になりうる何かがこの家のどこかに──
「ミュリエラ様。興味深いものを裏庭で見つけました」
と、ビブリンが何やら奇妙な鉢を抱えてソヴリネの寝室に入ってきた。
「あ。それは」ソヴリネが小さく声を上げる。
奇妙な文様の刻まれた、粗末な植木鉢に植わった小さな薔薇。
それを目の当たりにした途端、ミュリエラは目を見開いた。
「……なるほどのう……分かってきましたぞ」
慎重に鉢に近づき、小さな花にそっと指を伸ばす。
花は弱々しくミュリエラの指に噛みつこうとした。
「樹妖になりかけておるわ」
ミュリエラは振り返ると、意を決して言い放った。
「ソヴリネ嬢。率直に申し上げて、ご当家の鉢植えは尋常ならざる手段で生み出されたと言わざるを得ぬ。いかようにしてこれらのものを手に入れられた?」
「それは、お祖母様が……」
「ソヴリネ。言うんだ」と、デミアル。
ソヴリネはややためらったのち、話し始めた。
「お兄様がお戻りになられる少し前……商人がその鉢を置いていきましたの。それで、お祖母様の花を植えてみたら、みるみるうちに育って、内なる無限になったんです。まるで魔法みたいに」
「魔法じゃと?」と、ミュリエラ。
デミアルは仰天した。
「初耳だぞ! ソヴリネ。そんな怪しい輩が入り込んでたなんて!」
「お金は支払っていませんもの! 賊に白磁の器を奪われた方が重要でしょう?」
「そのほかに、その商人とやらが置いていったものはござらぬか?」
「……小さな水薬の瓶を置いていきましたわ」
「薬、とな」
「でも、もう使い切ってしまいました」
「瓶は残っておるか?」
「そこの文机の上に載っていませんこと?」
ミュリエラは振り返って部屋を見渡した。
小さな文机。その上に、小さなガラス瓶がある。
さっそく手に取り、丹念に調べた。
乾いた瓶の中に、微かな魔力の痕跡があるのをミュリエラは見逃さなかった。
「ふーむ。生命の水が入っていたのやもしれぬ」
「生命の水?」と、デミアル。
「魔力を安定化させ、液状にしたものじゃ」
ミュリエラはビブリンに薔薇を通常の鉢に植えかえさせると、問題の鉢と瓶を持って居間へと入り、「真相」をデミアルに語り始めた。
ノールドルストム邸の居間。
机には、鉢と瓶。
それを挟んで、ミュリエラとデミアルが向かい合って椅子に座っている。
ビブリンはミュリエラの背後に侍り、あくまで無言だ。
「子爵殿がお聞き及びかは存じませぬが、この世には動物のように虫を食べる植物がありまする」
「聞いたことがあります。東方には粘液で虫を捕まえる草があると……まだ行ったことはありませんが」
「そう、それですじゃ。この鉢には害のない植物をある種の危険な生物へと変える力があるのでござりまする。知らぬ者なら、魔法と思うでしょうな」
「まさか、そんな」
さすがにデミアルは顔に困惑と不信の色を浮かべた。
「わらわが植物について学を修めておることをお疑いではございますまいな」
やや声に厳しさを含ませながら、ミュリエラはきっぱりと言い切る。
これでも自分は内なる無限の権威なのだと、態度で語っていた。
「いえ、決してそのような」デミアルがあわてて口をつぐんだ。
「わらわを襲った菖蒲もそうですじゃ。また、聞くところによると、人に害をなすある種の瘴気を発する植物もあるとか」
瘴気と聞いてデミアルが色めき立った。
「まさか、祖母や妹はそれで!」
ミュリエラは重々しくうなずく。
「なぜ、そんなことを……」
「植物に人を襲わせて、財貨を奪うためでございましょうな。現に、ご当家はすでに宝物を奪われておられる」
デミアルは激高し、立ち上がった。
「賊め! ソヴリネが応対した商人とやらが、一味でしょう。草の根分けても探し出してやる!」
「落ち着きあられよ。もはや下手人は雲隠れしているか、さもなくば口封じされておることでございましょうぞ」
「下郎に家族を毒され、家を汚され、あまつさえ宝まで奪われて、ただでおかれましょうか!」
「子爵殿。ならば、わらわがご当家の白磁の器を取り戻して進ぜましょう。いささか心当たりがござりまするゆえ、わらわにお任せあれ」
「しかし!」
「怒りをお鎮めになり、今一度、思い起こしくだされ。そこもとが出陣なされては、ご祖母どのとソヴリネ嬢を守るものがなくなり申す。今は守城の将が必要ぞ、子爵殿、いや、海尉殿」
この言葉を聞いて、やっとデミアルは落ち着きを取り戻し、腰を下ろした。
「この鉢と薬が病の原因とは、お二方にはお伏せになったほうがよろしい。特に、ソヴリネ嬢が自分を責めて気を病んでしまっては不憫じゃ」
「そうですね。……しかし、賊に襲われ、手元に残ったのがこんな妙な鉢と、瘴気を発する忌まわしい草の数々とは」
デミアルは唇を噛んだ。「なんたる不名誉」
「ああそうそう、この鉢と瓶でござりまするが、わらわにお譲りいただけぬか? 変異した植物もすべて所望いたしまする」
「なんですって?」
「まず、瘴気を発する植物をこの家から取り除くのが肝要かと。鉢も、ここにあっては間違いのもとですからのう」
「しかし、それでは……」
デミアルは口ごもった。
尻拭いをすべてミュリエラに押し付けているようで気まずいのだろう。
「押しかけて物をねだるのは、礼節に欠けるとは思うておりまする」
ミュリエラは立ち上がり、デミアルの前で優雅に一礼し──最近、苦労して身に着けたこの時代の礼法だ──貴人に敬意を捧げる姿勢をとった。
「ノールドルストム子爵殿。われ、女伯爵、ミュリエラ・ウル・グリューデンは、そこもとのお家の見事な鉢植えの噂を聞き及び、御宅を訪ね申した。なるほど噂に違わぬ素晴らしい品の数々。ぜひわが城たる温室に収蔵し心の慰めとしたい。どうか、お願いいたしまする。寛大なるお心をもって、卑妾にお譲りくだされ」
この家で、不祥事など何も起こっていない。賊に入り込まれ、毒物をまき散らす植物が育って、家のものが寝込んでしまったなどと──そんな恥ずべき事態は起こっていない。
そういうことにしようと、ミュリエラは提案しているのだった。
デミアルは言葉に詰まりながら、言った。
「伯爵夫人。ほんとうにすみません。このお礼はいつか必ず──」
ミュリエラはデミアルの言葉を制して言った。
「まだ礼を申されるには早いですぞ。白磁の器を取り戻しておりませぬ。ふふふ、わらわも久々に腕が鳴りまする。冒険者ギルドに戻ってきた気分ですじゃ」
「冒険者ギルド……?」
「あ、当世では無くなっておるのでしたな。お気になさりますな」
ノールドルストム邸からの帰りの馬車。
馬車の屋根の上の荷物のスペースには、奇妙な植木が山と積まれている。
ビブリンの【道具箱】を用いれば楽なのだが、そうせずわざわざ馬車に積み込んでいるのは、ミュリエラが子爵邸から「譲り受けた」と人々に知らしめるためだ。
「……ミュリエラ様。本当のところをお教え願えますか」
馬車の中でビブリンが問うた。
「もちろん、首謀者はあの女──【黒王妃】ギュネヴィアじゃ」
と、ミュリエラは話し始めた。
ノールドルストム邸から引き取った鉢に手をやる。
「この鉢には呪紋様が刻まれておる。いわば鉢が呪文書のようなものじゃな」
「どのような呪文が記されているのです?」
「生命の水による魔力供給によって、植物を自然に非ざる状態へと変化させるものじゃ。そして草木を樹妖へ変化させると同時に、ある種の命令を覚えこませる。わらわを仕留めよ、とな」
ノールドルストム家で刺客たる樹妖が育った頃合いで、鉢の回収が試みられた。
「試供品」という触れ込みの生命の水が無くなった時点で、鉢は速やかに回収され、証拠は隠滅されるはずだった。
問題はここからだ。
ソヴリネが白磁の器を引っ張り出して、植え替えてしまったのである。
「女王は、町のならず者を手下に使っておるようじゃな。ノールドルストム家を訪れた商人とやらも、どこぞの詐欺師に違いあるまい」
強奪を請け負った賊は白く輝く宝物を目的の鉢と勘違いし、奪い取っていった。
そしてノールドルストム家で異変が起こる。
「見たところ、この鉢──魔導具には、安全装置となる呪文が刻まれておらぬ。魔力、つまり生命の水の供給が途絶えた時点で働きを止めるのでなく、周囲の生あるものから生命力を奪い取っていくようになっておるのよ。抵抗力のない老人などはひとたまりもないであろうな」
ミュリエラの声には静かな怒りがある。
周囲への被害をいとわぬ、かくも無造作な作り。
同じ魔法使いとして許せるものではない。
「ノールドルストム子爵未亡人が寝込んだのはそれですか」
「さよう。場合によっては、死の淵に立たされるであろう」
ミュリエラはため息をついた。
「かつて、わらわが、虚空で≪移動術≫の巻物に生命力を奪われた時のようにな」
「では、この鉢が取り去られた時点で」
「イゼシュラ殿もソヴリネ嬢も快方に向かうであろうよ」
「なぜ子爵に話さなかったのです?」
ミュリエラはため息をつく。
「……忌まわしき【黒王妃】が憑りついておるとはいえ、主君に忠誠を捧げる軍人にこんなことを告げるのはいささか酷であろう」
「しかし、それにしても……」ビブリンが疑義をさしはさんだ。
「ミュリエラ様のお命を狙うにしては、回りくどすぎませんか。他に確実な方法がいくらでもあるはずです」
「おや、ビブよ。わからぬか」
「わかりません。お教え願えますか」
「あの樹妖が目的を果たさば、わらわは喉をかき切られ、目を貫かれ、血だまりに伏し、枝葉に巻きつかれて事切れていたであろう」
「はい、恐ろしいですね」
「そして、わらわの骸の上には、紫色の菖蒲の花が咲くことになるであろうの」
「そうですね」
「どうじゃ。雅じゃろ」
「……それが理由ですか?」
「内なる無限の宗匠という立場にありながら、鉢植えの草木に命を奪われるなど、なんとも宿敵へ贈るにふさわしい、惨めで美しく残酷に彩られた最期ではないか」
「そんなことのために……?」
呆れるビブリンに、ミュリエラは皮肉っぽく微笑んだ。
「それが人というものなのじゃよ。合理に反して、美学を全うする欲望に抗えぬ。かくも人とは愚かなるもの。学ぶのじゃ、わが愛しき弟子にして、この世にふたつとなき優れた司書たるものよ」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
metta 【名詞】水
shkuni 【形容詞】粗雑な、荒れた
blhug 【名詞】腫れもの
shkunlbhug 【名詞】壊血病。語源はshkni-blhug




