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第47話

「ええ、いや、まあ、これはお恥ずかしいところをお見せしまして、あの、これはどうしたことかな……ああ、そうそう。まだ紹介しておりませんでしたかな。あれがうちのダイヤモンド、長女のアニエです。なにぶんおかげさまで元気に育ったもので、ご覧の通り走るのが大好きで……真珠は貝に抱かれる時間が長ければ長いほど大きく美しくなるのですよ……ああ、シャタル、お客様に失礼のないように……ちょっと失礼……アニエ! 待ちなさい! アニエ! 待つんだ!」


 わが子が目の前で繰り広げた無作法に、クロードはしどろもどろになってわけのわからないことを述べたて、かろうじて整合性のある言動として執事のシャタルに後事を託し、一目散に階上へ駆け上がっていった。


 デミアルは、心なしかほっとしているように見える。

 やはり──とミュリエラは思う。

 ノールドルストム子爵は、チャリンド家に対するわだかまりが解けたわけではないのだ。クロードと言葉を交わす機会を失って安堵しているのがよい証拠である。

 であれば、来訪の真の目的は何なのか?

 先ほどの謝罪にしても、それほどまでにして自分と会わなければならない理由とは何なのか?

 デミアルが口を開いた。「見ていただきたいものがございます」


 温室(ビントグラデルヤ)

 無数の内なる無限(ボン・サー)が飾られるここは、いまや社交の殿堂となっている。

 パーティーを開くことも視野に入れて、クロードは増築すら計画していた。その一角のテーブルに、シャタルがデミアルの持参した包みを置く。

 デミアルが包みをほどく。

 そこには、ミュリエラが見たこともない鉢植えがあった。

 紫色の花をつけた菖蒲(リース)。花自体は、いたって()()な美しさだ。

 が、花以外が平凡でない。

 樹木化した茎は曲がりくねるように束ねられ、鉢から溢れんばかり。

 枝の先に繁った葉は、人間の手のようだ。

 (なり)としては面白い。珍奇な品を好む貴族社会には受け入れられやすいだろう。

 いやむしろ、美しい花の存在が、鉢植え全体に貴人の部屋を飾るに足る気品をも備えさせている。


 だが、これは内なる無限(ボン・サー)とは呼べない。呼びようがない。


 内なる無限(ボン・サー)の真価は、自然の情景の再現にある。

 もし森を歩いていて、この菖蒲(リース)の「木」に現実のサイズで出くわしたら、それはそれは禍々しい、自然にあらざる光景であろう。


「いかがですか、伯爵夫人(グラフリン)様」と、デミアル。

 ミュリエラは礼儀正しく言葉を選んだ。

「興味深い品でござりまする」

「おっしゃる通りです。私も航海で外界に出ておりますが、このような草花は見たことがありません」

「左様でござりましょうな」と、ミュリエラ。

 デミアルは顔を上げ、誇り高く姿勢を正して言った。

「願わくば、私どもの関係の修復の記念として、ぜひともご嘉納いただきたいものでございます」


 ミュリエラは心の中で頭を抱えた。

 ボン・サー趣味の統率者たるミュリエラがこの品を受領するということは、この奇妙な植物をボン・サーと認めるということだ。

 そしてある程度の礼金か、さもなくば名誉をデミアルへ与える必要が出てくる。

 そうなれば、これが悪しき前例となって、内なる無限(ボン・サー)とは奇妙に変異した植物を珍しがる際物(きわもの)の趣味とされかねない。いわば、ブランドイメージ(名誉格式)の破壊である。


 確かに、これまでも、ボン・サーの基準に満たない品をミュリエラのもとへ持ちこみ、承認を得ようとする貴族はいた。

 だが、伯爵夫人(グラフリン)との面談の機会そのものが、ライエンテンに代表されるボン・サー趣味の理解者たちによる何重にも折り重なったカーテンに守られているのであり、伝手(つて)をたどるうちに「この品は伯爵夫人(グラフリン)にお見せできない」と選考にハネられてしまう「流れ」になっている。

 名誉ある貴族が持ち込んだ品の失格をミュリエラ本人に宣告されるなどという、面目を潰す仕打ちは極力、避けねばならないのだ。


 ミュリエラは、軍人らしく直立不動のデミアルを前にして考えあぐねる。

 そもそもが面会を許してしまったのが軽率だったかもしれない。

 まさか、エルフの使用人を持たないノールドルストム家がこのようなボン・サー()()()を持ち込むとは想定していなかった。チャリンド家と因縁の深いノールドルストム子爵がボン・サーのことで何の用があるのかと、好奇心を持ってしまったのが良くなかった。

 しかし、今ここで彼の申し出をすげなく断れば、非礼をはたらくことになる。

 ただでさえこじれている子爵家とチャリンド家の関係をこれ以上悪化させたくもないし、このデミアルという青年の武人が軍でどれくらいの権力と影響力を持っているのかも、今のミュリエラには判らないのだ。


 言葉を探して宙に目を泳がせるミュリエラ。

 その目の向かう先に、子爵の鉢植えに勝るとも劣らぬ珍しい光景が飛び込んだ。

 チャリンド家の執事、シャタルである。

 いかなる場合でも落ち着きはらい、気配を消すことに長けたエルフの彼が、恐れと呼んでも良いような驚きと戸惑いの色を浮かべてデミアルの鉢を見ていた。


「シャタル殿よ。なにか、気になる点でもござろうか」

 ミュリエラに声をかけられたシャタルは、一礼して退く。

「失礼いたしました。お気になさらず」

「遠慮なさるな。草木(そうもく)に按じてエルフ族に勝るものなどおるまいぞ。ぜひ、見解を聞かせてたもれ」

「……もったいないお言葉でございます、しかし……」

「子爵殿、差しさわりはござりますまいな?」

 水を向けられたデミアルが答える。「ええ、そうですね」

 この言葉を受けてシャタルが仕方なさそうに言った。

「しもべにあるまじき振る舞いではございますが、お許しをいただきまして申し述べさせていただきます……子爵閣下の菖蒲(リース)は、菖蒲(リース)と思えないのです」

菖蒲(リース)と……思えない……じゃと?」

「はい。この種の植物は、木にならないはずでございます。わたくしどもエルフの腕をもってしても、このような形になりますかどうか」

「木に成らぬはず……ふむう……」ミュリエラは菖蒲(リース)をまじまじと見つめた。

 知識に貪欲なミュリエラではあるが、無数にある植物の種類と性質について知り尽くしているわけではない。

「ビブよ。おぬしは何か知っておるか?」

 と、侍女の姿をした、おのが知の補助者たる魔法の道具に意見を求める。

 ビブリンは即座に答えた。「樹妖(ナズキュド)に似ていますね」


 樹妖(ナズキュド)


 自然界の古びた樹が、歪んだ魔力を受けて魔物と化した存在である。

 千年前には森の中でよく遭遇した敵だった。

 魔力の影響で元の樹木とは似ても似つかぬ姿に変わり果て、枝や蔓を巻きつけて人を攻撃する。根っこを足のように用いて移動するものまでいた。

 そんな超自然の魔物が、魔力の絶えた今の世界(バリオン)で生き残っているとはミュリエラには思えなかった。


 ──しかし、言われてみれば、この菖蒲(リース)には魔法の面影がある。


 好奇心が頭をもたげ、内なる無限(ボン・サー)のことなどどうでもよくなってきた。

「子爵どの、正直に申しましょうぞ。わらわはこのような品を目にしたことがござらぬ。どちらの森のエルフから入手なされた?」

「エルフですって?」

 デミアルは戸惑った様子を見せた。

「いえ、これは私の祖母が手掛けたものです」

「ご祖母どのが?」

 ミュリエラは記憶をたどる。お披露目式で会ったソヴリネの祖母。

 魔法の素養があるようには見受けられなかった。

「ふむう……」ミュリエラは鉢に植わった菖蒲(リース)に顔を寄せた。


 ──無数の樹木化した茎が重なり、太い幹と化した佇まい。

 その側面には、木の()()のようにへこんだ箇所まである。

 まるで眼窩のようだ、とミュリエラが思ったその刹那──


 その眼窩の奥にまぶたが開き、眼球がのぞいた。


 菖蒲(リース)の枝が鞭のように動き、ミュリエラに掴みかかる。その鋭い枝先は正確に目と喉を狙っていた。


 千年ぶりの魔物の襲撃に不覚をとりかけたミュリエラと菖蒲(リース)との間に、シャタルが電光石火の素早さで割って入り、両者を突き飛ばす。

 菖蒲(リース)の鉢はテーブルから落ちて割れる。

 ミュリエラも床へ打ち付けられかけたが、シャタルと同時に動いたデミアルによって間一髪、受け止められた。

 割れた鉢の破片と土にまみれて蠢く菖蒲(リース)の化け物の、心臓のように脈うつ球根をビブリンが踏みつぶす。化け物はすみやかに動きを止め、魔物から植物に戻った。


「いったい、なんでございますか、これは!」シャタルが叫ぶ。

樹妖(ナズキュド)じゃ。見紛うことなき、魔物じゃよ」

 ミュリエラは身を起こしてスカートから塵をはらい、言った。

伯爵夫人(グラフリン)」と、デミアル。

「お願いです。信じてください。いま見た()()が何だったのか、私には判りません。ですが、これだけは言えます。私どもの(あずか)り知らぬものです!」

「左様でござろうよ。魔物(これ)ばかりは、わらわにしか(あずか)り知り得ぬであろうなぁ」

 この魔物がどのような経緯で子爵の手を介してミュリエラのもとへ送り込まれたのかは、まだわからない。だが、黒幕が誰かは、わかりすぎるほどわかった。


「それにしても、シャタル殿よ。命を救われたのう。礼を申す。神速とはまさにこのことじゃ」

 シャタルは平静さを取り戻していたが、異常事態にまだ戸惑っている様子だ。

「……お怪我がなくてなによりでございました」

感覚の流れ(イスラストリアミィ)とやらが視えたかの?」

 ミュリエラの言葉にシャタルが面食らう。

 なぜその言葉を知っているのかといった風であった。

「……人や動物が持つものをなぜ草木が持っていたのかは、私にもわかりません」

「魔物は魔力の産物じゃ。識闘術(フィングリン)で感じ取れるものは、発して当然よ」

「魔物と申されましても、私めには理解できかねます」

「まあ、帰郷する機会があれば、そこもとの種名(クノルペンナーン)の森に隠れ潜む長老どのにお尋ねなされ。はるか遠い昔、目にした経験のある御仁がおられるやもしれぬ」

 エルフ族の秘密を知っているミュリエラに、シャタルは再び面食らった。

「クロード殿に報告はされるのかや?」

 シャタルは首を振る。

「召使いとして、己の理解を超えたものをどうやって主人に報告できますか」

「黙っておられたほうがよいかもしれぬな。この件はわらわに任せてたもれ。チャリンド家に仇なすようには誓ってせぬゆえ」

 そう言うと、ミュリエラはデミアルに向き直った。


「ノールドルストム子爵殿。ことここに至っては、ご進呈の品を受け取るわけには参らなくなったようじゃ。しかし……一切合切、お話しくだされ。わらわの身の為、なにより、そこもとのお家の名誉の為」

読まなくてもいい作中のメーノン語の解説


rís 【名詞】アヤメ

naszkwud 【名詞】樹妖。木のモンスター。千年後の世界においては完全な死語。木 wud に呪われていることを示す否定接頭辞 naszk- がついたもの

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