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第43話

 内なる無限(ボン・サー)と名付けられた新しい芸術の社交界への浸透は思いのほか、早いものであった。


 この園芸ジャンルの熱心な広報官が、新人類(ルーナルダーケン)のひとりにして芸術界でも名の知られた新進気鋭のパトロン、ライエンテン子爵である。

 ライエンテン子爵邸を訪れた者はまず、素朴で飾りっ気のないシンプルな玄関で特注の集光装置──蝋燭の光を鏡で集める器具で、通常は舞台照明に用いる──に照らされた奇妙な(スコユラ)の鉢植えに目を奪われてしまう。その一瞬、来訪者は館という閉じられた空間にありながら屋外に身を置いたような錯覚を覚える。

 続いて案内されるのは居間だ。普通なら家族の団欒に用いられる部屋だが、独身のライエンテン子爵はここをただひたすら内なる無限(ボン・サー)を鑑賞するためだけの部屋に作り替えた。真っ白な漆喰で塗り固められ、家具は腰かけるための柔らかなソファと小さなテーブルしかない空間の一角に、直立するトネリコ(アスカラ)の鉢植えが配置されている。来訪者はこの部屋で、じっと静寂に身を包まれながら、深淵なる宇宙と己を向かい合わせるという、斬新かつ洗練された禁欲的な体験を提供されるのだった。


 享楽的かつ退廃的な連中と思われていた新人類(ルーナルダーケン)がこんな趣向を考え出したというだけで一種の椿事だったが、清廉さや信心深さを重視する観点だけでなく、他人との差をひけらかしてステータスとする俗物根性(スノビズム)の観点からも、ボン・サーは趣味として貴族社会に好ましく受け止められた。

 小さなボン・サーでさえ育て上げるのに十年かかるという希少性の高さも、貴族の所有物に相応しいと見なされる。

 もともと、園芸は暇を持て余した貴族の趣味としては定番でもあったし、「自然のミニチュア」というボン・サーの(しつら)えは、職人に建物や船舶の模型を作らせてコレクションしたがる人々の心にも訴求していった。


形代(かたしろ)の収集を趣味とする(ともがら)というのはわらわも予想がつかなんだな」

『……ミュリエラ様。形代ではありません。模型でございます』

「違いがようわからぬ」

『形代は姿を写し取ることで対象物と存在を同調させ、影響を及ぼさんとする呪術的手法ですが、模型は数学的な緻密さをもって対象物の縮小再現を図るものです』

「美しい宝飾品や知の結晶たる書物なら兎も角、模造品に何の価値がある?」

『精巧な細工物は富裕層しか手に入れられませんから、それ自体が高価です』

「細工物か。それならば話が分からんでもないが、どうしてメーノンの貴族は家や船を小さく模した細工物などを集めようと考えるに至ったのじゃ?」

『たとえば、王侯貴族が艦の新造を検討する際には、図面を見るより現物を見たほうが話が早うございますね。そこで、船大工が精巧な模型を献上するのです。それを見て性能や費用を算段いたします。これが収集対象になったようです』

「なるほどのう。力を弄ぶ夢にひたりたがる男の(さが)は千年前から変わらぬなあ」

『ラコール男爵も精巧な兵士の人形を集めて軍団を作っておりました。軍務に就いていたころの思い出を想起していたのでしょう』

「なんじゃ、小さな代替物に己の想いをこめておるのか。結局、形代ではないか」


 しかし、ほどなく忠誠心に富んだエルフの召使いが、仕える主人にボン・サーの正体はエルフの教育用玩具、「友の木(フェアンテュド)」であると注進に及ぶ。

 エルフたちはさかんに友の木(フェアンテュド)の「価値のなさ」を説くが、これは人間の主人たちにとって逆効果だった。彼らはボン・サーの精神的、哲学的な価値を説き──その内容はミュリエラやライエンテンからの受け売りだったが──しょせん召使い風情に芸術の思索的側面が分かるはずもないと頭を振ってみせ、そんなにありふれた物なら故郷からボン・サーを持ってこいと命じるのだった。


「……供給という観点からは良い流れですね、伯爵夫人(グラフリン)様」

「供給、……とはいかなる意味でござろうか、クロード殿」

「商品を流行(はや)らせるには、ある程度、需要を満たすに足る数が必要です。世界(バリオン)中の女性の首を真珠で締めてみせましょうと豪語しても、在庫が一粒しかなければどうしようもありませんからね。ボン・サーはその点、各家のエルフたちが里から勝手に持ち寄ってくれますので手間がかからない」

「じゃが、その鉢植えがボン・サーと見なされるか否かは、わらわ次第」

「いやまったく。かえすがえすも、惚れ惚れするほど巧妙でございますよ」


 やがて、ルドラルフ夫人を筆頭とするカールッドの仕立て屋がふくらみ袖(パフニメール)の製品を世の女性たちへ届け始めた晩春のころ、社交界の名士たちはボン・サーの開祖にして泰斗(たいと)、グリューデン伯爵夫人ミュリエラが逗留するチャリンド家を訪れ、持参の鉢植えを品評してもらい、「高い精神性と趣向」の証としてグリューデン伯爵家の紋章の押された鉢を授かりたいと熱望するようになるのであった。


 一方、そのような社交界の動向を目にしながら、手持ちの鉢植えにボン・サーのお墨付きを得たいと望んでも、先立つもの──エルフの友の木(フェアンテュド)──を手に入れられない高家もあった。

 由来を不明とする慣習の縛りからエルフの使用人を持たないメーノン王家。

 そして、苦しい財政状況ゆえ、エルフを召し抱えられない貴族家である。


 ソヴリネはノールドルストム邸の居間で撫子(ネルヒア)の鉢植えを眺めていた。

 この花は園芸を趣味とする祖母イゼシュラが手をかけたもので、可憐で繊細な種である撫子(ネルヒア)の特徴そのままに瑞々しい朱色の大ぶりな花を咲かせている。エルフの庭師もかくやというほど見事な手腕であったが、惜しいことに、昨今の園芸の流行は()を愛でず、鉢の上で木を育てるものなのだという。

 ボン・サーの価値基準では、この美しい花も単純な観葉植物でしかない。

「こんなに綺麗ですのに……」

 ソヴリネの口調は悲しげだ。

 祖母は庭園(グラド)温室(ビントグラデルヤ)を持つ旧ノールドルストム邸を失っても気落ちせず、植木鉢の上に慰めの場を見出し、中流階級向けの手狭な家を慎ましくも華やかに飾るに足る花の数々をせっせと産み出し続けている。

 この技量が正当に評価されないことがなにより嘆かわしかった。

「お祖母(ばあ)様の鉢植えは、もっと世に知られるべきです」

「そうねえ」と、イゼシュラ。

「でも、ソヴリネ。趣味は流行(はや)りもすれば(すた)れもするものよ。私が若いころは薔薇(ブルンシュリン)ばかり育てられていたけど、今では撫子(ネルヒア)も水仙も愛でられているし。ボン・サーというのは私にはよくわからないけど、浮かれた熱が冷めてしまえば、美しい花の素直さが見直される時が来ます」

「花が(しお)れたあとで見直されても、意味ありませんわ」

 祖母と孫の会話に執事が礼儀正しく割り込む。

「大奥様、お嬢様。裏口に客が見えております」

「裏口に?」

「はい」

 ソヴリネはため息をつき、立ち上がろうとする祖母を抑えた。

「私が出ます」

 まともな客──要するに、接待に足る上流階級の客は裏口に来たりしない。

 つまり「裏口の客」とは物売りを指す隠語なのだ。

 通常ならば物売りなど、使用人が追い払ってしかるべきである。

 だが、ノールドルストム家は高い賃金を必要とするエルフの上級使用人を雇えるような家産を有していない。目の前にいる人間の執事も、安い賃金に甘んじている。そんな彼らの収入を補う手段のひとつが、ノールドルストム家を訪れる物売りや御用聞きに便宜をはかってやり、袖の下を手に入れることだった。

 そんなことをいちいち咎め立てしていてはやっていけない。

 嫌なら、もっと高い報酬を支払ってやるべきなのである。

 主人としてはそうやって通された物売りの口車に乗せられず、財布のひもをしっかり締めていれば済む話なのだ。

 子爵家の当主であるデミアルは艦の当直勤務のため不在である。

 ここは留守を預かるソヴリネが威厳をもって対処すべき場面であった。


「お宅の見事な撫子(ネルヒア)を表からお見掛けしまして」

 と、その男は言った。

 ノールドルストム邸の居間で、ソヴリネとイゼシュラを前にして、黒い色の商人風の装束をまとった男は慇懃に話を進めた。

 売りつける商品を掲げて長広舌を振るうでもなく、哀れっぽく貧しい境遇をひけらかすでもなく、ただガラス越しに窓辺に飾られたイゼシュラの撫子(ネルヒア)を褒め、話をさせてほしいと控えめに訴えてきたこの男に好感を持ったソヴリネは、つい居間まで上げてしまったのだ。

「実は、わたくしも近頃、園芸を始めておりまして。しかしどうもうまくいかない。そうこうしているうちに春は過ぎ去ろうとしておりますし、そんな折にこの撫子(ネルヒア)が目に飛び込んできたのです」男は姿勢を崩さず静かに語る。

「祖母が手掛けたものですわ」と、ソヴリネ。

「なんと。お嬢様の手になるものかと思っておりました。……となると残念です」

「あら、どうして?」

 イゼシュラの疑問に男が答える。

「当然の連想として、花は若く美しい女性の手によってこそ産み出されるものかと。ところが、御祖母様の経験の深さによって作り出されたとなりますと、わたくしごときの若輩者では追いつきようもない。どう足掻いても時は早められません」

 ソヴリネの美しさとイゼシュラの年の功を慇懃かつ同時に褒めたたえる男の口上に、ソヴリネは内心、舌を巻きつつ嬉しくなるのを抑えられなかった。

「人を喜ばせるすべを心得ておいでね。でも、お祖母(ばあ)様の園芸の技は売りものではございませんわ。腕を切り落として差し出すわけにもいきませんし」

「わたくしはものを買いにお伺いしたのではございません」

「では売りに来たのかしら」ソヴリネはざっくばらんに切り出す。

「ご覧になっていただきたいものがございます」

 と、男は持参した包みを開け始めた。

 ──そうら、来た。

 心の中で財布のひもを固く握る決意を新たにしたソヴリネの目の前に、奇妙な文様の刻まれた粗末な植木鉢と、何やら液体の入った小さなガラス瓶が置かれた。

「……何ですの、これは?」

「わたくしの関係する工房と学舎にて、長年の研究の末、生み出されたものです」

 ソヴリネとイゼシュラは顔を見合わせた。

 こんな奇妙な物売りは初めてだ。

「この植木鉢は、植物に作用するある種の養分を空気中から取り入れ、また水薬は鉢に植わった草花に特殊な刺激を与えます。ふたつでひと組、切り離せません」

 植木鉢の文様は波打つようにのたくっているが、規則性も感じられる。

 装飾にも見えるし、文字のようにも見える。

「それらの影響を受けた草木はある種の変化を遂げます」

「あら。花がよく育つとか?」と、イゼシュラ。

「そうだったらよかったんですが……いえ、もともとそれを目指して研究されていたのですが」男は申し訳なさそうにうなだれつつ、説明を続けた。

「成長を促進させはするのですが、期待した結果にはなりませんでした」

「あまり我が家に必要な品物には思えませんわね」

 ソヴリネは肩をすくめる。

 この商人には悪い印象を受けないが、そろそろ話を終えるべき時が来た。

「ああ、お待ちください。もう少しお時間を。この品物は草花に部分的かつ著しい成長を促すのです」

「でも、花じゃないんでしょう」

「ええ。ところで、今の園芸界隈では、お宅の素晴らしい撫子(ネルヒア)は正当な評価を受ける状況にありませんね」

 ボン・サーの流行のことだ。

「そうかもしれませんわね」

「この植木鉢と水薬も、今まで評価されることはありませんでした。なにせ、花の美しさには寄与しないのですから。ですが、潮目が変わり、この品が日の目を見る機会を得ました」と、男。

「そして、お宅の撫子(ネルヒア)も」

「もっとはっきりおっしゃってくださいな」

撫子(ネルヒア)をこの鉢に移し替えて、水薬を一滴垂らしてください。そしてお部屋に安置いただきたく思います。変化はひと晩で現れます。三日もすれば、何が起こりつつあるか誰の目にも明らかとなるでしょう」


 奇妙な商人は、代金も取らずに植木鉢と水薬を置いていった。

「あくまで試供品ですので」というのが男の言い分である。

 ソヴリネは半信半疑で、祖母と協力して撫子(ネルヒア)を移し替えると、水薬の入ったガラス瓶を手に取った。

 瓶の蓋を外す。匂いはない。まるで水のようだ。

「毒ではないようですけれど……」

 ソヴリネは躊躇した。

 もしこの一滴が祖母の撫子(ネルヒア)を殺すことになったら、いたたまれない。

「園芸は挑戦と後悔の繰り返しよ。人生と同じくね、ソヴリネ」と、イゼシュラ。

「私も何が起こるか見てみたいわ」

 祖母の言葉に後押しされ、ソヴリネは水薬を一滴、撫子(ネルヒア)の根元に垂らした。


 その夜、ソヴリネは撫子(ネルヒア)を星明りのさす自室の窓辺に置いた。

 翌朝、目を覚ましたソヴリネが撫子(ネルヒア)を検分すると、確かに変化が見て取れた。

 たおやかな花冠はまったく容色を失っていない。ところが、青かった茎が茶色を帯びはじめている。一瞬、枯れ始めたのかと思ったが、手でさわってみるとしっかりしているし、太さも増しているように感じられた。

 それはまるで、草が急速に()へ変化しているようであった。


「驚いた」と、ソヴリネは独りごちた。「……まるで、魔法みたい」

読まなくてもいい作中のメーノン語の解説


nelhyia 【名詞】カーネーション、ナデシコ科の花

blunshlin 【名詞】バラ

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