第40話
ミュリエラは黒の森の集落地の真ん中に立ち、あたりを見回した。
この里に足を踏み入れた時の最初の印象は、
──変わりないが、変わっている。
であった。
ミュリエラも千年前、エルフの里たる「森」をいくつか訪ねたことがある。
深い森の中にあり、空き地に井戸を掘ってそこを中心として居住区を形成する点は変わりない。建築様式も、技術の進歩にともなって瀟洒で洗練されてはいるが、枯れ木の灰色の色合いを活かした用材が醸し出す雰囲気は、往時そのままである。
……だが、変化は見間違えようがない。
「ミュリエラ様、お聞きください」
離れた場所でエルフたちと何やら話し込んでいたビブリンが悲しそうな顔でこちらへやってくる。「悲しそうな」顔をしている時点で、この魔法の道具の人間社会への馴染みぶりは目を見張るものがある。この表情は模倣に過ぎないのだろうか、いや、それとも本当に感情を身に着けたと考えるべきだろうか。
「エルフたちと話したのですが……ここには蒸留酒がないのだそうです」
「あれは普通の酒を蒸留……つまり、密閉性の高い金属製の容器で沸騰させ、蒸気を集めて冷やし、酒の精髄だけを雫に戻して造るのだそうじゃ。どちらかというとドワーフの領分であろうな」
「麦酒、葡萄酒、蜂蜜酒と、カールッドでは様々な素材から醸造した酒から作ったスプリッタが入手できましたのに」
「そも、千年前でも、エルフは外界から輸入した酒に果実やキノコを漬けこんで酒を造っておったからのう……それよりも、ビブよ」
ミュリエラはエルフの集落を手で示す。「どう思う。所見を述べよ」
「小さくなっております」と、ビブリンは即座に答えた。
「家屋も、住人も、千年前と比べて数が減っています。予想では多くて二十人前後といったところでしょうか。これでは持続可能な集落と言えません」
ミュリエラは頷いた。
「おぬしの見立ては正しい。規模だけで言えば、この森が滅びるは必定じゃ……」
ミュリエラが知るエルフの里は、森の空き地に建てられた平屋だけでなく、その周辺の森林地帯にも無数の樹屋を持つ大規模なものであった。それが今や、空き地に面した木々にだけ樹屋が設けられている。
森の空き地──エルフの用語では「樹だまり」と呼ぶらしい──という名の円筒形の空間の内側に樹屋が取りついているのみの、集落というより一時的な居住地とでも呼んだほうがふさわしい場所だった。
「ミュリエラ様がお探しのエルフの年長者ですけれども、言葉を変えてそれとなく尋ねてみましたが、芳しくありません。“墓の木”に案内までされてしまいました」
「エルフの葬送施設じゃな。まだその習慣は残っておったか。エルフは亡くなった同胞を森の秘密の場所に埋葬し、数年後に骨を掘り起こして洗い、さらに数十年かけて遺骨を木に埋め込むのよ」
「いえ、それが……もうその習慣はなくなっているようです。骨は完全に粉砕して森に撒き、故人の名を刻んだ木を残すのみだそうで」
「ほう……。ともかく、妙じゃな。規模が小さくなっているとはいえ、ある一定の年齢以上のエルフが死滅しているなどということがあろうか。まるで、エルフの寿命が縮んでおるようなものじゃ」
「……どこかに隠れ潜んでいるとおっしゃるのですか?」
「骨すら砕いて跡形もなくしているとまで言われれば、もはや追いようがないからの……そう説くことにしている、というのは考えすぎかの」
それから三日間、リリの休暇が終わるまで、ミュリエラは黒の森に滞在した。
控えめながら、あの手この手でエルフの年長者を探したが、手がかりはない。
誰に聞いても「死んだ」としか言わない。
いつ死んだか聞いても「だいぶ前に」としか返さない。
詳しく話を聞こうとすると「奉公に出た者が知っている」とはぐらかされる。
ただむなしく時間だけが過ぎ、カールッドへの帰還が翌日に迫る朝を迎えた。
その日、ミュリエラは、いつも通り集落の中心にある井戸で顔を洗い、ビブリンの手を借りて身づくろいをしていた。
つい先ほど挨拶を交わしたリリは、もう姿を消している。
何をしているのかは分からないが、帰省本来の目的を果たしているらしい。
楽器の音が聞こえる。
小さな鉦の調べだ。
エルフの独特な歌唱法による歌声も聞こえる。
見ると、少し離れた広場で、数人のエルフが輪となり、何やら儀式を執り行っているようだった。
身づくろいを終えたミュリエラも静かにそこへ近づく。拒まれる気配がないので、そのまま参列することにした。
エルフたちは、広場に小さな穴を掘り、若い苗木を埋めているところだった。
「──もりよ、もりよ。健やかにのびよ。われ、そなたに与えるとも、そなたより受くるを望まず」
エルフのひとりが儀式の言葉を述べると、会席者も同じく唱和し、苗木のそばの穴に供物として小さな髪の束やパンのかけらを入れているところだった。
この儀式は見たことがある。確か、エルフの「引っ越し」の儀式だ。
エルフが集落を新しい「樹だまり」へ移動させる際、その始まりの儀式として、あとにする古い樹だまりにふたたび植物が育つよう願って供物を捧げ、森への帰属を新たにするのである。
ミュリエラはビブリンに小声で「あれを寄越せ」とだけ命じ、彼女から小さな袋を受け取った。
それはビブリンの【道具箱】に収められていたのであるが、はた目からはまるでどこからともなく取り出したようにしか見えない。が、誰もビブリンに注意を払う者はいなかった。
それからおもむろに供物の穴へ近づき、袋を開いて、中身を穴へあける。
植物の種だった。
ミュリエラはチャリンド家での生活のかなりの時間を温室で過ごしていたが、この種はそこで見つけたものである。鉢で生育されていたイチイの若木のそばに落ちていたもので、おそらく、去年あたりに実をつけて落果し、そのまま見落とされていたものだろう。
参列していたエルフたちがいっせいにミュリエラを見た。
その顔には、驚きがありありと現れている。
ミュリエラはしまったと思った。
間違っただろうか。千年前はこれが「作法」だったのだが。
エルフの森を訪れた客人は、よその森の種子を持ち込んで捧げるものなのだと、パルシスに教わったのだ。
「……おのおのがた、申し訳ござらぬ。わらわの知る作法ではこのようなものだったのじゃが。知識が古すぎたやもしれぬ。もし、当世の習いに反しておったなら、お詫び申し上げる」
エルフたちは顔を見合わせた。
「お詫びですって? とんでもありません。イチイの種をお捧げになったのですね。ありがとうございます。いえ、ご不安にさせてしまい、こちらこそ礼を失しておりました。なにしろ、人間族の高貴なお方が、我々の習俗に通じていらっしゃるとは思いもよらず……」
この出来事を境に、ミュリエラに対するエルフたちの態度が一変した。
どこかよそよそしかった態度が柔らかくなったのである。
そして、かくもエルフに親しい人ならばと、「たっての願い」を申し出られた。
「ほう。わらわに出来ることであれば、お話をうかがいましょうぞ」
「ほんとうでございますか。では、さっそくご案内申し上げますので」
依頼の内容は告げられなかったが、ミュリエラは大体の事情を察した。
おそらく、エルフの長老のもとへ案内されるのだ。
何らかの理由で、エルフたちは長老の居場所を隠している。
いま案内される場所には長老が隠れ潜んでおり、思いがけず黒の森の信用を勝ち得たミュリエラは、彼らが日の目を見る手助けをすることになるのであろう──。
──……
──ミュリエラは大勢のエルフたちの中にいた。
彼らの目は好奇心で輝き、いましもミュリエラに飛びついてきそうな雰囲気さえあった。
ここは、黒の森でもっとも大きな建屋。
ミュリエラは椅子に座り、幼いエルフたちに囲まれていた。
「はーい、じゃあみんな、伯爵夫人様にごあいさつしましょうねー?」
養育係のエルフ女性が子どもたちに言う。
エルフの幼児たちがいっせいに拙く礼をする。
「グラフリンしゃま、ようこそおれっしゃいましたー」
「あ、ああ。ご歓迎、まことに痛み入るぞよ」
いちばん年端のいかぬエルフの子がミュリエラのスカートの端に座り込み、刺繍の柄をいじりはじめた。
「あー! だめだよー! しつれいなんだよー!」
年長の子がいたずらっ子を叱る。
「いや、いや、気にせんぞえ」
ミュリエラは綻びそうになる顔を必死で保っていた。
ここは、黒の森の保育所。
どうやら現代のエルフは、子どもたちをこのような施設に預け、集団で養育しているようだった。
彼らもいずれ、人間社会に出ていき、人間族の使用人となる可能性が高い。
そしてミュリエラは、黒の森の子どもたちにとって初めて接する「人間族の貴人」であった。エルフの森ではめったに出くわさない貴重な機会といっていい。
つまりミュリエラは、彼らにとって恰好の「教材」なのだった。
「グラフリンしゃま、あのね、あたし、かみのけ、とかすのうまいんだよ」
これまた年端のいかぬエルフの女の子がミュリエラの袖を引っ張る。
「お、おお。では、お願いしようかの」
このミュリエラの言葉に養育係が恐縮する。
「まあ、伯爵夫人様。そこまでしていただかなくても……」
ミュリエラは結い上げた髪を解く。
「なんのなんの。このためにわらわを呼んだのであろう?」
ミュリエラはこの世の愛らしさを凝縮したような幼児たちに囲まれ、かわるがわる髪の毛を梳かされたり、飲み物として白湯を給仕されたり、余興として歌を聞かされたりといった「接待」を受けた。
やることなすことすべてが至らず、拙く、ぎこちない。
それでも褒めてやると、幼児たちは咲き乱れる花のような笑顔で応えるのだった。
「(……なんじゃ? ここは? 地上の天国か?)」
「グラフリンしゃま、ぼくの木、見せてあげるー」
男の子が鉢を抱えてミュリエラのもとへ来た。
それは小さな樹木の植えられた、鉢植えだった。
「ほう? これはなんじゃな?」
養育係の女性が答える。
「友の木でございます、伯爵夫人様」
「友の木、とな」
「はい。子どもたちに木を育てさせることで、木に親しみ、学びを与えるのでございます」
「なるほど……エルフならではの学習方法じゃな」
鉢は素朴な陶製だ。
そこに植えられた木を見て、ミュリエラは奇妙な感覚に襲われた。
どうにも、立派すぎるのだ。
「養育係どの。……この木は、本当にこの子が育てたものなのかや」
「ええ。そうでございますよ」
「……ううむ。不思議なものじゃ。幼な子が抱えられるほど小さいのに、なんともいえぬ風格がただよっておる。木と親しむエルフの性分のなせるゆえか……?」
「ああ。それは、そのように育てているからでございます」と、養育係。
「そのように、とな?」
「はい。これは、大樹を模したものなのですよ」
そう言われてミュリエラはもう一度、鉢植えに目を凝らした。
木の種類はありふれた樫だ。鉢の上で妙にどっしりと太い幹をつけ、枝を伸ばし、葉を茂らせている。
葉のサイズはさすがに縮小できないが、ミュリエラはこれが「樫の大樹」のミニチュア版であることを理解した。
「……ああ! なるほどのう! これはよく出来ておるのう! 園芸とは花を美しく咲かせるものと思うておったが、このような技芸もあるのじゃな!」
大仰に感心するミュリエラに、養育係が微笑む。
「ほんの子どもの手慰みでございますよ……。彼らは、友の木を通じて学びを得、やがて大人になって真に価値ある本物の大樹を手掛けるようになるのです」
「ここまで育てるにはどれくらい年月を要するのじゃ?」
「通常、子どもたちは十二年から十八年ほどかけて友の木を育て、完成するころには大人になって里を出ていきます。この樫でしたら、だいたい三十年ほどでございますね。この子はもう成人した兄から鉢を受け継いだのでございますよ」
「ほう、三十年とは……。貴重なものなのじゃな」
この言葉にも養育係は微笑んだ。
「いえ、それほどのものでは……。しょせん、狭い鉢の中で育てられた練習用の品です。ほんものの大樹にはかないません。大人になったら、森の中に植え替えるか、そこらに置いたきり忘れてしまうんですよ」
「ふむ……わらわには、妙なる技芸の一品に見えるがの」
──その日、ミュリエラが「友の木」に興味を示していると知り、保育所じゅうの子どもたちが自分の鉢植えを持って「伯爵夫人さま」の前に並ぶこととなった。
日が暮れて、ミュリエラは宿舎で寝網をビブリンに用意させながら、テーブルの上に置かれた「友の木」を眺めていた。
養育係のエルフが「そこまでお気に召しましたら、お持ちください」と譲ってくれたものだ。聞けば、彼女が幼少のおり、育てていたものだという。
細長い鉢に三本のブナが植えられており、その樹下には少しの苔が生えている。
林のなかから一場面を切り取ってきたかのような趣があり、部屋の中に自然の情景が再生されているかのごとき感覚を与えてくれる。
こんな見事な品でも、エルフたちにとっては「なんでもない子どもの遊び」に過ぎないらしい。
「ううむ……。なんとも言葉にしづらく、えもいわれぬ趣がある」
「その鉢植えですか?」と、ビブリン。
「さよう。エルフたちの園芸家としての才能は論を待たぬが、成長と共に童心が失われるかのように友の木から興味を失っていくというのは、奇妙な話じゃ」
「でしたら、そこらに転がっている古い友の木を片っ端から貰い受けていきますか。運ぶだけでしたら、私の【道具箱】に収めればよいですし」
「じゃのう。エルフたちは“木”が広がっていくのを喜ばしく思う種族ゆえ、こころよく応じてくれるやもしれぬ」
「それにしても結局、エルフの長老には会えずじまいでしたね」
「得心はいかぬが、彼らにも事情があるのやもな。友の木を得て、黒の森の知己を得ただけでもよしとしようかの」
ミュリエラは寝網によじ登ると毛布にくるまり、ビブリンに合図をした。
合図を受けてビブリンが燭台の火を消す。
宿舎を照らす明かりは窓からさす月光のみとなった。
「……かつては窓からさす月光ですら贅沢な品であった。窓は鎧戸で閉めるしかなかったからの。それが今や、森の奥深くのエルフの里ですら透明なガラスを用いて家を建てておる。往時を知るエルフの大老は、この時の流れをどう眺めておるのか。いくばくかなりとも教えを請い、わらわの知るエルフの姿と照らしあわせたかった」
「……ほう。まるで、往時をご存じであるかのようなお言葉ですな……」
聞きなれぬ低い女の声が宿舎に響いた。
ミュリエラは寝網から飛び起き、ビブリンは鎧戸の支え棒を手に取る。
部屋の片隅に、最初からそこにいたかのように、ひとりのエルフが蹲っていた。
それはまるで、ミュリエラの意識の外にいて、燭台の火が消されるのをずっと待ち構えていたとしか思えない様子であった。
「……かような形で客の部屋に現れるとは、少々、戯事が過ぎはしませぬか」
ミュリエラが注意深く問う。
侵入者は立ち上がって暗闇から一歩進み、月光の中で首を垂れた。
「まことに申し訳ない、伯爵夫人どの。ですが、森の友たる仕儀をよくご存じの貴女でしたら、このような無礼を用いねばお目にかかれぬ次第、わずかなりともお汲みとり下されますよう……」
エルフが頭をあげ、顔をあらわにする。
深く年輪を重ねた、エルフの年長者の女性だった。
そして、その瞳は、ミュリエラがこの時代にきて出会った中で、最も老成した、深い叡智の色をたたえていたのである。
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
feantwud 【名詞】友の木。子どものエルフが育樹を学ぶための鉢植え。
mokk 【名詞】樫、オーク




