第33話
ノールドルストム子爵デミアルとアニエ・チャリンドが「二人きりのところ」を複数の「名誉ある人々」に目撃されたという情報は、瞬く間に社交界へ広がった。
特に、子爵家の台所事情に関する公然の秘密は、チャリンド家が裕福で知られることと結びついて、くだんの噂の真実性を高めて余りある。
チャリンド家が爵位を求めて各種の働きかけを行っているのも事実だ。
お披露目式にて子爵の妹ソヴリネがアニエとほんの軽くたわむれた件に至っては、当初は成り上がり者に対する冷罵と見られていたが、未来の兄嫁への嫉妬と対抗心から起こったことだと納得されてしまうのであった。
「聞いてくださいまし」ソヴリネは憤懣やるかたない様子である。
ノールドルストム家の居間では、ソヴリネが家族のデミアルとイゼシュラに不満をまくしたてていた。
「公園を散策していましたら、クルーデンストム侯爵未亡人様にお会いしましたの。あの方、私をたしなめたのですよ。意地にならないように──って。どうしてそんなことを言われなければなりませんの?」
「“クルーデンストムのおばあちゃん”は自他共に認める社交界のご意見番だからだろう」と、デミアルは妹をなだめるように言った。
「あの方もご家庭では苦労されましたからねぇ」これは祖母のイゼシュラである。
「ですから、心配されるいわれはございません!」
ソヴリネは頬をふくらませ、横を向く。
「お兄様があの女といちゃついているからいけないのです」
「そんなことはしてない!」今度はデミアルが憤慨する番だ。
「なら、あんな場所で何をなさっておりましたの? チャリンドの娘なんかと」
「……紳士として果たすべき義務を果たしていただけだ」
妹を出汁にして未婚の女性を誘い出し、下劣な企てに乗りかけてしまったので、取り繕うために行く手をさえぎっていた──などと言えるはずがあろうか。
「求愛の許可をお求めになっておられましたのね」
「やめろ! 断じて、そんなのじゃない!」
「でしたら、お誓いになってくださいまし、チャリンドとノールドルストムが結ばれることなどありえないと。あの家を取られた上に、この家にまでチャリンドが入り込むなんて……耐えられません」
「……」デミアルは言葉に詰まった。
「デミアル、誓言は軽々しく扱うものではないのよ。本心でないことは口にしないでいいの」イゼシュラが心配そうに声をかけた。
「お、お兄様。まさか──」ソヴリネが口をつぐむ兄を見て色めき立つ。
「違う!」と、デミアル。
「私はアニエ・チャリンドに求婚したりしない」
「信じてよろしいのですね?」
「誓う、ノールドルストム子爵として」
一方、チャリンド邸では、アニエが泣きそうな顔でミュリエラに謝っていた。
「ごめんなさい、ミュリエラ様」
アニエの手には金鎖の切れたビブリオティカがある。
「大切なものなのに、私、壊しちゃって……」
「気になさるな。形あるものはいずれ崩れるものゆえ」
この件に関しては、ミュリエラが魔法で自ら壊したので、気に病ませてしまってむしろ謝りたいのはミュリエラの方であった。
「お守りと申したであろう。この品は……そう、悪しき出来事の身代わりになって壊れる呪いの道具だったのじゃ。おそらく、なにか悪いことが起こっていたに相違ない。立派に役立ってわらわも嬉しく思うておるゆえ、心安らかにあられよ」
「べつの悪運を呼び込んでしまったようですけど」と、これはコリノ。
アニエとデミアルの「噂」は効果てきめんであった。
連日、チャリンド邸に押しかけていた求婚候補者たちの姿は嘘のように消え去り、代わりに裕福で知られるチャリンド家の「婚礼」の特需を見込んだ職人や商人がお伺いを立てに来るようになる有様であった。
特別仕様の馬車を売り込もうとする馬車工房もあったし、新郎新婦の新居を取りそろえて訪れた不動産屋もあった。宝石商として名を馳せたチャリンド家には名うての宝飾工房と繋がりがあり、彼らはクロード・チャリンド氏の愛娘の結婚式を職人として名を上げる一世一代のチャンスと捉え、親方たちも足繁く挨拶に通う。「婚礼衣装はもちろん、当方にお任せくださいますよね?」と、これはルドラルフ夫人の言である。
一方、この状況に戸惑いを隠せていないのがチャリンド夫妻であった。
「そりゃ、子爵家と和解するに越したことはないが……」クロードの表情は渋い。
「この世に二つとない大粒のルビーを渡してまで贖おうとは思ってない。姻戚の相手としては子爵家は申し分ないが……子爵閣下は、うちのアニエになんのつもりで懸想しているんだ? そんなに簡単に、宿敵の娘を娶ろうなんて考えられるものなのか?」
ぶつぶつ言いながら居間を行ったり来たりするクロード。
そして、はっと気づいたような顔をする。
「まさか──アニエをたぶらかして復讐しようなんて考えてるんじゃ──?」
「まあ、あなた。さすがに考えすぎですよ」と、ジゼ。
「でも、きみ。ぼくたちの娘のことだ。考えすぎるくらい考えて当たり前だろう」
「私は……アニエの気持ちを尊重したいと考えています」
ジゼはアニエに向き直った。
「アニエ。正直におっしゃいなさい。あなたは子爵閣下に恋をしてるの?」
「えっ。そんな……結婚はお父様とお母様が決めることでしょ」
「これはとても大切なことなのよ。愛のない結びつきから始まる結婚は、決して幸福になるとは限らない。あなたは子爵閣下をどう思っているの?」
「どうって……」
長椅子に座ったアニエは視線を宙に泳がせ、これまでのことを思い出した。
「海軍の制服は立派かなって思ったわ。埃ひとつ付いてないの。よっぽど手入れが行き届いてるのね。靴もぴかぴかだった。お船に乗ってる人って髭が生えてるんだと思ってたけどそんなこと全然ないの。あと、背が高いのよね。私より高いのよ。背筋がこう、ぴーんとしてて、目立ってた。お顔もぜんぜん船乗りっぽくなくて、鼻筋が通ってたわね。ノールドルストムのお嬢様にちょっと意地悪されかけたんだけど、それを防いでくれて……優しいかなって。軍人さんは乱暴って聞いてたけどちっともそんな感じじゃなかったし……お花も好きそうだったし……」
デミアルの印象を語るアニエの様子に、チャリンド夫妻は顔を見合わせる。
クロードはため息をつき、言った。
「……アニエ……私のダイヤモンドよ。そこまで言うなら仕方がない。大変だが、認めるしかないだろう」
「おめでとうを言わせていただいていいですか、姉上」と、コリノ。
この言葉にアニエは仰天し、長椅子から立ち上がる。勢いでカップから珈琲がこぼれかけたので、後ろからリリが何も言わず手を伸ばし、素早くそれを抑えた。
「えっ!? なに言ってるの!? どうして!? ちがうちがう! そうじゃない! 子爵ったら、ひどいのよ! ティネさんと私のこと悪く言うし! 妹さまのことも好きじゃないみたいだし! そんな人ありえないんだから! お父様、もしあの人が求婚を許可してくださいって言ってきても、ぜったい追い返してね!」
態度を百八十度変えた娘の言に、クロードはあっけにとられた。
ミュリエラは、目の前で予定調和の即興喜劇を見せられているような気分になりながらも、どう助言したものかと思い悩んでいた。
なにせ、ビブリオティカを通じてすべてを見ていたミュリエラも、あのテルフェリ邸で何がどうなっていたのか、よくわからない。
「(認めるのは癪じゃが、わらわはこの時代の色恋に疎すぎるのう……)」
『もとの時代であれば、お詳しいので?』
ミュリエラは無言でビブリオティカをひじ掛けに叩きつけた。
居間での「家族会議」がひと段落したので、ミュリエラは図書室へ向かった。
確か、この時間はドリアスが在室しているはずである。どうしても彼に確かめたいことがあったのだ。
「エルフのことを尋ねたいのじゃ」
『エルフ……でございますか』
「うむ。先ほど、居間ではリリ殿は何も言わず取り澄ましてアニエ嬢の後ろに控えておったであろう」
『使用人ですからね』
「テルフェリ邸の屋根の上で、何やら様子を窺っておったことをおくびにも出しておらぬ。リリ殿は──いや、エルフたちは一体なにを考えておるのじゃ? わらわにはまだ知らぬことがあると見た」
『ドリアス氏がそれを知っていると?』
「事が事ならば、チャリンド家やエルフの使用人たちに直接聞くわけにもいかぬ。彼らは当事者じゃからの。その点、家庭教師という立場は、微妙なものじゃ。主家に完全に属しておるわけでもなく、一定の独立性を保っているように見受けられる。ましてや、ドワーフじゃ。違った見方をしておるやもしれぬ」
果たしてドリアスは図書室にいた。
調べものをしていたと思われるドリアスは、ミュリエラの姿を見ると立ち上がり、一礼する。「伯爵夫人様」
ミュリエラは頭を下げて知識人への敬意を表し、目的の質問を切り出した。
「ドリアス師よ。卑妾にお教え賜りたく、まかりこし申した」
「ほう。なんでしょう」
「この国のエルフの習俗についてじゃ」
エルフと聞いてドリアスは顔をややしかめる。
「エルフのことをドワーフにお尋ねなさいますか?」
「仕える者と仕えられる者、そのどちらでもない者だからこそ、分かることもあるというもの」
「ふむ……私でよければ」
「この館の……、否、この国のエルフという種族は、何を思うて主人に仕えておるのでしょうや?」
この言葉にドリアスは片眉を上げた。
「……意外でございますな」
「なんと?」
「伯爵夫人様の侍女どの、確か、人間族であられたはずでは」
ビブリンのことだ。
「さよう」
ミュリエラの返事を聞いて、ドリアスは答える。「だからです」
「申し訳ござらぬ、師よ。わらわはメーノンの風習にまだ疎いのじゃ」
「失礼、伯爵夫人様。お分かりの上でのことかと思っていたのです。身分ある方が侍女のごとき上級使用人にエルフでなく人間を選ぶ場合は、おおかた、あのことを鑑みてのことでございますゆえ」
「あのこと──とは?」
ドリアスは無言で図書室の扉へ向かうと、外をうかがった。
聞き耳を立てる者がいないか確かめているのだ。
そして、扉を閉めてから、言った。
「この国のエルフは主人に仕えているわけではないのです」
「……なんと申された?」
「私に相談なされた理由が分かりました。ことがことだけに、外国の方は聞きづらいでしょう。問われた方も答えるとは限りませんし。ただ、私も詳しくはないのですが……お伝えしましょう。“ゲルダーウルム事件”について」
【お知らせ】
更新ペースですが、1週間に1~2回を目指してまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
ea 【名詞】誓い、誓いの言葉、誓言
vafftan 【名詞】馬車工房、カロッツェリア。馬車 vaff に業務や製品を扱う場所を表す接尾辞 -tan がついたもの
日本語:
われ誓う、ノールドルストム子爵として、其をなさん
メーノン語:
ire ean, tal le valglaf nóldolstom, lan ire loval.
ean 【動詞】誓う
tal 【前置詞】(構成や状態や性質における)~として
lan 【代名詞】それ
loval 【助動詞】します、でしょう、未来の推測、まだ実行していないが予定を立てるつもりの未来
nóldolstom 【固有名詞】家名。ノールドルストム。「北方の低地の町」という意味




