第31話
ビルニ・ローム・グルーロクがその傍を離れたデミアルのもとには、またたくまに期待に目を輝かせた令嬢たちが押し寄せ、口々に自己紹介をし始めた。
いまいましいことに、ビルニの予言通りである。
デミアルは微笑んで彼女たちと丁重に会話しながら、アニエ・チャリンドの方へと歩みを進めていった。
「アニエ・チャリンド嬢」
呼びかけると、アニエが振り向く。
「ノールドルストム子爵閣下」
少女が一礼した。
デミアルも背筋を正し、軍人らしくかしこまると、短く礼をする。
「先ほどは不躾なところをお見せしました」
「いいえ、とんでもございません」と、アニエは微笑む。
「閣下はお優しい方ですね」
ソヴリネの毒舌の機先を制して、いなしたことを言っているのだ。
デミアルはこれから自分が彼女にすることを考えて、少し胸が痛んだ。
「実は、ソヴリネが貴女への態度を改めたがっておりまして」
「まあ、妹さまが?」
「悔やんでおります。それで、貴女とお話しがしたいと。人目のない場所で」
デミアルはビルニとの打ち合わせ通り、玄関の反対側の回廊の部屋を示した。
「あそこでお待ち申し上げるそうです」
はっきり言って、怪しい申し出だ。自分なら受けない。
手ひどい侮辱を投げかけた相手が、急に改心して仲良くなりたいなどと言い出すとは考えにくい。
なにより、人目のない場所というのがとにかく胡散臭い。
上流階級の常識で考えれば、そんな所へのこのこ出かけていったら何をされるか分からない。いじめっ子の貴族グループが大勢で待ち受けていて、ひどく虐げられるのがおちだ。少なくとも、一人で向かってはならない。
「(アニエ・チャリンド。気づくんだ)」
「わかりました。お知らせ感謝いたします。すぐ参りますので」
デミアルの目の前の少女は一礼すると、なんの迷いもなく回廊を通って部屋へ向かおうとした。
「(えっ!? 嘘だろう!?)」
その様子に度肝を抜かれたデミアルは慌ててアニエを引き留める。
「お待ちください」
「はい?」
「……その……何と申しますか……兄の私が言うのもなんですが、妹はいつも本心を打ち明けるとは限らないのです。お考えとは違う結果になるかもしれません」
ましてや、今回はその妹の申し出というのすら虚偽なのだ。
──さあ、どうだ。ここまで言えば察するだろう……。
アニエは微笑んで、首を振って答えた。
「閣下。私は疑って人を裏切るよりも、信じて裏切られる方が楽なんです」
デミアル・ローム・ノールドルストムは衝撃を受け、その場から去るアニエを見送って立ちすくんだ。
ビブリオティカを通じて、ミュリエラはその会話を聞いた。
「いや、解せぬのう。ソヴリネ嬢がそのようなことを考えるとは……?」
兄のデミアルの言葉は、明らかに何かを示唆していた。
「ビブよ。万が一、アニエ嬢に危機の迫りし折には、動いてもらいたい。おぬしの判断で“ビブリン”となる許可を与える」
『危機と言われますと、ソヴリネ嬢がアニエ嬢を手ひどく扱うような?』
「ああ、まあ、それも心配のうちじゃが……良家の子女がやりあうくらいでは危機とは言えぬ。貞操と純潔に関わるようなことよ。さすがに座視はできぬ」
『座視と申しますと、興味深い方がひとり……』
「む? なんじゃ?」
『像をお送りします』と、ビブリオティカはその視野をミュリエラへ送信した。
中庭から見上げた、テルフェリ邸の屋根の映像がミュリエラの脳裏に浮かぶ。
そこには、チャリンド家のメイド──リリがいた。
「……なんと」
リリは、ドレスやメイド服ではない、男性のような身軽な服装で、屋根の上から中庭を窺っていたのである。
「なんということじゃ。リリ殿は忍びの者であったか?」
『彼女だけではございませんね』
他にも、何人かエルフの姿が見える。
「チャリンド家はあのような形でアニエ嬢を護衛するつもりか」
『とも限りません、ミュリエラ様。あれらのエルフは、チャリンド邸にて見かけた使用人のエルフたちの顔とまったく一致しません。おそらく、他家の者です』
しかも驚いたことに、リリはその他家の者たちと言葉を交わしてもいた。
「……どういうことじゃ? あの者たちは何をしておるのじゃ?」
ティネ・クライオティケ・ローム・テルフェリは、自分の遠縁にあたるビルニが人目を避けるように「曙光の間」へ入っていくのを目撃した。
曙光の間とは、中庭を挟んで玄関の向かい側にある部屋で、朝に日が差し込んで明るくなることから名づけられた。ドアはなく、中庭を愛でるための四阿のような機能を持っている。
昼下がりにあたるこの時間帯では日光が差さないため、内部から中庭を見ることはできるが、外から曙光の間を窺うことはできない。
そんな場所にビルニが入っていくのをティネは訝しんだ。
グルーロク家は、ティネの曽祖父の妹が嫁いだ先の家であり、その縁でビルニもよくテルフェリ邸に顔を出していた。ゆえにあの場所はよく知っているはずだ。
……日光に輝く花畑を眺めて愛する感性を、あのビルニが持っているだろうか?
ティネはビルニに良い印象を持っていない。
というより、グルーロク家がそうだ。特にビルニの父親は最悪で、悪徳を煮凝りにして染み出た不行状で固めたような人物だ。紋章院の門番というお役目を担っているだけに縁を切るに切れず、自分の父親のテルフェリ男爵は、グルーロク家との付き合い方に頭を悩ませていた。
「ティネ様。ちょっとよろしいかしら?」
呼ばれて振り向くと、ソヴリネ・ローム・ノールドルストムがいた。
「あら、ソヴリネ嬢。楽しんでいらっしゃいますか」
「ええ、おかげさまで。この時間帯の水仙は映えますね」
「ノールドルストム子爵閣下とご一緒ではありませんでしたか?」
「そうですね……兄はあの通りですので」
ソヴリネがちらりと目線で示す先には、デミアルが二、三人の令嬢たちに囲まれている姿が見えた。
「少し、ご相談申し上げたいのですが」とソヴリネが声をひそめる。
「なんでしょう」
「……その、できることなら避けたいお方がおりますの」
「まあ。どなた?」
「貴家のご縁者にあたるお方なのですが……あの……」
それから先は言われなくともわかる。
「なるほど。それで」
「兄があの状態ですので。しばらく身を潜められる場所はございませんか」
ティネは、新しくできた友人──アニエを、目の前の人物が悪辣に扱っていたことを思い出し、友の代わりにちょっとやりこめてやりたくなった。
「それでしたら、曙光の間がよろしいこと。ほら、ここから見える、あそこでございます。しかも眺めが良いんです。この時間でしたら、ちょうどあの部屋には光が差しませんので、まるで洞窟の中から光り輝く花畑を眺めている気分になれます。お茶をするのに適してますのよ」
──その特性のため、密会にも使えるのだが。
「ありがとうございます。機を見て、向かいますわ」ソヴリネは礼を述べると、ティネの前から辞した。
ソヴリネの後ろ姿を見送りながら、ティネはさらに意地悪を思いつく。
……もし、曙光の間でビルニとソヴリネが気まずい対面をしているところに、人々が出くわしたらどうなることだろう?
デミアルはアニエとの短い会話を済ませると、また別の令嬢たちに囲まれた。
彼女たちは口々にデミアルの海軍の制服姿を誉めそやし、海尉の階級がいかに名誉あるものであるか、それを自分がどれほど評価しているかを口々に語る。そして、日々、刺繍や音楽やダンスといった女性の嗜みの修養に努めていると訴え、自分を子爵夫人として選んだ場合の未来をデミアルに想像させようとした。
もちろんデミアルとて、ノールドルストム家の当主として、いずれ妻を選ばねばならぬことはわかっている。
だがデミアルは、ノールドルストムは名誉を失っている状態と考えていた。
その名誉を取り戻す前に結婚する気はなかった。せめて艦長になり、武勲を上げ、家の紋章に船の錨のひとつでも描き加えてからでないと気がすまない。
目の前にいる女性たちは、そんな我が家の未来の名誉をともに目指す苦労を分かち合う覚悟を持ってくれるだろうか。とにかく彼女たちは自分の「子爵」の爵位、「海尉」の階級しか見えていない。未来でなく、今しか見ていないように感じた。
ふとデミアルは、アニエ・チャリンドがこのようなことをいっさい口にしていなかったのに思い至った。
「なんてばかなんだ」と、デミアルはつぶやく。
「……はい?」
デミアルを囲む令嬢たちが首をかしげる。
「いや失礼。自分のことです。それより、人を待たせているのを思い出しまして」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
valglaflin 【名詞】子爵夫人




