第29話
テルフェリ男爵家の邸宅は王都カールッドでも珍しい作りになっている。
正方形の敷地ほぼいっぱいに隙間なく建物が詰められていて庭が無く、その外観はなんともエレガントに欠ける。ところが、そのぶん中庭が大きく作られており、建物の部屋のどこからでも中庭を眺めることができるのだ。
この建築様式はすでに滅びて久しい古代帝国のものだという。
そしてこの中庭は、泉を利用した池と、水仙の花畑を美しくあしらっていることで名高く、外からは窺い知れないのも相まって、神秘性を高めているのだった。
アニエ・チャリンドは、馬車から降りてテルフェリ邸に足を踏み入れる。
付き添いはない。
今日の招待は、舞踏会や祝賀会などのフォーマルな場でも、市井の商店を訪れる外出でもなく、同年代の若者たちの私的な集まりという建前であった。そのため、子女の行動を監督する付き添い人はない。令嬢たちにとっては束縛されない自由を味わう貴重な機会であったが、すべてのリスクを単身で背負う必要があった。
だが、アニエ・チャリンドはその点、本人が知らずと言えど不正をしている。
アニエの首には、装飾品の状態になったビブリオティカが掛けられていたのだ。
「……アニエ嬢、お守りじゃ。わらわと思うて持っていってくれぬか」と、ミュリエラは前夜、ビブリオティカの持参をアニエに勧めていた。
「これって、ミュリエラ様の大事なものなんですよね」
「さよう。良縁を引き寄せる幸運のしるしじゃよ」
そしてミュリエラは、テルフェリ邸近くの路地に馬車を停め、中でじっと精神を集中している。
「……ビブよ。わが意思は伝わっておるか」
『はい、ミュリエラ様。精神感応は良好です』
「この距離ならば、なんとか意思疎通が可能なようじゃの」
『魔力の豊富な時代でしたら、街一つ間に挟んでもやり取りできたものですが……』
アニエは中庭に通じるエントランスでテルフェリ男爵家のティネに迎えられる。
「チャリンドさんですね。本日はようこそお越しくださいました」
「本日はお招きいただき、お礼申し上げます」と、アニエが応じる。
ビブリオティカの思念を通じて、ティネの顔がミュリエラの心に像を結ぶ。
美しい、……とは言えぬ容貌だった。
丸い輪郭には愛嬌があるが、目が小さく、にきびも浮かんでいる。ドレスは手がかかっているようだが、もちろんふくらみ袖ではない。それにも増して残念なのは黒色とも茶色ともつかぬ髪の毛で、ちぢれ毛なうえに艶もない。
それに対し、アニエはまさしく最新モードのドレスを着用している。
これは手持ちのドレスをルドラルフ夫人に改造してもらったもので、ミュリエラのものを除けば、カールッドではまだ世に出ていないふくらみ袖のドレスである。
このドレスを着たアニエが現れるや、すでにテルフェリ邸に到着していた令嬢たちがアニエを囲み、次々と挨拶し始めたのだった。
「さて、皆さま。チャリンドさんもいらっしゃったことですし、当家自慢の水仙をご覧になっていただこうかと──」
ティネが呼びかけるが、声はか細く消える。令嬢たちはみな、アニエのドレスの秘密を探るのに必死なのだ。
その様を見て、エントランスを見下ろす吹き抜けの二階では、若い男性貴族たちが憫笑を隠さない。身分の低いゲストに主役を奪われたホストを哀れんでいるのだった。
『──と、まあ、そういった状況でございます、ミュリエラ様』
「アニエ嬢の晴れ舞台は嬉しいところじゃが、ティネ嬢も気の毒じゃのう」
テルフェリ家の従僕が中庭への扉を重々しく開け、その音でようやく一同が注意をアニエからそらす。
令嬢たちが中庭へ向かうと、男性陣もエントランスに降りてそれに続く。
ここでついに、複数の未婚の男女たちが交錯する。女性たちにとって、アニエのドレスも興味の的だが、そもそもの目的は殿方を射止めることだ。令嬢たちの興味はすみやかにアニエから将来の夫候補たちへと移り、結果的にアニエの周囲には人がいないタイミングができた。
と、その隙を突くかのように──
ティネがアニエに近寄り、そっと声をかけた。
「チャリンドさん。中庭で水仙を見るより、もっといい場所があるんですよ」
「もっといい場所……ですか?」
「二階です。色とりどりの水仙を上から眺めると絵柄に見えるんですよ」
「わあ。是非、お願いします」
『ミュリエラ様。お二人は、二階の──、へ向かっ──』
「……? ビブ? どうした?」
『──を、──とのこと──で、の──』
「聞こえぬぞ、ビブよ」
ミュリエラはここで、精神感応の弱点を見いだした。どうやら、横の方向に念波が届く距離でも、上下でずれると弱くなるらしい。
「しまった……壁を上るわけにもいかぬし……」
ティネは階段を上り、中庭を見下ろす一室にアニエを案内した。
そこは使われていない客室らしく、大部分の家具に埃よけの布がかぶせてある。
窓際に椅子が二脚、置いてあった。
そこに向かってティネはつかつかと歩み寄ると、椅子を掴んで引き寄せ、どかっと腰を下ろす。そして、それまでの気弱な様子とは似ても似つかぬ様子で言い放つのだった。
「さて、ここなら誰もいないわ。チャリンドさん、話をしましょ」
「え? お話、ですか?」
「単刀直入に言うわ。そのドレス、どうやったら手に入る?」
「はい、ルドラルフ夫人のお店に行けばいいですよ」
「それは知ってる。うちだってもう、発注かけてるもの。私が知りたいのは、それを誰よりも早く手に入れる方法」
「ええと……お金をいっぱい払うとか……ルドラルフ夫人に頼むとか……」
「あー、じれったいわね。つまり、その貴女のドレスメーカーに口利きして欲しいのよ。他家の注文よりうちを優先させるようにね。私は貴女みたいに顔がよくないから、せめてドレスで差をつけるしかないってわけ」
「えっ、そんな──」
「お世辞も謙遜も無用!」と、ティネはぴしゃりと言う。
「それと、哀れみもね。さっきのエントランスの様子、見たでしょ? 貴女は注目を集めるけど、私はそうじゃないんだから。貴女は何が欲しいの? 取り引きよ」
「ええと……欲しいものはないですね」
「ふん、交渉するつもりはないってわけね」ティネが不満げに口をゆがめる。
「でも、それでしたら、私からルドラルフ夫人に言っておきますよ。ティネさんのドレスを早く仕上げてくれないかって」
この言葉にティネが目を丸くする。
「え、ちょっと待って。今なんて?」
「ルドラルフ夫人に言えばいいんですよね。わかりました、任せてください」
「いや、意味が分からないんだけど。貴女、タダで口利きしてくれるってこと?」
戸惑うティネをよそに、アニエは窓から中庭を見渡す。
泉を中心に色とりどりの水仙が大きな花模様を描いていた。それを縫うように、若い男女が行き交い、談笑している。
「わあ! 本当に綺麗! あ、もしかしたら、これをルドラルフ夫人に見せたら、刺繍の意匠に使ってくれるかも」
「……もしかしてなんだけど。貴女、言われたら誰にでもドレスメーカーに口利きしてやるつもりなの?」
「? そうですけど?」
なぜそんなことを聞くのかと言わんばかりのアニエの表情に、ティネは大きく息を吸い込んで天を仰いだ。
「貴女みたいに能天気な娘が社交界で生きていけるとは思えないわね」
「……へへ。それ、弟によく言われるんですよ」
「ひとつ助言をしてあげるわ。今あなたが持ってるドレスは“希少価値”よ。簡単に手放しちゃダメ。私に対してもね」
「どうしてですか?」
「だって、結婚市場は競争なのよ、知ってるでしょ? 他の令嬢たちと差をつけなくちゃいけない。貴女はいま最新モードのドレスをたった一人で独占していて、皆を断然、引き離してるのよ?」
「でも、そのうちルドラルフ夫人以外のドレスメーカーも作り始めると思います」
「そりゃそうよ。でも、そうなるには少し間があく。その貴重なリードを自分から手放そうとしてるのよ、貴女は」
「そんな……こと、考えてなかったわ」
このアニエの答えに、ティネは肩を落とし、首を振る。
「……おぼこ娘から巻き上げるわけにもいかないわね」ティネは立ち上がった。
「いいわ、今回は諦める。せめて、他の令嬢にはむざむざと口利きしないようにお願いするくらいしか、できないわ」
この言葉に、アニエがにっこりと微笑んで返事をする。
「わかりました。他の皆さんには内緒にします。でも、テルフェリ男爵家のドレスだけは、私からルドラルフ夫人に頼んでおきますので」
「……貴女、人の話を聞いてたの?」
「ええ。聞いてました。だから皆さんには簡単に口利きしませんよ」
「だから意味が分からないっての。代金も受け取らず、品物を引き渡すって?」
「貴女は私を初めて招待してくれた人なんです。それに、お披露目式でおっしゃったでしょう? 仲良くしましょうね、って。うれしかったんですよ」
ティネは言葉に詰まり、そしてしばらくして、言った。
「つまり……友達として、ってこと?」
「ええ、友達として!」
『──ミュ──様。聞こえ──か。今、お二人が下へ降りて──』
「ビブ? ビブか? ようやく繋がったのう」
『ええ、そのようですね。なかなか興味深い展開になっております。とりあえずはご覧ください』
ビブリオティカが思念を通じて周囲の像を送信する。
そこには、ミュリエラですら見たことのない、明るい笑顔でティネと談笑するアニエの姿があった。
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
imglad 【名詞】建物に囲まれた中庭
elsk 【名詞】赤ん坊、赤ちゃん、世間知らず




