表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/56

第28話

「なんてことだ、ご不快にさせてまことに申し訳ない」

 グルーロク侯爵が去った後、地下階での顛末を聞いてライエンテン子爵はミュリエラに詫びた。

「ご交友に口出しするつもりは毛頭ありませぬが」と、ミュリエラ。

友垣(ともがき)となさるに値する方とは思えませぬ」

「普段はあまり接点のない人なんですよ」ライエンテンは弁解するように言った。

「グルーロク家は紋章院の門番──つまり、護衛官の家柄なんです。見ての通り、私は主流派じゃありませんからね。保守派の彼と繋がりを作っておけば、なにかの役に立つかと……」

「保守派? 往古を重んじておるとは思えませぬな」

 去勢した男性に女装させて連れ歩く伝統が、この千年のあいだに確立されたとは、ミュリエラも考えたくはない。

「ある面においては、進歩的ではあります。少しは話が合うかと思ったのですが、他家の召使いを脅したり、酒を飲ませて潰そうとするとなると別だ」

「その(くだん)のメイドの娘じゃが、よしなにお願い申し上げまする」

 ライエンテンはうなずいた。

「うちの労働環境は公正で通ってるんです。クビにはしません」


 その日、ミュリエラは、ライエンテン家で来客と交流して人脈を広げることに専念した。しかし彼らは政界や社交界における有力者というより、芸術家肌のライエンテンの取り巻きといったところで、退廃的な跳ねっ返り者が多かった。興味深い人々ではあるが、女王(ギュネヴィア)に近づく助けにはなりそうにない。むしろ深入りして彼らと同類に思われても、目的からは遠ざかる結果になるだろう。

 だが、ライエンテンはなかなか話のわかる男に思えた。ミュリエラは頭の中で、信用できる者のリストに彼の名を書き加えた。


 ミュリエラはその夜、チャリンド家の食卓でライエンテン家での顛末を披露した。ただし、アニエはともかくコリノが同席している以上、刺激の強い部分を話すのは差し控えた。そもそも、せっかくのシャルコの料理が美味くなるような話ではない。


「侯爵はご子息とアニエ嬢の縁談に興味がおありの様子」と、ミュリエラ。

「……ただ、わらわの見たところ、あまりよい(えにし)とは思えませぬが」

「侯爵のことは聞いています。噂は(かんば)しくありません」クロードがうなずく。

「ですが、侯爵さまですからね。しかも紋章院の門番だ」

「メーノンの紋章院の守り役とは、それほどまでに位が高うございますかや?」

「あくまで慣習的なものなのですが」と、ジゼが言う。

「紋章院への出入りを管理するという立場上、新しい紋章の認可に影響力を持っていると言われています」

 紋章院はミュリエラの時代には存在しなかった組織だ。

 王家はもとより、貴族の紋章の意匠を管理するほか、認可の権限も持っており、それが転じて貴族の「籍」を管理する役所になっているのだという。

「……つまり、うちの叙爵は、侯爵のご機嫌にかかっているかもしれないのです」

 クロードのこの言葉に、アニエが反応した。

「お父様は、私と侯爵閣下のご子息が結婚すればいいと思ってる?」

「爵位は充分ですね」コリノが感想を述べる。

「侯爵夫人になれるのはすごいけど……でも……」

「なれませんよ、姉上。縁談を持ってきているのは次男ですから」

 ミュリエラは、お披露目式で名刺を受け取ったグルーロク侯爵の次男の顔を思い出してみた。ぱっとした印象は残っていない。

 クロードが食事の手を止めて言った。

「お前がなるべく高い爵位の家に嫁げればいいと思ってるよ、アニエ。だが、私はカールッドでも最高のダイヤモンドを、それにふさわしくない者へ渡す気はない」


 そのころ、グルーロク侯爵の次男ビルニは、ノールドルストム子爵邸にいた。

 デミアル・ローム・ノールドルストム子爵はこの日、海軍の上司達を夕食に招いており、その中には海軍の実力者、グルーロク侯爵の長男すなわち次代の侯爵たるカウド・ローム・グルーロク第四海戦卿が含まれていた。

 カウドは女王陛下から「お言葉」をいただいたソヴリネの噂を聞き、同じ年頃の弟と引き合わせようとしていたのだ。


「……それで、ぼくは言ってやりましてね。父上、大切なのは(ブローノ)じゃありません、時間(クローノ)です、ってね」

 食卓でビルニがくすくすと笑う。

 デミアルには、今の話のどこが面白いのかわからなかった──いや、(ブローノ)時間(クローノ)をかけているのはわかるが、父親のグルーロク卿が庭の花を踏み潰したのを庭師のせいにしていたという話の流れで、なぜ時間(クローノ)が出てくるのかがわからない。しかし、ビルニには気の利いた冗談に思えたらしい。

 デミアルは会席者の表情をうかがって様子を探ったが、ビルニの冗談の笑いどころを理解している者は一人もいないようだった。


 ビルニの横に座っているカウド・ローム・グルーロク第四海戦卿は、表情一つ変えずに前菜の鶏肉と野菜のチャウダーを食っている。議会から予算を引っ張ってくるのがうまいので海軍司令部で重宝されているが、海の上での能力はたかが知れているらしい。弟の内容のないおしゃべりには慣れているようで、反応もない。


 さらにビルニを挟んで並んでいるのがデミアルの直属の上司、快速巡航艦リアスタン号の艦長マガフスだ。マガフスは平民出の叩き上げの人物だが、乗組員へ必要以上に苛烈な態度を取らねば舐められると思い込んでおり、デミアルは間に入って部下への過度な懲罰をなんとか防ごうと板挟みになっていた。そんな彼が、貴族の食卓に招かれて、デミアルのような生粋の貴族にも笑いどころのわからないビルニの冗談に対して必死に「わかったふり」をしてひきつった笑いを浮かべているほうがよほど可笑しかった。


 そしてデミアルの隣、ビルニと向かい合った席に座っているのが妹のソヴリネだが、こちらはよく訓練された微笑みの仮面をかぶっている。彼女は本当におかしい時にはうつむいて笑うのだ。相手の顔を見てにこにこしているのは、笑っていない証拠だ。


 祖母のイゼシュラは「最近の若者の話はわからない」ふりをして、冗談のつまらなさから目をそむけている。うまいやり方だ。


 ビルニ・ローム・グルーロクは、見た目は驚くほど印象に残らない風貌なのに、ひとたび口を開けばその無駄口の多さと会話のつまらなさで強く印象に残るという、奇異な才能の持ち主であった。


 主菜の豚ロースのはちみつソースがけが食卓に並べられ始める。

 このメニューは、経済状況の苦しいノールドルストム家にあって、急遽、腕のよい料理人を臨時に雇い入れて作らせたものだ。


「さあ、皆さん、お召し上がりくださいな」と、イゼシュラが言う。

「この皿は先代のノールドルストム子爵の好物だったものでございますよ」

「とても美味しそうです、奥様」マガフス艦長が精いっぱいの社交辞令を言う。

「海の上では肉は貴重だからな。艦長、腹いっぱい食わせてもらおう。子爵、君も豚は好きか」と、カウドがデミアルに水を向ける。

「ええ、もちろん」デミアルが応える。「豚は育てやすい。大きなふねともなれば艦上で育てて食料にすることもありま──」

 デミアルの言葉を突然、ビルニが遮る。

「ああ、思い出した! 豚はなんでも食べるので田舎では便所の掃除をさせているそうですよ」と、またくすくす笑う。

 マガフス艦長がぎょっとして目をむく。デミアルには彼の心中が手に取るように分かった。

「(誤解するなよ、マガフス。食事中に便所の話をするのは貴族の習慣じゃない。ついでに、人の発言を遮るのも)」

 ビルニの言葉は聞こえなかったふりをして、カウドは話題を変える。

「……そういえば、ソヴリネ嬢は陛下からどんな“お言葉”を頂いたのかな」

「はい、陛下からは、もったいなくも──」

「ああ! 思い出した! そういえば、豚は人の言葉を理解するそうですよ」

 デミアルは心の中で「助けてくれ」と叫んだ。


 客を玄関から送り出した後、デミアルは妹の顔を見るのが少し怖かった。

 あのつまらない上に不躾ですらある青年は、帰り際、ソヴリネに対し、こともあろうに「ぼくたち、気が合いそうですね」と挨拶して去っていったのだった。

 とにかく、何か声をかけなければならない。

「侯爵の次男どのは、お前が気に入ったようだが」と、デミアル。

「……お兄様。正気ですか? あの方を義弟になさりたいの?」

「正直言って、あまりいいアイデアじゃない。だが弱ったな。向こうは乗り気だ」

「助けてください、お兄様!」

「縁談を申し込まれても、断ればいいんだろう。わかった、約束する」

「いいえ、それだけじゃないんです」ソヴリネは首を振る。

「テルフェリ男爵家のお庭で、水仙の花を観る会にお呼ばれしてるんです。テルフェリはグルーロクの遠縁です。あの人も来ます!」

 ソヴリネはあの常識知らずの男が、ソヴリネと何か約束を交わしているかのようなことを言いふらすのではないかと心配しているのだ。

 デミアルは大きく息を吸って、言った。

「わかった、ソヴリネ。その会へ一緒に行こう。兄が妹をエスコートするのはごく自然なことだから」


 チャリンド家の居間では、アニエが招待状をひらひらと宙にかざして有頂天になっている。

「ご招待……ご招待されたあ!」

 アニエが喜ぶのも無理はなかった。

 上流階級ではまだ人脈に乏しいチャリンド家で、「伯爵夫人(グラフリン)」であるミュリエラはともかく、アニエが同年代の貴族の娘の催しにお呼ばれするのは意味があった。

 つまり、アニエは「同輩」として認められ始めているのだ。

「ルドラルフ夫人のドレスの霊験あらたかといったところかの」

「ミュリエラ様にもお礼を言いますね。ミュリエラ様がいなかったら、あの袖(パフニメール)は生まれなかったんですから」

「この催しは、主に未婚者を集めて親睦を深めるものだそうです」と、ジゼ。

「私的な集まりの範疇ですから、付き添いもありません……アニエ、大丈夫?」

「もう子供じゃないんだし、任せてよ」

 アニエがむくれる。

「まあ、人間、いつかは独り立ちするものよ……ところで、どちらの貴族家にお呼ばれしておるのかや?」

 アニエはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、にこにこしながら答えた。


「テルフェリ男爵家ですよ、ミュリエラ様。こないだのお披露目式で、ご令嬢のティネさんにお友達になりましょうって言われたの」

読まなくてもいい作中のメーノン語の解説


blóno 【名詞】花

klóno 【名詞】時間

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ