第27話
その日の昼下がり、ミュリエラは侍女とともにライエンテン子爵邸を訪れた。
馬車から降り、扉をノックし、顔を出したエルフの従僕に名を告げて、中へと案内される。
エントランスホールでさっそく、ライエンテン子爵が両手を広げて迎えに出た。
「ついにきてくれましたね、伯爵夫人!」と、子爵は喜びを隠そうともしない。
「度重なるお誘いをお断りして大変申し訳ありませぬ」
「とんでもない。それにしても、今日のお召し物も素晴らしいですね」
ミュリエラは例の「魔女の帽子」を被り、深い青のベルベットと最小限の白のレースを用いたドレスを着ている。スタイルはもちろん、話題の「ふくらみ袖」だ。
ルドラルフ夫人の店から始まったこの新モードは王都の女性たちの心をいち早くつかみ、夫人の元には注文が殺到していた。が、ルドラルフ夫人は、着想を生んだ恩人であるミュリエラのこのドレスを、最優先の急ぎ仕事で請け負ってくれた。
つまり、このドレスは、プロトタイプにしてパイオニアであるアニエのドレスを除けば、王都カールッドで最初に出現した「最新流行」である。
真新しいベルベットの綾織りは動くたびに輝きと暗さのグラデーションを見せ、たゆたう水面のように見る者を惑わす。刺繍はあえてほとんど用いられていない。アクセントとしての白のレースは波しぶきを思わせて、全体として海をイメージさせる、シンプルだが上品な仕上がりだった。
「古くさい刺繍を止めて、配色とシルエットで魅せているのですね。革新的だ。それでこそ、われらの“魔女”さまだ」
「その点では、そこもとのご新居と同じであろうかの」
「さすが、お目が高い。そうなんですよ」
ライエンテン子爵の新居の内装は、ミュリエラも見慣れたこの時代の贅を尽くした華美な装飾を廃し、直線を多用した幾何学的な意匠で統一されていた。
贅を尽くすとは飾り立てることに他ならないという意識から脱却し、清貧とは違うすっきりとした佇まいと思想性に、ミュリエラは素直に感心した。それに、ここまで装飾を廃してしまえば、あとはどれだけ漆喰をむらなく仕上げているかとか、床を磨き上げているかといった点が目立ってきてしまうはずであった。決して安普請などではないのが見てとれる。
「……とはいえ、家具類はまだまだ旧態依然としてますからね。これからですよ。さあ、皆がお待ちかねです、こちらへ」
ビブリン──人の姿のビブリオティカ──に帽子を預け、ミュリエラはパーティー会場になっている応接間へと案内された。ビブリンは別室の、召使いの待機場所へといざなわれる。
「(……良い機会じゃ、ビブ。ほどほどに人と交流しておきなさい)」
『かしこまりました、ミュリエラ様』
応接間はすでに多数の客人でひしめいている。
ミュリエラが足を踏み入れると、ライエンテンは手を叩いて客の注意を引いた。
「さあさ、者ども、約束通り、ついにお越しいただいたぞ!」
その頃、ビブリンは、地下階の使用人部屋へと案内されていた。
キッチンと隣接するこの部屋は、通常は屋敷の使用人たちの多目的ホールとして用いられるのだが、この日はパーティーの接待で使用人が駆り出されているため、客人の連れてきた従僕が宴のあいだ待機する場所となっているようだ。あくせくと働く屋敷の使用人たちを横目に、彼らは椅子に腰かけ、休息を楽しんでいた。
ビブリンの姿を見て、先客の一人が口笛を吹く。「こりゃすげぇ。別嬪さんだ」
待機中の従僕たちはエルフが中心だが、ちらほらと人間の姿も見える。
皆そろって、美男子ぞろいだ。しかし、文字通り「尋常ならぬ手段」で生み出されたビブリンの容姿は、エルフの基準から見ても群を抜く。
「侍女ってことは……あんたが例の伯爵夫人のお付きかい」
「はい、そうです。それにしても、男性ばかりですね」
「だろうね。お客で女性は伯爵夫人だけだよ」
「子爵の趣味が……まあ、そういうことだからね」
エルフの従僕たちがくすくすと笑いあう。
ビブリンには、それが何のことかよくわからない。
人間の従僕──彼もエルフに負けないくらいの美男子だ──が、テーブルにどんと酒瓶を置いて、にやりと笑う。
「お嬢さん。とりあえず、ゆっくり語り合いませんか」
ミュリエラは応接間を見渡した。客人は壮年か、若い男性がほとんどだ。
室内はほのかに煙っている。見れば、部屋にはいくつかの水の入った大きなガラス瓶が置いてあり、男性たちはそこから伸びる管に持参の吸い口を嵌め、なにやら煙を吸ってその香りをたしなんでいる。これは本で読んであらかじめ知っていた。水煙草という、男性に人気の新しい嗜好品だ。
興味がないわけではなかったが、漂ってくる香りからは、かつて危険な魔術でも用いられたある種の強い薬草を酩酊目的で混ぜて使っている気配がうかがえたので、ミュリエラは距離を取ることにした。
「(なるほど、こういった類の集まりか)」
「ライエンテン。そのご婦人が例の“魔女”か」
ほのかに酔いのまわった、野太い男の声がした。
見れば、でっぷりとした恰幅の良い貴族である。
「ああ、グルーロク侯爵閣下。その通り、こちらがグリューデン伯爵夫人だ。伯爵夫人、こちらはグルーロク侯爵。今日は貴女がお越しとのことで、たっての希望で参られたのですよ」
グルーロクの茶色の髪とヘーゼルの瞳、恰幅の良さはクロード・チャリンドとそっくりだったが、小柄だったクロードに対し、こちらは巨漢であった。その突き出た腹といい、だらしなく重なった顎の肉といい、栄養がよいというより不摂生の結果らしい。
ミュリエラは、お披露目式の場で受け取った名刺の中に、グルーロクの息子のものがあったのを思い出した。
「グルーロク侯爵閣下。お初にお目にかかりまする。閣下のお名前は、ご子息より伺っておりまするぞ」
「ああ、うちのせがれが名刺を渡したらしいな! あんたは確か、チャリンドの家に逗留してると聞いたが」
「さよう」
「あそこの娘はなかなかの上物と見たのでね。うちで貰い受けたく考えておるのだよ。身分からして多少、手荒く扱っても文句は出まい。親子二人で楽しめそうだ」
グルーロクは哄笑した。ミュリエラは一瞬、彼が何を言っているのか分からなかったが、意味を察して不快感を顔に出さないようにするのに大変な努力を要した。
「東方の諺に、将軍を射殺したいなら馬から殺せという言葉があるそうでな。だからあんたにまず名刺を渡させたのだよ」
「それはそれは。アニエ嬢ほどの娘御の乗馬と見られるのは光栄の至り」
このミュリエラの言葉を聞いてライエンテンがぴくりと眉を動かした。ライエンテンはミュリエラが“商人”の娘であるアニエに敬意を払っていること、さらには人を馬扱いするなという言外の非難が含まれていることを適切に察したのだ。
だが、グルーロクは意に介さない。
「どうかね、その乗り手をうちに変えるつもりはないかな」
「と、申されますと?」
「ベッドの場所を変えてはどうかなという意味だよ。よっぽどいい暮らしを保証しよう。気にするな、うちの妻は何もいいやせん」
その言葉を聞いてミュリエラは髪の毛が逆立つ思いがした。
──なんということじゃ! この男、わらわを誘惑……いや、商売女とでも思っておるのか!
ライエンテンが雰囲気を察し、すかさず口をはさんだ。
「まあ、立ち話も何ですし。カードでもいかが」
こういった貴族の集まりでは、よく賭博が行われるものである。
ミュリエラにとって、千年後の世界でのゲームは道具もルールも初めて触れるものであったが、ある程度は予習しておいたので難なく扱えた。特に、カードはかつて千年前には占いの木札だったものが原形になっているらしく、馴染みがあった。
それに、魔法の世界では常識である四亜神──ザウロン、ツニェル、ハルヴ、シャタームがカードの組となっているのも興味深い。
これらの四つの組にそれぞれ、1から7までの数字のカード、8から10までを表す絵札が属し、合計四十枚の紙札を構成している。
「神秘の存在が、今や手慰みの絵柄とはのう……」
「何か申されましたかな?」と、ライエンテン。
「いや、何も」
ゲームは数人のプレイヤーそれぞれに数枚の札を配り、順番に山札から一枚を引き、手札から一枚捨てて役を作るものだった。役が出来た時点で声をかけ、手札を公開する。が、その際に他のプレイヤーの手札にも役ができており、その合計点数が自分よりも上回っていると負けになるというルールだった。
安い役を作って素早く勝ちあがるか、強い役を待ってカウンターを狙うか。
ミュリエラは≪千里眼≫の魔法を用いて、勝ちすぎず負けすぎず、ほどほどに勝って金を得ることにした。市井のギャンブルと違い、こういった貴族の間での遊びでは賭け金は「信用取引」なのも都合がよい。なにせ、ミュリエラは実のところ、現金をまったく持ち合わせていないのだから。
「(それに、いつぞやのように、相手を逆上させても良くないからの……)」
だが、それでも、グルーロクから「巻き上げる」ことだけは抑えられなかった。
グルーロクは上手くいかないゲームにいらつき、女性の客人を呼び寄せて跪かせ、自分の口から杯に吐き出したワインを飲むよう強要した。
ミュリエラはあまりの行状に動揺したが、どうやらその「女性の客人」というのが客人ではなく、さらに言うと女性でもなく、グルーロクが連れてきた去勢された青年であると知り、ぞっとした。
「つまらんな、今日は。そろそろ帰らせてもらおう」
グルーロクは不機嫌そうに席を立ち、自分の従僕を大声で呼んだ。
「ケレール! おい、ケレール! どこで油を売っている! ちゃんとやってるんだろうな!」
「従僕の働きぶりにご不満がおありかや?」
「使用人とはそういうものだ。ま、あんたの侍女もどうなっていることやら」
グルーロクは笑っていた。その笑顔に不穏なものを感じたミュリエラは、グルーロクの後についてビブリンを探しにいくことにした。
ビブリンは地下階にいた。
やや広めのホールの中央で、取り澄ました顔でビブリンが座り、その周囲には酔い潰れたエルフや人間の男たちがぐったりとしていた。
「ミュリエラ様。なぜここへ?」
「いささか、おぬしが心配になっての、ビブよ。しかし、これは何事じゃ」
「こちらのお歴々とこれを飲みくらべまして」
ビブリンが示した先には、何本もの空になった酒瓶が転がっている。
「それよりも、ミュリエラ様。これは素晴らしい発見です。こちらの液体は魔力の変換源として非常に優れた性質を持っています。おそらく、私の維持につきましては、もはや懸念はなくなったかと思われます」
「それは……酒か?」
「ただの酒ではありませんよ。ひとつ、お試しください」
ビブリンが茶色い液体の入ったコップを差し出す。ミュリエラはほんの少し口にふくんで、舌が焼けつくような感覚に襲われて吐き出した。
「なんじゃ……これは!」
「酒精というものだそうで、醸造酒を蒸留して成分を濃縮した製品と推察します。千年前には見られなかった代物ですが、その名の通り、霊的な力にも富んでおりますね。主に、手っ取り早く酔い潰れる目的で用いられるようですが」
と、ビブリンはそこらで伸びている男たちを示す。
「するとなにか、こやつらは。つまり、おぬしを酔い潰そうとしたのか」
「おい、そこのお前! わしのケレールはどこへ行った?」
グルーロクは怒鳴って、ぐったりしている他家の従僕を小突く。
「ああ、ケレールか……ケレールなら、あの中で伸びてるよ」
従僕はホール脇のドアを指差す。
そこには「男性用、使用人限定」と書いてあった。便所だ。
グルーロクは舌打ちすると、通りかかったライエンテン家のメイドを捕まえて命じた。「あの中にわしの従僕がいる。引きずり出せ」
メイドはたじろいだ。
「あの、旦那様……えっ?」
「わしは帰る支度をするのだ。従僕がいないでどうする」
便所の扉を見て、メイドは首を振った。「すみませんが、私は女です」
見れば、かなり若いメイドだった。歳は十二か、十三といったところだろうか。
扉の中には、大人の男性がおそらくズボンを下ろして便器に座り込んでいるのである。それを起こしてこい、というのは酷な話だった。
「知るか! するとなにか、わしに使用人の便所に入れと言うのか?」
ビブリンがそっとミュリエラに耳打ちする。
「ミュリエラ様。実は、私にスプリッタを勧めたのは、あの扉の向こうにいる従僕の男なのです」
ミュリエラにはすべてが読めた。グルーロクの笑顔の不穏さの正体も。
つまり、グルーロクは自分の従僕にビブリンを酔い潰すよう命じ、付き添いとしての侍女を機能不全に陥らせ、ミュリエラの行動の自由を奪おうとしたのだ。
この世から魔力が途絶していて幸いであった。
かつての世界ならば、家ごとグルーロクを吹き飛ばしてしまっていただろう。
「この家の使用人はなにを考えているんだ? ライエンテンに苦情を申し入れてやろうか。クビになりたくなければ、とっとと行ってこい!」
メイドはほとんど泣きそうな顔になっている。「お許しください、旦那様!」
「何をぐずぐずしとる、お前ら町の女は男の股ぐらなど見慣れて──」
「ビブリンっ!」
ミュリエラが鋭く言い放つ。
その勢いにぎょっとして、グルーロクも言葉を途切れさせる。
「はい、ミュリエラ様」
「その扉の中の男を引きずり出すのじゃ!」
「かしこまりました」
ビブリンはつかつかと男性用便所に近づくと、扉を遠慮なく開ける。中ではズボンを下ろした男が前のめりで鼾をかいていたが、ビブリンは容赦なく肩を揺らし、「侯爵閣下がお呼びですよ!」と叫ぶ。
従僕はしばらくぼんやりとしていたが、ビブリンに頬をはたかれて気がつき、慌ててズボンを上げて便所から転がり出た。見ればなかなかの美男子だが、こうだらしなくては見る影もない。
「こ、侯爵閣下……なぜ、こちらへ」
「こちらも何もない! この無能が! 言いつけられたこともできんのか」
「男の股ぐらを見慣れておらなんだのは」と、ミュリエラ。
「どうやら、そこもとでありましたかのう。無理もないですじゃ。そのお腹では、ご自分の股ぐらも視えますまい」
グルーロクは顔を真っ赤にすると、従僕を小突いて「来い!」と命じ、どすんどすんと音を立てて階段を上っていった。
ミュリエラは固まっているメイドの娘に声をかける。
「そなた、大丈夫かや」
メイドは答えず、うつむいて首を振った。
どうやら、クビになると思い込んでいるようだ。
「気に病むことはない。わらわからライエンテン子爵に言っておこうぞ。それにしても、わらわがこの世に来て会うた中で、もっとも爵位の高い御仁があれとはな」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
kulúl-flukk 【名詞】水煙草。泡 kulúl 瓶 flukk の合成語、同時に 水がぼこぼこする擬音 plukk を用いた 泡ぼこ kulúl-plukk の駄洒落
spritta 【名詞】霊魂、真髄、蒸留酒




