第26話
ミュリエラはビブリオティカの答えを聞いて、目を閉じ、しばらく考える。
やがて大きく息を吸い込み、吐き、そして言った。
「ビブリオティカよ。おぬしの願いを何でも一つ叶えてやろう」
『私を、美少女にしてください』
「わが忠実なる僕、ビブリオティカよ。忠勤に報いようぞ。願いを一つ述べよ」
『私を、美少女にしてください』
「……」
ミュリエラは黙りこみ、頭を抱えた。
「……なぜ、こうなったのじゃ……?」
『私を、美少女にしてください』
「それはもうわかった! ああもう、せめて理由を聞かせてくれぬか」
『私は数十年間、ラコール男爵の応接間に、またほんの少しの間、博物館に展示されておりました。そのあいだ、人の生活や生き様をつぶさに観察する機会に恵まれました。最初はただ興味深く見ておりましたが、やがて、彼らの間に入って生活し、言葉を交わしたいという望みを持つようになったのです』
「なるほどのう。おぬしは生まれてこのかた、わらわとしか会話しておらぬしな」
『私はミュリエラ様に創られ、育てられた存在であり、そのご下問にすべて答えるのが使命と心得ております。ならば、歩くための足と、本を取って開くための手と、人々に話しかけるための口とを頂けましたら、能動的かつ自律的に知識を収集し、よりミュリエラ様のお役に立てるのでは……と思い至った次第です』
「殊勝な心がけよの。善哉。おぬしを創り出したことを、わらわは誇りに思う」
『ですので、私を美少女にしてください』
「……いや、だから、なぜそうなるのじゃ?」
『美少女がいいのです。美少女にしてください』
「あのなー、わらわもな、おぬしを創るさい、一応、これと決めた像を思い描いて手をかけたものよ。それは、知恵と知識を司るにふさわしい、白髪で礼儀正しく、物静かな初老の男性といった人物像だったのじゃぞ、司書よ」
『私はおっさんだったのですか』
「社会的に行動範囲を広げるなら、男性の姿の方が都合がよいと思うぞ?」
『そんなことはありません。ミュリエラ様、私は観察の結果、理解したのです。貴族の館という私的な空間で、または博物館という公共の空間で。美しい女性は常に男性に傅かれておりました。男より、女のほうが有利です』
「…………おぬし、女をナメとるじゃろ」
『それに、ミュリエラ様。あなた様は社交界でやっていくために、“侍女”を必要となさっていたのではありませんか? ここに給金を必要としない、肝胆相照らす同郷のものが控えております』
「む……」
確かに、その通りだった。こればかりは反論できない。
ミュリエラは大きくため息をついた。
「わが子の放蕩を知る親の気持ちとは、こういうものなのかのう……釈然としない部分はあるが、おぬしの願いは受け入れる余地があると認める」
『ありがとうございます。できれば、パルシス様のごとき容姿を希望します』
「それはダメじゃ!」
やり取りを重ね、ビブリオティカの「人の姿」に関する仕様を決めていく。
ビブリオティカは「少女」の姿を主張したが、年少では侍女として「舐められる」可能性があるため、若い成人女性の姿とした。
また、ビブリオティカの意思で、自由に変身も可能とした。
『種族はエルフを提案いたします。この時代の貴族の侍女として最適です』
「それは却下じゃ。現代のエルフの習俗がどうなっておるのか、わらわもおぬしもまだよく知らぬであろう? 数十年間に及ぶ観察の成果を正しく反映させるならば、人間族が妥当であるぞ」
さすがに全裸で出現させるわけにはいかないので、一般的なドレスも生成することにした。それら服飾品は、本来の姿に戻る時は【道具箱】に収めさせる。
「さて、名前はなんとしようかのう」
『……名前、ですか?』
「ビブリオティカというのは人間の名前としてはいささか奇妙じゃからな。愛称として“ビブ”でも通じる名前となると……ふーむ」
数日後、チャリンド邸の通用口を叩く音に応え、メイドのキリレが扉を開けると、そこには年のころ二十といった妙齢の女性が立っていた。
目鼻のくっきりとした、美しい顔の持ち主だった。ほとんど白に近いプラチナブロンドが印象的だ。耳が長かったらエルフといっても通るかもしれない。こういった容姿の持ち主は上流階級か、劇場の女優くらいなものだと思っていたキリレは、あんぐりと口を開けてまじまじとその姿を見つめてしまった。
「あのぉ、お客様。こちらは通用口ですけど……」
「グリューデン伯爵夫人様の侍女を務めていた者です。お話、通ってます?」
その言葉を聞いて、キリレは三日前、朝礼で執事のシャタルが「伯爵夫人の昔の使用人が来ることになっているので、対応するように」とお達しを出していたこと、目の前の人物は上流階級というより中流階級の服装なのに気がついた。
「ビブリン・ヴィステナスラヴアです。伯爵夫人様にお仕えしておりました」
居間に勢ぞろいしたチャリンド家の面々の前で、ころころと鈴の音が響くような心地よい声で「伯爵夫人の侍女」が自己紹介した。
「あら、なんて綺麗な方」と、ジゼ。
その言葉を受けて、クロードも感想を漏らす。「うん、そうだね」
実のところ、上流階級の男性が、階級が下の女性の容姿を気安く褒めることは、相手を女優や娼婦扱いするか、さもなくば愛人契約を提案しているに等しいのだ。
妻であるジゼの言葉には「容姿に言及してもいいですよ」という、夫への許可の意味がある。
「というわけで、このビブリンを故地から呼び寄せましたですじゃ。これよりはこの者を供に、メーノンの社交界に顔を出していく所存。いっそう、チャリンド家のお役に立てるかと」
「それは願ってもない事です。そろそろ、舞踏会のお誘いを断るのも難しくなってきましたからね……」と、主人のクロード。
「伯爵夫人様のドレスも、仕上がってくる頃合いですしね」
ジゼが言った。
クロードとジゼの表情と声には、かすかな安堵が見える。
それはそうだろう、とミュリエラは思った。なにせ、ミュリエラの「伯爵夫人」という身分の裏付けは、指にはめた印章指輪と、ひとまずただ者には見えない言動しかないのだ。それがなければ、文無しの居候である。
ビブリンなる侍女の登場は、ありていに言ってちょっと怪しいミュリエラの身元を保証してくれるという意味で、チャリンド家に安心を与えたのだった。
「ビブリンさん、知識人っていう名字、お珍しいわね。コリノと気が合いそう」
アニエが無邪気に評する。
「はい、お嬢様。学問は、伯爵夫人様からひととおり仕込まれております」
「姉上、ぼくの使用人じゃないんですから……」
コリノはそわそわしているように見えた。どうやらこの子は美人に弱いらしい。
それから、チャリンド邸には不思議な住人が一人増えることとなった。
客人の伯爵夫人の旧知の使用人だというその女性は、チャリンド邸の使用人部屋での寝泊まりを断り、主人に給仕するため毎日、近所の宿から通うのだという。
だがそれにしては、朝になるといつのまにかそこにいるし、夜になるといつのまにか姿を消してしまう。使用人の業務を手伝ってくれることもあるが、それがまた妙に手際がよく、昔からチャリンド邸で働いていたように錯覚してしまう。
チャリンド邸の使用人──特に男性たちは、端正な容姿を持つビブリンと交友を持ちたがったが、神出鬼没の彼女を捕まえられず、女性使用人たちと執事のシャタルから冷めた目を向けられるのみであった。
『……お言いつけ通り、チャリンド邸の使用人とは最低限の接触を保っております、ミュリエラ様』
「うむ、それでよい。人と交流したいというおぬしの願いを無碍にするつもりはないが、人類社会には少しずつ慣れる形で接したほうがよいであろう」
『業務もほどほどに手伝っておりますので、煙たがられることはないでしょう』
実は、数日前より、ミュリエラは「おまじない」と称して、金鎖つきの装飾品の状態のビブリオティカを何人かのメイドに持ち歩いてもらっていた。
ビブリオティカは、見聞きしたものを正確に覚える能力を有している。
新顔の侍女がチャリンド邸の業務になぜか習熟している理由がこれだった。
「……しかし、人の完璧な姿に、自由な変身能力。それから靴やドレス。だいぶ、かかったのう。生成に魔力を使い果たしてしもうたわ」
『……今さらですが、宜しかったのですか? 貴重な魔力卵を丸ごと一つ消費してしまった形になりますが』
「無駄遣いしたつもりはないぞよ。おぬしには早速、仕事をしてもらう」
ミュリエラは、自身に届いている手紙の山から一枚を抜き出す。
それはライエンテン子爵を差出人とする、新居の落成記念パーティーへの招待状だった。
「さて、わらわも“社交界デビュー”と行こうかの」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
vistenaslavua 【名詞】知識人、知恵者。知識 vistenaslaff に行為者や動作を表す接尾辞 -vua がついたもの




