第25話
乗客のない馬車が帰り着いて、チャリンド家はパニックに陥った。
さらには、御者が「伯爵夫人は窓に目張りをされた馬車で連れていかれた」と証言したことで、より事態は思わしくないものとなった。
「伯爵夫人は、魔女の疑いをかけられたんでしょう」と、コリノ。
「魔女? 魔女だって?」父親のクロードが困惑する。
「何を言っているんだ、コリノ? 魔女だの魔法使いだの、今さら、そんな世の中じゃないだろう?」
「窓に目張りをするのは、視線を遮るためです。魔女の目には特別な力があって、町中を引き回す間に視線を投げかけて仲間を増やしてしまうと、信じられていたんです。二百年くらい前に」
「これからどうなるのかしら」と、母親のジゼ。
「裁判にかけられます。視線を断つために目隠しをされるか、最悪、目をえぐられて、それから火あぶりに──」
「め、目をえぐ……!?」
コリノの解説を聞いて、アニエが卒倒した。
ミュリエラがひょっこりと帰還したのは、リリとジゼが慌てて娘を介抱し、クロードが家名への重大なダメージを思って頭を抱えていた最中だった。
「やあ、ただいま戻りましたぞよ。シャルコ殿の夕餉には間に合うたかの」
チャリンド家はまたもや蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
失った気を取り戻したアニエがミュリエラの姿を見て、ほとんど泣きそうな顔で飛びつく。
「済まぬ済まぬ、アニエ嬢。まことに心配をかけた」
「伯爵夫人様、何があったのですか?」と、クロード。
「教会から呼び出しがあっての。ちょっとした置き土産を受け取ってきたのじゃ。その際、誤解があって、あやうく火刑にされかけた」
「誤解? 誤解で火あぶりになるんですか? いったい誰がそんなことを?」
「ブリムソニク司教と言うておったの」
王都カールッドにおける、最高の宗教的権威の名を聞いて、チャリンド家の混乱はさらに拍車がかかった。
その夜、ミュリエラは自室で、パルシスの遺した「書」を紐解いた。
よほど丁寧に保管されていたのだろう。傷みはほとんどない。書を開くと、羊皮紙に懐かしい筆跡と文体で、細かな字がびっしりと書き込まれているのが目に飛び込んできた。
──汝が友より、我が友へ。
千年前によく用いられた手紙の書き出しだ。
ミュリエラは瞑目し、今はなき友人を想った。
パルシスの書は、友人への手紙であると共に、一種の研究記録だった。
魔力が希薄になっていく世界で、パルシスはその原因を探った。そして、ついにそれを解き明かしたのだ。この記述を読んでミュリエラは思わず快哉を叫んだ。
「でかしたぞ、わが友よ!」
──魔力途絶の原因、それは「魔王の討伐」であった。
はるか太古の時代、世界にはいくつもの魔力の湧き出る地点があったという。それら一つ一つは小さいが、物質と反比例して魔力が無限に満ちる【超越界】と繋がっており、この世に魔力を湧出させていたと推測されるのだという。
パルシスはこの仮定上の魔力の湧出点を「魔力の泉」と命名した。
やがてある日、この魔力の泉を一つに束ね、膨大な魔力を得て「偽の救世主」を我が身に宿そうとした魔術師が現れた……。
「……【黒王妃】ギュネヴィア、か……」
目論見は失敗し、人類を滅ぼそうとする存在──魔王──が出現した。
と同時に、魔王が世界にとって唯一の魔力の泉となり、【勇者】リアスタンによる討伐とともに、世界から魔力の供給源が失われてしまったのであった。
「……時系列からして、魔王の討伐が関係しているのではないかとは思っていたが……ここまで直接的に……」
『魔法文化を滅ぼしてしまったのは、我々だったのですね』
「皮肉なものよ。人類を救うためにやったことが、こうして跳ね返ってくるとは」
パルシスはその長い余生において、世界から急速に魔力が失われ、そして魔法が忘却されていく過程をまざまざと見せつけられた。
彼女は魔法使いである以前に、神に仕える聖職者だ。
魔力を糧として神に治癒や幸運を請い願う神聖魔法「秘跡」が失われていくことは、彼女が属する教会にとって、人々へ与える恩恵がなくなることを意味する。
ミュリエラがいなくなってからのパルシスの人生は、その対応に忙殺されていたといってよい。人々の信仰心を繋ぎとめるために、パルシスは聖都大修道院長という地位を活用し、教会の改革に粉骨砕身した。世俗的・実利的なメリットではなく、信仰心を通じてモラルや教育を提供する組織へと脱皮を図ったのだった。
「……手を貸してやりたかったのう。あやつが一番、苦手な分野じゃ」
『しかし、成功したようです』
「なにせ、“聖エレフィエ”じゃからの。列聖とは大したものよ」
だが、パルシスの力にも限りがあった。
書を後半まで読み進めると、社会から魔法や魔王の「実在性」が忘却と共に風化していくのを必死にとどめようとするパルシスの、悲痛な叫びが筆致からにじみ出ていた。
……──わたくしでは、力が及びません。
親愛なる友、ミュリエラよ、何かの作為を感じます。
何者かが、リアスタン殿と貴女の功業を消し去ろうとしているのです。
貴女が幽界で忘我の境地にある今、世界も貴女を忘れようとしています……。
パルシスは、ミュリエラが幽界へ入ったことを、ミュリエラがオルソンドに出した手紙から知ったという。なぜそれを実行する前に、自分に相談してくれなかったのかと、ほんの少し落胆気味に遺憾の意を表していた。
「済まなかったのう……まさか、千年も行ったきりになるとは思わなんだ」
予定の百年を過ぎてもミュリエラが帰還しなかったことで、パルシスは即座に異常を察した。何かの理由で幽界から戻ってこれなくなっていると。
なぜ戻ってこられなくなっているのかは分からないが、ミュリエラほどの力の持ち主の≪幽界遷移≫ならば、その効力が切れるのは千年はかかるだろう。
その時に備え、魔力が途絶した世の中で生きていけるよう、魔力卵を用意した。
だが、すでに魔力は世に乏しく、パルシスといえども三つを用意するのがせいぜいだ。本当に申し訳ない、とパルシスは書き記していた。
「……謝罪には及ばぬ。本当に助かったぞ、パルシス」
『しかし、ミュリエラ様が現世へ帰還した理由が“期限切れ”であったとは』
「まだ謎は残っておるぞ。そもそもなぜわらわは百年で戻ってこれなかったのか。グリューデンの森は致命的な環境になっておらなんだのに……」
パルシスの書は、終わりに差し掛かるにつれ、変わりゆく世の中を押しとどめられなかった悔恨と慙愧の念がつづられるようになっていった。
……──お気をつけください、親愛なる友よ。私は教会を変えるために人生を賭して第二の戦いを挑みました。それは一定の成功を見たと自負しております。
ですが、老境にさしかかり、わが力は衰え、教会がさらに別のものへと変貌していこうとしているのを止めることができません。すでに“魔法”は忌まわしい術として人々に捉えられつつあります。かつてはそれに助けられたにも関わらずです。
せめてここに、貴女を助けるための贈り物を用意します。
どうか、私たちの生きた証を貴女の手で伝えてほしい──……。
ミュリエラはうなだれ、パルシスの魂の平穏のために祈った。自分がそんなことをしたのに驚いた。いつからこんなに信心深くなったのだろう?
パルシスの遺してくれた魔力卵を見る。
これは本当に貴重な品物だ。もう二度と手に入らないだろう。
ひとまず、今は魔力が体に満ちている。
今のミュリエラには、空を飛ぶことも、山を吹き飛ばすことも可能なのだった。
……ただし、たちまちのうちに魔力を使い果たしてしまうだろうが。
『大変申し上げにくいのですが』
祈るミュリエラに、ビブリオティカが声をかけた。
「……なんじゃ?」
『魔力の満ちた現在のミュリエラ様にお願いがあります。そろそろ、私への魔力供給をいただけませんでしょうか……』
「ああ、そういえばそうじゃな」
ビブリオティカは、魔法の道具である。
その生存のためには、ある一定の魔力を必要とする。
かつては、周囲に満ちる魔力をただ補給するだけで済んだ。
だが、魔力の途絶えた今の世界では、何らかの方法で魔力を供給してやらねば、その身に刻んだ知識と知性と共に、自我を失って「死ぬ」だろう。
「おぬしの修得した、物品を魔力に変換する魔法ではどうなのじゃ?」
『可能ではありますが、結局のところ、魔力のこめられた品物でないとほとんど効果はありません。千年前、ミュリエラ様からお預かりした衣服や日用品などでは、魔力に変換しても一日分にも足りませんでした』
「ふむう……。これからも補給は必要じゃしなあ。考えねばならぬな。ま、よい。わらわの魔力を分けてやろう。当面はしのげるであろう」
『ありがとうございます』
ミュリエラはビブリオティカに手をかざすと、念を込める。
と、そこで、ほんの気まぐれに、この忠実な僕への労いをしたくなった。
「……ビブよ。なんぞ、願いはないか?」
『願い、と申されますと?』
「願いは願いじゃよ。おぬしは千年もの間、自らが消失する恐怖に耐えながら、孤独のうちにわらわを待ち続けた。その忠誠に報いたい」
『なんと、そのような』
「言うてみよ。わらわとおぬしは、途絶えた魔法文化の最後の生き残りであるぞ。同胞として、これくらいはしてやらねば気が済まぬ」
『もったいのうございます。でしたら、ぜひお願いしたい事が……』
「ほう?」
ミュリエラは内心、喜んでいた。
ただの「道具」が、願いや望みを持つようになっている。これは、自分が道具を生み出す以上の仕事をやってのけた証拠でもあるのだ。魔法使い冥利に尽きる。
そしてビブリオティカは、自らの望みを述べた。
「私を、美少女にしてください」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
feant 【名詞】友人、親しい間柄の友達




