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第22話

 サウズン海尉心得は、カールッド東広場の市場にいた。


 ここは先日、「発砲騒ぎ」が起きた現場である。あの後、海軍と市場関係者によって徹底的な捜索が行われたが、証拠となる銃器は発見されなかった。

 市場すなわち市議会側は海軍の証拠隠滅を警戒していたし、海軍は単純に兵器類の流出を恐れていた。そんな状況下で結局、証拠が見つからなかったので、市議会も海軍もお互いに疑念を高め合い、と同時に「落としどころ」が見つからず悩み始めてもいた。


 サウズンは、ちらちらと辺りをうかがっている。

 何かを探している様子だ。


海尉(シュザーディリン)さん!」


 背中をつつかれる。

 振り向くと、そこには年のころ十四、五の少女がいた。

 人目をひくような美人ではないが、丸い顔と大きな目が印象的な、愛嬌のある娘だった。

「キリレ!」と、サウズンが応える。

「あんた、どうしちゃったの、そのかっこ」

 キリレと呼ばれた少女はサウズンの服装をまじまじと見つめた。

 サウズンは私服姿で、茶色のコートに安物の三角帽をかぶっている。

「あの海尉の制服がイケてたのに」

「しょうがないだろ。市場が軍隊の立ち入りにピリピリしてるんだ。あんな制服着てうろちょろしたら、すぐモメごとになる。あと、海尉(シュザーディリン)じゃなくて海尉心得(ヴァルカップ)

「ふーん。はい! おみやげ!」

 キリレは紙袋をサウズンに突き出す。

 中にはいくつかの焼きメレンゲが入っていた。

「やったぁ!」サウズンは歓声を上げた。


 フレット・サウズンは、軍人の家庭に生まれた。当然のように息子も軍務に服すことを求められ、彼もそれを疑問に思ったことがない。ただ、厳格な父親はわが子に普段から戦場並みの禁欲的な教育を課していたため、サウズンは常に甘いものに飢える性質(たち)になってしまっていた。


 サウズンは焼きメレンゲをつまみながら、キリレと市場を歩く。

「けっこうあるな」

「シャルコさんがね。張り切っちゃったのよ。だから失敗作もいっぱい」

「まじか? これで失敗作?」

「もうね、気合い入りまくりよ。最近、屋敷(うち)でお迎えしてるお客さまがシャルコさんのことべた褒めしてね。もう、スゴくって。それで料理人がノセられた。でね、そのおこぼれを拾えるのがあたしたち下っ端(メイド)ってわけ」

「へー。じゃ、そのお客に感謝しないとな。あ、いや、その前に君にも」

「ねえ、フレット。海尉になったら、迎えに来てくれるって、本当?」

「本当だ。誓ってもいい」と、サウズンは断言する。


 キリレは労働者階級の娘だ。それに対して、軍人の親を持ち、「名誉ある制服」を着るサウズンは中流階級である。

 アニエのような富裕な中流階級が上流階級にのし上がるよりも、労働者階級が中流階級に上がるほうが、ある意味では難しいと言えた。


「いまやってる仕事をうまく解決できたら、海尉への昇進の考査にいい影響が出せる。それから試験に受かって、海尉に任命されて、まとまった給料が出るようになれば、もう誰にも文句は言わせない。父にだってね」

「ほんとに、期待してるんだから。頑張って」

「焼きメレンゲの調達量によるかな」

「えー!?」キリレはサウズンの脇腹をぽこぽこと叩いた。

「悪い悪い。わるかったって。でも、この仕事はガチなんだ。ドワーフの砲手長を縛り首にしないために、赤毛の“魔女”を捕まえなきゃいけなくて」

「赤毛の(ひと)なら、お屋敷にもいるよ。捕まえにくる?」

「え?」

「シャルコさんをノセたお客よ。ミュリエラ・ウル・グリューデン様……とかなんとか。とんがらしみたいに赤い髪してんの。あたし、見たんだし」

「ウル称号の持ち主か。たいそうな貴族だ」

「あのさ、あんたがもし手柄を立ててさ、貴族様になったら、あたしも貴族の奥方様になんの?」

「なれるかどうかは別として、なったら、きっとそうするよ」


 そのころ、デムケン海尉心得は、カールッド大通りに面した書店から、今しがた航海術の参考書を抱えて出たところだった。

 デムケンは法律家の息子である。血筋からか、海事法に関する試験には自信を持っているが、測量や航法がどうにも心もとない。昔から文字には強いが数字には弱いのだ。


「おい、驚いたな。バスティオじゃないか」

 デムケンに声をかける者がいる。

 振り向くとそこには、立派な身なりの若い紳士が立っている。

「ライエンテン子爵」

 お辞儀するデムケン。

「なんだ、固いな。叔父と甥の関係だろう。イズルードと呼べよ」

「そうはいきません。子爵閣下なんですから」

「そういうところなんだが……姉上は元気か?」


 ライエンテン子爵の姉は、判事のデムケンに嫁ぎ、息子のバスティオを生んでいた。貴族ではないが、中流階級の中でも社会的地位の高い法律家は、まあまあの嫁ぎ先である。


「閣下を心配してましたよ。過ぎたお遊びが治ってくれたらと」

「だからお前たち、固すぎだ。ま、それが理由でお前の父親を選んだんだろうが。何をしていたんだ?」

 バスティオ・デムケンは購入した本を示した。

「勉強に、少々」

「期待を裏切らないなあ」と、ライエンテン子爵は苦笑した。

「試験が近いもので」

「少し、息抜きでもするか? ちょっとした催しを考えててな」

新人類(ルーナルダーケン)のお遊びですか。行けるわけないでしょう。母が卒倒する」

「なあ、もう少し考えろ。お前が抱えているその本も、海尉(シュザーディリン)を目指してのことだろう。階級章を新しくして、それからどうする。俺たちみたいな貴族のぼんくらが上官として送り込まれてる先でも、その流儀を貫く気か。染まれと言ってるんじゃない。学べと言ってるんだ」

 デムケンは答えられなかった。

「いろんなやつを集めるつもりなんだ。人脈作りには最適だぞ。魔女と豪語するグリューデン伯爵夫人も呼ぶつもりでな。気が向いたら連絡しろ。歓迎する」

信徒(スモラナーク)が魔女とお遊びはさすがに……」

「ほーら、そういうところ」


 その日の夕方、街の酒場で、サウズンとデムケンはお互いの成果を話し合った。


「市場のほうは、成果なし」と、サウズン。

「犯人は現場に戻るって言うからな。それらしい人物が現場に隠した銃を回収しにくるかもと、張り込んでみた。なにひとつ、さっぱりだね。魔女どころか、赤毛の女すらいやしない」

「こっちも手がかりがない」向かい合った席のデムケンが言う。

「大通りの“蛙と壷”書店、知ってるだろう。あそこは副業で故買屋をやっててね。その筋の裏ルートで火薬を購入した女がいないかと尋ねてみたが、口は堅い。倍の値段で本を買ってやってもだめだった」

 二人は黙り込む。酒場の喧騒だけが残る。

 やがて、サウズンが口を開く。

「おい、どうする? 成果なしでもノールドルストム海尉に定期報告は上げなきゃいけない」

「白紙の報告書はいかにも印象が悪い」と、デムケン。

「そうなんだよな、まいったな。赤毛の女だって、カールッドに何人いるか……」

「赤毛だけじゃないぞ。魔女も最近じゃ珍しくないらしい。貴族のお遊びで、魔女がお呼ばれするご時世だ」

「へえ?」サウズンは大麦酒(ビュール)をあおる。

「グリューデン伯爵夫人とかいう人物が、魔女を自称してるらしくてね」

 サウズンがゴブレットを持つ手を止める。

「……今、なんて?」

「グリューデン伯爵夫人だよ」

「同じ名前を聞いた。ミュリエラ・ウル・グリューデンって赤毛の女が客人としてチャリンド家に逗留していると」

「赤毛の魔女か……」と、デムケンがつぶやく。

 二人はしばらく無言になった。

「なあ」と、サウズン。

「もしかして俺たち、同じこと考えてないか?」


 翌日、サウズンとデムケンは、ロウガムの部下の一人で現場の目撃者でもある砲手のドワーフを連れ、カールッドの北にある高級住宅街へと足を踏み入れていた。

 三人とも薄汚れた恰好で、煤で真っ黒な大きなブラシを担いでいる。

 彼らが目指すは、“赤毛の魔女”が客人として逗留する屋敷──チャリンド邸。


「俺らみたいな山のモンは煙突掃除にゃ向いてないんですがね」

 と、ドワーフが言う。

「人間より、ちいとばかし横幅が大きいもんで。穴ぼこにゃ慣れてますが、体に合わん穴は広げるのが俺らのやり方なんですわ」

「実際に煙突掃除するわけじゃない」と、サウズン。

「ただ、目的の人物を見て、似てるか似てないか、それだけ確認すればいいんだ、ユンポフ」

「もし、そのご婦人が、ロウガム砲手長をハメた(アマ)だったら、砲手長は死刑にならずに済むんすね」と、ユンポフと呼ばれたドワーフが言う。

「そうだな。少なくとも、ご婦人の事情聴取が済むまでは、判決は下らない」

「なあ、サウズン」

 デムケンが声をかける。

「これって本当に大丈夫だろうか? 身分の詐称に加えて、不法侵入にもなる」

「じゃあ海尉への報告はお前がするんだな、デムケン。“魔女”を探して、見つかりませんでした──そんなの、俺たちが無能だって言ってるのと同じだ。犯人の特徴に一致する人物を探し当てたので、目撃者と面通しを試みたが、別人だった──ここまでやって、やっと報告として格好がつく。もっと柔軟にやろうぜ」

 デムケンは肩をすくめた。「固すぎなもので」


 やがて、三人はチャリンド邸の通用口に到着した。

 中からメイドが顔を出す。キリレだ。


「やあ、キリレ。頼まれてくれて、すまないね」とサウズン。

「ほんとうは、ヤバいんだからね」

 キリレは不安そうだ。

「君の名前は絶対、出さない。俺たちに言いくるめられて通しちゃったってことにしていいよ」

「さっさと済ませてしまおう。問題の伯爵夫人(グラフリン)とやらは?」とデムケン。

「伯爵夫人様はこの時間、温室(ビントグラデルヤ)で本を読みふけるの。ここんとこ毎日そうよ」

「どこか顔を見れる場所はないか」

「庭に回って。何気なく温室のガラスの前を通って、石炭庫のほうへ向かうようにすれば、怪しまれないと思う」


 ミュリエラは、チャリンド邸の温室(ビントグラデルヤ)で分厚い本を数冊テーブルに積み、暖かい日差しに包まれながら文字を追うという、無上の快楽を味わっていた。

 サイドテーブルには、リリがたっぷりと淹れてくれた珈琲(ムコウヘン)のポットと、砂糖壷が載っている。冷めないうちに飲み切ってしまうだろうが、それでもありがたい。

 息を吸い込めば、室内で育てられている花や草の香りがほのかに鼻をくすぐり、肺に収められる。それでいて外界の風に舞う塵やほこりもないし、本のページを勝手にめくられることもない。温室(ビントグラデルヤ)こそ、人類文明の生み出したるもっとも洗練された成果ではないかとミュリエラは思い始めていた。


 視界のはしに、動くものが見える。


 ガラスの向こうで、三人の労働者が屋敷のメイドにいざなわれて庭を横切るところだった。見たところ、煙突掃除の人間らしい。

 煙突──当初、ミュリエラはこの珍妙な細い塔がこの時代の住宅に何本もついているのを怪しんだものだ。炉が室内の中央になく、壁に埋め込まれていることも。

 その仕組みと効果を知って、千年前の自分たちはなぜこれを思いつかなかったのかと恥じ入った。


「知は力なり、よ。なんとか追いつかねば」


 労働者たちがこちらに気づき、帽子を取って礼をした。

 三人とも背は高くない。いや、一人はドワーフか。

 残り二人は少年のように見える。聞くところによれば、煙突の掃除は狭い場所に入れる少年の仕事なのだそうだ。

 「……なるほど、あのドワーフが親方で、二人の少年が徒弟(とてい)か」

 ミュリエラは軽く会釈して、彼らに応えた。


「あの伯爵夫人(グラフリン)、煙突掃除人に挨拶したぞ」とデムケン。

「珍しい人もいるもんだな。だが、確かに赤毛だ。おいユンポフ、顔は見たな?」

「へい、見ましたわ、サウズン海尉心得(ヴァルカップ)殿」と、ユンポフ。

「よし、それでいい。顔は一致しなくていいんだ、ただ報告するだけだから──」

「いや驚れぇたのなんのって」

 ユンポフは目を丸くしていた。

「あいつですわ。あの(アマ)。間違ぇねぇ。ロウガム砲手長のカップ振りを見破って、(ボマラス)をぶっ放した“魔女”ですわ。忘れるもんですかい」

読まなくてもいい作中のメーノン語の解説


bintgladelya 【名詞】温室。冬 bint と 庭 glad と 部屋 kelya が合成し、短縮化した語

smolanák 【名詞】救世教の信徒の自称。救世主 smolan に人を表す接尾辞 -ák がついたもの

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