第21話
チャリンド邸は三階建ての建物である。
一階には玄関や居間、食堂や配膳室、温室などがあり、二階には応接間や図書室、学習室、そして複数の客室が備わっている。
そのうちの一つで起居しているのがミュリエラだ。
最上階の三階が家族のスペースだった。ここにはチャリンド夫妻の寝室、アニエとコリノの寝室がある。この階に立ち入れるのはチャリンド家の肉親と、限られた召使いだけだ。ミュリエラでさえ、上がったことはない。
夜更けのチャリンド夫妻の寝室では、寝間着に着替えた夫のクロードと妻のジゼが、ベッドに横たわりながら娘の求婚者たちについて思案を重ねている真っ最中であった。
「八割、九割は持参金目当てのろくでなしだ」と、クロード。
「爵位持ちもせいぜい男爵。あとは、子爵家の三男がいたっけ。生まれは良くても、妻の名にローム称号はつかない。とてもじゃないが、わが家のダイヤモンドを金銀の台座付きで差し上げる気にはならないね」
クロードの狙いはあくまでチャリンド家の叙爵である。
土地を有し、その地代で生活する地主かつ、子爵・侯爵クラス以上の貴族に娘が嫁いでいるという「既成事実」を作ることで、貴族社会もチャリンド家がすでに「貴族」であるという事実を認めざるを得ない状況に導くのだ。
「あなたは、男爵になりたいんですか?」と、ジゼ。
「ぼくの代じゃ無理だよ。東方から取り寄せた各種の宝物を宮廷へ献上して勲爵士の称号を授かった父親を持つ、ただそれだけの男だ」
クロードが答える。
「できるのは“土台を固める”ことだけ。どこまで行っても成金の息子さ。でも、コリノがやってくれる。あの子がどんな道を選ぶか分からないけど、何をやっても必ず成功する。そんな子だ。あいつが“蹴り飛ばす”んだ。最後の一押しをする。そしてその時、アニエも現役の爵位保持者の姉という立場を得て、嫁ぎ先での地位も安泰になるんだ」
そして、その土台を固めるには、アニエがそれなりの貴族の妻にならなければならない。
「ぼくはあの子──アニエに、幸せになって欲しいんだよ」
「私は」と、ジゼ。「生きのびてくれさえすればいいんです。あの子が生きていける場所を見つけられたらそれでいいんです」
それは必ずしも貴族の家に席を連ねることではない、と表情が語っていた。
「その場所で生きていけるようになれることも。市場で買い食いしてるのがばれてないと思ってるのかしら」
ジゼはため息をつく。
「伯爵夫人がついてれば“ひとり歩き”したことにはならない。社会的に傷はつかないだろう」クロードは妻をなだめるように言った。
結婚前の令嬢がしかるべき身分の女性の付き添いもなしに外出するということは、どこに出向いたか判別できない時間帯ができたということである。その間に、男性と会っていないとは誰にも証明できない。
貴族社会においては、純潔は「可能性」を作っただけで失われてしまうのだ。
「いいえ、そうじゃないんです」と、ジゼは首を振る。
「市場で発砲事件があったそうです。そんな場所にふらふら出かけていくなんて、気が気じゃありません。それに……あの子は、人を疑うことを知らなさすぎます。お披露目式で風当たりの強さを学んだと思ったのに」
ノールドルストムの娘からの当てこすりは、間一髪、ジゼが防げた。が、いつまでも母親の庇護があるわけではない。
「買い食いにしても、あの子はリリの口止めさえしていればいいと思っています。御者のことはなんにも考えてないんだわ。馬車の中で、大声で、自分が名乗る偽名の相談をするなんて考えられます?」
「いつもそこにあるものは、見えなくなるものだから……」
クロードは言葉を濁す。
妻の言っていることはまったく正しいが、それでも娘の肩を持ちたくなる。
「召使いは見えない家具じゃありません。彼らは彼らで、何かを考えて、自分の目的のために働いているのです」
「それは……昔のことを言っているのかい?」
「……」夫の問いにジゼは答えなかった。
「ぼくだけは君の味方だ。何があっても。子供たちの未来が約束されたら、屋敷を放り出して、エルフのいない場所に逃げ出したっていい。何もいらない。君さえいてくれればいい」
クロードは妻の手を握り、うなじに顔を寄せた。
だが、ジゼは夫からの愛の求めを拒み、毛布に体を沈めてしまった。
「我が家を叙爵なさりたいのでしたら」
と、ジゼは言う。
「上流階級のやり方にも慣れることをお考えください。夫婦で寝室を別にすることもあるのですよ」
夜更けのカールッドでは、また別の密談が繰り広げられている。
王宮にほど近い司教座聖堂の執務室では、二人の人物がたった一本の蝋燭の明かりのもとで話し合っていた。
ひとりは、ラント司祭。
チャリンド家が籍を置く小教区を担当する教会所の司祭だ。
彼の前で席に着いているのは、この部屋の主、ブリムソニク。鷹のような鋭い眼光を持つ痩せぎすの男であった。
ブリムソニクは王都カールッドの司教区を統括する司教であり、ラントの直接の上司に当たる人物だ。
「私ども末端の司祭は、ずっと夢だと思っていました。あれは、教会の秘密を口外せぬための一種の訓練なのだろうと、同僚と語らったりもしたものです」
と、ラント司祭は言う。
「ですがまさか百年、いや、それ以上にも渡って言い伝えられてきた“魔女”が真実であるとは」
「奇跡とはそういうものだ」ブリムソニクが答える。
「しかしその口ぶりでは、例のことを気軽に口にしていたようだが」
ラント司祭がぎょっとする。「いえ、決してそのような」
話題を変える。
「聖都にご報告はされたのですか」
「正確には、聖都大修道院だな。例の命令そのものはそこから出ているんだ。この件に関してはそちらの方から確認の人員が派遣される予定だ」
「はあ、なるほど。大司教庁とは別筋であると……」
複数の司教区を束ねた国単位の教区を「大教区」と呼ぶ。
この大教区を統括するのが「大司教庁」であり「大司教」だった。そして、大司教庁は国の首都とは別の街に大司教座を置いている。これが「聖都」である。
聖都には大司教庁と並立する機関である大修道院が建てられており、各教区への司教の任命といった統括こそ行わないものの、強い権力を持っている。
「君から報告が上がってくる前から、実は目をつけてはいたのだよ」
ブリムソニクは立ち上がってゆっくりと歩き回った。
「お披露目式のような場で純潔と清心を表す白のドレスを選ばず、わざわざ魔女のごときとんがり帽子と青の衣装を持ち込む……まではまだ偶然で済まされるが、これが伯爵夫人とくると無視はできない……ましてや名前が“ミュリエラ”となると」
「聖エレフィエ!」
予言を遺した聖人の名を口にして、ラントは加護を願う。
「信じられるかね、彼女は王宮で自分を【海嘯の魔女】とすら称したのだよ」
「それは自白の証拠になります!」
ラントの言葉に力がこもった。
熱を入れる部下をブリムソニクは制する。
「だが、それだけでは告発には足りない。何か、もう一つ、決定的に“魔法”を行使したという証言か何かが必要なのだ……それさえあれば、教会は王宮に容疑者の拘束を申請できる」
「あのう、それについては、もう一つ懸念が……」
ラントが気まずそうに切り出す。
「何かね?」
「身柄を押さえるとなると、やはり私の教会所でということになりますか」
「そうだな。日曜の礼拝に来た時に押さえるのが妥当だろう」
「私の小教区では、チャリンド家は随一の寄進者なのです。クロード氏の眼前で彼女を捕まえるのは、彼の顔に泥を塗ることになるでしょう。そうしますと、あの、その、今後、彼との関係に影響が出ざるを得ず……」
「チャリンド家の邸宅に押しかけて身柄の引き渡しを求めるのも、同じになるな」
「はい、司教閣下」
ブリムソニクは椅子に戻ると、蝋燭の火を見つめた。
「青い蛇を誘い出す方法を考えねばならんか」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
lidál 【名詞】騎士、勲爵士、勲功爵。貴族の礼遇は受けるが各種の特権はない一代限りの称号
hayliastom 【名詞】聖都。神聖な haylia と 町 stom の合成語
vuropkloshkel 【名詞】大修道院。大きい、偉大な vurop と 修道院 kloshkel の合成語
nákel 【名詞】蛇。曲がりくねる shnák の現在分詞形 shnákelin が短縮化したもの




