第19話
デミアル・ローム・ノールドルストム海尉は、部下のサウズン海尉心得およびデムケン海尉心得を引き連れ、カールッド東広場へと向かっていた。
「よし、サウズン海尉心得、なぜドワーフの砲手が海軍にとって重要かを述べよ」
「はい、海尉殿。彼らの皮膚は熱に耐性があり、火薬、火器、加熱した砲の取り扱いに適しているからです。また部族の絆の強さはチームワークを生み、ドワーフの砲手の射撃速度は人間のそれの二倍にも達します」
「正解だ、海尉心得。ではデムケン海尉心得、彼らの厄介な点は?」
「はい、海尉殿。彼らドワーフの砲手としての適性は、砲撃班が同じ山の出身者で構成されないと発揮できない場合があるのです。それに加え、彼らは軍規よりも部族の掟や付き合いを重視する傾向があります」
「その通り。では、ドワーフの砲撃班が半舷上陸したまま正午の交代時間に戻ってこない場合の対処方法は?」
サウズンとデムケンは同時に答えた。
「なんとしてでも、捕まえて引き戻します!」
テーブル代わりの樽を挟み、ドワーフの一団とミュリエラがにらみ合う。
ドワーフの中には、懐のナイフに手をかける者もいる。
市場の賑わいと喧騒に包まれるカールッド東広場の一角で、一触即発の緊張状態が生まれていた。
「すまぬが、本当にこれだけはやれぬのじゃ」
ミュリエラがビブリオティカを示す。
「銀貨は返して進ぜよう。それでおあいことせぬか?」
「元の木阿弥に戻ったって、意味ねーンだよ! こちとら顔に泥塗られてンだ!」
ドワーフの胴元はなおも吠える。
荒くれのドワーフの一団を前にしてもまったく動じぬ婦人という異様な光景に、市場の人々は戸惑い、ざわつき始めた。
ミュリエラはもしもの時に備え、体内に残った魔力を整えて意識のみで術式を編み始めた。ただし、この魔力量では、ちょっとした脅しにしかならないだろう。
「しかたないのう。銀貨はいらぬと申されるか。ならば……」
ミュリエラは、両手にすくい上げた銀貨を空にほうり投げ、バラまいた。
「見所の衆に進ぜるとしよう!」
昼下がりの陽光に照らされ、飛び散る銀貨がきらきらと輝く。
周囲の人々は驚きの声を発して、一斉に銀貨へ群がった。
あたりがとんでもない混乱に陥る。
ミュリエラはその隙に乗じその場を離れようとしたが──
さすがは戦場で鍛えられた猛者だ。ドワーフの胴元は、樽を蹴り飛ばして一直線にミュリエラへ飛びかかる。
ドワーフの胴元へ手のひらをかざすと、ミュリエラは力ある言葉を発した。
「≪火炎波≫!」
破裂音と閃光が奔る。
殺傷力はない。かつてはゴブリンやオークを一撃で屠った攻撃魔法だが、今や微々たる魔力量のせいで大道芸じみた威嚇にしかならない。
だが、その威嚇が周囲に及ぼした影響は、ミュリエラの予想をはるかに越えた。
「銃だーっ!」
「火器を持ち込んでるヤツがいるぞ!」
「市場法違反だぁーっ!」
火器? ≪火炎波≫の名は今ではそんなふうに変化しているのだろうか?
いや、魔法は今の時代、とっくに衰えたはずだが……?
ドワーフの胴元は目を回し、明らかに委縮している。
周囲の混乱は拍車がかかり、ほとんど狂乱の様相を呈していた。
そこに──
「あそこだーっ! 見つけたぞ! デムケン、こっちだ!」
青い軍服を身に着けた少年といっていいほど若い男がふたり、混乱をかき分けて地べたに転がるドワーフの胴元へと迫る。
「げっ! サウズン、デムケン……海尉心得……どの!」
「ロウガム、賭博は上陸規則違反だぞ! おまけに武器庫から銃を持ち出したな! 縛り首になりたいのか!?」
「ち、違うんでさぁ! ぶっ放したのは俺じゃねえ! そこにいる──」
ミュリエラはすでに姿を消していた。
「あンの女~~~~!!」
ロウガムと呼ばれたドワーフの胴元は逆上し、上官にあたるはずの海尉心得の制止も聞かず走り出した。
「くそっ! 本気で縛り首になっちまうぞ!? デムケン、ノールドルストム海尉を呼びに行け!」
ミュリエラは入り組んだ市場の露店街を走っていた。
少し、騒ぎになりすぎたかもしれない。
アニエとリリの姿は見えない。リリが主人を安全に馬車まで誘導してくれていればよいのだが。
「……じゃが、しかし、みな驚きすぎではないか?」
『ミュリエラ様……町中で刃傷沙汰も珍しくなかった千年前とは状況が違うのでございます』
「わらわの魔法は銃とやらに間違われたらしい。何じゃ、それは?」
『銃とは、火薬を用いて金属の球を撃ちだす殺傷武器です』
「なに、ボマラスの粉じゃと? ボマラスの粉を用いてボマラスを撃つ? さっぱりわからぬ」
露店街を遠回りに巡り、馬車を待たせてあった場所まで急ぐ。
確か、この路地を背にして右へ曲がれば──
と、そこで、あのドワーフの胴元とばったり出くわした。
「あ」と、二人が同時に声を出す。
「クソ丸太女がぁ!」ドワーフの胴元が大声で怒鳴る。
ミュリエラは回れ右して路地へと逃げ込んだ。
ドワーフの弱点は、持久力である。まさにその点で人間族はドワーフを上回り、農作業という長くつらい肉体労働に耐えることができるのだから。
女のミュリエラでも、時間さえかければ追っ手を撒けるはずだ。走りに走り、突き当たりの角を曲がると──
ミュリエラの背丈ほどの高さまで雑多な荷物が山積みになり、道を塞いでいた。
「しもうた……行き止まりじゃ」
背後には息を切らしたドワーフの胴元が迫っていた。
「こ、この女ぁ……てこずらせやがってぇ……」
肩で息をしながら、ドワーフがミュリエラへにじり寄る。
そこに──
荷物とミュリエラを飛び越えるようにして、青い軍服を身にまとった人物がドワーフへ強烈な飛び蹴りを食らわせた。
頑強とはいえ、体重を乗せて固い軍靴で蹴りつけられたら、ドワーフといえどひとたまりもない。胴元はもんどりうって倒れ、突っ伏したまま悶絶する。
いつの間にかミュリエラは地面にへたり込んでいた。
「ご婦人、お怪我はありませんか? 海軍を代表してお詫び申し上げます」
デミアル・ローム・ノールドルストム海尉は、今しがた制裁した不届きな部下は放っておき、危機に直面していた婦人に恭しく手を差し伸べる。
と、そこでデミアルは、雷に打たれたように動けなくなった。
デミアルの前で腰を落としている女性は、燃えるように鮮やかな赤い髪と、くりくり輝く灰色の瞳の持ち主であった。今しがたの事件のせいで表情にはやや怯えが見られるが、知性と自信にあふれた目には光が宿っている。紅をさしていないように見える厚い唇はそのままでも赤く、髪の色も相まって情熱的だ。
そんなことよりデミアルが心奪われたのは、肌である。
やや上気した頬には赤みが差しているものの、白粉を使っているわけでもないのにしみ一つ見当たらない。そのきめ細かさたるや、なにやら魔法でも使って永遠に容色を保っているかのように思えた。
婦人がデミアルの差し伸べた手をつかむ。
あたたかい。
彼女の指には印章指輪が光っていた。それほどの身分のひとなのか?
「お礼を申し上げまする」と、婦人は立ち上がりながら言う。
その声は若くもあり、老いてもあり、不思議な感覚をもたらす声音だった。
デミアルは、しびれたように婦人の手を握って離せなくなっていた。
赤子のように柔らかい手のひら。
肉体労働を何一つ知らぬ手。
デミアルは、船上生活で荒れて固くなった自分の手が急に恥ずかしくなって、あわてて離した。
──わたくしは、デミアル・ローム・ノールドルストム海尉。
そう声に出そうとしているのに、出ない。
貴婦人に対し、さっきからなんという無礼をはたらいているのだろう。
「ニドネ様ーーーーっっっ!!」
若い女の声が響き渡る。
路地を反対側に抜けた通りに、馬車が止まっていた。
誰かがそこから身を乗り出し、手を振っている。
貴婦人はそれに気づくとデミアルに一礼し、あわただしく走り、馬車に乗り込んで去ってしまった。
「ニドネ様」と、デミアルはやっと声を出す。
「ニドネか……美しい名だ!」
馬車の中で、ミュリエラはアニエとリリに謝罪した。
「まことに済まぬ。二度とせぬゆえ、許してたもれ」
「ミュリエラ様、賭け事お強いんですね~~!」
アニエは相変わらずだ。
気晴らしとしてはすこぶる刺激的だったのだろう、表情が明るい。
その反面、リリはアニエを抱きしめ、厳しい顔でミュリエラを見据えている。
「本当に……危ないんですから、頼みますよ。伯爵夫人様」
リリの声には静かな怒りが感じられる。
どうやら、リリがアニエに甲斐甲斐しく仕える理由は、わが身の栄達だけではないように思えた。
「しかし、あの御仁……どこかで会ったかのう?」
読まなくてもいい作中のメーノン語の解説
valkapp 【名詞】士官候補生。海尉心得(海軍)、従騎尉(陸軍)
elidivua 【名詞】火器。銃器から爆弾、火炎放射器にいたるまで、火に関係する武器全般を指す
bomaras 【名詞】銃砲
bomarasdwuf 【名詞】火薬。短縮形 bomdwuf
bomaravua 【名詞】砲手。銃砲 bomaras に操作者や動作を表す接尾辞 -vua がついたもの
flwu 【名詞】女性一般の敬称。特に未婚女性を指す。~嬢、~様。名前の後ろにつく
日本語:
元の木阿弥
メーノン語:
le joklor shalaif le ceklor (直訳:回転/輪が再び帰って循環となる)