神に祈りを捧げる
「よく来ましたね、ジネヴラ」
執務室でジネヴラを迎えた大祭司が、柔和な顔を綻ばせる。
彼はジネヴラにとって恩義のある人でもある。
かつて神殿で盗難事件があったとき、ジネヴラを助けたのはこの大祭司だった。
慈愛の大祭司、アンガス・ワース。
グレイの髪に、寒い冬空を思わせるスレートブルーの瞳。
「さて今日は、詩歌の百二篇をお願いします。懺悔のあと聞きたいそうですから」
「輪廻の篇ですね」
「ええ。合図をしますので、頼みます」
「畏まりました」
「我らは神に引き上げていただく、と。私がそう言ったら、詠ってください」
告解室の扉が開き、大祭司はその中に消えていった。
香部屋と告解室の隙間の祭壇。
ジネヴラはそこでアンガス大祭司の指示を待つ。
か細い女性の声がした。
(私に出来ることはこのくらい)
それでも、神殿に来た頃よりは進歩していると、ジネヴラは自負している。
彼女は燭台の蝋燭で短いものは長いものへと付け替え、灯をともした。
橙の暖かな光が揺れて、長い影法師が伸びる。
油を注ぎ、聖具である皿を双方清め、新しい真白の布の上に並べていく。
手のひらを合わせると指を交差させて組み、膝からおれて地面に屈む。
そして頭を垂れて祈る。
大祭司の一際大きな声が響いた。
『我らは神に引き上げていただく』
ジネヴラは小さく開いた口から、腹へと空気を送り込んだ。
少しずつそれを吐き出しながら、低音が静かに室内を満たしていく。
告解室の人の心が少しでも安らかならんことを、祈るように、願うように。
《きんの国は 何もかも美しく
ぎんの国は 頑是ない子供
せいどうの国は 血塗れで
てつの国は 救いがない
ああ 生まれてこなければ良かった
この世は苦しい
繰り返し 繰り返し
苦しみを越える喜びなど 誰が決めようか
何度となくさ迷いて
嘆く声も 高い塀も槍も
役には立たぬ
ただ天秤の正しきはかりが導く
何者もそれには逆らえぬ
………
伝令の空高く いと高きところ
角笛の かくも尊き響き
七色の光
其は約束の印
苦しみのない国へ
ただ その日は近い》
聖詠の一通りを口ずさみ、伏して身体を投げ出す。
その時、彼女は世界が回るのを自覚した。
(これは、何)
色。
七つの色が溢れて、視界を染め上げていく。
赤、橙、黄、緑、水色、青、紫。
それらは粒状になって丸い縁を描いたかと思えば、線のように繋がって、弾けて広がっていく。
彼女の投げ出した身体はその光の上方にあるようで、下方のようでもある。
ただ、浮遊感がその中心を不安定にさせており、まるで雲の上にいるような心地がしていた。
七色の光は、やがて収束していくつかの景色を産み出した。
そこには見知った顔や景色もあり、全く馴染みのないものでもあった。
「あの人はそんなんじゃない。国を憂えていらっしゃるのだ」
「あの人を悪くいうな」
「反逆罪でアデラ王女を拘束せよ」
「謀叛人、カシェル一等騎士を捕らえろ」
「違う。私は唆されたのよ」
「とんだ野郎だ。あのお綺麗な顔で王女をたらしこんだらしい」
断片的に流れる色達。
引きちぎられた虎の紋。
ジネヴラはそれらに翻弄される。
流れる色の中にはジネヴラ自身もいる。
「反逆罪?」
「そんなはずないわ。彼は王国に忠実で」
ジネヴラは頭をふった。
カシェルの頭上に、斧が振り下ろされたのだ。
「可哀想な子」
目の前に広がる赤に思わず顔を覆い、叫ぶ。
それは流れる景色の中のジネヴラなのか、自分自身なのか、彼女にはわからなくなっていた。
前後不覚になり反転する視界の中、両手で顔を覆う。
「誰か、彼を助けて」
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