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1 朗詠師

深い、深い。

漆黒の、深い深い闇のような黒髪。

しかしよく見れば黒髪ではなく、光が当たったそれは、海の底に一筋の光が差したような、藍色。

温かな色味の大理石の列柱を進む姿は凛として、太陽の光が差し込む回廊に、銀糸の刺繍が鮮やかに浮き上がる。

肘までを覆う外套と服は王家の色である鮮やかな青色で、詰まった襟元には銀のブローチが鎮座している。

ブローチの装飾の柄は狼。

騎士の最高峰とされる第一師団の所属を意味している。

回廊を淀みなく進むその少年の、夜明け前の空に似た青灰色の瞳に、新緑の庭園の木漏れ日が星屑を散らしたように映り込む。

その瞳にうつるのは木漏れ日の光、庭園の緑、そして若草色の髪の少女。

少女の金の瞳は、()の藍色を映して揺らめいた。


「ジネヴラ・ヴィッカー。寝坊でもしたのか」


横柄なものいいの少年に、ジネヴラと呼ばれた少女はかしづく。


「いいえ。カシェル・ロイド・イーシュ二等騎士様」

「半月前に一等騎士となったが、聞いていないか」

「失礼いたしました。昇進おめでとうございます。カシェル様」


頭を下げる少女に、カシェルは横柄な溜め息を態とらしく吐いてみせる。

ジネヴラの小さな肩が揺れる。


「相変わらず神殿と寝床の往復しかしてないのか。敬虔は美徳だろうが世情に疎いのは問題だな。少しは王宮勤めをしたらどうだ」

「…王宮の朗詠(ろうえい)は神殿でも高位のものだけが許可されてますから」


カシェルは爪先で床を細かく何度か叩き、腕組みしてジネヴラから目を逸らした。


「お前は銀一位朗詠師だろう。謙遜にもならんぞ。気が向いたら勤めに上がれ。神殿に籠りすぎる奴らは顔色が悪い」


銀一位朗詠師は、聖詠を暗唱出来る者のことだ。

位階の段階として、銅は一位から十位まで、銀は一位から五位まであり、金は一位のみである。

詩歌四百二十篇、救歌四十三篇、戦歌百十八篇、典礼歌二百八篇を聖詠と呼び、それらを譜面で諳じることが出来るものを銅一位、暗唱出来るものが銀一位、銀一位の中で優れたものが金一位を与えられる。

聖詠は大半は古語であり、音階解釈も難解なため銅一位は全朗詠師の三分の一に満たず、銀一位は十名程度、金一位は現在五名である。

ジネヴラは、神殿の上位の朗詠師であり王城への出入りが認められている。


「ご心配いただき有り難うございます。ですが、私は血筋が」


神殿の役職には大祭司、祭司、師とあり、朗詠師は師にあたる。

朗詠師の金一位は祭司と同等の権限を与えられてはいる。

しかし神殿に勤めるもの達の多くは生まれが不確かなもの達で、役職についていないものも多い。

ジネヴラはヴィッカー(祭司の召使い)という姓を与えられた孤児である。


「いつまでも頭を下げなくて良い」


カシェルに促されジネヴラが顔をあげると、彼はゆっくりと口角をあげた。

ジネヴラは僅かに眉を寄せる。


「アデラ王女殿下は孤児を差別しない。賢いものは取り立てられる世の中だ」

「アデラ王女のご健勝、何よりでございます」

「お前はもう少し胸を張れ。銀一位朗詠師は希少だろう。あの方のように自信に満ち溢れていれば、結果は自ずとついてくる」


あの方、というのは王女のことだろう。


「王女様を模倣するなど、畏れ多いことです」

「それもそうだな。だが、それだけ価値のあるお方だということだ」


王女のことを誉めそやすカシェルは、どこか嬉しそうに見える。

ジネヴラはそれを見慣れた景色の一部と同じように受け流した。


「ところで、朝の礼拝の時間はとっくに始まっているが。サボりか?」

「今日は朗詠の担当ではないのです」

「成る程。大祭司に呼び出されたか」

「え」


瞠目する金の瞳と対照的に、細められた青灰色の瞳が交錯する。

腕組みを解いたカシェルの左手は彼の顎に当てられ、思案するように彼は言葉を紡ぐ。


「孤児院や食堂とは方角が違う。お前が宿舎から来たなら、神殿とも少し方向がずれるし、朗詠の担当ではない。告解室と香部屋がその先にはあるが、恐らくそれでもない。それより奧は、大祭司の執務室だ。寝坊でもなく庭園を斜めに横切るほど近道を選んだなら、初めから予定にはなかったということだろう?」

「まあ」


感心したのか、ぽん、と両手を胸の前で合わせて、ジネヴラの頬が緩む。


「凄いですわ。(わたくし)、何も言ってませんのに」


カシェルの耳が、僅かに動いた。


「ふん。また利用されてるんじゃないのか?僕の手を煩わせないよう、せいぜい気を付けるんだな」

「はい」

「なぜそこで笑う。どんくさいお前は世間に疎いだろうから、警告してるんだぞ」


花のように綻んだジネヴラに、カシェルは唇を歪ませる。

カシェルの嫌味はいつものことでもある。

何が言いたいのかを理解するのに時間がかかるが、ジネヴラに嫌悪感は湧いてこない。

ある事件をきっかけにといって良いのか、カシェルはジネヴラに構うようになった。

それは嫌悪感からなのか罪悪感からなのか、ジネヴラは後者に近いのではないかと思う。

何故なら彼の嫌味や辛辣な物言いは、結局ジネヴラのフォローになっている。

これは彼なりの不器用な優しさだと、ジネヴラは理解している。

そして何時しか、ジネヴラは彼にある想いを抱くようになった。

カシェルの瞳にジネヴラだけが映されている。


「はい。お心遣い感謝いたします」

「変な奴だな。お前は」


呆れたようにカシェルが呟くのと、甲高い靴音が重なる。

靴音はカシェルの背後から、肩越しに白い影が揺れた。


「こんなところで油を売っていたの。大祭司様が待ってらっしゃるわ。急いで」


白い影、大祭司つきの修道女は薄い茶色の髪を揺らして、息切れしながらジネヴラの肩を掴んだ。


「アリス様、申し訳ございません。すぐ参ります。カシェル様、御前失礼し…」

「良いから行きなさい。カシェル様、ご入り用でしたら私が伺います。神殿は何時でも誰もに開かれております」


アリスはジネヴラを力強く引っ張り、半ば強引にカシェルから引き離した。

ジネヴラはアリスに背中を押されてカシェルに背を向ける格好になり、大祭司の執務室へ向かう。

アリスはカシェルへ向き直ると、睥睨(へいげい)する。


「くだらんことだ」


カシェルは言葉と裏腹なアリスを無表情に一瞥し、踵を返した。

彼の背中が小さくなるのをアリスは見送り、(やが)て見えなくなると嘆息した。


「相変わらず無愛想な男ね。何を考えているのか」


独りごちて、アリスはジネヴラの後を追った。




→→→→→ジネヴラの次の行動を、次に表示されている、タイトル名のどれかから選んでください

※選択肢のエピソードのタイトルは、本投稿の10分後に予約投稿されます。



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