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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

不浄の地、満天の星

作者: 逆虹リンネ

 今日、世界は終わった。誇張表現や、拡大解釈では無い。世界は終わったのだ。


 私は、最期に自由意志を守るため、自殺という手段を取ることとなった。


 思えば、呆気ない人生だった。たったの16年しか生きていないのに、世界が終わってしまった。


 *


 元々、自殺にはさまざまな方法があった。電車、練炭、首吊りなど。


 だが、今できる方法は限られている。人を轢き殺すだけの電車を走らせる運転手は居ないし、練炭も縄も、早くに決断できた人間が持って行ってしまった。しょうがない。


 楽で確実な残された方法は、実に飛び降りくらいなものだ。私が今から行ける範囲だと、ビルからだろう。今は屋上なんていくらでも行ける。でも、弁当を持っていく気にはなれない。


 外に出れば、死臭がハッキリとして強くなる。死臭というものを知らない私ですら、死臭であると確信できる。そこらのマンションからも飛び降りている人がいるし、車を使ったらしい血痕と肉片が、夜の闇に溶け込んだアスファルトにへばりついていた。


 平常時であれば、まず間違いなく警察に連絡するだろうし、この胸に渦巻いた果てしなく嫌な感情を吐瀉していた。


 ──早く慣れないとな。だって、今から私は駅に行くんだから。駅付近のビルから飛び降りる。出遅れた者にはそれしかないんだ。


 マンションの方から、『骨肉と地面が衝突する音』がした。


 *


 今日、世界は終わった。空には、星が浮かんでいた。最期に見る空として満足できる程の、満天の星。くすんだ空を、星が飾っていた。


 きっと、あれは星になった人達なんだろう。私も、もうすぐ星座のひとつになる。


 歩き続ける。一定のリズムを保って。私が最期に聞く曲を、頭の中で流しながら。


 アスファルトを踏んだ音がしたり、肉を踏んだ音がしたり。血溜まりを踏んだ音がしたり。


 アンダンテに、狂気の音色を乗せて。


 いや、もはや狂気とは呼べない。これがもう、この世界の正気なのだ。


 畑の横を通る。農薬か何かを飲んで吐瀉物まみれで死んだ、時々野菜をくれた気のいいおじいさん。案山子が、来ることの無いカラスを見張っている。


 虫のリードも、蛙のコーラスもない。人の落ちる鈍い音と、足音が取るリズムに、血肉を踏んだ音が掛け合う演奏会。


 フィナーレは私の終わる音で飾れるだろうか。


 川は、死骸で堰き止まっていた。


 *


 今日、世界は終わった。本当に世界は終わったのだろうか? こんなことしているのは日本だけで、アメリカは朝が来ているのだろうか。


 本当に世界が終わったのなら、アメリカはもっと楽だろう。なぜなら、アメリカには銃がある。


 銃の知識は無いが、こめかみを撃ったら楽に逝けるはずだろう。


 自分の銃で死ねるんだ。愛着のある銃。それなら、さぞかし幸せに逝けたであろう。きっと、その後見る夢もいい夢のはずだ。


 私はこんな田舎の、店の名前も知らないビルの屋上から飛び降りるのだ。


 駅が近づいてきた。


 街灯が最期に照らすのは、死骸の山だった。


 *


 今日、世界は終わった。電気もついに途切れた。満天の星と月明かりだけがこの不浄の地を照らす。


 エアバッグの切られた改造車。ビルにぶつかりひしゃげて、煙を上げている。


 その車が爆ぜたら、その焦げたアスファルトを、死骸が覆う。爆発の衝撃で死骸が退かされ、アスファルトが露出し、すぐさま新たな死骸が覆う。


 足の踏み場は死骸の上であった。不浄の地の地面とは、この死骸だ。


 この血や骨肉に、もはや意味はない。土に還ることすらなく、いつかは乾き、風によって削られて粉となるだけ。命だったものなんて認識、持ったところで無意味だ。


 今の私に命があるとは思えない。ただ、終わった世界で時計を回すのが苦痛だから、自分の時間を止めるんだ。それが自殺というもの。


 人の雨。血の雨。肉の雨。ビル群の雲から、人が降ってくる。


 足に、生温い半固体がついた。


 *


 今日、世界は終わった。この世界はいつ始まったのだろうか。私の世界は、私が生まれた時に始まったのだろうか?


 私が生まれた時のことは覚えていない。私が生まれてから、自我というものを手に入れ、考え、記憶しだしたその時を覚えていない。


 私はいつから私だったのだろう。


 疑問を抱えて、階段を登る。その一段一段を登るのが、妙に重く感じた。あぁ、私は山を登っているのか。


 非常階段には、大量のロープが垂れ下がっていた。もちろん、そのロープには死骸がくくりつけられていた。


 その姿が私の目にはてるてる坊主のように映る。あぁ、今日は遠足の予定だったか。それなら、私はこの山を登るという遠足を果たすことができた。


 そのてるてる坊主に反して、雨は降り止まないわけだが。


 今から私も雨になるのだ。


 階段を登り切ると、並ぶという概念を捨て、覚悟の決まった者から飛んでゆく順番待ちができていた。


 屋上というこの空間で、誰も言葉を発さずに、ゾンビパニックに一息ついているかのように座り込んだ人の群れ。


 あぁ、私は生きている。


 そんな気がしてしまった。


 きっとこの人たちも、私のように覚悟が決まらず、やっとの思いで登り切った頂上で待っていた、『仲間』という言葉に、打ちひしがれているのだ。


──あなたたちも……ですか。


 空気を読まなかった私が、声を発する。声というものを発してしまう。音ではない、声を。


 何人かいる中の、三人と目が合う。


 命の砕け散る音、潰れる音、命だったものが奏でる狂気の音色を聴いて歩いてきた、私と、この人たちにとって、声という音は、あまりに神聖で。


 ──君みたいな子が死ぬのは残念だ……いや、悪い。取り消させてくれ。


 もうひとり、空気を読まない仲間がいた。声を、発してくれた仲間が。


 そういえば、高校の面接で、初めて会う人とも恐れずに会話ができる──とか言ったっけな。


 きっと私は先生方や先輩とも不和なく過ごせますと。そんな意味で言ったっけ。


 あの日は水の雨が降っていた。


 ──最期に人と会話が出来て良かったよ。それじゃ。


 空気を読まない男が、屋上から鳥のように羽ばたき、そのまま落ちていく。


 途絶えることの無いこの音の連鎖に、アクセント付きのフォルテッシモが奏でられた。


 今なら。今なら。後を追う形で。


 私にも覚悟が決められる。


 ここまで来たんだ。死ぬつもりでここまで登ってきたんだろ。


 手汗を握り込む私の肩を叩いたのは、1人の長身の女性だった。


 ──私は降りる。


 階段をおりる金属音。


 ……え?


 降りた、のか。降りているんだ。あの女性は。


 あの男性に引っ張られる私の心が、女性にも引っ張られる。真逆の方向に伸びる2本のロープ。このロープが、私の心臓を引き千切ってくれたら、決断せずに済んだのに。


 何も出来ず、座り込む。ただ目を閉じて、何も出来なくなる。


 このまま、命というものが消え去って、全てが終わりになって欲しいと、心から願った。


 閉じた瞼の隙間から、星がこぼれ落ちる。きっと、あの空気の読めない男だ。


 置物の私の耳に、4分の4拍子が染み込む。脳みそが液体になって、私の脳の中で波を立てている。


 その波に、痛みというものが浮かべられて、頭蓋に打ち付けられる。


 本当に世界は終わってしまったのだろうか?


 あの女性はどこに向かったのだろうか。


 ふと、目が開き、ビルの下を見る。


 不浄の地、埋め尽くされた死体の山に──


 *


 目を覚ますと、そこには誰もいなかった。


 全ての人は、私よりも決断が早く、私は世界で最後の一人らしい。


 私の、荒い呼吸音と心音だけが、静寂に包まれた世界に響いていた。


 呼吸の仕方がわからなくなる。


 破られた柵。屋上の縁に立つ。


 向かい風なのか、追い風なのか分からない、ただ吹く風。


 私は、振り子が振れるように。単なる運動ひとつのように。


 不浄の大地へと、吸い込まれていく。


 満天の星を見上げて、星座に思いを馳せて、目を閉じた。


 そして私は──

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