回帰
掲げた右手に、魔力が練成されていく。
極最小サイズ、粒子状に分解した魔力に催眠効果を付与する。
黒魔術師なら誰もが覚える催眠魔術だ。
それを上空に放ち、霧のように地面へと降らせる。
「おいおい、まじでミノタウロ……ス……なんて……」
「あれ……なんか……」
「なに――」
「――――」
霧を吸い込み、全員が抵抗することもできず力なくその場に倒れこんでいく。
魔術耐性の低い魔術師なら、まず抵抗できない。
もし俺が敵であり、彼らと対峙していた存在なら防ぐ手段はいくらでもあっただろう。
だが、彼らの警戒は全てミノタウロスへと向けられていた。
そんな状況で、この魔術に抗えるわけがない。
それが、魔術師同士の戦いだ。
相手は常に何の情報もないところから、特殊な攻撃をしてくる。
それを瞬時に理解し、対応し、そして勝利する。魔術師同士の戦いは生半可なものではないのだ。
「グルゥゥウ……」
だが、魔物は別だ。
彼らは構造からして特殊であり、人間以上に魔術耐性が高い。
この程度の睡眠魔術では、意識してようとしてまいと眠ることはない。
「まあ、眠らせておくだけだと危ないから。完璧に消させてもらう」
俺は静かに構える。
「!!!」
瞬間、ミノタウロスが一気に警戒を強める。
野生の本能が、俺が今までどれだけの魔物を狩って来たかを察知しているのだ。
狂化されているとはいえ……いや、狂化されたことでより敏感になった本能が警告を上げているのだ。
俺はそのままミノタウロスに近づいていくと、音もなく黒剣を右手に生成する。
「グ……グウラアアアアア!!!!」
瞬時にその脅威を理解したミノタウロスは、無我夢中で突進してくる。
足を踏み込むたびに地面に深い足跡を残して土埃を巻き上げ、赤く血走った瞳はより鋭利に、口からは涎をまき散らしながら一心不乱に俺の命を狩るために突撃してくる。
振り上げた斧は巨大で、その威圧感に負け、体を硬直させてしまえば最後。人間の身体で障壁なしに受ければ真っ二つになってしまうだろう。
だが、この程度の威圧感は慣れている。
迫りくる死の影も、魔物特有の邪悪な表情も。
俺はただ無表情に、顔すれすれに振り下ろされる魔の一撃を、体を捻り避ける。
身体の真横を通り過ぎ、物凄い風圧を生んだ斧は、虚しくも地面に深々と突き刺さる。
「!?!?」
何故避けられたか、その現実さえ理解できずに困惑するミノタウロスをよそに、俺は黒剣をただ無造作に左から右へと振り切る。
ヒュン――。
そんな、微風が吹いたかのような、意識しないと聞こえない程静かな音。
ミノタウロスは何が起きたかも理解できない様子で、一瞬間があった後すぐさま攻撃の意識を取り戻し、不発に終わった斧をもう一度振り上げる。
しかし、その腰には横一線の黒い線が浮かび上がる。
そこから、ふつふつと赤い血がにじみ出してくる。
「グァ――」
そう短く呻く。
ミノタウロスの上半身は、斧を振り上げた重みでガクリと前に《《ずれる》》。
そして。
「黒剣――“回帰”」
刹那、ミノタウロスに刻まれた剣傷の中心から、黒い影が弾ける。
それは球体の形を取りミノタウロスを包み込むと、まるで渦のように回転し、そして中心へと回帰していく。
ミノタウロスの肉体はその渦に飲み込まれると、傷跡の中心へと吸い込まれて行き、そしてバシュ! と黒い稲妻を迸らせると、その場から姿を消した。
その場に立っていたのは、俺ただ一人となった。




