無能のレッテル
ヴィクティムの表情は、さっきまでリーゼに向けていたようなものとは全く違っていた。
「え、噂って?」
リーゼは首をかしげる。
ヴィクティムは口元を抑えながら、険しい顔のまま俺の方を睨み続ける。
すると、周りの受験生たちもヒソヒソと話し始め、所々からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
周りも知っている噂か。反応を見るに、どうやらいい噂では無さそうだ。
「……噂ですよ。リーゼリア嬢が助けた平民の少年の話は、それなりに広まってます」
「あぁ! そういうことね。そうそう、この人がそのレクスで――」
しかし、ヴィクティムはリーゼの話を遮り、続ける。
「リーゼリア・アーヴィンという大天才の影に隠れた凡人……――魔術もろくにできない《《無能》》と聞いていますよ」
「なっ……! レクスは無能じゃないよ!」
リーゼは声を荒げて反論する。
「……いやいや、失敬。無能は言葉が悪かったですね。言い方を変えるなら……そうだな、分不相応にも関わらずリーゼリア嬢の隣に平気でいる迷惑をかける平民、といったところですかね。虫唾が走る」
あぁ、なるほど。今理解した。
こいつの言いぶり的に、俺が拾われてきた子だというのは貴族の噂で広まっているようだ。魔術は使えるが、リーゼと比較すれば至って平凡な少年だと。
力がないにもかかわらずリーゼの護衛だと言い張る平民……才能あふれる貴族様からすれば、許せないという訳か。
「あなたのような天才は優秀なものと切磋琢磨するべきだ。それに、あなたほど価値のある方の護衛とするなら、もっとまともな人選をするべきですよ」
「ちょっと……さすがにレクスのこと悪く言うのは私も黙っていられないんだけど」
リーゼは、珍しい剣幕と低い声でヴィクティムを睨む。
すると、それを見たヴィクティムは大きくため息をつく。
「リーゼリア嬢……。この男は、あなたの優しさに漬け込み、強くなるという努力もまともにしないで護衛という地位に甘んじているろくでなしですよ。目を覚ましてください。こんな無能を傍に置いておくとあなたも品位が疑われますよ」
「見もしないで決めつけないで……!」
リーゼの怒りに合わせて、魔力が自然と昂っていくのがわかる。
まずい、爆発しかねない。
「いい加減に――」
「落ち着け、リーゼ」
「でも……!」
俺はヒートアップし、今にも飛び掛かりそうなリーゼの肩を抑える。
すると、そのやりとりに嫌悪を抱いたのはヴィクティムだった。
「……リーゼだと? 仮にも伯爵令嬢であるリーゼリア嬢に、お前が不遜にもあだ名で彼女を呼ぶか!? つくづく苛立たせる……!」
「私がそうお願いしたの」
「あなたが? まったく、その男に何か弱みでも握られているのですか。あなたにはもっと相応しい人が居ますよ」
と、ヴィクティムがリーゼに近づいてくる。
俺はリーゼの前に一歩に出て、リーゼを庇うようにそれを遮る。
「……何のつもりだ?」
「あなたは気に食わないかもしれないが、俺はリーゼの護衛だ。それ以上近寄るなら、抜かざるを得ない」
俺は腰の剣にそっと手を添える。
それを見たヴィクティムは口角を上げ、ニヤニヤしながら言う。
「おぉ、怖い。魔術が使えないとなると今度は剣か。平民は野蛮だな。魔術もまともに使えんお前に、本当に私を止められると思っているのか?」
「試してみるか?」
「ふん、私が貴様のような平民の相手をすると? そんな弱者をいじめるようなことを私がするとでも思っているのか? 断る――と、普段なら言うだろうな」
ヴィクティムは不敵な笑みで続ける。
「だが、喜べ! 貴様の存在、そしてその不遜な行いを知ってから私は貴様と会ったら地べたに這いずらせ、その行いを後悔させることを楽しみにしていたんだよ!」
そういってヴィクティムは羽織っているマントを外し、投げ捨てる。
「天才に巣食う寄生虫が。私が引導を渡してやろう」
「ちょ、ちょっと、レクス! 駄目だよ! 相手は魔術師だよ!? 危ないから……!」
さすがのリーゼも、これには止めに入る。
俺が一般的な基準で言えばあくまでも平凡な魔術師だということは理解しているのだ(見せかけの力ではだが)。
ヴィクティムは貴族だ、まず間違いなく魔術に長けている。相当な自信があるのだろう。それと比べ、剣術しか取り柄のない魔術弱者の俺では、この場では勝ち目が薄いことは周知の事実だ。
「試験前にそんな……!」
「…………」
リーゼは悲しそうな顔をしながら俺の服の裾を掴んでいる。
確かに、ここで挑発にのって戦ってしまえば、俺の力を大々的に見せることになってしまう。それだけは絶対に駄目だ。俺がリーゼより目立っていいわけがない。
仮にここでヴィクティムを上手い具合に俺の株を上げずに倒せたとして、それはそれで今後のリーゼの動き方を狭めてしまうかもしれない。仮にも奴も伯爵だ、リーゼに対して不利益が被ってしまうようでは護衛として失格だ。
……やはりここは引き下がるのが無難か。
「……そうだな。いや、失礼した。あなたと争う気はない」
俺は剣から手を離し、降参の意を込めて手を上げる。
すると、さっきよりも大きく、クスクスと周りから笑い声が聞こえてくる。
「嘘だろ、やんねえのかよ」
「え、今の流れで降参?」
「ダサすぎない……? それでも護衛なのこの人……」
「女の金魚の糞かよ」
ざわざわと周りが騒がしくなる。
あぁあぁ、言われてるな。
まあしょうがない。俺自信の周りの評価はどうでもいいんだし。
当のヴィクティムも、呆れたように額を抑えため息をつき、肩を竦めている。
「……――はあ、拍子抜けだよ、まったく。だが懸命な判断だよ、無能君。ご主人様の前で無様を晒さないで済んで良かったじゃないか」
ヴィクティムは俺の方へとゆっくり歩いてくる。
「リーゼリア嬢のご厚意に甘えるゴミの上に、自分の尊厳の為にも戦えない臆病者……まったく、とことん虫唾が走る奴だ。そんなことでどうやってリーゼリア嬢を守るつもり何だか」
そして、俺の横まで来ると、ポンと肩に手を乗せる。
「――君ではリーゼリア嬢を守れない。その調子じゃあ、どうせ試験にも落ちるんだ。私も大人げなかったよ。君を見るのもこれが最後だろう。今のうちに、今後の身の振り方を考えておくんだな」
「……忠告どうも。だが、余計なお世話だ。俺がリーゼを守る」
「ふん、口だけは立派だな。恥をかかないうちに家に帰ると良い。そして二度と面を見せるな」
そう言い残してヴィクティムは俺から離れると、リーゼに向かって深々とお辞儀をする。
「それでは私はこれで、リーゼリア嬢。お騒がせして申し訳なかった。どうやら、私の期待した無能ではなく、更にそれを下回るゴミだったようだ。大人げなく、申し訳ない。それでは、私はこれで」
そうして、ヴィクティムは俺達の前から去って行った。
周りに集まっていたやじ馬たちも、散り散りになっていく。
すると、悲しそうな顔をしたリーゼが俯き気味に言う。
「……レクス……。私は、レクスが護衛で嬉しいよ? 別に、レクスが強くならなくたって……」
「心配しなくても、俺は平気だよ。それより、俺のせいで嫌な思いさせてごめんな」
「そんなことないよ! やっぱあいつ私の魔術で粉々に――」
「それはやめろ」
俺は笑いながらリーゼの頭をぽんと撫でる。
「いいさ、今は試験に集中しよう。リーゼもそんな興奮してたら失敗するぜ?」
「――だね」
リーゼはパチンと自分の頬を叩き、気合を入れる。
「あんな無礼な奴は忘れよう! 私が良いって言ってるんだからそれでいいの!」
「はは、そうだな」
「うん! それじゃあ、気を取りなおして試験に向かおう!」