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ニュースリー・ドリンカー

作者: テイク

「あい、っだあ!?」


 オオノは思わず、自分が出した声にびっくりするほどの悲鳴を上げてしまった。

 寝起きで水を飲もうと台所へ向かおうとした矢先、昨晩、同居人が片付けていたはずのタコヤキ機に蹴躓く羽目になったからだ。

 昨日片づけるところを見たどころか自分が片付けたはずなのだが、どうしてそれが床にあったのか。

 ありえないことに混乱状態に陥ったオオノは、当然のようにぶっ倒れた。


「ひぎぃぃぃ!?」


 連続する悲鳴。

 近所迷惑極まりないが、幸いなことにこの事務所の上下左右にテナントは入っていないから誰も文句を言いに、あるいは悲鳴を聞きつけて助けに来てくれることはない。

 ただ同居人は目を覚ました。

 同居人であるところのコバヤシという青年は、オオノが蹴っ飛ばしたそのタコヤキ機が頭に直撃した衝撃で目を覚ましたのだ。


「んあ? なんや、オオノ。朝っぱらからどないしたん? 女の子なんやからそんな姿はさすがにヤバイと思うで?」

「ぐふぅぅ……」


 タコヤキ機が頭に直撃したというのにケロりとしているコバヤシに対して、オオノは足にそこそこの重量物の直撃と床への頭からのダイブをしてしまったので言葉にならない。

 ついでに言えば一連の動作で寝間着として使っている学校指定の体操服のズボンが脱げかけてしまい、パンツが丸見えになってしまっているし、ずっこけた姿勢から尻が上に上がってしまっていてそれはもうあられもない。

 そんな状態であるが、やはり痛みの方が勝るので声が上げられないのであった。

 それでもどうにかこうにか立ち直ったオオノは、立ち上がるとコバヤシをにらみつけた。


「なんっで! なんでタコヤキ機が床に置きっぱなしになってるんですか!」


 オオノはダンッ! とテーブルに手を叩きつけたかったが、寸前で自分が寝床にしていたソファーへと軌道を修正する羽目になった。

 ポインと、柔らかい反発。

 ただし、少しでも落下点がズレていたら、危うく飛び出していたスプリングに手を貫かれていたことだろう。心臓が縮み上がる。

 朝から心臓に悪いことしか起きていない。いや、心臓だけでなく身体にもだいぶ悪かったが。

 それも含めて問い詰めなければならないだろう。


「昨日片づけたはずのタコヤキの生地とか具材までテーブルの上に戻ってますし!」

「そりゃぁ、二次会をやったからに決まっとるやろ?」


 そんなオオノのひたすらにひやひやした衝撃体験の真相を、あくび交じりに話すコバヤシには怒りがわいてくる。


「そんなことより」

「わたしのひやひや体験をそんなことで済ませないでください。ぶっ飛ばしますよ」

「そんなことより、さっさと用意して行こうやないか。ようやくここまで来たんやから」


 コバヤシは、真剣な顔でそういった。


「――――」


 まったくもって、やめてくれとオオノは思う。

 いつもへらへらとしたエセ関西弁キャラのクセに、こういう時だけ真面目を出してくるのはやめろと言いたい。


「……はぁ…………わかりました。準備するので、コバヤシもしてください」

「もちろん、ちゃんと仕事着や」


 そういえばとオオノはようやくここでコバヤシが仕事着姿であることに気が付いた。


(こいつ、仕事着で寝ていたな?)


 という話はさておき、コバヤシはよれた紺のシャツ(首元は大いに空いているゆるさ)の上に丈夫なジャケットを羽織っていたし、小さな丸サングラスに帽子とフル装備だ。

 編み上げブーツまでしっかりと履いている。

 オオノの目も半眼になろうというものであった。


「なんで、今日に限ってそんなに準備いいんですか。遠足前の子供ですか」

「そりゃ、今日が念願の日やからやって。俺にとってもオオノにとってもそやろ? 気合も入るちゅうもんや」

「それで二次会ですか……はぁ……。じゃあ、着替えます。パンでも焼いててください」

「あ、俺、タコヤキ二次会したから朝飯ええわ」

「わ・た・し・が! いるんです!」


 そうやって台所にコバヤシを追い出してからオオノは着替えることにする。

 寝間着を畳んでソファーの上に置いておいて、ハンガーにかけてあった仕事着へと着替える。


 何年も前に行くことを止めた高校指定のセーラー服を着て、その上にサイズの合っていない男物のジェケットを羽織る。

 それから左右でメーカーもデザインも色も違う赤と青のスニーカーを履いて、こつこつと床で調子を確かめる。


「うん、悪くない」


 大事な日だ。靴の調子が悪いというのは遠慮願いたいところだった。

 ただでさえ左右でサイズもメーカーもデザインも違うのだ。詰め物とかで色々きちんとしておかないと満足に動けなくなるのだからこの確認は重要だ。問題なし。オーケー。

 最後に、左腕のリストバンドがズレていないかを確かめてオオノも準備は完了。


「ほら、できたで」


 そんな完了後、最後に出されるのは似合わないピンク色のエプロン(もちろんオオノの所持品)に無理矢理筋肉を詰め込んでいるコバヤシと、皿代わりのフライパンの上に乗った焦げたトースト。

 まったく完璧な朝食だ。危うくうら若き女の子が言ったらダメな悪口が出そうなくらいである。

 ぐっとそれは飲み込んで一言。


「コンビニ寄ってください」


 オオノはそんな炭を食べることを諦めた。


「もちろんや。わいも朝食買いたいしな」


 コバヤシはぽいっとフライパンを捨てた。

 フライパンを捨てるなさっきタコヤキ食ったからいらないって言ったじゃないかこの野郎、などという暴言が飛び出しかけた。

 それもやはり出なかったが。


「んじゃ、行こか。オオノ、アバウトルート社の研究所をぶっ壊しに」

「はい」


 そんなこんな、二人は事務所を出発する。

 二人の背後で『コバヤシ怪物処理事務所』と書かれた看板が揺れた。


 ●


 コバヤシとオオノを乗せた2人乗り軽マイクロクーペが車道を軽快に走っている。

 窓からは今日も高くそびえる東京を取り囲んだ壁が見て取れた。

 最もオオノの関心は今のところその壁よりも運転席のコバヤシにあった。


「ほんと、こんな小さな車によく乗ってますよね」


 オオノは隣を見ながらそう思う。

 ぎゅうぎゅう詰めだ。ピーマンの肉詰めくらい詰め詰め。サイズ感がガリバー旅行記。

 小人の車に大の大人が乗っているみたいですらある。

 いや、みたいではなく、直でそのままだ。


「なんでや。めっちゃええやろ」

「身動きとれないじゃないですか」


 オオノですら狭いと感じるのに、オオノよりも上背がある上に筋肉もついている成人男性であるコバヤシにとっては、狭いどころか窮屈通り越して、こんなところに入りたくないと思っても仕方ないレベルだろう。

 それなにのコバヤシは心底楽しそうに運転している。

 身体を折り曲げて運転席に押し込み(かなりはみ出している。そのおかげでより一層オオノも窮屈さを感じているのだが)、体操座りをずいぶん大層な感じにしながらニコニコ笑顔で運転中。

 首を回すのにも難儀するようだから、コバヤシは前を見たままオオノの方をちらりとすることもない。


「わかっとらんなー。この小ささがかわええやんか」

「笑顔でそういう成人男性、ぶっちゃけキモイと思います」

「なんやて!」


 悪口を言ってもこちらを見て言い返してくることがないことだけが、この車の良い所だろうとオオノは思った。

 その時、コバヤシのスマホのアラームが鳴る。別にこの時間にセットしていたわけではない。スマホに入っているアプリのものだ。


「オオノ。俺、今ハンドルしか掴めへんから。ちょっと取って見てや。胸ポケットに入っとる」

「わたしに懐を探れと? 変態ですね。なんで車に乗る前に出しておかないんですか」

「忘れとったんや」

「他に忘れてることないでしょうね……」


 と言いつつ、仕方なくオオノはコバヤシの懐を探る。

 高身長細身に見えるコバヤシであるが、筋肉はびっしりで否応なくその胸板の厚さが感じられてしまい年頃の女子であるところのオオノは少しばかりドギマギする。

 ただアラームがうるさ過ぎてすぐにそんな感情はどっか飛んで行った。マナーモードにしろと言いたい。


「βジャーム警報、場所は……近いですね。受注しておきます?」

「まだ時間あるし、やってこか。案内してや、オオノ」

「今の交差点を左です」

「もっとはよ、言って?」

「なら最初からスマホをわたしに持たせておいてください」

「検索履歴とか見られたくないやん?」

「タコヤキとオコノミヤキしかない検索履歴に何を感じろって言うんですか」


 呆れつつオオノはナビを続け、コバヤシは言う通りに運転し現場へと到着する。


「んー、はー。この瞬間が最高やわ」


 車から降りて伸びを一つするコバヤシ。オオノはそんな彼にジトーっとした視線を向けるばかりだ。

 コバヤシはそんな視線は馬耳東風と、トランクを開けて黒の革手袋をしてから中から仕事道具を取り出す。


 それは一振りの刀の形をしていた。

 コバヤシは、それを腰のベルトに差す。それで準備完了とばかりにトランクを閉める。


「さて、行こか」


 オオノは丸腰であるが、問題ないとばかりに頷いた。


 トウキョウにありふれたビル街の隙間へと二人は入っていく。

 影の中、ひっそりとソレは佇んでいた。

 ソレはまさしく怪物であった。人よりも数倍大きい肉体に、コウモリとワニを合体させたような顔。四肢は丸太のように太く、皮膜のような翼がついていた。

 そんな怪物の足元には中央にくびれが設けられた容器と、乳白色の液体が少しだけこぼれていた。


「いたなぁ、βジャーム」


 コバヤシの緩く聞こえる関西弁が響く。オオノに緊張が走る。目的は間違いなく目の前のこいつだ。


 βジャーム。

 それがこの怪物の名前だった。ほとんどただ怪物と呼ばれるもの。

 怪物の足元に転がっているアバウトルート社が実験都市トウキョウに流通させている飲み物――ν3菌飲料――を飲んだ人間が、ν3菌に適合できず超能力を得られなかった場合に変異する。

 いずれ理性なく目についたものを襲う正真正銘の怪物だ。


 こいつを処理するのが二人の仕事である。


「まだ飲んだばかりやな」

「どっちが?」

「まあ俺で良いやろ。今日はどんくらい力使うかわからんし、温存しとき」

「わかりました」


 コバヤシが前に出て、オオノは何かあった場合のバックアップとして一歩下がる。

 そこでようやく怪物は、コバヤシの存在に気が付いたようだった。

 ぎょろりとした目を、コバヤシに向ける。


「ほな、さっさと処理しよか」


 視線に応えるようにコバヤシは呟く。

 しゃらりと腰の刀を抜き放つ。雷神様の太鼓のような特徴的な鍔を持った刀だ。


 怪物は目を細めた。明らかに舐めているような顔つきとなる。

 刀は近づかれなければ意味がない。まるでそう言っているかのようであった。


「なんや馬鹿にされとる感じやなぁ。まあ、ええけどね。その方が楽やわ」


 そう言ってコバヤシは何もないところで刀を振った。

 まるで意味のない素振り。しかし、効果は如実である。


『GA?』


 怪物が声を上げる。

 怪物の肩口から斬られたように血が噴き出す。


『GAAAAAA!?』


 刀の間合いでもないのに、斬られたことに混乱したように声を上げる怪物。

 コバヤシがさらに二度振れば、二つの傷が怪物につく。

 なんだ、まさか飛ぶ斬撃とでも言うのか。

 まさか、そんなわけはない。


「相変わらずえげつないですね」


 オオノは目の前で行われている戦闘を見ながら呟く。


「静穏性斬撃銃あ号三式刀……()()()()()()()()()()を飛ばすなんてクソ非常識な銃なんて、本当よく使いますよ」


 オオノが言った通り、コバヤシがやっているのは斬撃を飛ばすのではなく、斬撃型の弾丸を飛ばしている行為だ。

 冷静に見れば、肉体に食い込んでいる弾丸に気づくだろう。

 ただ初見でこれをやられたら、冷静な対処なんてできない。

 限りなく無音に近く、普通の銃の弾丸と同じ速度で飛んでくる斬撃型の弾丸なんて、どんな冗談だという話だ。

 そんな冗談がオオノを救った日のことを彼女は今でもよく夢に見る。悪夢というやつだ。


『GRAAAAAAAA!』

「お?」


 さて、そんな非常識極まる弾丸を都合五発撃ち込んだところで、怪物が咆哮を上げた。


「怒り心頭って感じやなぁ」

「コバヤシ、何をやってくるかわからないんですから慎重に」

「はいはい。わかってるって。コバヤシさんは過去最高に慎重やから」


 などと、そんな話をしていたのが悪かった。

 怪物はその隙に能力を発動する。

 大きく口を開き、そこから衝撃波を放つ。ただの衝撃波というよりかは音撃というべき一撃で、路地に置いてあったゴミ箱が粉々に分解される。

 確かな殺傷性を持った一撃。


「慎重がなんでしたっけ?」


 しかし、その一撃はコバヤシの一歩手前で何かに阻まれたように霧散する。


「いやいや、俺、悪くなくない?」

「さっさと処理してれば、わたしが防がなくてよかったんです。ああもう、無駄に超能力使っちゃいました」

「まあ、助かったわ。ありがとうな」

「ならコンビニで何か奢ってください」

「おにぎりでええ?」

「一番安いとこ行きましたね。アイスが良いです。プレミアムな奴」

「えぇ、お腹壊すよ?」

「壊しません。女子高生ですから」

「元やろ」

「元の方が価値高いと思いません?」

「そういう話なん?」


 などとくだらない話をしている間も、怪物は攻撃してくるがそのすべてはやはり何かに防がれて霧散する。

 怪物の攻撃を防いでいるのはオオノだ。

 オオノもまたν3菌飲料を飲んだ過去を持つ。

 そして、目の前の何者かと異なり()()()()。その結果、彼女は超能力者となったのだ。


「良いからさっさと処理してください」

「はいよ」


 コバヤシが六度、刀を振るった。斬撃弾が怪物を貫く。

 それが止めとなり怪物は消える、まるではじめからそこにいなかったかのように。


「……飲んだのは、どんな人だったんでしょうね」


 消えて跡すら残っていない怪物を見ているかのようにオオノは、そう抑揚を抑えた声で呟いた。


「考えんな」


 コバヤシはそれだけ言って車に戻る。

 一瞬、黙とうするように目を閉じて、オオノもまた車に乗り込んだ。

 あとはもう振り返ることもなく、二人は目的地へと向かうのだった。


 ●


 アバウトルート社研究所東京支部。そんな名前の施設に二人はやってきた。ここが二人の目的地だ。

 研究施設というだけあって白く清潔な建物だ。


「なんや、映画みたいに地下にあるんとちゃうんか」

「今時そんな研究所どこにもありませんよ。そもそも地下にあったら破壊しにくいでしょうに」

「それもそうやな」


 そんなことを言い合いながら二人は受付に行くとすぐにでも責任者がやってきた。

 よれよれの白衣を羽織って、着古されたシャツをズボンから半分はみ出させている。さらには眼鏡に糸目といういかにもな科学者が草履をぱかぱか鳴らしながら現れた。


「どうも、ν3菌飲料開発主任のモトマチです」

「コバヤシ怪物処理事務所のコバヤシです」

「オオノ」

「じゃあ、早速行きましょう! 善は急げですからね!」


 ぼさぼさの髪を撫でつけようとして諦めたらしいモトマチと名乗った男は、さっそく二人を研究所の奥へと案内する。


「いやぁ、まさかトウキョウでも有名な処理屋のお二人が来て下さるなんて。思ってもみませんでしたよ」

「払いの良い仕事やったからな。な?」

「ええ……」


 研究施設には最新設備が整っており、そこでは様々な実験が行われているようであった。

 動物実験から人体実験まで。

 ある部屋では、人が怪物になる経過を観察していた。

 必然、コバヤシとオオノは無言になる。

 その様はモトマチの目にも入っているはずであるが、彼は変わらず一貫して楽しそうな様子で、二人に話しかけていた。

 

「いやぁ、僕らアバウトルートから直接の仕事を受けてくれる処理屋は少ないんですよねぇ。どうしてでしょう」


 その理由は、先ほど通り過ぎた部屋が教えてくれるというものだ。

 いくら処理屋をしているからと言って、好き好んでこんな仕事をしているわけではない。

 特に、その怪物が人由来のものだというのならばなおさらだ。

 モトマチはまったくそんなことすら気にせずに、コーヒーすら気軽にすすめてくる。

 いや、モトマチは開発主任という立場だ。端から人がどうなろうと気にするような奴ではないだろう。

 だからこそコバヤシは強く拳を握りこむ。


「ああ、コーヒーとか飲みます?」

「いや、いらんな。それより今日の仕事はなんなんや?」

「ああ、すみません。もちろん実験への協力です。ν3菌飲料の新しいのができたのでその実験ですよ」

「新しいの、ですか」

「ええ、とびきりですよ」


 そうやって二人が連れてこられたのは、まるでコロッセオとでも言わんばかりの空間であった。部屋の中央にはコバヤシらが見たことない色合いのν3菌飲料が置いてある。

 三人が中へ入った瞬間、すべての出入り口が封鎖された。


「なんのつもりや?」

「それはこちらのセリフというやつですよ、コバヤシくん。久しぶりですね」

「チッ、気づいとったんかいな、お前」

「もちろんですよ。高校卒業ぶりだとしても、偽名を使っていても、関西弁になっていても、僕があなたに気が付かないわけがない。いじめられていた僕を救ってくれて、この道に導いてくれたヒーローのことがわからないわけないじゃないですか」

「なら、俺の言うこともわかるな?」

「はい。僕の最高傑作を見に来たんですよね」

「違う。壊しに来たんや! 人を怪物に変えてしまう危険物をなんてこの世にあっていいわけないやろ! それもトウキョウ全部使って実験して!」


 トウキョウを取り囲む壁は、アバウトルート社が作ったもの。

 アバウトルートは、トウキョウを巨大な実験場にしている。

 そんな事実を指摘してもモトマチは、だからこそという。


「それは僕の不徳の致すところです。ですが、そこまでやったからこそ、成功させなければならないと思っています。そして、この新しいν3菌飲料が完成しました」

「やめる気はないんか?」

「ありませんよ」

「そうか……わかった。説得に来たわけやないしな。オオノやれ!」

「はい!」

「はい? 何をする気ですか?」

「コバヤシとどんな因縁があるのか知りませんが、わたしの友達だった三人を殺した責任を取ってもらいます!」


 オオノが両手を掲げる。

 念動力がモトマチを吹き飛ばさんとする。

 それよりも早く、モトマチは部屋の中央に置いてあったν3菌飲料を飲み干した。

 莫大な力がオオノの念動力を押しとどめる。


「くっ!」

「モトマチィ!」


 拮抗する超能力の戦いに割って入るようにコバヤシが刀を手に疾走する。

 しかし、放たれる斬撃弾はすべて見えない壁によって阻まれる。


「どうです? 素晴らしい力でしょう? いじめられるだけの弱かったこの僕が、あなたの攻撃を受けてもびくともしていない」

「わたしを忘れないでください!」


 横合いからオオノが念動力を叩きつけるが、それすらもモトマチの白衣を揺らすことすらかなわない。


「忘れてはいませんけれど、邪魔ですね」


 モトマチが指を鳴らすと、壁が開き怪物たちが現れる。


「そいつらと遊んでおいてください」


 怪物はオオノへと殺到する。


「この! コバヤシ!」


 なんとか超能力で防ぐが、コバヤシと離されてしまった。


「くそ、この! どいてください!」


 オオノが怪物たちを吹き飛ばすが、後から後から現れる。

 いったいどれだけの人間がν3菌飲料を飲まされて怪物にされたのだろう。


「どうして、こんなことをするんですか! こんな風に怪物を生み出す飲み物を作って、一体何になるっていうんですか!」


 オオノは力いっぱいに叫んだ。

 その声はモトマチには聞こえなかったが、コバヤシには届いていた。


「俺の相棒からの質問や、モトマチ。なんでν3菌飲料なんて作ったんや。そのせいであいつは友達三人も怪物になってしもうて失ったんやで?」

「決まってるじゃないですか、世界平和ですよ」

「世界平和やて……?」

「はい。正真正銘、僕の目的はそれ以外にありません。それと、なんでしたっけ。友達が怪物になったでしたっけ? それは責められることじゃないですよ。むしろ、感謝されることだと思っています」

「なんやて?」

「ええ。ν3菌飲料にはね、善悪(・・)を判断してその人を怪物に変えたり、超能力を与えたりするんですよ」

「つまり何か? あいつの友達は悪人やったから怪物になっていなくなって良かったねってか? ふざけんやなや!」


 コバヤシの怒りの一刀がモトマチへ振るわれる。

 渾身の一閃。並みの人間相手であれば一刀両断であっただろう。しかし、ν3菌飲料を飲み超能力を覚醒させたモトマチは揺るがない。


「ふざけていませんよ。だって、彼女いじめられていたはずですからね」

「なんやて?」

「だって、ν3菌飲料の善悪基準、いじめをする人間かしない人間かですもん。そのお友達が怪物になったというのなら、それはそのお友達がいじめっ子だったってだけですよ」


 ねえ? とモトマチが言うとオオノに群がっていた怪物が引いていく。

 肩で息をするオオノが前に出る。


「ほら、言ってあげてくださいよ。あなた、いじめられていましたよね」

「……」


 オオノは何も言わなかった。

 ただその無言が雄弁に語っていた。モトマチの言うことが本当のことであると。


「でも、だからって死んでいいわけじゃなかった。殺したいわけじゃなかった!」


 それでもオオノがここにいるのは、ただ自分が死に追いやった三人に対する償いだ。


「いやいや、いじめてる奴は死んでいいでしょ。あなたマゾなんですか? ああ、もしかしてその奇妙な服装遺品だったりします? うわー、ヤバイですね」


 ただそんな気持ちはモトマチには通じない。

 モトマチは既にやると決めている。

 これを止めるなら力づく以外にあり得ない。


「もういい黙れや! オオノ、もう一回や!」

「はい!」

「……君ならわかってくれると思っていたんですけどね、コバヤシ君。悪人がいなくなって、善人だけの世界になれば平和になる。そうでしょう?」

「そんなわけないやろ。誰だろうと失っていい命はないはずや」

「いいえ。失われていい命はあるに決まってます。世界に不要な命はある。その選別をν3菌飲料を使えばできる。善き人が力を持つ世界を作ることができる」


 一瞬の間隙に、衝撃波がコバヤシを吹き飛ばす。

 空中で体勢を整え着地するが、それと同時に怪物がコバヤシを取り囲んだ。

 怪物はコバヤシを殺さんと猛り襲い来る。

 コバヤシは惜しげもなく斬撃弾を使用し、これをなんとか押しとどめる。


「クソ!」

「コバヤシ君。君がなんと言おうと、僕はやり遂げますよ」

「コバヤシ!」


 オオノが超能力で怪物たちを吹き飛ばす。


「どうします?」

「クソ、まったく歯が立たんな。なんか弱点とかないんか?」

「ないですよ。超能力ってこれ割と色々できますからね、得意不得意ありますけど」

「じゃあ、あいつの不得意分野を探すのはどや」

「戦いでそんな不得意分野出さないと思いますけどね」

「やるだけやるしかないやろ。俺らにはそれしかないんやからな」

「……そうですね。やり遂げましょう」


 二人はモトマチに再び攻撃するために構える。


「何か相談したようですが、無駄ですよ。新型のν3菌飲料には旧型は敵わない。さあ、しばらく眠っていてもらいましょう!」


 モトマチが二人に向かって手を掲げた。

 その瞬間、彼の手が爆ぜた。


「は?」


 モトマチが訳が分からないと己の爆ぜた手を見る。

 そこにあったのは怪物の手だった。

 ぼこぼこと内側からあふれ出すように、その腕を中心にモトマチの身体が膨れ上がっていく。


「な、副作用!? 馬鹿な、そんな、なぜ!?」


 モトマチが混乱している。

 これは明確な隙だ。


「おい、あれチャンスやないか」

「ええ、それじゃあ一発打ち込んでください」

「生憎弾がもうなくてなぁ。弾無しや」

「それセクハラでは?」

「は? どこが?」

「はぁ、もういいです。弾が必要ならありますよ」

「おっ、どこにどこに?」


 オオノがコバヤシを指さした。


「へ?」

「じゃ、行ってきてください! 必ずやってくださいよ!」


 モトマチはもはや倍以上に膨れ上がっており、このままいけば巨大怪獣にでも変貌しそうな勢いだった。


「は、ちょ、待てやああああ!?」

「待ちません!」


 そんな中、オオノは全力でコバヤシを念動力で固定。カタパルト射出のごとく、射出した。


「うおおおおおおおおおおおお!?!?」


 凄まじい速度でコバヤシは弾丸と化しモトマチだった怪物に突っ込んでいく。


「うおお、こうなりゃヤケや!」


 もうヤケになって刀を前に構えた。

 速度と軌道はオオノが都度修正する。綺麗さっぱり首へ一撃が入るようにオオノが動かした。


「終わりや、モトマチ。全部終わったら、地獄で会おうな」


 速度を威力に変えて、斬撃が首を斬り飛ばした。


 ●


「あー、もう疲れたわ。オオノ、運転してや」

「嫌ですというか無理です。免許持ってないんで。仮に免許持っていたとしても、コバヤシの車は運転したくないです」

「ちぇー、ええ車やのに」


 背後で崩れていく研究施設を尻目に二人はそそくさと車に乗り込む。

 小さく狭い車は疲れた身体には厳しいがこれしかないのだから仕方ない。

 逃げるように車を発進させた二人。


「ねえ、コバヤシ」

「なんや?」

「最後、どうしてあいつは怪物に?」

「……さあ。詳しいことはわからん。専門家やないしな。でも、一つ心当たりがあるなぁ」

「なんです?」

「いじめっ子になったんやろ」

「ふざけてます?」

「ふざけてへんわ」

「まあ、そうだとしたら、皮肉な話ですね。いじめられてた自分がいじめっ子になって怪物になってたら世話ないですよ」

「そうかもしれんな。まあ、でもそんなもんやろ。善悪やなんや言っても、その時々で変わるもんやからな」

「あー、嫌な話ですね。ききたくなーいー」


 耳をふさぐオオノ。

 それからしばらく無言の時間が続いた。


「……なあ、オオノ」

「なんです?」

「敵討ちは終わったようなもんやろ。おまえ、まだ処理屋続けるんか?」

「コバヤシこそ、終わったのにまだ関西弁続けるんですか?」

「もう普通の喋り方忘れたわ」

「わたしも普通の生活なんて忘れました」

「でも、まだ」

「いえ、こういうのが良いですね。わたしはまだあなたと処理屋をやりたいです」


 そう言って、オオノは赤らんだ顔をコバヤシから背ける。


「ほ、ほら。わたしって一度始めたことは最後までやりきるタイプの相棒ですからね。研究主任と施設を壊したといってもν3菌飲料が出回ることが止まるわけじゃないです。だったらそこを止めるようにアバウトルート社をどうにかするまで付き合いますよ」

「なんや、それ。最後までやりきるタイプの相棒とか初めて聞いたわ」

「そっちですか。そっち気にしますか?」

「はは。まあええやんか。なら、またしばらくよろしくな、オオノ」

「ええ、コバヤシ」


 夕暮れの空を見ながら、2人乗り軽マイクロクーペは軽快に走っていく。

 二人の事務所へ向かって。


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