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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
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放課後の苦闘 #壱

 横ちゃんが、開けっぱなしの引き戸から教室内に飛び込もうとしてその場に固まる。私を見て戸惑う瞳には涙が溜め込んであって、下瞼と下まつ毛のダムは今にも決壊寸前だった。勢いよく引き戸の銀色のレールを踏んだ足からも、何が起こっても対処できるように胸の前で非力に握り締められた手からも、嬉しさや喜びは微塵も感じ取れない。両目に出来た小さくない水溜まりがプラスの感情に依らないことは、虹彩の困惑する黄昏時でも明らかだった。

 まずい。マイナス感情の爆発が起こっている。落涙するのは時間の問題だ。

 夕日が沈み切ったのか、急速に暗がりの面積が増えていく。その過程で横ちゃんの顔に影が差し、表情が読み難くなる。

 首筋を伝う冷や汗をそのままにしていると、横ちゃんが銀のレールから足を引いて後退った。

 咄嗟に


「水田さん……?」


 と、未だ疑問の飛び交う脳でそれだけを搾り出し、声を喉から押し出す。ここで横ちゃんを逃すのは一番の悪手な気がした。

 横ちゃんが再びその場に止まり、開いた口を震わせる。次いで言葉は発されず、臨界点に達したように駆け出して私の胸に飛び込んできた。

 思いがけず、一歩引いて抱き止めそうになる。

 何か気の利いた台詞を掛けようと口を開き、胸元に響く嗚咽とブラウスに沁みる液体を感じて一度閉じる。いつにも増して小さく見える横ちゃんは、大きなものを背負っていたのだと眼下の背中に知る。

 額を肋に押し付けて、縋るようにブラウスを掴む。

 喉を肉で押し潰して、訴えるように力無く咽ぶ。

 泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。

 泣きじゃくって。

 泣きまくって。

 流れるままに身を委ねて。

 流れ出る気持ちをとめどなく。

 泣くことで流れゆくのなら。

 受け止めることは出来ずとも、

 支えることは出来ずとも、

 たったひと時寄り掛かる場所位にはなれるから。

 無色透明な悲哀を胸に沁むことは許すから。

 どうか、吐露してくれた真心に真っ直ぐ向き合わないことは許して欲しい。

 私は罪悪感に締め付けられながら、背中を摩ることもせずに自席に置いてあるリュックへと手を伸ばす。

 声にならない確かな悲鳴を聞きながらに、放り込んであるスマホを探り当てる。

 弱音を吐き流す彼女を見ながらも、外に引き抜かずノールックで怪井発生の一報を入れる。

 それは、井世界部で鍛えられた日常生活でも便利な能力だった。


   ***


 少しずつ、咽び泣きから啜り泣き程度には落ち着きを取り戻し始めた横ちゃんが、後ろへと体重を移動させる。ごめん、ありがとう。と鼻声に出しながら、俯きつつ私に預けていた体を離す。

 目元を両手でぐしゃぐしゃに擦る横ちゃんの前に、


「これ、使って」


 とポケットティッシュを差し出す。

 前髪で表情全体を見せないように顎を引いていた横ちゃんが、突然目の前に差し込まれた塾の広告に驚く。


「あ、ぁ……ありがとう」


 遠慮がちに受け取って、赤いポケットティッシュの袋をミシン目に沿って破く。左右の手と目をティッシュで拭き、鼻水の垂れていない鼻を擤む。一応、鼻水は付けないように気を配ってくれていたらしい。


「取り敢えず座ろっか」


 グズグズの鼻を擤み続ける横ちゃんにそう提案して、自分のと隣の椅子を引く。


「あ、ご、ごめん、ありがとう…」


 礼をして腰掛けた横ちゃんが、言葉を紡ぐ。


「あの、その、ごめん。急に泣いたり。その、寄っ掛かったり。本当に、ありがとう。教室にいたのが鎹井ちゃんで良かった。誰もいないと思って来たけど、居てくれて良かった。迷惑したかもだけど、ありがとう」


 そう言い、申し訳なさそうにお辞儀をする。


「それと……あの……最近、話しかけてくれてありがとう。多分、私から声掛けたことなくて、それでも一緒にいてくれて、だから多分、今も頼れたんだと、思う。うん。だから本当に、ありがとう。あと、本当に、ごめん。色々と、気を使わせちゃってたと思うから。本当にごめん」


 咽頭を酷使し過ぎたせいで若干しゃがれたように話しながら、最後に頭を下げる。

 夕暮れ時は既に終わり、校内には一欠片も昼間の陽光は残っていない。ただ温度と湿度だけが太陽に取り残されて充満する。

 ティッシュと赤いビニールの包みをスカートの上で優しく包み込み、鼻を啜る彼女に今度は私が口を開く。

 

「ううん。私もそんなつもりが全く無かったかって、気遣い0で話しかけたかって言われるとそんなことはなくて。でも、それよりも横ちゃんのことが気になるなって、知りたいなって思ったから声掛けたんだよ。前に言った、前々から話したかったっていうのは本当だよ。だから私の方こそ、変に感じ取らせちゃってたらごめん」


 言って、軽くお辞儀をする。自然、横ちゃんの表情は見えなくなり、心臓に有刺鉄線が食い込む。

 頭を上げて、横ちゃんの両手が抱くティッシュ達をぼんやりと眺める。


「それで、さ。言いたくなかったら無理には良いんだけど、何があったの? ……その、泣いてた理由って言うのか」


 私の言葉に、横ちゃんが伏し目がちになる。垂れ下がった前髪の揺れが止まった頃、静かに沈黙を裂いた。


「あの、ね。み……水田さんと、さっき話したんだ。2階の図書室の前で。話したって言うか、口喧嘩みたいな感じだったんだけど。クラスマッチ終わってから、ほとんど初めての会話だったんじゃないかな。もう気づいてると思うんだけど私達クラスマッチからなんかギクシャクしててさ。スマホでも一切やり取りなかったんだ。自分でも、なんでそんなことになっちゃったのか分かんないんだけど」


「多分だけど、み……水田さんも分かってなかったんじゃないかな。なんとなくだけど考えてることとか、機嫌とかお互い分かっちゃうから。だから、機嫌が悪い時は必要最低限以外はあんまり関わらないっていうのが私たちの間にはあったんだ。お互いにそれが一番楽だったし、それで良かった。それで、今回もクラスマッチ終了間際からなんとなく両方が両方とも機嫌悪いのを察して距離を取るようになって」


「私ね、クラスマッチが終わって翌日は、当惑しつつ過ごしてた。今まで喧嘩らしいことしたこと無かったから。そんな時に、あの子が皆と話してるのをよく目にするようになった。朝の登校直後とか、トイレ休憩とか、グループ活動とか。今まで私と過ごしてた時間をあの子はたった一日で別の人達と過ごすようになった」


 言葉が切れて、ティッシュを包んだ両手が震える。横ちゃんの顔を視線だけで覗くと、下唇が噛まれていた。

 やがて笑うように優しく解かれる。


「さっきね、あの子に言われたの。『わっちんは私とおんなじで話すの苦手意識があるだけでしょ? だったら皆とも仲良くしてよ。私が橋渡しになるからさ。なんで毎日あからさまに八つ当たりみたいなことしてるの? 私とわっちんの事じゃん。皆を巻き込まないでよ。』って。私は『クラスの皆が嫌いなんじゃなくて、ただマモちゃんのと友達でいれたらって思ってるよ。』って返して、そしたら『じゃあ、他の友達とも仲良くできる?』って聞かれて。私、言葉に詰まっちゃった。うんって、頷くだけで良かったのに、それがなんでか出来なかった。何も出来ずに固まってたらさ、『分かったよ、じゃあね』って言われちゃった」


「……ねぇ、私って変だよね。きっと脳味噌がどこか異常なんだよ。だって、友達の中に私がいないとおかしいって思うんだ。好きな人とかじゃなくて、ただの友達に、友達の中に自分がいないと許せなくなるんだよ。マモちゃんの中から私を消した人達を許せなくなるんだよ。たまらなく許せないんだよ。もうどうしようもなく耐え難いんだよ。自分でもどうしてか分かんないまま、皆と仲良くするなんて言えなかったんだ。言って仲良くすれば全部解決することは分かってたけど。マモちゃんの中に自分が存在できると理解してたけど。私を消した人達と話すなんて考えたくもなかった。私は今でもマモちゃんと友達に戻れたらって思う。でも、もう無理なんだ。マモちゃんが私を許さないから。なんでかなぁ。なんで、友達にこんなこと思ってるのかなぁ。もう自分が分かんないよ」


 涙ぐんだ声が放課後の教室に響く。

 響き、闇に吸い込まれて、分針の音がやけに大きく鳴る。

 語り終えた疲れと、聞き終えた疲れがその音に乗じるのを肌で感じて、口を開く。


「話し難いことを話してくれてありがとう。それと……私で良ければだけど友達でいようよ。もっといっぱい話して、一緒に過ごして。それで友達になれなくても良いから」


 安易な同意は違う気がした。横ちゃんにとって水田さんは今も大事な親友だったから。

 それに今日あった事を深く考えさせない為にも、混乱している今は別の話題を振った方が良い気もした。


「うん。ありがとう」


 はにかんだように横ちゃんが応える。


「優しいね。鎹井ちゃんは」


 緩やかにカーブした口元が、心臓に巻き付いた有刺鉄線を締め上げる。

 目の周りを赤く染めた横ちゃんが私の背後の窓を見る。


「もう、外真っ暗だね。こんな時間まで付き合わせちゃって本当にごめんね」

「ううん。私が色々聞いちゃったのもあるし。こっちこそ」

「私、お母さん待たせてるからすぐ行かなきゃだ。鎹井ちゃんは?」

「私は歩きだから大丈夫だよ。玄関まで一緒に行こ」


 それから私はリュックを背負って、横ちゃんのリュックを拾う為に図書館前の荷物置き場を経由し、玄関で靴を履き替えて夜の中レンガを二人で歩いた。


   ***


「土井さん、手伝ってくれるなら言ってくださいよ」


 すとちゃんと色違いの揃いのカバーがしてある平たい長方形に喋りかける。

 学校敷地内のロータリーで横ちゃんと別れてから、中レンガとロータリーの間に位置する南校舎下に移動して、土井さんに通話を掛けた。もう少し時間が早ければ保護者の迎えを待つ生徒が数人いただろうが、流石にこんな遅くまで外で親を待ち惚ける生徒はいなかった。

 因みに口の字型の校舎の南側一階部分は柱が数本聳えているだけの完全なる屋外である。体育館へ続くほぼ外な通路に似た感じではなく、中レンガへ通じる為の野晒しの野外である。


「いやー、ごめんごめん。一応唐井っちは知ってるから良いかなって思って。ほら、鎹井っちはクラスの方で忙しそうだったから」


 そのクラスの問題だったのだが。という心の声をそっと仕舞う。

 ヘラヘラした調子で土井さんが言い訳をかます。言い訳、と言っても恐らくは自分の方で忙しかったんだろうが。三年生は進路の関係でこの時期からピリつき始めるので大変だ。

 とは言え唐井といい、なんで水曜日チームの男子は報連相を怠ってまで格好つけようとするのか。


「で、唐井と協力して何やったんですか?大体は想像つきますけど」


 先程の横ちゃんの感情の爆発。あれは故意に起こしたものだ。そうでなければ、互いに避け合っていたあの二人が放課後に偶然鉢合わせて涙を流すほどの大喧嘩を繰り広げれる訳がない。


「唐井っちから朝の段階で連絡が来てね。2-2の件で中核になってる二人を放課後図書室前で出会させたいって。僕も気にはなってたから、協力することにしたんだよ。僕は水田さんを委員会の仕事で遅くまで引き留めて、唐井っちは横田さんを図書室で見張ってた。唐井っちの方は図書室で毎日勉強するの知ってたみたいだけど、こっちは委員長特権使ってほぼこじつけみたいな感じで居残ってもらったよ。でまあ、後は誰もいなくなる時間を見計らって図書室前で別れて、あっちは図書室を早めに閉めるって言って外に出てもらった。そこからは聞いてるでしょ?」


 随分と詳細に打ち明けてくれたが、肝心な所が欠けている。


「詳しく教えてくれたのはありがたいんですけど、それだけですか?あの二人が廊下ですれ違っただけで大喧嘩になるとは思えないんですが」

「それだけだよ。他には何もしてない。水田さんと横田さんが二人で廊下にいただけ。だって考えてもみてよ。今まで親友だと思ってた相手と急に話さなくなってて、そんな折に二人っきりで他の誰もいない所で出会ったとしたら人は話しかけずにいられると思う? 今回は廊下っていう他人の目に触れやすい場所ではあったけど、例えお互いに嫌い合ってたとしても、元親友ってなったら話ぐらいしたくなるんじゃない? まして、今回みたいに別れた明確な理由が無いならさ」


 そんなもんだと思うよ、と付け足して土井さんが説明を終える。

 そんなもん、か。確かに言われてみればそんなもんな気もする。あくまで先輩はきっかけを与えただけ、なのだろう。説明に含まれてはいなかったが、あそこで会話が行われなければもう既に二人は終了していた、つまり絶縁が成功していた証拠になる。であれば、私達に出来ることはもうないわけで。仕事が一つ減ったと楽観出来るわけだ。まあ、だとしたらなんで私に教えてくれなかったのかって疑問は残るけど。

 言い訳されるだけなんだろうなと諦め気味に疑問を飲み込み、通話を切る為の決まり文句を電話口に発する。


「すみません色々と聞いちゃって。取り敢えず手伝っていただきありがとうございます。こんな時間に通話掛けちゃって申し訳ないです。なんか気になることあったらまた通話しますね。では失礼します」


 うん おやすみー、という声にお休みなさいと返して通話終了ボタンを押す。井世界部員以外の使用者を見たことがないコミュニケーションアプリを閉じ、上を見上げる。一般に配信されているアプリのはずなのだが、知り合いでは誰も使っていないので私の中じゃ井世界部専用となっている。極秘の部活なので、誤送信の危険が減るのはありがたいけど。因みにレビューが一年以上書き込まれておらず平均三つ星評価であるが、アップデートはちょくちょく行われている。アプデ内容に関しては、まあ三つ星評価が揺るがない。

 見上げた夜空には、星が煌めいていた。満天の星空って訳じゃないけど、空一面曇天って訳でもない。場所によって雲が掛かって、でも基本は星空が眺められて。空に星があって、月があって、雲がある。そんな普通の夜空だ。

 夏の肌を舐めるような夜風に煽られて、中レンガで桜吹雪が踊る。

 この学校の中心には、年中満開の桜が生えている。なんで一年中咲き誇っているのかは分からないけど、多分そういう品種なんだろう。

 なのでこの学校では桜は勿論、桜吹雪も季節の風物詩ではない。毎日見れる、日常の一部である。

 桜の花びらが風に舞う時の擦れるような乾いた音に反して、魚の皮膚みたいな湿り気を帯びた空気が私を包む。

 現世での原因解消は図らずとも一先ずこれで落着したとして、井世界の方はどうなんだろう。一度現れた怪井はこっちで解決しても倒すまでは消えてくれないと聞く。通話終了後の画面では通知が確認出来なかった。

 責任の一端は自分にあるような所を、自分の仕事だけ終えてさっさと帰るのもなんだか忍びないので、取り敢えずスマホの画面を光らせる。月明かりの鈍い夜には眩し過ぎる画面の明度を下げてから、専用のアプリを開く。

 通知はまだ来ていなかった。

 大丈夫かな、と画面を落とす。唐井と小金井ちゃんなら万が一ってことはないだろうが、こんなに遅いと不安になる。小金井ちゃんは井世界に行く前と行った後に必ずメッセージを入れるし、唐井は行く時はメッセージが無いが、討伐後には毎回律儀にメッセージを入れる。

 大事になっていないと良いが。


 吹き抜ける不快な風に、もう少しして何も来なかったらグループチャットで聞いてみよう、と決めた。

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