放課後の悪戦 #壱
-お詫びと訂正-
いつも拙作をご愛読頂き誠に有難う御座います。今話から初めて読んでみたという方も有難う御座います。
今回は一行目に記した通りお詫びと訂正をしたく、誠に勝手ながら前書きのスペースを使わせて頂きます。ご理解の程よろしくお願い致します。
さて、お詫びの内容と致しましては、今話〈放課後の悪戦〉を執筆中に北と南を間違えて書いてしまったということで御座います。作中の方角を誤って表記してしまうという初歩的なミスをしてしまったことは完全にこちらの落ち度です。心よりお詫び申し上げます。
訂正の内容に関しましては、上記の通り南廊下ではなく正しくは北廊下で御座います。自分でも数度確認は致しましたが、万が一未だ修正出来ていない箇所がありましたら脳内で北廊下に変換して頂けると助かります。今話は南廊下では何も起こりません。
今後はこのようなことがないよう、作中の方角には一層目を光らせて推敲作業を行なって参る所存です。
最後になりますが、この度は作中の方角を反対にしてしまうという致命的なミスを犯してしまい大変申し訳御座いませんでした。
部活を終えて、リュックを背中に、バッグを二つ肩に下げて帰路に着く。
直前まで女子バレー部の部活動に使われていた第二体育館から、顔に疲労を浮かべつつも和気藹々と仲間達や先輩達が同じく外に出てくる。
ある先輩は彼氏待たせてるからと言って駆け足に校舎へ向かい、ある同級生は親と迎えの連絡を取り合っている。
うあー私も彼氏欲しいー、という一つ上の先輩の嘆きを聞きながら部活指定のジャージのポケットを探る。
あれ? バッグにしまったっけ? と次にバッグの内ポケットに手を入れる。
先輩あの人とどうなんすか、と先輩の気になってる人について尋ねる同級生の声を耳に、バックの口を広げて必死に目当てのものを探す。
数秒して思いつく。
「あ、自転車の鍵つけっぱなしだ」
ジャージのポケットにも、両方のバッグにもいなかった電気ナマズのストラップは、おそらく鍵と共に自転車にぶら下がっているはずだ。
「え、小金井やらかしてんじゃん。自転車失くなってるかもよ〜」
近くにいた子が、私の独り言とも思える発言にからかうような反応を示す。
「いやいや学校だよ? ないない」
手を左右に振って嘲笑に飛ばす。
「てか、あのデカいキーホルダー忘れてきたの?」
後ろで話を聞いていた子が会話に入ってきた。
「そういやそうじゃん。あのナマズが指に巻き付くキーホルダー。あれ忘れてきたの? あの大きさなら普通気づくでしょ」
「もう、うるさいなあ。どんだけ大きくても忘れる時は忘れるもんでしょ」
「あんなに大きいのチャリキーに使っててよく欠けたり削れたりしないよね。大きさもだけど頑丈さも面白いわー」
頑丈さが面白いって何よ、と苦笑いして、自転車置き場に行く為バレー部の集団に別れの言葉を告げる。「じゃーねーお疲れー」という先輩方の返事にもう一度「お疲れ様でしたー」と言い残して、部活動の施設が両脇に並ぶアスファルトを踏む。
他の部活はもう既に解散した後のようで、周囲に人気は全く感じられなかった。
日が落ち、建物の影が学校敷地内を埋め尽くす。そんな時間帯が人の気配の無さを強調する。
しかしまだ暗闇とは言い切れず、黄昏時だったか、かわたれ時だったか。どっちがどっちか覚えてないけれど、昼夜が混じった風景に、完全な暗闇ではない不気味さが広がる。
逢魔時だったっけ。
などと気を逸らしながら、第一体育館と校舎を繋ぐ通路を横切る。人によっては外かも中かも判別のつかない和風建築の軒下みたいな立ち位置の通路だと評するが、私は限りなく屋外に近い屋内だと認識している。それは、丁度今渡っている通路と道路が交差する箇所だけがコンクリと丸石造りの土足使用となっているからである。屋外シューズで渡っても許される場所が部分的に存在するのだから、他の部分は屋内と考えるのが妥当だろう。
すると、突然スマホが鳴った。
ビクリと肩が跳ね上がる。
暗く張り詰めた空気を無遠慮に破った通知音に若干驚きイラつきながら、スマホを取り出しホームを開く。
そこには、通知マークの付いた井世界部のアプリがあった。
この時間に? と疑問に思いつつタップし、通知の来ていた水曜日チームのグループを開く。
<この字コの字
至急掃討班は三階の教室側廊下に来てくれ
ごめん失敗した
この字コの字さんからの緊急連絡と謝罪。文体のまとまりの無さに焦りが窺える。何が起こったかは分からないが、掃討班宛ということは確実に怪井絡みだ。
そう決めつけて手早く了解の二文字を送信し、リュックとバッグ達を外気に晒されている通路の端っこに避けて置き、第一体育館の方面へと急ぐ。
この時間は多分昇降口以外の出入り口が閉まっている。
ならば、玄関から入って防火扉に触るより、唯一校舎外にあって一番近い体育館側通路にある防火扉を使った方が断然早い。
この通路は校舎側と部室棟側を仕切るような位置にある為、放課後は部活関連で人通りが尽きることがない。
しかし幸いにも、今日は女子バレー部が全部活動中最後だったようで周囲はおろか第一体育館にも人っ子一人いなかった。
私は第一体育館前の防火扉に触れて、ゲートを開けるキーワードを呟く。
クミイゲタ
瞬間、目の前に紫の膜が現れる。掃討班にしか見えない、井世界へのゲート。動いているわけでもないのにまるで生きてるみたいにみえるのは、怪しげな模様のせいだろうか。
私はもう一度周りを確かめて、人が消える瞬間を見られないように急いでゲートを通った。
***
通路に張られた紫の膜を浸透するように通り過ぎると、井世界に入った箇所から、徐々に衣服が換装されていく。
ジャージから、ジャージへ。
こればっかりは、雰囲気をぶち壊してでも毎回言いたくなるが、戦闘服が学校指定のジャージはダサ過ぎる。まだ力強いフォントで『志操堅固』と背面にあしらってあるバレー部の練習着の方がマシだ。濃紺の生地に学年別カラーで線の入れられた学校のジャージは、もはや誰が見てもダサいと言えるようにデザインされたとしか思えない。私はまだ半年しか通ってないから分からないが、学校が指定するジャージを変えたら換装される衣服も新しいデザインに変更されるのだろうか。だとしたら、なんとしても格好のつくデザインで作ってもらおう。
膜を最後に通った左手には、現世では持っていなかった私の背丈ぐらいある槍が握られている。上から下まで金属光沢を輝かせ、とても一女子高生には持てそうにない。
が、そんな重厚感は無視して軽々と片手で持ち上げ、踵を返し校舎へと向かう。さっきまで存在した生きてそうなゲートは、私が全身通り過ぎてすぐに消えた。
マラソンのバトンみたいに槍を振りつつ、正面のドアを睨む。
通路と校舎内を隔てる両開きのガラスドア。
あれに錠がかかってなければ校舎内の防火扉から井世界に来れたのだが、警備員がしっかりと職務を全うしたおかげで体育館前の通路から侵入する羽目になった。
私はガラスドアの前まで来て、槍を左手に持ち替える。
それから、目一杯の力でガラスを叩き割った。
この世界では、どういう仕組みなのかは知らないけど、怪井を倒すと破損した部分が修復される。その仕様は怪井による破壊攻撃に限らず、私達井世界部員の行動にも適応されるので、この後怪井を倒せば何も問題はない。
ただし、井世界で壊された部分は時間が経つと現世に反映されるのであまり時間をかけてもいられない。
ただまあ、ガラスドアに関してはこの規模で叩き割ったから多分大丈夫だけど。そこら辺は半年やってきた感覚だ。
それより、早く三階に急がなくては。
水耕高校では二年生の教室が三階にある。現在地は一階の校舎南東なので、階段を上まで登らなければならない。
人っ子一人いない井世界の校舎を上へ上へと駆け上がる。
現世の校舎と瓜二つではあるけれど、井世界の校舎の方が放課後の仄暗い雰囲気にマッチしている気がする。なんと言うのか、時間帯も建物も丸っ切り同じで違いなんてない二つの世界が存在してる故なのか。現世と見紛う程のリアリティを持った世界に“再現”という工程が踏まれているという認識故なのか。いずれにしろ不気味の谷現象に近い生理的恐怖心を刺激してくるのは事実で、それが自分の感覚にフィルターを掛けているのだと推測してみる。
フィルターが掛かるで思い出したが、日中の井世界も放課後に負けず劣らず、どころか放課後よりか私には不気味に感じられる。
昼間の日光は、こっちの校舎には明る過ぎる気がする。眩しくて、眩し過ぎて、瞬きを休む暇がないぐらいには、真っ白な光が不気味なのだ。恐怖心から、直射日光が校舎の壁をすり抜けていそうだと錯覚するほどには。
精神的なフィルターが掛かっているとは言え、未知の世界で視野狭窄に陥るのは存外怖い。
それに比べれば、登校直後とか放課後といった時間の井世界はまだマシである。明るいのが怖いよりも、暗いのが怖いの方がまだ普通で慣れている。暗いぐらいが、気味の悪い井世界にはピッタリだ。
井世界に似合う時間帯を査定していると、あっという間に三階に着いた。
もう既に肝試しが出来そうなほど校舎内は暗闇に包まれている。
口の字型の校舎、東側の教室前廊下に足をつく。と、
あ、いた。
廊下の反対側。距離があるので少し小さめに見えるけれど、しっかりと怪井が確認できる。
と言うか、この距離であの大きさならまあまあなデカさかもしれない。
まあまあなデカさの、魚かもしれない。
人一人分の大きさの、魚。
……うん。魚、だと思う。
尾鰭が付いてるし、多少厳ついが典型的なまでの魚顔をしてるし。
魚、だと思うんだけど……。
あれは、腕? 腕なのか?
人の腕らしき肌色が、エラと胸ビレの間から生えている。薄く赤色がかった燦然と輝く銀色に、なんだかそぐわないものがついている気がする。
取り敢えず槍を両手で構え、警戒しながら廊下を真っ直ぐに近寄る。
真ん中辺り、2-3の教室前まで来て確信する。
うん。やっぱり人間の腕だ。
そう確信して、あまりにも逸脱し過ぎた組み合わせに思わず胃酸が逆流しかかる。
精密なコラ画像か、魔改造した玩具を思わせる現実味と不自然さのコラボレーションに、思わず目を細める。
決して、目は逸らさない。
ただ、許されるなら逸らしたい。
生えている腕は力無く垂れて、華奢な女の子のものに見える。
これで筋肉隆々怪力自慢の大男の腕だったらまだコメディだったかもしれないが、可憐な乙女を想起させる細い腕はなんとも言えない生々しさを帯びている。
肘から先が、歪にも生えている。
きっと今の私は誰が見ても苦渋を飲んだ顔と答える表情をしている。自分でも眉間に皺が寄って奥歯を噛み締めるのが分かる。
力無く開けた唇から、ゆっくり息を吐いて覚悟を決める。
目は閉じず、吐いてる間しかと睨み続ける。
すると、魚が動き出した。
尾ビレを左右に振り、器用に北廊下へ向きを変える。
魚がいるのは、東廊下と北廊下が丁度交わる角。
逃げるつもりか。
魚が空中でどの程度速く泳げるのか知らないが、追いかけっこは時間がかかって厄介だ。
急いで廊下を三クラス分走り、やはり人一人分は大きい魚に槍を突き出す。
瞬間、魚は身を捻り尾ビレで空中を弾いた。
見た目に反して小綺麗な音が、急遽足を緩めた私の正面で鳴る。
間一髪、直撃は避けた。
が、空を伝う衝撃波を体にもろに受け、体が後ろに傾く。
次の一手が来る前になんとか左足を退いて体制を持ち直す。
一定の距離を取り、お互い臨戦体制を崩さない。
魚は逃げるわけでもなく、校舎を壊すわけでもない。
ただゆらゆらと尾ビレをこちらに向けてホバリングしている。
あの尾ビレで弾く攻撃は、多分最初から空中を狙っていた。衝撃波を飛ばして攻撃するつもりじゃなきゃ、あの距離から攻撃のモーションには入らないだろう。
ジリジリと、槍を届ける為に距離を詰める。
魚はペースを乱さず、その場で左右に揺れている。
槍が届く距離になった瞬間、魚がさっきと同じ身の捻りを見せた。
弾かれた空気の波を今度は槍で受け、僅かに痺れた身体で半歩前に出る。その踏み込みと同時に槍で魚の身を突き刺すと、魚の腹からはハラワタではなく液体が吹き溢れた。それは血液みたいに赤くなく、墨汁のように黒い。
魚は貫かれた槍を反対方向に身を捩って器用に引き抜く。
あのまま掻っ捌きたかったが仕方ない。
東廊下と北廊下の合流地点を私に奪われた魚は、北廊下へと逃げる。
それを目で追い、体で追いかけようとして一瞬で停止する。
無数の、窪み。
壁に。ドアに。床面に。天井に。
校内を重機で走り回ったような破壊の痕跡が幾つも存在した。
なるほど、と合点がいった。
あいつを発見してから、ずっと破壊活動をする素振りも見せないのが気になっていたが、もう既にした後だったとは。
となれば、より一層急がねばなるまい。魚がいつ傷を付けたのか分かりようがない。
幸運なことにやつはまた一定の距離で止まってくれた。
次に狙うのは歪な腕だ。怪井を倒すには朝の大羊みたいに弱点を突くか、黒い液体を空にするかのどちらかである。
弱点、人によっては怪井の核なんて呼び方もする箇所は、特徴的な部分に在ることも多い。魚の場合は異質さの権化みたいに生えた腕だと思うが、必ずしもそうとは限らない。核が無いことだってしばしば。
少しずつ、少しずつ魚に近づき、さっきみたいに機を窺う。
油断はしない。
慢心も尚更ない。
ピリつく空気を緊張感とも思わず、ただただ目の前の敵に意識を集中する。
魚の揺れと発する雰囲気の変化を一つも取りこぼさずキャッチしにかかる。
だから、だろうか。
だったから、だろうか。
後ろから来ていた怪井の存在に気付かず、押されるがままに前方に体が倒れた。
その一瞬を、魚は見逃さなかった。
空中を弾いて衝撃波を生み出す尾ビレを、ダイレクトに顔面に食らった。
脳髄が痺れる。
前頭葉から、大脳を通って、後頭葉へと衝撃が流れていくのを、物理的に脳で理解した。
電気信号が飛び飛びになったかのように、視界が明暗を繰り返す。
前に押し倒された体は、重力以上の力を持った物体に弾かれてパチンコ玉みたいに来た道を戻る。
四肢は言うことを聞かず、衝撃の伝うままに後方へと吹っ飛ばされる。
東廊下の壁に無抵抗で激突した。
こっちに来た時に強化されているので痛みはさほど感じないが、衝撃波が辛い。
脳がグラグラ揺れて、命令系統が正常に機能していない。
普段音として振動する空気になった気分だ。
三半規管の悲鳴がよく聞こえ、嘔吐寸前の状態になる。
暫く平衡感覚異常に堪えて、漸くはっきりしてきた脳と視力で、首を上げさっきまで私がいた場所を見る。
そこにはオタマジャクシがいた。大きな目玉と尾ビレが一つずつの、ボーリングの球ほど大きいカエルの子供が居た。
そいつらがこちらを目の端で捉えている。
いち、にぃ、さん、よん。全部で4匹。
倒せない数じゃない。
さっきは油断しないとか言って魚しか見てなかった。
今はまだ立つことすらままならないが、今のうちに作戦を立てて戦えるようになったら急いで討伐しよう。あんまり時間をかけすぎると現世に破壊の影響が出てしまう。
その時、北廊下の反対側、オタマジャクシと魚を挟んで西廊下側から、とても気の抜けた声が飛んできた。
「おーい、小金井大丈夫か?」
声の主に返事をしようとするが、舌が上手く動かず、嗚咽だけが喉から押し出される。
その様子を見て取ったのか、
「あれ?もしかして井世界部掃討班の期待の新人エリートが苦戦中?」
と分かりやすく煽ってきた文言に、呂律がまだ回らない口で言い返す。
「殺しますよ」
訂正。呂律が回らないので出来る限りはっきり伝えようと努力したら明確な殺意の宣言になってしまった。
「いやー、それは嫌だなぁ。じゃあ、こいつとそいつら全部倒すから朝の一件もそれで許してくれよ」
側頭部を掻き、そう告げて。
唐井さんは包丁片手に魚へ斬りかかった。
***
そこからの唐井さんの一方的な活躍振りを滔々と語るのも癪なので、見えたまんま起こったことを述べようと思う。脳が揺さぶられて、瞬きもしていないのに断片的にコマ送りみたいに映った情景をそのまんま。
一コマ目、唐井さんは右手に包丁を携えて魚へと駆け出した。先輩は井世界特典の武器が換装されないらしいので、いつも学校の備品などで戦っている。
二コマ目、魚が右腕・魚体・左腕と、三枚に下ろされていた。唐井さんは、魚の下に屈んで包丁を魚の尻びれ付近に突き立てていた。
三コマ目、お腹から爆発したみたいに黒い体液を撒き散らす魚を背景に、唐井さんがオタマジャクシを一体切り裂いていた。左手には既に次の獲物。なんでか子供の頃に怖がっていたナマハゲを思い出した。
四コマ目、全てが終わっていた。特別教室が左右に並ぶ北廊下のそこかしこに、墨汁の如き液体が飛び散っていた。
以上。終わり。
唐井さんに美味しい所を全て持っていかれている間に脳味噌がだいぶ回復したので、よろめきつつも下を向いて安全に立ち上がる。
動かなくなったオタマジャクシを見つめる唐井さんの横に着き、目に見えて揮発する墨汁を眺める。
「それですか? 唐井さんが朝遅刻した時に言ってたやつは」
「一言余計な気もするけど、朝の失態を突かれたらぐうの音も出ねー。暫くは馬車馬のように働かされる覚悟をしておくか。それで、朝言ってたのはそうそう。こいつのこと。確証はないけど、多分そうだと思う。時期的も大きさ的にも」
唐井さんは気化していくオタマジャクシの死骸に顔を近づけて指を差す。
視界が時折白飛びするので、念の為槍を三本目の足にする。まだまだ頭は正常に回らない……回っているから大変なのか?
「じゃあ発見の報告を部長にしないとですね」
「ん。それよりも小金井、さっきの戦い油断してた? 部長が言う通り素質は一番あるんだからもっと視野を広く持って気を抜かないようにした方が」
「そんなことより唐井さん、居残ってたんですね。放課後になるなりそそくさと帰ってるんだと思ってました。いつも見ないので」
「え? あー、うん。俺は毎日完全下校時刻まで残ってるけど。てか、そんな無視したりむくれたりするなよ。見てたけど背後から忍び寄る怪井に気づかない小金井ちょっと面白かったぞ」
杖代わりにしていた槍の柄が、勝手に役割を放棄した。
「ぃあっぶね。おい、もう少しでオタマジャクシにダイブするところだったぞ」
「知りませんよ。ご主人様が馬鹿にされたから槍が忠誠心に則って殴打しただけなんじゃないですか? 大体、見てたなら声かけて助けて下さいよ」
「だとしたら躾をしっかりしてない主人側に非があるだろ。ペットが人様を噛んだ時とおんなじだ。声掛けなかったのは小金井なら倒せる相手だと踏んだんだよ。実際、俺が一人で倒せてるんだから」
「そうですか。それじゃあこれからは才能を無駄にしないように気をつけますね」
「ああ、そうしてくれ。才能があるなら活かすべきだ」
そう言って、包丁を片手でお手玉みたいにする。手が暇な時にやるペン回しじゃないんだからやめて欲しい。見てるだけで背筋が凍る曲芸だ。
「それにしても鎹井は失敗だなんて言ってたけど、2-2に蔓延してたストレスが怪井化しなかったのは確実に鎹井のお陰だよなぁ。一クラス分怪井化なんて地獄だろうし。クラス全体のストレスをコントロールしてるのは流石解消班。優秀だと言わざるを得ないよ」
上下する包丁を目で追いながら、唐井さんが独りごちる。それになんと反応すべきか、反応しないべきかを悩み、「ですね〜」なんて気を遣ってる時にしか出てこないワードを呟く。
気まずい。この人は会話してるとたまにこういうことがあるから苦手意識が拭えない。
取り敢えず、話題を。
「ていうか、2-2の件はこれで終わりなんですかね? 怪井の討伐はあくまで学校の崩壊を阻止するだけなので同じストレスが続けばこの魚が恒常的に出現するはずなんですけど」
「あーーーーっと、2-2の件はもう大丈夫だと思う」
「え? なんで目を逸らすんです? 大丈夫なんですか? 違うんですか?」
「いや、魚の方はもう出てこないと思うんだけど…………鎹井にちょっとどやされるかもなって」
「あ、そっちですか。なら心配ないですね。少しヒヤヒヤしましたよ。冷えた分この場を面白い話であったかくして下さい」
「んな無茶な。一介のぼっち高校生が面白小噺を常備してるわけないだろ」
「じゃあ即興で」
「即席で作れるならぼっちしてないんだよなぁ」
「寧ろ面白いことを言おうとばかりして裏で「あいつぶっちゃけつまんないよね」って広まっていって今の地位を築いたんじゃないんですか?」
「ちょっと心当たりあるようなこと言うのやめろよ。ぼっちは話しかけられたら爪痕を残そうと必死な時期があるんだから」
「分かるぅ。カップラーメンの待ち時間に丁度良い小躍りするような曲探してたらあっという間に時間が経っちゃって、これだったら普通にお湯入れて無音で数分小躍りしてた方が人生無駄にしてなかったな、的なね!」
突如として誰かが会話に乱入してきた。
そして、井世界部員以外いない筈の井世界にてこう続けた。
「ところで、君たちは井世界部ってグループのメンバーで合ってる?」