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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
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雨滴に打たれる傘 #陸

 ——————文化祭当日、井世界の西廊下南端(なんたん)へと、場面は帰ってくる。



「唐井さんは井世界部で二番目の才能の持ち主だって、間井部長が言ってましたよ」


 良かったですね、と小馬鹿にしたように薄く笑う後輩——小金井は、ジャージの燃えている箇所をはたきながら、なんとなくどこか不機嫌そうだ。折角の一張羅が燃えてなくなるのがそんなに嫌なのかと思ったが、以前に小金井は水耕高校のジャージを原始人ファッションだと貶していたし、そもそも高校指定のジャージは井世界に来た時に戦闘服として強化された状態で換装されるので、汚れたり破れたりして気を悪くするわけがない。

 不機嫌な理由が見当たらず、まあ他人のことなんてそうそう分かりっこ無いなと、思考を放棄する。

 サウナのように茹だる熱気のなか、平然とした顔で嫌味を言えるほうがおかしいのだ。右のツインテールの先っぽが燃えているのに気づき、両手で挟んで酸素を遮断する冷静さがある小金井は、やはり頭がイカれている。


「そう言えば、現世では小金井、コスプレしてたよな。はつn」


 槍が頬を掠めた。否、右に屈まなければ顔面を金色の槍で射殺されていた。一瞬の逡巡もなく、殆ど反射で突き出された金色の槍を反射で躱した。

 見上げた小金井の顔は、何故か黒塗りになったように見ることができない。表情が分からなくて、とても怖い。


「その話は先輩とは一生しません」


 どうやら、小金井が穽隆祭(せいりゅうさい)で世界的に有名な某カロイドのコスプレをしていたことは、少なくとも自分との間では禁句らしい。対になってる井の字型の飾りに()()を二つ通したラビットツインテールが普段のヘアスタイルだから、すごく似合ってたんだけどな、あのコスプレ。因みに、言わずもがなそのヘアゴムは井紋のアイテムである。

 これ以上、後輩の神経を逆撫でするのも大人気ないので、別の話題に切り替える。


「じゃあさ、それなら、俺が井世界部の才能ランキング第二位ってことを鼻で笑うなら、小金井は何位なんだよ? 一位なのか?」

「部長曰く、素質があるっていうのは()()()に向いている人って意味らしくて、それだと私は」


 分かりやすく話を逸らしやがった。

 でもまぁ、これ以上、仲が悪くなるような話題ではないなら、それで良い。ことさら興味があるわけでもないので、適当に相槌を返しておくけれど。

 と。

 そこで、骨の髄が沸騰した。血の巡りが速くなり、毛根が隈なく開かれる。ドクドクと脈打って、ザワザワと逆立つ。

 怪井。直感的にそう感じた。

 すぐ様、頭痛がするほど嫌な気配を背後に感じる。ちくちくとしていて、それなのに粘っこくへばり付くような、汚泥を塗りたくられて数十分が経過した後のような気配が、一息の間に背中全体を襲う。

 脊髄反射的に、首を後ろに振る。見えた西廊下の景色には、消えかけの炎、修復されゆく校舎、冷えていく陽炎、

 そしてその向こう、火炎が完全に空気に溶けて、熱が冷えた廊下の真ん中には、人型の影に人の顔面——見知った人の顔と瓜二つ。

 ……ッ


 檻多田先生の顔だった。











 二足歩行で人の顔をしていたら、それはもう人間と言っても差し支えないんじゃないかと思われるかもしれないが、だがしかし、見た目の異様さと放つオーラの異質さは、どう取り繕っても怪井だった。

 炎が完全に消えて、数秒前までとの温度差により肌寒さすら感じる空気のなか、体の拒否反応を押し殺して目を凝らす。

 体高110cmほどの猫背で、全身深い緑色。興奮したように息をハアハア荒げ、手には棍棒を持っている。最も特徴的なのは、檻多田先生似の顔。

 似ている、というかもう、まんま本人な気がする。檻多田先生の顔面を切り出して、ゴブリンの顔面に縫い付けるか、貼り付けるか、はたまた印刷したような。薄く小麦色がかった皮膚と深緑色の皮膚が、くっきりと境目を作って、歪なもの同士の無理な合成を思わせる。黒い息を吐く唇は微かに動いているから、趣味の悪いデスマスクみたいなお面、ということはないのだろう。目は薄く笑っているような感じなのに、微動だにしないのが余計に恐怖を煽る。

 アレが——あの人面ゴブリンが——檻多田先生に関わる案件で生じた怪井なのは確認するまでもない。

 新たに生まれたということは、現世で何かがあったのだろうが、知る術は無い。

 人面ゴブリンが動き出す前に、先手必勝、小金井に声を掛けつつ走り出す。


「小金井、やるぞ」

「分かってますよ」

 

 呆気に取られているかと思ったが、ここ数週間で随分と精神が強くなったらしい。走り出しながら、心強くなる。

 井世界部員が二人もいるのに、今ここで引く判断は愚者だ。しかも曜日チームが同じなので共闘に慣れている者同士ときている。

 いつも通り小金井を後ろに待機させて、陽動として目一杯暴れ回る。

 ある程度近づくと人面ゴブリンが右手に握った棍棒を振り翳したので、人面ゴブリンの左側へと避ける。ついでに廊下に並ぶ長机うちの一つの()()を両手で掴んで、深緑の背後へと数歩ひき摺っていく。振り下ろされた木製の棍棒が廊下を打ち砕いて、人面ゴブリンが振り返ろうと半身になるそこへ、長机を横薙ぎにぶつけてやる。

 鈍い音が廊下に響き、確かな手応えを感じた。が、人面ゴブリンは一歩もその場から動いていなかった。

 重いな、そして固いな、思ってたよりも。

 ぶつけた箇所が凹んだ長机を見て思う。

 小さな体躯にそぐわず、相当量のストレスを内部に秘めていることだろう。

 大振りの棍棒攻撃を右に飛んで避けて、再び背後に回り込む。人面ゴブリンの周りを一周して小金井の前に戻ってくる。


「多分、その槍じゃないとマトモな攻撃も入んない」


 怪井に言葉は通じないので、敵前堂々と倒すための作戦を練る。


「私が前に出ますか?」

「いや、立ち位置と役割は変えない。ただ、ちまちま削るのはよしておこう。完全に拘束してから一気に叩く」


 言い残して、歩くような速度で走り寄ってくる人面ゴブリンへと走って近づく。

 小金井にはああ言ったが、とは言え武器になるような道具を持ってこなかったことが悔やまれる。傷一つ付けることは叶わないだろうが、行動の起点になるものが無いと心が落ち着かない。

 大きく振りかぶって力任せに振り下ろされた棍棒を余裕で躱して、さっきぶつけて放置したままの長机の片側の脚を蹴り折る。ガタン、と斜めになった長机を駆け上り、頂上でハイジャンプ、蛍光灯にぶら下がり、体重と腕力で無理くり取り外す。灯りは点いてなかったが、バチッと火花が一瞬散った。

 受け身をとって着地し、刀のように両手で端っこを握りながら人面ゴブリンと相対する。

 奴の大きな縦振り攻撃を躱しつつ、奴を行動不能にする手立てを考える。縄や紐が無いので縛れないし、手足をへし折れるほど威力の高いものも無い。

 奴を固定できれば良いわけだから、やるなら押し潰しだな。


「毎度毎度、怪井は攻撃パターンが少なくて助かるよ」


 床にヒビを入れた棍棒が持ち上げられる前に距離を詰め、表情が一切変わらない特異な顔面に蛍光灯をフルスイングする。並んだ両目に的中し、眉間に当たって砕けた蛍光灯が狙い通り目潰しとして働く。短くなった蛍光灯を捨て、棍棒を持っていない手を伸ばし掴もうとしてきた矮躯の中心を蹴って、後ろに転ばせる。

 何か鳴き声のようなものを上げた気がしたが、意に介さず、廊下に置かれたパソコンルームの大きな靴置きを人面ゴブリンの上へ倒す。1.7m程の高さで、鼠色に塗られた鉄製の靴置きなら、重さは申し分ないはずだ。下敷きとなった奴の棍棒を握る手が、40人分の靴が収納可能な靴置きの下からはみ出ている。念の為、人面ゴブリンに伸し掛かる靴置きに更に上ってから、小金井を呼ぶ。


「ここからはよろしく!」


 近づいてきた小金井は驚いたような、呆れたような顔をしている。


「拘束っていうか、結構な力技ですね」

「まあね、他にやりようがなかったし。ほら、早くトドメ刺しちゃってよ。見ての通り完全な固定ではないから」


 悪あがきに棍棒を振り回す様を眺めつつ、グラつく傾斜の足場を低姿勢になって耐える。


「これって……上の重しごと貫いたほうが手っ取り早いですよね」


 言うが早いか、槍を頭上に振り上げて、頭部があるだろう付近へ目掛けて真っ直ぐ振り下ろす。

 と、重く低い打撃音が廊下に響く。

 槍が靴置きを突き破った音ではない。

 音の発生源を見ると、そこには廊下を打ち据えた棍棒と、新たにヒビを作られた床面があった。

 振り上げて、寸分の狂いもなく同じ所を棍棒が激打する。ヒビが伸びて、増えて、床面は更に凹む。

 校舎のダメージを見た小金井が優先順位を切り替えて、棍棒を握る腕を斬りつけるが、固いものどうしが当たった鋭い音が鳴るばかりで、黒い液体は噴き出さない。

 槍も通用しないのか……!

 今同じ箇所を攻撃され続けたら廊下が陥没しかねないので、靴置きから飛び降り、蹴って数cmずらしてから、小金井に指示を出す。


「部長に報告。怪井の発生と、現世に被害の可能性アリ。この二つを伝えたら戻ってきてくれ」

「了解しました。見張りはお願いします」


 小金井も同じ思考を踏んでいるのだろう。腕力も頑丈さも、人面ゴブリンは他と一線を画す。長期戦になる可能性が高い。

 鉄製の靴置きを寝起きに布団でも上げるようにして起き上がってきた人面ゴブリンの、握る棍棒の先——深く凹んだ床板をすがめ見る。

「死んでも去年みたいなことにはさせない」

 小金井は南西階段の防火扉に触れて、合言葉を唱え、出て行く。

 人面ゴブリンの背中を睨みつつ、どう相手取るか思案する。小金井を待って二人で倒すのが作戦だが、奴の破壊活動を放置しておくわけにもいかない。

 うまい具合に気を引いて、自分も校舎もダメージを負わないのが理想だ。

 その為には、盾として使えるものが欲しい。と駆け出して、さっきとは別の端に寄せられた長机を引っ張り出す。

 奴の振り向きざま、強化された筋力で長机を持ち上げて、面の部分で殴りつける。分かっていたが、びくともしない。

 長机づたいに遅い速度で走ってくる人面ゴブリンに対して、そのまま横向きに落とした長机の脚側——人面ゴブリンの反対側へと駆け込む。即席の障害物として使ってみたが、長机程度の重さは物ともせず、直線距離を近づこうとしてくる。

 飛び退いて、職員室前の黒板の粉受けを足場に跳躍し、慣れた手つきで蛍光灯を掴むと同時にグッと取り外す。火花が散って、空中の相手を殴り空振った人面ゴブリンの上に落下する。

 ドシンッ

 尻餅をついたところへ間髪入れずに棍棒が飛んできたので、慌てて前方に避ける。やっぱり取り回しは軽い得物のほうが良いな、回避も易い。

 両者立ち上がり、戦闘は依然継続される。

 動き出しは人面ゴブリンのほうが早く、一手遅れを取ってしまう。奴は体を右側に開いて、全力で横薙ぎに振る為の事前モーションを見せてくれる。

 即座に、近くにあった斜めった長机を縦に立てて、畳んだ脚を伸ばし自立させる。

 完成した瞬間、人面ゴブリンの渾身の一振りが盾と化した長机を打ち据えた。長机の脚はつっかえ棒にはならずに押し摺られて、内側に潜ませていた左前腕と蛍光灯の盾をも巻き込んで、幾らか減退させられた衝撃が自分の顔面を殴打した。

 得物もろとも吹き飛ばされて、壁に衝突する。

 校舎に傷が入らなくてほんと良かった

 痛みのなかで、痩せ我慢のようにそう思う。

 鏡がないので分からないが恐らく、顔の左半分は大変なことになっている。なにしろ蛍光灯が割れて、奴の両目同様、破片が突き刺さってるはずだからだ。

 ダメージを減らすはずが、土壇場で判断を誤ったな。せめて左前腕を顔側に持ってくるべきだった。

 ポタポタと、血が垂れる。幸い、目は奴のようにはなっていないので、血の匂いと鉄の味を感じながら、立ち上がりつつ前方を見る。

 一歩一歩、近寄ってくる人面ゴブリンは小学生ほどの身長のはずなのに、今はなんだか存在が悪鬼のようにデカい。

 そう言えば ()()()も——葉加奈井さんも そんな人だったな

 ……

 なんか今日は、よく去年のことを思い出すな。

 口の中のジャリジャリとした破片を血と一緒に吐き飛ばして、それと一緒に余計な思考も捨て去る。

 ついさっき——尻餅をついた時に——人面ゴブリンの弱点が分かった。

 否、端から分かっていた。一目見ただけで、誰でもわかる。顔面だ。

 境目が明瞭で、故にこそ気持ちが悪い、最も怪井らしい特徴の部分。

 踏んだ時に、あそこだけ柔らかかった。奴が持つ、出鱈目に硬質化された皮膚ではなく、人間の、人肌の柔らかさだった。攻撃して下さいよと、言わんばかりだった。


 奴が棍棒を横に振ったので、屈んで避ける。


 きっとこいつは、檻多田先生を嫌う人種のストレスによって生まれた。

 そいつらの目には、檻多田先生がこうも醜く写っているのだろう。

 それは別にどうでも良い。人間なんてそんなもんだと、——人は言う。


 ともあれ。

 弱点がはっきりとしたのだ。確信が持てた。

 小金井がいる時に気づけなかったのは痛いが、まあいい。

 人間の顔を痛めつけることにも、なんら躊躇いはない。


 作戦は変わってしまうが、掃討さえきちんと済ませていれば、文句を言われる筋合いはないだろう。



 よし、討伐再開だ。

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