香るは鮮やかな黄色 #伍
日にちは進んで金曜日——
私は千風ちゃんに呼ばれて演劇部の部室に赴いている。恐らくは水曜日の相談の続きをしたくてお昼休みに呼び出したんだろう。演劇部の部室は、部外者が来ることはまず無いはずなので、他人に聞かれたくない話をするにはもってこいの場所だ。
昇降口の西側斜め向かいにある白いドアの前にたどり着く。ステンドグラスを模したみたいな“演劇部”の文字が映える小窓を確認してドアノブを捻ると、部屋のなかには千風ちゃんがいた。
こちらに気付いた千風ちゃんがにこやかになる。
「あ、商井ちゃん。良かった、来てくれて。念の為なんだけど、部室に部員以外の人入れてるの見つからないように扉閉めてもらっても良いかな?」
「あ、はーい」
急かされるがままに扉を閉めて中に入る。椅子出したからそこ座って良いよ、と背もたれのない木製の四角い椅子を指差されたので、それに座りつつ辺りを軽く見渡す。
演劇部の部室内はかなり雑然としていた。広さは教室より少し狭いくらいで、大小さまざまな物が溢れている。ドアの反対側の壁には窓が並んでおり、真昼にも関わらず全てに暗幕が引いてある。多分、そこかしこに積み重なっている演劇の道具を日焼けから守る為だろう。
大道具に使うのであろうベニヤ板と工具箱、物は分かるけど使用用途が不明な小道具と恐らくはその材料、ドレス等の衣装にメイク道具、タイトルが異なる数冊の台本、照明・音響関係の機材、演劇の参考資料と思われる指導教本、水耕高校演劇部の過去の演目を撮影して焼いたDVDなどなどもろもろ……
部室と言うよりも物置、いや、倉庫と言えるレベルであらゆる物が詰まっている。
私はそんな妙な圧迫感を覚える室内で、それでも足の踏み場はしっかりあるのだなと感心する。雑多に積み上げられた数々の物品が床に散乱していないところを見るに、片付けは一応されているようだ。
ただ、とは言え、床を拝めるエリアはかなり狭いんだけど。椅子を三つ置いて、二人が向き合って座れば膝が触れ合う近さだ……ん? 椅子が三つ……?
私が来たというのに、千風ちゃんは一向に話を始めようとしない。緊張してる様子ではなく、誰かを待つようにくつろいでいる千風ちゃんに、私は恐る恐る理由を尋ねる。
「あの、千風ちゃn」
同時に、ガチャリとドアノブが回った。
「失礼します」
そう囁いて、そそくさと入室してきたのは、なんと蔦土くんだった。
千風ちゃんは申し訳なさそうに迎え入れる。
「蔦土くん、さっきの今で来てもらっちゃってごめんね。商井ちゃんには事前に言ってたんだけど、蔦土くんには前もって言う機会がさっきしかなくて」
「あ、全然大丈夫だよ」
なんでもないように答えて、蔦土くんは木製の椅子に腰を下ろす。
えっ…………………………と。
…………いや、そうか。千風ちゃんからしたら、以前相談に乗ってくれた二人だから、次の相談にも二人セットで呼ぶのは当たり前だ。
だけども蔦土くんはあの時は突発的だったし、男子だし、呼ばれなくてもそれなりに納得できる理由はあったと思うが……
普通なら、相談ごとを聞かせる人を絞るはずだ。相談相手を増やすというのは、秘密の話を知る人間が増えるということであり、それだけ相談内容が他の人に漏れるリスクが上がるということだからだ。不慮の事故で話を聞かれたとあったら尚さら即切りの候補だろう。
なのに、それをしなかった千風ちゃんの純粋無垢な優しさを思い知る。次の恋愛相談に蔦土くんも呼ぶという発想が私の頭からは完全に抜けていた。
呼ばれたら来てしまう蔦土くんも蔦土くんだけど……うん? 本人が来たならもう心配はないのだろうか?
一昨日の昼も誘われるがまま相談に乗っていたし、蔦土くんが“好きな人の恋愛相談に乗る”という茨の道を選び続ける理由が皆目見当つかない。
この前はあんなだったし、一日置いて昨日で全て吐き出し切って立ち直ったという見方もできなくなはないけど……
蔦土くんの顔を覗いてみるが、やはりというか感情が表に出ない人だ。
そんな風に蔦土くんを観察しているうちに、千風ちゃんが相談を始める。
「それでね、この前の続きなんだけど。相談したいことっていうのは、野世くんと仲良くなりたいんだけど……そ、その、こういうの初めてだから距離の縮め方が分かんなくて、何か良い方法ないかな……?」
瞬きを数回挟み、訊ねて頬を染める千風ちゃん。
そこから目を逸らし、蔦土くんのほうを横目に見るが真剣に悩む姿しか映らない。また、鼻に意識を集中させても渋い匂いは香ってこない。
「話しかけるタイミングもなかなか無くて……ど、どうすれば良いかな。私このままだと全然距離縮められないかな」
「あ、いや、そんなことないよ」
流石に本題を無視して千風ちゃんを放置するのは可哀想になってきたので、私は蔦土くんを一旦信用することにして、恋愛相談に本腰を入れる。
「ただ、距離感って大事だからさ」
話し掛けるタイミングは今ぐらいの距離感だと難しいよね。自分から話しかけに行くにはまだ関係性が出来上がってないだろうから、何かしら一緒になる用事——口実が必要なところだ。一応、今まで赤の他人だったのに急接近することで好意を匂わせる方法もあるにはあるけれど、話し掛ける内容とタイミングで相談してくる千風ちゃんにそんなテクいことを求めるのは酷というもの。
まずは、話し掛ける内容から応えていくのが妥当だろう。
「そんなに力みすぎなくて良いと思うよー。最初は深い話までしなくても世間話で良いと思う、こう言っちゃうと逆に難しいかもだけど」
やっと相談に応えた私の言葉に、ふむふむと聞いている千風ちゃんの両眼が「もっと具体的に!」って訴えてくる。
「うーんと、天気とか食べ物とかの話? ……でもあんまり世間話ばっかりでもな。何か共通の話題があれば尚良しなんだけど、趣味とか委員会とか」
「共通の……話題……」
千風ちゃんは、顎に右の拳を当てて自分の膝をすがめる。
「あぁ、良いの良いの、そんなに気負わなくて。共通の話題を探るための世間話でもあるわけだし。千風ちゃんは野世くんに聞いてみたいこととか、気になることとか無いの?」
「どんな人がタイプなのかなーとか、休みの日何してるのかなーとか気になる……かも」
うーん、なんかモジモジしてる。赤面して、俯いてる。
なんだなんだ、初々し過ぎてこっちは尊死しそうだよ。千風ちゃんの、普段の誰が相手でも動じないコミュ強っぷりを知っていると、こと恋愛においては奥手になってしまうという見事なまでのギャップに両の角膜が焼かれそうだ。危うく他人の恋で盲目になってしまうところだった。
私は目をぎゅっと瞑ってから、見開いて会話を続ける。
「それ、アリかもね。休みの日何してるのーって、次に話すときに聞いてみようよ」
千風ちゃんの恋バナは新鮮な反応が多くて楽しいんだけど、この様子だと前途多難だなぁとも思ってしまう。ただまあそこは、恋愛アドバイザー的な立ち位置(自分でも言ってて恥ずかしい)に置かれているなら、井世界部解消班の誇りにかけて(勝手に)、絶対この恋は成就させてあげたい。蔦土くんのことはもちろんあるけれど、一人の乙女としては、それならじゃあ実る可能性のある恋を潰そう、とはならないのだ。
「休みの日何してるのっていうのと、後もう一つくらい話題が欲しいね。例えば……学校行事は共通の話題になるし、どうかな? 最近は文化祭も近いしね」
「文化祭関係の話かぁ……うん、それなら出来そう」
分かりやすく共通の話題だし、千風ちゃんもやっぱりそういうのは話しやすいんだろう。
「あとは、話しかけるタイミングだけど……難しいねぇ」
何かで一緒になれるならそれがベストなんだけど、厳しいだろうな。
「一応だけど、連絡先は交換してたりする?」
まだ知らない……と、首をふるふる横に振る千風ちゃん。
そうなると、廊下ですれ違った時くらいしか話せるタイミングは無いだろう。ただなあ、廊下での会話って緊急の時か、そこそこ仲良い間柄じゃないと通用しないんだよね。そうじゃないと不審がられて距離を置かれるというか、周りに「私この人に恋してるぜ」っていう一種マーキングに思われかねない。それはそれで一つの戦略なのかもだけど、先も言った通り千風ちゃんにそこまでのことを要求しようとは思わない。
うーん、どうしようか。
と、そこへ
「それなら、月曜日の実行委員の集会の時に話しかけてみるのはどう?」
ずっと相槌を打っては考える素振りを繰り返していた蔦土くんが、今日の相談で初めて声を上げた。私は脳のどこかで、呼ばれて来てみたは良いけれどまだまともに参加できる精神状態ではなかったのか、などと思っていたけどそんなことはなかったらしい。
「あぁ、そっか。この前の実行委員の集会で知り合ったって言ってたね」
蔦土くんは「そうそう」と言うように深く頷く。
千風ちゃんも首肯しつつ、返答する。
「それなら確かに、野世くんがいつどこにいるかも分かってるから話しかけやすいかも。でも、一人で行くのはなぁ……友達誘うのもなんて誘えば良いか分かんないし……」
「友達にはこのこと話せないの?」
「うーん……友達の従兄弟を好きになったってなんか気まずいかな」
なるほどね。友達間で噂が広がるのを危惧して、いつもの仲良い人達みんなには話せないのか。
まぁでも、と続けて、千風ちゃんはニッと口角を上げる。
「それくらいは自分で頑張ってみるよ。適当な理由すら無くても誘えば来てくれるかも知れないし」
「そお?」
「うん。一人で話し掛けるよりは難易度低いしね」
それを聞いて、蔦土くんは後押しするように頷く。
「応援してるね、千風さん」
形になった“野世くんと仲良くなる為の作戦”に、千風ちゃんは期待を前面に出した笑顔になる。
折角やる気を出してくれたのに水を差すのは勿体無いと思い、蔦土くんの後に続く。
「困ったらまた相談してね。頑張れ、千風ちゃん」
こくり、と首を縦にして、千風ちゃんは瞳に炎を燃やした。
お昼休みが40分経過し、残り20分となった現在。
私は1-1教室の対角に位置する、北西階段の屋上前に足を運んでいる。理由は、蔦土くんと話し合いをする為だ。——あの後、全員で一緒に退室するのはどうかということで一人一人数分置きに演劇部の部室を出て行った。最初に蔦土くんが去って、数分して私が廊下に出ると、下駄箱の影に隠れていた蔦土くんが現れて「話したいことがある」と遠慮がちに私に伝えてきた。私はそれに了承して、互いに昼食を済ませて、現在——
「突然でごめん。でもこれだけは商井さんに伝えたかったから」
屋上に続く階段の半ばで、背後を歩く私に気付いた蔦土くんは振り返って、芯の通った声で言う。
高所に嵌められた窓から差し込む陽光が、さながらスポットライトのように階段の一部を照らしていて、それを避けて私たちは一昨日と同じように階段に腰を下ろす。
早速、蔦土くんが口を開く。
「昨日、ずっと考えてたんだ。千風さんとこれからどう接していけば良いのかってことを」
後ろの床に両手を突いてつっかえ棒みたいにして、彼は暗い天井を仰ぐ。
「これまで通りの顔して相談に乗るか、もしくは相談に乗らずに疎遠になるか」
下階を気にして、立ち入り禁止の空間に、小さく二択を並べる。
蔦土くんは思いつかなかったのかもしれないけど、実は選択肢はもう一つある。千風ちゃんの恋心を知ってなお、自分の恋を貫く選択肢だ。別に千風ちゃんには恋人がいるわけじゃない。浮気にならないのだから、どれだけ猛アピールしても構わないわけだ。彼女に好きな人がいたことは確かに憂うことではあるけれど、だからってそれは自らの恋を諦めなければならない絶対の理由にはなり得ないのだ。
未だ、叶えることが可能な恋なのだ。
けれど、私は、陽の光を黄色く反射する蔦土くんの眼を見つける。
「俺は、千風さんの気持ちを応援することにした。」
真っ直ぐ対岸の壁を見つめて、彼は言う。それを商井さんには伝えときたかったんだと、続ける。
「俺は千風さんのどこまでも親切で、どこまでも純粋なところに惹かれたんだ。そういう人になりたくて、そういう人のそばにいたかった」
彼は据わりが悪いように段へ足を放る。
「だからなんだと思う、相談に乗って欲しいって誘われた時に、断る選択肢がハナから無かった。相談相手として抜擢された、信頼されてる、話す機会だっていう喜びのほうが大きかった」
彼は顎を引いて、嘲笑から鼻を鳴らす。
「それってでも結局は自分のことしか考えてなくて。千風さんの持つ親切さには程遠くて、それで悲しむのもやっぱり自分のことしか考えてなかった。少しでも千風さんに近づきたいなら、うじうじ悲しんでばかりじゃ駄目だと思ったんだ」
きっと彼女ならどんな悲哀の中にいても他人のことを考えて行動する、彼は続けた。
「俺はこれまで千風さんに、学校で過ごす日々を嬉しいものにしてもらった。毎日がちょっとしたことで彩って、ちょっとした楽しみがあふれている日々を、今度は千風さんに送って欲しい」
もう、蔦土くんからはなんの匂いもしない。
「だから、これからは真剣に、友達として相談に乗ろうと思う。これからは、恩返しをするつもり」
照れくさそうにそう言った彼の目は、真昼の日光に照らされて爛々と輝いていた。
それが、彼自身で見つけて、決めた答えなのだ。
私は、蔦土くんと目を合わせて言葉を掛ける。
「そっか。じゃあ、これから頑張らないとね。でも一応、私はいつでも頼ってくれて良いからさ。乗るよ? 蔦土くんの相談でも」
相合を崩して何か言おうとした蔦土くんは、目を勢いよく瞑って、くしゃみをした。
急に首を階段方向に向けたからか、鼻を啜りつつ首を抑えている。
なんとも締まらない姿に、思わず噴き出してしまう。
「ッ……ハハハッ」
「ちょ、あんまおっきい声出さないでよ」
下を指差して注意されたので、小声でごめんごめんと謝る。
静寂が乱されて、焦った様子の蔦土くんに、私はどこかで安心感を覚えた。
今回の話はかなり削った箇所が多いです
ということで考えたは良いけど要らなくね?ってなったプチ情報載せときます
・蔦土万の身に付けてる腕時計のブランド名は、B-Jack らしい。
・商井のいつメンの名前と髪型
御手洗 遥花 ハーフアップ
豆打 七継 ポニテ
胡桃 麩弓 ギブソンタック
(ヘアスタイルに関してはカラーだったりパーマだったり色々あるんですが、まあ、カットですm(_ _)m)




