隠した想いを見直して3 #伍
蔦土くんを先導して、三階から更に上へと続く階段を登る。水耕高校は三階建てなので、この先には屋上しかない。
「あの、ここって……」
「大丈夫、さっきちらっと廊下を覗いたけど誰もいなかったから」
少し怯えた様子で着いてくる蔦土くんへ、後ろを振り返らずに答える。
電灯の点いていない階段を折り返して、目的地である屋上前の踊り場に辿り着く。この場所には机と椅子が一つずつと、畳まれたダンボール、掃除用具のロッカーが置いてある。最後の以外は用途が不明だが、多分物置き的に持ち込まれて忘れ去られたのだろう。
振り返って見下ろせる階段部分には、踊り場に嵌めてある窓から真昼の日差しが入り込んでいるものの、私達が立つ屋上手前までは光が届かず、雰囲気的な暗さと冷たさが保たれている。若干埃っぽいのが気になるが、呼吸が憚られるほどではない。
階段を上り切った蔦土くんは、恐怖心をひた隠しにした眼差しで、穴の空くほど見返してくる。
彼からは、依然として枯れた恋の匂いがしている。
悲しくて、悲しくて、悲しくて、————
きっとそれが彼の本心だ。
けれども、彼は悲しそうな素振りを一切見せない。強がりや人見知りではないのだろう。
もっと根本的に彼は臆病なのだ、失恋という現実に向き合えないほどに。
その気持ちは痛いほど分かる。本当に、痛いほど。
心臓に針立ての如く沢山のまち針を刺し込まれる思いだ。
だからこそ、私は謝ろうと考え至った。
見向きもしない現実を直視してもらおうと、考えが至った。
僅かに対峙していた時間を、彼は嫌うように腕時計を触って、唾を飲み込む。
そもそもが私自身が撒いた種だという責任感も込めて、徐に、頭を下げる。
「ごめんなさい。蔦土くん。私、何も知らずに応援するとか言っちゃった」
後退りしたわけでもないのに、彼の体重が踵に掛かるのが分かる。
逃げることは許さないとばかりに、下げた頭を私は上げない。彼からしたら、謝罪を模した攻撃に写ることだろう。
静かに震えた声が返ってくる。
「な、何? それ」
尚も頭を上げない私に、彼は話を逸らしにかかる。
「い、いいよ。別に。気にしてないから。それよりもさ、ここ埃っぽいし一旦掃除しようよ」
言って、返事も待たずに掃除用具入れを開ける。
目の前に差し出された箒を突っぱねるわけにもいかず、定まらない気持ちで頭を上げて新品同様に綺麗な箒を受け取る。
しばらく、屋上ドア前の踊り場を二人で二分割して掃き掃除をする時間が続く。私がドア側で、蔦土くんは机などが置いてある側。淡々と、過ぎる。
「……本当に、気にしてないんだ。今こうして謝られなきゃ気づかなかったぐらいには」
箒を掃く速度が、徐々に遅くなる。
「……だって、未だに自分の気持ちが分からないから……保健室ではああ言ったけど……今は余計に分からなくなってる」
まるで先送りにしてるみたいに。段々と遅くなってゆく。
「……恋って……なんなんだろう…………? ……好き……って…………なんなんだろう…………?」
消え入りそうな疑問が、日の差さない空間に溶けていく。
足が止まり、箒は右に、左に、傾き揺れる。
「………………俺がそう思うことは、間違いだから。…………千風さんを想うことは、間違いだから」
自分とは、違う存在だから————と彼は続けた。
「……千風さんって、本当に優しい人なんだ。心底優しい人で……こう、なんて言うか、純粋な程に優しいって言うか。初めて見た時も、皆んなスルーして、俺もスルーしようとしてた落とし物を、千風さんだけは落とし主まで届けてたり」
和やかな口調で、微かに嬉しそうに語る。
「前に、英語のアイスブレイク中に友達のこと褒めてたり。そういう、心遣いとか純心とかが良いなって思ってたんだ」
箒を、ゆっくり、ゆっくりと左右に振る。
「でも……それは恋なんかじゃないと思うんだ」
箒を持つ手を止める。
「良いなってだけで、やっぱり恋愛感情なんかじゃなかったんだよ」
「蔦土くん、千風ちゃんのことを考えると胸の辺りが甚く苦しくならない?」
食い気味に喋ってしまった。
彼を現実から逃すまいと噛みつく。
「今に限らず、初めて見た時からずっと。心臓が縮み上がるような、ぎゅっと潰されるような、そんな苦しさが……無いかな?」
返事を待たずして、突き付ける。
「それは絶対に、恋愛的に好きっていう感情だよ。間違いなく、恋してるんだ。」
箒の穂先と床面が擦れる音すらも聞こえず。お互いに壁を向いて背中合わせのまま、静寂が過ぎる。
“恋”の断定は難しい。定義がまず曖昧なのもあるだろうが、主観であるが故に自分に自信が無ければ、ますます言い切る難易度は高くなる。自分の心に信用が無いから、抱いた感情にすら懐疑的になる。
きっと、千風ちゃんのように自らの“好き”に気付けることはかなり幸せなことなんだろう。
残り少ない面積を掃いて、どちらともなく掃除用具入れに箒をしまう。ゴミ箱はないので、ゴミの小丘を踊り場の角に寄せておいた。
埃舞うなか、蔦土くんは目を合わせないように下を向いて手摺に向かって歩く。躊躇うように一段降りた所で立ち止まり、崩れるように踊り場の床に腰を着けた。
私は彼と反対側、手摺が無いほうの壁に寄った位置で、踊り場の床にしゃがみ込む。
両の膝に両の肘を突いて、彼は差した陽光と影の境目に目を落とす。
「……いまは、」
重ね合わせた腕に額を埋める。
「……………痛いだけです…………」
日光を浴びて、細やかな埃がきらきらと宙を漂う。
ドアも窓も開けずに掃除をしたからか、それらが目に沁みた。
喧騒に包まれる1-1の教室のなか、教科書に目を落として周囲のクラスメイト同様に音読している蔦土くんを視界の端で見る。
現在はコミュニケーション英語の時間。午後最初の授業ということでうつらうつらする人が多くなってきた頃に、英語の本文を起立して音読させられている。
さっき、お昼休みが終わるギリギリで私達は教室に帰ってきた。一応、蔦土くんを先に帰してから、私はお手洗いに寄って少し遅れてから教室に入った。
襟元の水耕高校の校章を指でなぞる。ここまでで怪井は出現していない。怪井の出現を感知する井世界部特製の校章が反応を示していないから間違いない。
この校章は感知範囲が極端に狭い。
だから、私は蔦土くんの近くにいる必要があった。怪井が出現した際にすぐ発見出来るように。勿論、怪井が出現しないよう手を尽くす為にも。
とは言え、井世界部の活動のことだけを本当に考えるなら、きっと彼を追い詰める必要はなかった。あんな危ない橋を渡る必要性はどこにもなかった。
彼に現実に向き合って欲しい、悲しみを受け止めて欲しいというのは紛れもない私のエゴだ。
本来なら失恋を感じ取った時点で三人で教室に戻るのが正解だった。彼は自分の悲恋を見て見ぬフリして、片思いごと無かったことにして、ストレスから逃れようとしていたのだから。それに則ってあの場を早めに切り上げることだけして、あとは気を紛らわす為に教室に戻って友達と話して貰うだけで良かったのだ。
それを、私は本分を蔑ろにして自分の趣味・主義を優先させた。彼に負荷を掛けてしまった。
怪井化しなかったのは、誰かが近くにいてくれたからというのが一番の理由だと推測するが、殆ど奇跡みたいなものに相違ない。
一つ間違えたらと考えると、周りに掛かる迷惑を想像すると、もう二度とリスクを無視した感情的な行動は取れない。
英文の音読時間を計っていたタイマーが鳴り、英語教師が着席を指示する。椅子を引いて座るタイミングで再度、右隣を見やる。
教科書を机に置いた蔦土くんの横顔はいつもの読めない能面みたいな表情で、それが黒板に目を向けても思い出されて離れてくれなかった。
まるで瞼の裏に焼き付いたかのように頻繁に想起させられたその光景は、その度に喉が痺れるほど渋い匂いを私に思い出させた。
その日はずっと、渋い匂いがした。
以下、これを入れると雰囲気がブツ切りになるので削った設定説明部分。文章は本文に入れてた時のままなので読みにくいですm(_ _)m
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似たような索敵機能を持つ物として井紋のアイテムがあるが、あれは井世界へ繋がるゲートを開けることも出来る掃討班専用の一点物だ。私を含めた解消班に配られるのは、水耕高校の校章を模した量産型の索敵バッジである。同じ索敵とは言っても、この二種類のアイテムは役割に応じてその方法が異なる。解消班の身に着ける校章は怪井化したストレスに反応してアラートし、掃討班の持つ井紋のアイテムは井世界に出現した怪井に反応してアラートする。




