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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
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一回死んだからって関係は変わらない

なんか色々予習しといたほうがいい回があると思いますが、めんどいぜって方は雰囲気で読むことをお願い致します。

 あの日、私は人が死んでいるのを見た。


 私は幸運なことに高校一年生16歳になっても肉親が亡くなったことはない。だから当然、葬儀に参列して既に動かなくなった五体満足の知り合いをこの目で見たことはないし、戦争のない平和な日本に生まれて身投げの現場に遭遇することもなく平和に育ってきたから、不意に無惨な姿になった人間を見たこともなかった。


 井世界に戻って、人生で初めて死体を目の当たりにして最初に抱いた感想は、まだ生きてるのではないか? だった。手足が離れ離れになっていて、首が外れていたのだから、その人は確実に死んでいたのに。

 にも関わらず、あの時はその考えが拭えなかった。首が取れても人間は生きていそうだった。

 だから、咄嗟に呼びかけた。「唐井さん! 唐井さん!」と。頭をゆらして、腹の横をゆすった。

 当たり前に返事はなく、触れた体温と感触で、ようやく死を理解した。

 この人は死んだんだと、人は死ぬんだと、遅ればせながら理解して、そしてすぐに湧いてきた疑問が、「なんで?」だった。

 なぜ死んだのかと、それはもげた四肢と頭、飛び散った赤黒い血を見れば最初から明らかなのに、私は一度確かに疑問に思った。そしてその疑問は状況を理解してすぐさま、「何に殺された?」に移り変わった。答えはすぐに出た、子トカゲだと。

 怪井によって人が死んだ事例は聞いたことがなかったけれど、怪井相手では何が起こってもおかしくはないという文言はずっと聞いていた。怪井は人を殺してもおかしくないのだと、そこでやっと考えが及んだ。

 私は急激に早鐘を打ち始めた心臓に耐えかねて、その場に尻餅をついた。それまで井世界から校舎の破壊という遠回しで間接的な被害しか齎さなかった怪井が、実は直接的に人を殺し得るのだと理解した。

 私は怪井をなんとしてでも掃討しなければならないと強く強く固く固く思った。

 私が決意を新たにしていると突然、視界の端がぐにゃりと歪んだ。驚いて両目で釘付けになっていると、固まりかけていた血痕が床から自ずと剥がれていた。剥がれたそばから鮮血の色に変わって、状態も液体に変わっていく。夜の暗い校舎の中でそこまではっきりと見えたわけじゃないけれど、ぼんやりとそれらは確かに蠢いていた。やがて浮遊していた血の塊が拳大に寄り集まって、先輩の開けた腹部へ侵入して行った。

 一瞬ではなかったその時間、全てを理解に努めた脳味噌は疲弊し切って身体に嘔吐を要求した。考えを出し尽くして尚理解不能な現実相手に、他に出せるものは内容物しかなかった。

 すると再び視界の端がぐにゃりと歪む。今度は視界の上方で先輩の身体が蛆でも沸いたかのように蠢いていた。

 正体はまたも血液だった。腹部からはみ出た臓物へ握るように巻きついて、汚さないように丁寧に空中に上げて中身を戻していく。骨や血管、筋肉、皮膚の綺麗な切断面を見せる四肢の付け根からは糸の如く血が伸びて、遠くにある対応した部位の切断面と繋がって、手繰り寄せるように巻き戻る。活着した切断部分の線みたいな痕には体裁を整えるように血液が一周して、赤黒いペイントの瘡蓋となった。一つ、二つと繋がって、くっついて、死んだ肉体がプラモデルみたいに完成系に近づいていく。最後は首の切断面同士が複数の絹糸みたいに細い血液の糸によって結ばれて、引き摺るように戻ってしまった。勿論、首にも血の輪が塗られた。

 その間、私は背後の壁になるべく隙間なく体をくっつけて、出来る限り理解し難い現象から遠のこうとしていた。思わず声に出してしまうほどに、本能が気持ち悪いと唸っていた。


 ……死んでたはずなのに……

 

 体感としては、“死”よりも“蘇生”のほうが生理的に受け付けなかった。一度(ひとたび)死を確信したからだろうか。覆るはずのない現実が覆って、生きるとか死ぬとか、私の中でそれらの定義や価値観が逆さになってしまいそうなほど衝撃を受けた。






 なんて、そんな風に。ある種の異質な懐かしさに囚われていると。

 血痕の首輪どころか傷ひとつ見当たらない唐井さんが、ダークな雰囲気が蔓延る井世界の校舎にて、ナチュラルに元気なことを言ってきた。


「今日の朝当番、小金井ひとりでやってくれない?」


 いつの間にか中レンガに現れていた怪井の大羊を、窓の(さん)に片肘ついて気だるそうに見下ろしている。文化祭期間と言っても大羊は変わらず出現するので、朝の当番だけは曜日チームが引き続き担当している。唐井さんの、手の上に乗った顔が見せる表情は再びあの時のことを思い出させる。

 そう言えば、生き返った直後も似たような顔をしていた。私が思わず声を漏らしたその時、唐井さんは意識が覚醒したのかいきなり目を開き、暫く寝たまま瞳だけで周囲を確認して、やがて徐に起き上がった。この時の私を向いた表情は、全てを諦めて面倒に感じているようだった。唐井さんはため息の代わりに言葉を吐いた。「おい勝手に殺すなよ、って言いたいけど多分本当に死んでたんだろうな」と。動作の具合を確認するかのように手を握ったりしていた。

 私は(かぶり)を振って回想を終わりにして、現在の唐井さんに疑問を返す。


「良いですけど、もう帰るんですか?」

「そんな無責任なことしないよ。大体、現世に帰ってもやることないし。いやさ、小金井の戦い方を今一度見直してアドバイスできることあったらしたいなって」


 ……。この人がそんな殊勝な考えを持つはずがない。なんてったって一番最初に会った時に教えを乞うたら、怪井との戦闘方法に関してはまず見て覚えろと言われ、二週間一言も会話を交わすことなく見学だけをさせられた。二週間後からは実践に参加させられて少しずつ話すようになったが、相変わらず武器の構え方や攻撃方法などは助言して貰えず、独学でインターネットを頼りに試行錯誤していくしかなかった。お陰で動画アプリのおすすめ欄には槍を取り扱ってる動画が未だに思い出したように顔を覗かせる。

 それなら戦闘以外で何を話していたのかと言うと、仲を深めるためなのかよく分からない世間話を延々していた。その連続に今があるので、技術指導は今更期待していない。


「めんどくさくてサボりたいなら正直にそう言ってください。どっちが囮役でトドメ役かは任せますけど、さっさと討伐したほうが早いですよ」


 ばっさりと告げて、私は二階東廊下から中レンガの脇にある植木に飛び降りる。上から着いてくるように降ってきた「そんなつもりじゃないんだけどなぁ」とボヤく声は、多分きっと空耳だろう。

 私は柔らかい土に槍を突いて立ち上がる。大羊を見やると、今まさに一回目の突進をしていた。大きな破裂音のような、体をびりびりと震わせる音が鳴る。大羊の、黒板消しを(はた)いた時に出る粉煙みたいな身体に羊の頭蓋骨が浮いているような見た目は、いつだって変わらない。その黒い粉煙みたいな後ろ姿を睨みつける。槍を持ち上げて臨戦態勢を取ろうとすると、学年色の緑のラインが映える学校指定の長袖ジャージに身を包んだ唐井さんが一歩前に出た。


「あ、小金井はいいよ。俺が先に気を引いとくから」


 端的にそれだけ言い残して、植木が並ぶ高さ一メートルほどのエリアからレンガの地面に降り立つ。どうやら囮役を買って出てくれるらしい。てことは私がトドメを刺す役目だ。

 武器として使用する道具が固定じゃない唐井さんと、突き刺す為の武器である槍を使う私がペアを組んで戦うとなると、大羊相手ではこの役割分担が最適解となる。たまに唐井さんの気まぐれで逆になったり一人でやったりやらされたりするけど、七割くらいは今と同じ分担だ。

 唐井さんは真っ直ぐ昇降口の横に向かって駆け足に走っていく。軽く汗を流しますか、的な感じのジョギングに見えなくもないけどそんなことはないはずだ。

 昇降口の外の両脇には水道が設置されている。コンクリートの壁から蛇口が二本生えていて、片方には緑のビニール製のホースが被せてあって、側溝に落ちない為に置かれたグレーチングの上へとホースの半分以上がぐだっと投げ落とされている。

 そこへ辿り着いた唐井さんは迷うことなく投げ出されたホースの口を持ち上げて、大羊に向けて、空いた片手で蛇口を捻る。因みに水道や電気はどういう理屈なのか、井世界でも現世と変わらず使うことができる。

 蛇口から飛び出た水道水がホース内を通って、狭められた出口から勢いよく噴射される。それを浴びた大羊は、心なし怒った様子でホースの持ち主に標的を変える。姿勢を低くして、殺人突進が駆け出す。間一髪で唐井さんは横に逸れて攻撃を躱し、ホースを両手に握り直して全速力で直進する。大羊は急ブレーキをかけ、唐井さんを追って直角に曲がろうと向きを変える。

 ホースが伸び切って蛇口を軸に、今度は足を止めた大羊の周りを円く走り始める唐井さん。大羊は唐井さんと同じ向きで振り向こうとした為にうまくすれ違えないでいる。まるで自分の尻尾を追ってる犬みたいだ……一応、あの人ふざけてるわけではないんだよね?

 円運動のままに、唐井さんは開いていた昇降口のドアから中に入る。緑のビニールホースが大羊の実体の無い胴体に食い込み貫通する。しかし途中で大羊の頭蓋骨に引っかかり、ホースは完全には通り抜けれない。校舎内に入った唐井さんは当然それには気付かずに引っ張り続け、頬骨と角の間から角の根本までホースが上がる……って、あ!

 そこでようやく、私は唐井さんの作戦を理解した。

 唐井さんは抵抗感を感じて尚も引っ張り続けているようで、次第に大羊は校舎の壁面に寄せられていく。大羊も負けじと頭を振ったり動かして逃れようとするが、禍々しく巻いた角が嘲笑うかの如くホースをより絡め取るだけ。大羊の巨体は殆ど気体であるが故に、実質的な重さは羊の頭蓋骨分のみであると思われる。だから人間一人の力であそこまで動かせるとも言えるし、なのに徐々にしか動かせないほどの反抗ができる大羊の脚力が桁違いだとも言える。あの気体の体のどこに筋肉があるのか分からないが、怪井とはそういう概念だと思うほかない。

 校舎の外壁ににじり寄っていく大羊。もうすぐコンクリートの壁に押し付けられるので、あとは私が簡単に弱点を突くだけだ。固定された頭蓋骨の眼の穴から一突きに。

 だからって油断はしない。怪異討伐にアクシデントは付きものだ。それを身をもって知っているから、油断大敵。

 私は槍を半身に構えて、周囲を警戒し、大羊を警戒する。大羊が締め付けられたらすぐにトドメを刺せるようにゆっくりと歩いて前進する。

 暴れる大羊、締め上げるホース、他に気配は感じられない。校舎の奥に行った唐井さんは気配が読めなくなったが、ホースがその代わりだ。

 萬年桜の横を過ぎて、大羊の存在感を肌で感じる距離に立つ。生唾を飲み込み、残り数歩を近づくか躊躇う。

 と、次の瞬間、ホースが抜けて大羊が解放された。暴れていた大羊は突然縛るものが無くなって、制御出来なくなった力のままにこちらへ流れるように突進を(けしか)けてくる。

 油断大敵。この言葉で研ぎ澄まされていた感覚が、脊髄反射的に構えた槍の高さを調整した。切先が左の欠けた節穴に入り——

 大型トラックと正面衝突したような衝撃と共に、核を貫いた確かな感触が伝わってきた。瞬間的に金色の柄を全力で握った両手は擦れて焼けたように熱い。咄嗟に食いしばった奥歯は全てが抜け落ちそうで、顎は縦に割れてそうな痛みが走る。

 しかし、その他に大した怪我はなく、私は大羊と額を突き合わせてその場に立っていた。

 安心から肩で息をする。衝撃に全身が包まれるなか、遅ればせながら驚愕が脳にやってきた。

 驚いて心臓が縮み上がる暇もなかった。そう私が余韻に浸っているところへ、気の抜けた声が掛けられる。


「あーごめん、まさかホースが取れるとは思わなかった」

 

 透明になりゆく大羊の向こう側で、ホース片手に頭を下げる影。確かに唐井さんはホースを手放さなかったし、蛇口やホース自体の耐久も申し分なかった。腕力や耐久度の問題ではなく、蛇口とホースを繋ぐ構造上の問題だったわけだ。

 実際起こってみれば当たり前としか思えないが、ホースが蛇口を咥えているだけでは充分な結合とは言い難いだろう。

 私自身、唐井さんのアイディアに感心していた部分もあるので、変に咎めようとも思わない。事前に作戦の共有はしといて欲しいけども。


「良いですよ、別に。私も途中まで上手くいくと思ってました」

「あ、やっぱり? もしこれが上手くいってたら大羊の討伐方法が確立されたんだけど……」


 語尾を小さくして何か考え事をし始めた唐井さん。

 あー、このモードに入ったら声かけにくくなるんだよなぁ。取り急ぎ別の話題で話を流してしまおう。


「あのー唐井さん? そういえばなんですけど、オタマジャクシのこと、ちゃんと部長に言ったんですか?」


 瞳がキュッと一瞬だけ小さくなった。唐井さんはまだ秘密を秘密のままにしていたらしい。


「御玉杓子って遠目に見たら読点(、)に見えるよね」

「なにトンチンカンなこと言って誤魔化そうとしてるんですか。眼鏡のレンズ取り替えたほうが良いですよ? てか、まだ言ってなかったんですね」


 あの日、あの例の水曜日に私には共有してきた癖に、部長にはまだ言ってなかったのか。


「小金井が言ってるのって、オタマジャクシの発生源、ストレスの源が女子サッカー部を中心とした檻多田先生への嫌悪なんじゃないかって話だろ? それならまだ言ってないよ」

「そうですか。隠し事はやめといたほうが身のためですよ?」

「それはこの身で重々分かってる。だから、うん、戻ったらすぐに部長に伝えるよ」


 そうして下さい、と言い返して、ちょうど大羊が溶け終わった。地面に落とされた金色の槍を拾い上げ、会話も終えてさて戻ろうかと足を引くと、お話が続行された。唐井さんは蛇口にホースの口を押し付けながら喋る。


「にしても、やっぱ小金井は才能があるね。才能の原石の塊だよ」


 人を鉄鉱石か何かみたいに言わないで欲しいけれど、恐らく褒められたと思うので困惑しつつ感謝を述べる。


「……ありがとうございます……?」


 咄嗟の判断力とか、警戒を怠らなかったことを評価されたのだろうか?

 朝だから時間無いんだけどな、と焦りつつそれに関して以前から気になっていた疑問をぶつけてみる。


「唐井さんがよく言う“才能”って具体的になんなんですか?」


 蛇口をホースの口に捩じ込みながら返答する。


「んー……素質、みたいな? 俺も部長が使ってるのを聞いて使い始めたから感覚的にしか意味を捉えてないんだよね。後で間井(あいまい)部長に直接聞いてみたら?」


 あんまり思ったような回答が得られなかったな。唐井さんの思う“才能”の定義で良かったんだけど、まあ良いか。オタマジャクシのことを部長にチクるついでに才能のことも聞いてみよう。

 よしっ、それじゃ戻るか

 という作業を済ませた唐井さんの合図で、私たちはそれぞれの日常に戻って行った。

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