休日登校、あるいは幕間。
サブタイトルの通り、前後の話とは関係ない回。
でも3つ前の「よるべなき語らい」とは関係あります。
昨日、間井部長から「話したいことがあるから明日会おう」とメッセージが送られてきた。
あの間井部長が直接対面しての会話をご所望ということは、確定で呼び出した個人に対する説教なのだろう。そんな推測を立てながら、屋上へと続く階段を登る。
指定された場所は、校舎東側の屋上。
指定された時間は、土曜日の午前4時。
……
遠回しに季節遅れのカブトムシ捕りにでも誘われているのだろうか。なんて疑問が一瞬過ったのは内緒にするとして、井世界部の部員同士が会う所を目撃されてはいけないとは言え、あまりにも早すぎる集合時間だ。朝の4時とか、まだ日の出前である。
こんな朝早く暗い中で説教かぁ、と屋上のドアの前で欠伸をしつつ、学校のあらゆる施設の鍵がついた鍵束をポケットから音のしないよう取り出し、対応するものを鍵穴に差し込む。
ゆっくりと右に回すと、ロックの外れた感触がする。
鍵を引き抜いて鍵束ごとポケットに仕舞いながらドアノブを捻る。
「おはよう。唐井くん」
自分が見つけるよりも先に、間井部長は朝の挨拶をしてきた。
「おはようございます。間井部長」
なんだか部長の雰囲気がいつもと違う。これから人に注意するっていうよりも、覚悟を決めてきたって感じだ。
部長の近くに歩いて、腰ほどの高さの金属柵に身を預ける。
「なんですか、話って」
「単刀直入に訊くね。君相手だと遠回しな程はぐらかされるから」
心外だ。自分で言うのもアレだが、結構誠実な人間だと自己評価している。
「例の水曜日……先々週の水曜日に、君は子トカゲと相見えたわけだけど、その時に唐井くん、君は信じられないことに一度死んでいるんだろ?」
……まあ、やっぱりそれについてか。あの出来事以外に呼び出される理由として思い当たる節はない。
「君はなぜそれを今まで黙っていたのかな? 小金井ちゃんにも秘匿を命じるほどに、なぜそんなにも隠したがるのだろう?」
「隠し事の話ですか? 生憎、皆目見当がつかないんですけど」
おおかた小金井がバラしたか。
正義に生きる小金井ならいつか漏らすと思ってたから今更驚きはない。
「もし君が死の恐怖に屈した部員の退部を恐れてるなら、それを全くの見当はずれと言う気はない。生死が関わってくるんだ、退部する部員は必ず出る。でもね、唐井くん、私はそれと同じくらい全部員が井世界部に残ってくれるとも思うんだ」
遮蔽物ない空で、風は自由気ままに吹きつける。
間井部長は100%信用に足る情報しか部員に公表しない。その残りの1%を引き出そうと間井部長は部員を信用してるようなことを言ったのだろうが、それに「はいそーですか全部喋ります」と答えるほど寝ぼけてはいない。
間井部長にいくら説得・看破されたところで、自分が真実を言わない限りは例の水曜日の出来事が部員に明らかにされることはない。
肝心なのは、隠している事実が伝わることではなく、隠している事実を自分の口から喋ってしまうことだ。
だから、自分はどんな口説き文句にも応じる気はない。
「本当に人が死んでるんなら、そうなんでしょうね。」
風向きが反対方向に変わり、強かった風が緩く凪いでいく。
「…………葉加奈井さんが今この場にいたら、なんて言うかな?」
なんの脈絡もなく登場した去年の卒業生の名前に、一瞬、体中の内臓が肥大化したような感覚に陥る。
……
「あの人は今関係ないですよ」
「大アリだよ。これは君の、あの人から貰った宿題の話だ」
「……そんなの、拡大解釈が過ぎませんかね」
間井部長はせっかく決めてきたであろう覚悟が揺らいだかのように、目を下方に泳がせながら続ける。
「一般的な解釈だよ。君は、人と関わり合いなさい、と言い遺されていたはずだ」
「……それと今の話がどう関係あるんですか?」
自分が事実を暴露しないこととなんの関係があるのか。
両目を左に流して、間井部長は答える。
「君は今、隠し事をすることで私との距離が遠退いている」
「……そうですかね? それに、誰だって秘密にしたいことはあるものでしょう?」
泳いでいた目が座り、風がピタリと止む。
「君の言う通り、秘密の一つや二つ人間なら誰しもあるものだし、誰が相手でもあるものだ。けど、それは大体が人間関係を円滑に進める為に用いられる。今君がやっているのとは、真逆の意味で使われるんだ」
「……」
「井世界部の未来を案じてくれるのはありがたいけど、それは些かお節介が過ぎる。君がもしこの先もそうやって私を疑心暗鬼にさせてきたら、きっと私と君の間に信頼関係は無くなってしまう。それはあの人の願いである、君が人と関わること、に抵触するんじゃないかな」
「…………」
「少なくとも、あの人が願った形では私達は関われなくなるよ」
間井部長の目は嘘をついていない。
ブラフやハッタリ、カマかけではなく、本心で言っているのだと見据える目が語っていた。
部長のあの目は、人に信頼して欲しい時の正直な目だった。
一つ、観念した風な溜息を吐き、重たく口を割る。
「……分かりました。あの日のこと、全部、話します」
「うん……私もあの人のことを引き合いに出すつもりは一昨日までなかったんだ。でも、そうは言ってられなくなってさ、ごめん。それじゃ聞かせてくれるかな、例の水曜日、子トカゲと何があったのか、その真実を」
***
「――――って言われた直後に、体をバラバラに切り刻まれたんです。多分この時に自分は死んだんだと思います。その後目を覚ましたら子トカゲがいなくなってて、代わりにぼんやりとした小金井がいましたから」
それまで左隣で、金属柵に片手を置いて話に聞き入っていた間井さんは顔をこちらに向ける。
「小金井くんがぼんやりしていた、というのは?」
「井世界に戻ってきたら人の首が離れてて尚且つくっついてる最中でしたからね。本人に後から聞いたら何がなんやらって感じで気絶寸前だったらしいです」
「なるほど……君はそんな状態の彼女を言葉巧みに味方につけたわけだ」
……ぐうの音も出ない。これが終わったら謝罪のメッセージを入れておこう。
そう思い、小金井に送る文面を脳内で作成していると、生まれた間を埋めるように間井部長は口を開く。
「……。話はもう終わりなのかな?」
「あ、はい、ですね。目覚めた後は、間井さんがついさっき言った通り小金井に黙っておくよう忠告して井世界を出たので、自分が黙秘してたのはこれで全部ですね」
ふむふむ、と得心がいったように首を縦に振る間井部長。
「それでか、小金井くんから子トカゲの一報を貰った後、通話が繋がったのが小金井くんじゃなくて唐井くんだったのは……」
間井部長は強風に煽られる長髪を空いてる片手で抑え、思案顔を覗かせる。
「……うん、小金井くんが予め教えてくれてたことと大差ないね。ただ、もうちょっと掘り下げて聞きたいことが何個かあるかな……そうだな……一つ目は、君は本当に死んだのかってところかな。君が自分の死について随分とけろっとした調子で語るからさ」
目尻に自嘲を称えつつ、自分は答える。
「そうでもないですよ。痛くて熱くて辛くて、思い出したくもないトラウマです。トラウマなんですけど、死んだ実感があるかと問われると素直に頷けないのが正直な所です。死んだ以上生きてるなんてことは有り得ない、だから逆説的に自分は死んだことはない、みたいな。自己の死亡については前後の記憶と感覚から明確に死んでいたと断言できるんですけど、だからと言って死に恐怖感が付き纏ったり死を身近に感じるようになったわけじゃないんですよね。それで言うと、部員の死を現実として把捉しているのは小金井だけだというか」
「客観的に、そして直接的に“死”を目撃してるから?」
「そうです」
柵に突いていた両肘が痛くなってきたので、くるりと体勢を変えて落下防止柵へと背中を押しつける。
「まあでも、小金井なら退部の心配はないですよ。人の死に驚いて、腰を抜かして呆けてるようなか弱い女子高生ですけど、頭のネジがどっか行っちゃってる側の人間なので。まだ退部してないのが何よりの証拠です」
「証拠ねぇ……今後も退部しない根拠とかは?」
「流石にそこまでは推測できませんね。」
敢えて無理に予想するなら、死人を出さない為に小金井自身が残るというヒロイックな行動原理だろうか。
「そっか、それなら私も小金井くんのことは気にかけておくよ……さて、次の質問なんだけど、君が一度死んだのが事実なら、君はどうやって生き返ったの?」
そこは自分としても疑問な所なので、逆に聞きたいくらいだ。
「それは自分でも分かんないですね。さっきも言いましたけど死んだことは感覚的に理解るんです。対して、息を吹き返したことは感覚的にも分かんなくて。死んだのに生きてる、ってことは生き返ったんだな、っていう完全な結果論になっちゃってます。これが水耕高校の呪いによるものなのか、はたまた自分らが知らない井世界特有の法則なのかは自分じゃ判断しかねますし、もっと他の可能性も全然あると思ってます」
「結果論か……一応なんだけど、隠し事はもう無しだよ?」
「大丈夫ですよ。相手が安心し切った時こそ騙くらかすチャンス! とか詐欺師みたいなこと考えてないですから。あの人との約束は墓場まで守り抜きます」
決意120%の宣言を耳にして、間井部長は何故か呆れた顔をする
「なんかもう、葉加奈井さんの名前を出さないと君を信用できそうにないよ……」
信用そんなにガタ落ちだったのか。教科担当教員が出張で自習になると思ってたら別のクラスの教科担当教員が教室に入ってきた時ぐらいショックだ。
「ともかく、甦りに関しては君も分からないことしかないんだね。そしたら試しに死んでみるわけにもいかないし、進展があるまで保留かな。……あとは……一個前の質問に戻っちゃうけど、君は子トカゲに殺されたんだよね?」
「はい。そうですけど」
「それって君が子トカゲを倒そうとしたからやり返してきたって考えて良いのかな」
風力のムラが悪戯をして、お互いの声が若干聞き取りにくくなる。
「殺された理由は多分そうだと思います。子トカゲはあのまま逃げようとして、それを自分が引き止めて討伐するよって脅したら返り討ちにあった形です」
「それさ、なんか言動が矛盾してると思わない? 口では友好的な関係を築きたいって言ってるのに、唐井くんを殺しちゃったら友好も何もなくなって最悪、弔い合戦まで発展しかねないような気がするんだけど」
いやいや、そこまで情に厚くてあったかい人の集まりでもないでしょうよ井世界部。
けれどまあ、
「言われてみれば確かにそうですね。でも、あっちの方が確実に強いですから。強者の戯れ、気の迷い的な所があったりしたんじゃないですか?」
「うーん……そうなのかなぁ…………」
間井部長は青くなり始めた東の空を眺めて、そう呟く。学校の屋上で日の出を迎えるというのはとても青春を感じてしまうが、明るくなるということはつまり、人々がぼちぼち起床し始めるということ。
「まあ、取り敢えず今日はここまででお開きにしよう」
間井部長が、徐々に明るくなってきた山の端より目を逸らして、こちらに向けて告げる。
「これであの日のことを事実として部集会で全員に伝えることができるよ」
ふと、自分の中で沈んでいた疑問が浮かび上がってきた。
「あ、一つこっちからも聞きたいことがあるんですけど、間井さん、井世界部員なら死ぬ可能性があるとしても絶対に退部しないって本気で言ったんですか?」
「ん? あーそれは、半分本気だよ。さっきも言ったけど、必ず誰かは退部届を提出するって気持ちと、絶対に誰も退部しないって気持ちが私の中で両立してる、とっても不思議なことにね。なんというかさ、井世界部員みんな、生き死にが関わったからどうこう、とかじゃないと思うんだよ。勿論モチベーションは各々様々だけど、なんだかんだ部員たちはこんな訳分かんない面倒臭い部活に一生懸命になってくれてる。信頼してくれてる。だからさ、そこを私は信用してるんだと思う。命惜しさにやめていく人が出ても仕方ない、そう思えば思うほど、いやでも彼らだしな井世界部員だしな、って思っちゃうんだ。覚悟とか責任とかじゃなくて、多分……誰よりも学校が好きな連中なんだよ」
間井部長は恥ずかしそうに、その照れすらも弾くように大袈裟に笑顔を作ってみせる。
朝日のてっぺんが山間より覗いて、間井部長の背後が一層に白く明らむ。
「さあ帰ろう。まだ先生や生徒は登校してこないだろうけど、町が起き出す前に」
言って、間井部長は一歩を大きく歩き出す。
間井さんはああ言っていたが、自分は依然、学校が大嫌いだ。
〜〜誰が得するのか分からない、本文に捩じ込めなかった裏話〜〜
(箇条書きなのは許して)
・例の水曜日、間井部長は最終下校時刻まで居残っていて、各教室の消灯と同時に下校。運の悪いことに学校を出て暫くしてから小金井よりメッセが送られてきたため、直ぐに井世界に渡れず通話を何度も試みながら学校に戻るハメに。




