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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
3/61

憂鬱な朝2 #壱

 学校における、数少ない顔見知りからのメッセージ。


<ツチノコの薮

@検討使 今朝の怪井当番忘れてない?


 個室の鍵とドアをほとんど同時に開け出て、見た目から衛生面の気になるトイレのドアノブを捻って飛び出し、それから全速力で体育館から校内へと伸びる通路に足を掛ける。掛けながら、謝罪と事実とこれから向かう旨を指先で述べて送信する。

 体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下は桜の花びらが舞い散り、秋には落ち葉が舞い込み、冬には端っこに雪を積もらせるほぼ野外みたいな場所だ。それでも一応は廊下と認識されているので無論土足厳禁であったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 そんなことより気にするべきは自分が意図せずサボった影響であり、気にするべきだったのは曜日だった。先程心からの謝罪を送った直後に見たロック画面では現在時刻の上に水曜日と表示されていた。水曜日はツチノコの薮さんの言う怪井当番の日で間違いない。朝に何度も目にしたはずなのに時刻と背景しか見ていなかったことが悔やまれる。

 怪井当番。これまた馴染みのない単語で失礼するが、まずは安心して欲しい、誤植ではない。読んで字の如くとはならず、間に討伐という単語を入れて、怪異もとい怪井を討伐する当番のことである。怪井については、化け物とか妖怪とかを想像していただいて構わない。正直、井世界部員も分からないことだらけで説明という説明をしかねるのだ。そんな学校に出現する怪井を討伐し掃討するのが担当部員の活動の一つ。一つではあるが、それが我が部の特殊性を担う内の一つと言ってもいいレベルには重要なことでもある。大事なことで、逸すれば大事になり得る。

 それを、あろうことか忘れていた。

 その事実に心臓は跳ね上がり、井世界の入り口へと急ぐ足とは異なるリズムで高鳴っていく。動く体と鼓動する心臓の早さが不協な拍子を刻んで、別々に切り刻まれるような感覚に陥る。そこから更に切り離されたような意思では、今の全速力で駆ける自分自身のことを、登校時間の下限が迫って焦っている生徒に見えるんだろうなと俯瞰視していた。

 けれど、世界の滅亡を知ってしまったモブキャラ並に血相を変えて朝に直走る人間も中々いないだろう。

 何故頭の片隅にも欠片すらも残っていなかったのか。自分を問い詰める余裕は無いので、ただただ脇に避けておけない自責の念を積み重ねていく。

 走った先、目的地への中継地点である南東の階段前へと辿り着く。

 周囲を視線で入念に確認した後、防火扉に触れて一言。

 カライヅツ

 そう言い放ち、井世界に突っ込んだ。


   ***


 怪井の発生する場所はありきたりな言い回しを用いるのならば、学校であり学校じゃない。井世界部員が井世界と呼ぶ異世界、いや裏世界と言った方が的確なもう一つの世界。そこに存在する水耕高校校舎に怪井は現れる。裏世界という言葉が正鵠を射るように、そこでは人間以外のあらゆる物が表世界を模して再現されている。

 一応言っておくと表世界なんて言ったが、裏世界に対してそう表現しただけで誰も表世界なんて呼んでいない。多くの場合は人間の生活する世界は現世と呼ばれている。なら井世界はあの世かよ、と言いたくなるが何故そう呼ばれるか理由は知らない。

 そもそもが井世界についても怪井についても知らないことばかりだ。入部の際にはっきりと、「はっきり言って私達も知らないことが多いから何が起こっても不思議ではない」と先輩に告げられたのは今でも覚えている。継承するべき知識が片手でもスカスカなぐらいだったのだから、説明を受けても未知の世界に変わりなかったのは言うまでもない。

 以降、新事実が発見されることもなく、井世界に関する自分の中の情報更新は行われていない。

 何かあれば部長が全体告知を出すだろう。あの人は秘匿を好まない性格だから。

 ゲートを跨ぎ、知らないこと尽くしの世界へ飛び出す。井世界への入り口を起動する為にひと息分止まったものの、依然足は全力疾走を続け、心臓はそれよりも早く打っている。現世で着ていた我が校の制服はこっちに来ると自動的に戦闘服へと換装され、その動きやすさから走りが軽快になる。やっぱりジャージは良いな。

 最終目的地は怪井のいる場所、玄関前である。基本的に怪井の現れる場所は固定ではないのだが、朝に関しては特別例外である。玄関前に、決まって同じ怪井がいつも陣取っている。倒しても倒しても、次の日の朝には確実に沸いている。

 だから、朝の怪井当番なるものが設けられた。他の怪井だったら必ず探す手間がかかるのだけれど、毎朝絶対にあいつは正面玄関に出現する。探す手間と時間が省けるのは不幸中の幸いだが、そもそもあいつがいなきゃ朝の当番は無い。

 校舎内から、倒すべき敵と相対する為表へと駆け出す。口の字型の校舎の内側、煉瓦造りの地面であることからなかレンガと呼称されている場所に足を踏み入れて、勢いそのまま煉瓦を蹴って走る。

 見据えた玄関には、黒い霧のような毛を全身に纏った巨大な羊が禍々しくカールした角を校舎へぶつけていた。渾身の突進が既に井世界の校舎に綺麗な打撃痕を残している。痕は玄関横の壁に一つだけで、そこに寸分の狂いもなく何度も頭蓋を割れんばかりに打ちつけている。更に、奴の周りには雪みたく黒い綿が浮遊している。

 いつも通り。知らないことしかない井世界における数少ない知ってることの一つであるあいつの生態は、今日も相変わらずだった。変わらぬ姿に安堵し、しかし変わらぬ悍ましさに目を伏せそうになる。今まで観測した以上の被害はないが、羊にしては巨躯な体を駆使して、その数千倍も大きい校舎を繰り返し破壊し尽くそうと勤しむ姿は見てるだけで気が狂いそうな気味悪さがある。純真無垢な眼差しを円形の深い凹みから一切逸らすことなく、嬉々として古い痕を頭突きで新しい痕に塗り替えていく。そして新しくなった痕を見つめては気持ちを昂らせ、未来の自分の偉業を想像してやる気に満ち満ちていく。

 いつ見てもそんな風に読み取れる表情は、遅れて討伐に来た今日も遜色無かった。

 本当に、自分らが倒さないとずっとこんなことやり続けるのか。

 中レンガの真ん中に生える満開の桜の木を過ぎ、破壊の悦楽に魅せられている大羊を横目に走り過ぎて、昇降口に到着する。

 目的地に辿り着いたので怪井を討伐しなければならないのだけれど、残念なことに武器がない。流石にあんな頭突き一発でコンクリの壁を凹ませる生き物?と素手でやり合うわけにはいかない。いくら井世界に来て身体があらゆる面で強化されてるとは言え、生身で戦って大怪我で済んだら九死に一生を得るようなものである。一回心臓を守られるのと引き換えに九回死ぬとか割りに合わなさ過ぎる……そんな話ではないか。

 昇降口のドアを抜けて校内に入り、手慣れた手つきで武器にする為の透明なビニール傘を引き抜く。

 その時後ろからメエエ、と明らかに自分に向けられた鳴き声がする。黒板を爪で引っ掻いたような特徴的な声の正体は振り向いて確認するまでもなく、黄色に細い黒目の大羊だろう。

 というか、振り向く間も無く大羊は突進の体勢に入っていることだろう。振り向いた時にはもう、体がグシャリと潰されて、骨も肉も一緒くたに向かいの壁に打ち付けられること間違いなしだ。そして邪魔者を消し潰した奴は再び校舎の破壊活動を完遂しに戻るに違いない。

 自らの何倍も大きい存在を倒すという壮大な夢を抱えた大羊の蹄を踏み切る音が聞こえると同時、右手に持った傘の石突きを後ろに向けて左脇に挟み込む。

 コンマ数秒後、グサリと石突きに何かが刺さる感覚と傘を伝う衝撃が体に流れてきた。前方に揺れそうになる体重を両脚で踏ん張って後ろに掛け続ける。

 暫く前方に押しずられて、人の首一つ分進んだ所で床にできた靴底のブレーキ跡が止まった。

 強張らせていた身体の余韻が解けて、傘を突き刺したままようやく振り返る。大羊の弱点、頭蓋骨の左側にできた大きなひびに、傘が透明なビニール部分をまとめるバンド部分まで奥に刺さっていた。最早刺さるではなく入っているの方が適切な気もするが、どうなんだろう。頭蓋骨に手を置いて、大羊の左の角近くから目のうろを巻き込んで左頬辺りまである割れ目からゆっくりと傘を引き抜く。

 今更なこのタイミングで大羊についての解説を入れると、大羊の体は黒い霧に包まれた内部もガスでできている。その為攻撃しようと思ったら頭蓋骨オンリーとなる。しかし、その頭蓋骨がコンクリにも打ち勝つ硬さと来ているので、基本的に有効打となるのはひびの隙間に何かを刺し込む以外ない。

 何故そこが弱点なのかは知るところではない。

 なぜなら、そこが弱点であることは去年教えてもらったから。理由は分からないがこうしたらこうなる。そんなことばかり教わった。

 一応、人によっては怪井それぞれに潰せば行動不能になる核があるって考察したりしてるけど、真相は定かではない。

 朝の当番を鉄板のやり方で終わらせて一息つく。ほぼ全てが気体であるはずの大羊の体は、黒から無色透明に変わり大気中に霧散していく。怪井討伐の度に毎回思う不思議な現象だ。不可思議で、かつ討伐終了の合図でもある。怪井の行動不能と無色透明な気体化が怪井討伐完了の証拠である。理屈は当然知らない。

 そのうち頭蓋骨も大気に溶け出すだろう、と休憩を終わらせて傘を元あった傘立てに戻しに歩く。多少押されて傘を引き抜いた位置から移動してしまった。今朝は雨ではないので傘を持ってくる生徒はいないと思うのだけれど、この傘は多分置き忘れなのだろう。いつも何本か置いてあるし。昇降口が戦いの舞台の時はほぼほぼお世話になっているし、ありがたいなぁ傘の置き忘れ。

 なんて、正体不明のクラスメイト(傘立てはクラス毎に用意されている。守られているかは知らないけど)と持ち主不明のビニール傘に感謝をしつつ、他にも数本、他人同士の距離感を表したように傘立てに立っている傘達の群れに右手の傘を戻す。

 

「よし。まあこんなもんだろう」


 自分でも他にどんなもんがあるのか分からないが、気持ちに区切りをつける為に発した言葉に、どこからともなく威圧的でよく通る声が返ってきた。


「どんなもんですか」


 声の飛んできた方向、上履きと下履きの境目である一段上がった段差の先を見上げると、そこにはツインテールの女子が眉間に皺を寄せて立っていた。黄色い線の入ったジャージ姿に似合わず金色の槍を持って。堂々の仁王立ちで、更に口がへの字に曲がっている。折角の端麗な容姿が台無しであるが、その理由は察することができた。

 が、取り敢えず


小金井こがねいか」


 と、一年下の後輩の名を呼ぶ。顔と名前が一致する数少ない顔見知りの内の一人である。因んでおくと顔見知りは後二人。

 そんな、井世界部にしかいない話せる相手は現在両側を靴箱に囲まれて背後に炎を燃やしていた。上体を前のめりにして、訝しむような睨むような目線がそのまま喉から出てきたみたいな声で、


「分かってます? 事の重大さ。今回は間に合ったから良かったですけど。鎹井かすがいさんも怒ってましたよ。唐井からいさんは井世界部の反乱因子だって。忘れてたってどういうことなんです? 大体、朝は一週間ずつ代わり番こにしようって言ったの唐井さんじゃないですか。その一回目にこれって何考えてるんですか? 言い出しっぺが最初にサボっちゃあ元も子もないじゃないですか」


 傘二本分はありそうな距離を、唾が飛んできそうな剣幕だった。小金井の後ろに見える幻覚の火炎は木製の下駄箱に燃え移る勢い。小金井が自身の腰に添えた左手首は今にもこちらの胸ぐらを掴もうとピクピク動いている。

 いつもなら必要以上に突っかかってくる態度に文句の一つでも返すところだが、今の小金井の言う言葉は全て正論で、今回ばかりは100%自分に非がある。謝罪以外の言葉が見つからないぐらい、彼女達の怒りは当然のものだった。

 寧ろ、背景で燃え盛る朱色の炎が、高温を極めて悟り、落ち着いた青色にならなくて良かったと、まだ期待があると考えよう。


「本当にごめん。朝の当番やってなくて迷惑かけた。忘れていたじゃ、自分も済ませられないことをしたと思ってる。自分から言い出したことなのに、こんな体たらくじゃ信用して任せられないとも思う。朝の当番に関しては本当に自分勝手だと自覚してるけど、先週言ったことは撤回させて欲しい。鎹井と土井どいさんにもあっちに戻ったら謝罪のメッセージ入れる」


 心から頭を下げる。誠心誠意、取り返しのつかない危機を引き起こしかけたことに謝罪する。学校を滅ぼしかけたことを謝る。怪井一体を見逃すとは、そういうことだと再認識して自戒の念を抱く。

 

 言い終わって顔を上げると、小金井がジト目でこちらを見ていた。やがて納得したのか矛を収めたように瞬きを徐にして、上半身を起こす。そして、大槍の先端をくるくると回しながら口を尖らせる。


「……反省してるならもう何も責め立てたりはしませんよ。鎹井さんはもっと言うだろうけど。でも本当、謝って済む事態に収まって良かったですよ。あわや大惨事で済んで一安心です」


 それは危機回避できているのか? という言葉を飲み込む。

 許されて良かった、などとは思わない。これからしっかりと気を引き締め直さなければ。

 そう心の中で鉢巻を巻いてから、気になっていたことを尋ねる。


「土井さんはなんか言ってた? あの人に言われなきゃマジで気づかなかったんだけど」


 自分にサボり疑惑の連絡をくれた世界の救世主『ツチノコの薮』さんとは、三年生の土井先輩のことである。土井さんは自分や小金井、それと鎹井と同じ水曜日担当である。後で謝罪と共に感謝も伝えなければ。

 使い所を失った自身と同じ高さの大槍を小金井は後ろ手に持ち直して天秤みたいに傾けながら答える。


「土井さんは討伐が間に合って何事も異変がなければ良いって。それ以外は何も言ってなかったですよ。もしかして謝罪文以降見てないんですか?」


 それ以外何も無しか。土井さんが分かりやすく怒ってるところを想像できないだけに怖い反応だ。もしかしたらすでに青い炎に変色しているかも知れない。


「急いでこっち来たから。逆に小金井はやっぱり朝の学習時間を抜け出して来たのか?」

「当たり前じゃないですか。あっちとこっちは時刻も時間の流れも同じなんですから。唐井さんの返信見て飛ぶようにトイレに行く素振りして北東の一階のゲート使って一目散に来ましたよ」

「それは本当に言葉にならないほど申し訳ない」


 両手を合わせてごめんなさいをする。本来なら今週は自分の当番だから小金井は動く必要がなかったのに、自分の失念が招いた危機に対応させるなんて本当に悪いことをした。

 段々と心がずっしり水を入れた袋みたいに重くなっていくのを感じる。

 そのうち中の水は蒸発して消滅してしまうのだろうか。


「別に良いですよ。背に腹は変えられないですし。何よりそのためのチームですから」


 それは優しさからなのかな、と心がちくちくと痛む。

 小金井は本気で気にしていないように、右足の爪先に槍を垂直に乗せる。


「それより、鎹井さんが2-2がそろそろ危ないかもって言ってましたよ? できる限りの努力はしてるけど厳しいって」


 天井に刃先が向いた槍は小金井の体全体で器用にバランスが取られながら、唯一の接点である爪先上でゆらゆらと危なげなく揺れている。

 すっげぇぇ……


「2-2? ……あぁ、横田さん関連のやつか。まあ、怪井が出現するなら今日辺りが一番良いか」


 話の傍で披露される曲芸に気を取られつつ、適当に返答する。小金井は両手を水平に広げてヤジロベイみたいになっている。


「そうですけど、一番は怪井が出ないことです。その為に解消班が頑張ってるんですから。2-2の件に関しては詳しいことは鎹井さんがメッセージに残してるので確認して下さい」


 右足で反動をつけてから、頭一つ分宙に浮いた槍を素早く右手でキャッチする。

 小金井はそれを雑談と曲芸の締めだとしたらしく、それじゃあと言って足を後ろに向けようとする。

 しかし、自分にはまだ聞きたいことがあった。情報交換はなるべくなら会ってした方が良い、というのは受け売りではあるけれど、どうも自分はメッセやメールの類を不得手とする傾向があるようで、後でも訊けることを今訊いておくことにした。


「あ、ちょっと。横田さんの件は分かったよ。気になることがあったら鎹井に聞くし。それとは別になるんだけど、小金井に訊いておきたいことがあるんだ」


 なんです? と小金井が小首を傾げる。左右に結んだ髪が振り向き動作も相まって少々大きく揺れる。


「漠然としてて答え難いとは思うんだけど……」


 それから小金井がトイレに行って帰ってくるのに違和感のない時間まで話して、小金井を先に帰した。自分は、どうせなら朝学習は全部サボっちゃおうという考えの下、井世界で10分ほど時間を潰してからホームルームが始まる時間に教室にのそのそと向かった。


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