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僕らのマル秘井世界部!  作者: 何ヶ河何可
17/61

頭痛のやんだ水曜日へ #弍

 昨夜、月曜日の夜と変わり映えのしない暗い林の風景の中、私達は揃って昼間座ったベンチに再び座っている。連日では大して変わらない景色に一抹の不安を感じるのは、何も手を繋いでいるからではないだろう。お互いが不安を感じて、それが重なった手と手から伝播して、けれど倍になることはなく、手を握ることで感じるものは中和されている。

 どちらともなく握りしめた手は、夜と電話越しの不安を僅かながら打ち消してくれる。そんな心の支えだ。

 夜の虫達が、林中に鳴き始める。さほどうるさくなく、頭痛はしない。もとより、体調が良ければ人並みには音に鈍感だ。弱り目に祟り目というやつで、体調が悪い時にはすこぶる悪いだけなのだ。

 右手にスマホを掴み、ベンチから引き剥がすように門ちゃんが持ち上げる。お腹の前へと持っていって、通話開始のボタンを画面に表示させる。震える親指でそれを押し、コール音を微かに鳴らしながら右耳へとスマホを翳す。

 三回、四回と鳴ったコール音がプツと切れる。


「あ、もしもし。お母さん」


 暫く間が空いて、門ちゃんが話しかける。


「…………ううん。雨は降ってないよ。お母さん、仕事終わった? …………あぁ。そう。あ、のね。お母さんに、言わなきゃいけないことがあって。電話で言うことじゃないかもしれないんだけど」


 門ちゃんの震える声ごと包み込むように彼女の震える左手をぎゅっと握る。


「その、赤ちゃんが出来ちゃった。妊娠、してたみたいで。…………うん。生理もきてなくて。…………うん。検査薬も試した。…………病院には行ってない」


 門ちゃんの柔らかい手は、更に柔らかくなって形を成してないみたいに軟らかい。

 途中から握る手の力加減が分からなくなる。


「そう。それで。…………うん、分かった。ありがとう。じゃ…………え、迎え? いいよ。歩けるし。…………分かったよ。ありがと。バイバイ」


 心なしか柔和な口調で電話を切る。


「どうだった?」


 恐る恐る、脱力し切った彼女の掌に責任を感じながら答えを確認する。


「お母さん、優しかった」


 噛み締めるように門ちゃんは告げる。

 暗い闇の中、門ちゃんの安らかな笑顔が想像できた。


「もっと怒られると思ってたから。良かった。病井さん、ありがとうございます。一緒にいて、手を繋いでくれてたからお母さんに言えた。一歩足りない勇気の分を病井さんにもらえて本当に良かった」


 私に向き直って、門ちゃんは照れることなく述べる。

 そこまで言われると、私が少し照れくさい。


「いやいや、お母さんが受け入れてくれて私も嬉しいよ。最終的に言ったのは門ちゃんだし」


 この分だと私の出る幕はもう無いかな、という思考が脳の片隅に過る。

 言ってしまうと、門ちゃんの情緒不安定さや、怪井化しかねないストレスの原因は誰にも頼れない不安感に由来する、と私は踏んでいる。門ちゃんがいつから妊娠を自覚していたのか私は知らないけれど、怪井化していないということは割と最近に自覚した筈だ。


「門ちゃん、ほんの些細な疑問なんだけど、門ちゃんはいつから自分が妊娠してるって分かったの?」


 軟体化していた門ちゃんの手に、段々と血が通い筋肉が引き締まっていくのを感じながら、思いつきの質問をする。


「はっきりと妊娠してるって分かったのは、先週水曜日に検査薬を使った後からかなぁ。生理止まってたのもそれまでは別の理由があると思ってたし」


 なるほど。先週水曜日からだったら大丈夫そうだ。門ちゃんの心支えは、私が特別何かしなくても徐々に母親に移り変わっていくだろう。家族の方が色々話しやすいだろうし、一度子供を産んだ経験のある母親の方が頼り甲斐も桁違いだろう。

 暗闇の中、燈に照らされたように温かく明るいベンチで、私はもう用済みかな、と寂しい物思いに耽る。

 その後、門ちゃんの迎えの車を待ってから、私達は二人揃って林内を歩いた。


   ***


「病井さん、私今日の部活休みますね」


 門ちゃんがそう言って、卵焼きを半分齧る。

 本日水曜日は、耕織館にて後輩の門ちゃんと二人で久々にランチと洒落込んでいる。

 夏の猛暑が落ち着き、かと言って秋とするにはまだまだブラウスが丁度良いこの頃。私達は自主練という名目の元、顧問の先生に鍵を借りて二人だけの秘密の空間を作った。


「分かったけど、どうしたの?」


 部員全員と楽器を収容可能なメインホールに、椅子を二つ壁際に並べて二人で座っているので、ホールがやけに広く感じられる。

 しかしながら、物寂しいような感じはせず、開けた窓から吹き込む風が室内に籠った熱を中和して、思っていたより随分と温かい。

 私は、門ちゃんが齧った卵焼きを咀嚼し飲み込んで答えるのを待つ間、ほうれん草を口に入れて擦り潰す。

 卵焼きを胃へと流した門ちゃんが箸を止めて、普通の会話のテンションで答える。


「明日、産婦人科に行くことになったんです」


 箸を持ち直し、保温機能のあるお弁当箱に入った、温かい白米を口に運ぶ門ちゃん。続けて冷凍食品のミートボールに箸を突き刺す。

 私はほうれん草を飲み込み終えるのを待って言葉を発する。


「それで今日帰ってから準備?」


 ガラス戸から差し込む日の光が、風に揺れる枝葉に遮られたり、遮られなかったり。

 チラチラと模様を移動させるホールの床を眺めて、私はツナ入り卵焼きを半分に割る。

 ミートボールと白米を噛み潰してる最中の門ちゃんが、利き手で口内を隠しながら話す。


「いえ。大事を取って休めってお母さんが」


 もぐもぐと口を動かしながら、首を縦に振って了承の合図を示す。ツナの風味と卵焼きの食感が最高で、私は普通の卵焼きよりもツナ入りのが好きだ。

 門ちゃんは気持ち早めにミートボールと白米を飲み下して、さっきの言葉に付け加える。


「それと一緒に、叱られるって感じじゃないけど、これまで我慢してたの怒られちゃいました。もっと早く言いなさいって注意されました」


 心底安心したように、そして反省したように門ちゃんは視線を下へ向ける。

 木陰と陽光が交互に私達を覆う。

 それをぼんやりと見つめて、門ちゃんを見つめて、嬉しさと少しばかりの寂しさに心をいっぱいにする。

 すると、そこで思い出したように、あっと門ちゃんが呟く。


「あの、顧問の先生にはお母さんが伝えてあるんで言わなくても大丈夫です」


 白米のふりかけが掛かった部分を箸で持ち上げて、口の手前で停止させた姿勢で門ちゃんが報告してくる。

 その体制が少しおかしくて、ちょっとだけ笑いながら報告に応じる。


「ふふ、分かった。部長にだけ言えばいいのね」


 止めた箸を口に突っ込んで、私の反応に門ちゃんが口を抑えながら疑問を呈する。


「何か米粒でも付いてました?」


 ううん、なんでもない。と笑顔で返して、二つにしたツナ入り卵焼きの食べてない方を口に放る。

 門ちゃんもそれを素直に受け取って、もう一つあったミートボールを箸で掴む。しかしあえなく逃げられてしまい、一個目同様箸を突き刺して口に入れる。

 それから暫く昼食の摂取だけが続く。無言の時間は辛くはない。私がそういう性分だというのもあるし、門ちゃんは稀にタメ口を使用するぐらいには私に心を開いてくれている。気の置けない仲と思ってくれるのは率直に嬉しい。

 お互いのご飯が二分の一は消えた頃、門ちゃんが口を開いた。


「昨日、家に帰ったら中絶しなさいって言われたんです」


 ぼそっと、言うか言うまいか悩んだ末に、その選択を私に託したように小さくされた声が耳に届く。

 私は箸を弁当箱の縁に渡して、聞き届けられた言葉に悩むことなく質問で返す。


「そっか。門ちゃんはなんて言ったの?」


 半分食べ終えて隙間が出来た弁当箱の内側で、門ちゃんはプチトマトを箸で転がしながら答える。


「産みたいって言いました。そしたら学生なのに?って」


 弄ばれるプチトマトは、止まったり滑ったりして一向に摘まれる気配はない。


「それでも産みたいって言ったら、学校はどうするのって言われて。私、学校も通いたいって思いもあったんです。でも、確かに出産と育児も並行してってのは無理だなって。自分でも、心のどこかでできる気はしなくて。転学もあるけど、私新しいところで勉強って想像できなくて。お母さんには、学校もこのまま通い続けるって言っちゃったんです」


 淡々と、回っていたプチトマトがピタリと動きを止める。


「言ったら、大見得切って言っちゃったら、相手の子はなんて言ってるの?って。それで……」


 箸で抑えられたプチトマトを見ながら、門ちゃんの言葉はそこで途切れる。

 言葉を探して迷う門ちゃんに、私はそれを継ぐように言葉を発する。


「バレちゃったのか」


 聞き手から出された助け舟に、はい、と力の無い声が絞り出される。


「誰の子か分からないのに産むの?って。それを聞いたら私、自分のことがすごく嫌になって」


 私は、門ちゃんの箸を握る手を片手でそっと上から包む。


「自分が悪いんです。自業自得なんです。なんであんなことしちゃったんだろうって。それなのに、なんでこんなこと考えてるんだろうって。なんで産みたいなんて自分勝手なこと主張してるんだろうって」


 門ちゃんは箸を弁当箱の蓋に置き、私の手を握り返す。


「浮気なんてしてる時点で自分のことしか考えてないし、それで子供産みたいなんて、もっと自分勝手だ。生まれてくる子供のことも、私は考えてない」


 自分に訴えかけるように、言い聞かせるように、門ちゃんは自分を責め立てる。


「自分のせいなの分かってるつもりで、全然分かってない。自分のしたいことだけで頭いっぱいにして、周りのこと何も考えなかった。掛かる迷惑とか、将来のこと、一切何も考えなかった。考えてるようで、考えてなかった。考え込んでるようで、ただ落ち込んで蹲ってるだけだった。私、すごく我儘だった」


「だから、私はやっぱり産めないってそう答えたんです」


 門ちゃんは、泣くことすら許さないとばかりに口を引き結んで、眉間に皺を寄せる。涙を流すことも今の彼女にしてみれば人殺しと同じ重罪なのだ。

 「なのに」と、門ちゃんは固くした口を動かす。

 何かあるのだろうかと続く言葉を待ってみる

 ……

 が、それ以上動くことはない。

 言い淀むような引っ掛かりがあったのだろうか、と思い発言を促そうと口を開く。と同時に門ちゃんが喋り出す。


「なのに、浮気したこと隠して、あまつさえ隠し通して、赤ちゃんのお父さんかどうか調べようとしてたんだから」


 私って本当に卑怯で救いようがない、と門ちゃんは独りごちる。

 それについては私自身、負い目や引け目を感じていたので素直に同意するところだ。というか、私がそうするように先導し、扇動した部分があるので非がある割合で言うなら、私の方が割合高めだろう。


「それは私が言い出したことだし、それで門ちゃんが自分を責める必要はないよ」


 言って、私は結んだ手を軽く握り返す。


「すいません。ありがとうございます」


 門ちゃんは尚も自責の念に押し潰されるように、微動だにしない。


「門ちゃん、お昼もう終わっちゃうし弁当食べよ。明日病院に行くならエネルギーつけなきゃ」


 コクリと頷く彼女を見て、私は繋いだ手を振り解く。解かれた門ちゃんは、裏返した蓋の上にある箸を持ち、齧った残りの卵焼きをゆっくり口に運ぶ。私も同じように残ったおかずを食していく。

 明日は病院か。本人から体調面で困ったことも聞かないし多分大丈夫だよね。強いて不安の種を挙げるなら、今まさにあった精神の不安定さだろう。門ちゃんは元々感情の起伏が激しいタイプではあったが、それで損をするようなタイプではあったが、しかしここまで浮き沈みの沈みの部分が表に出るのは初めてだった。ここまで深く沈むとは、私は知らなかった。

 これもまた、どこまでかは分からないが、お腹の影響なのだろう。メンタル面でも、フィジカル面でも弱くなる。免疫力が低下して、心の耐久力が低下する。

 門ちゃんの心境は、察するにあまりある。

 よく今まで誰にもまともに相談せず、隠し通してきたものだ。信頼していた友人に綻ばせたことだって、負荷にしかならなかったというのに、その負荷にさえ耐えて見せた。

 そこで耐えて、軋んだ心の悲鳴が、今の彼女なのかもと、私はそう思った。

 隠し通す、と言えば、門ちゃんのお腹はあまり大きくなっていないように見える。今まで、割とデリケートな部分なので会話としても、直接も触れてはこなかったけれど、門ちゃんのお腹は今どのようになっているのだろう。ネットで調べた限りでは、体質というか人によるらしく、見た目では妊婦と判別つかないことも別段珍しくはないらしい(妊娠の時期によることも言わずもがな知っている)。門ちゃんもお腹が出ない人なのだろうか。

 しかしながら、妊婦=お腹が大きい という図式が成り立ってしまっている私には俄かに信じ難い現実だ。

 なので、お腹の膨らみが目立たないと、門ちゃんの身体や胎児の身体に万が一が起こっているのではないかとついつい考えてしまう。万が一があっても、それはもう専門家の判断に委ねるしかないのだが。そうなったら既に、個人で出来る手助けの範疇を超えている。し、そこからは部活動範囲外だ。

 本人の心理的サポートは出来ても、身体的・肉体的問題に直で関わることは不可能なのだ。友人としても、部員としても。

 それよりも、井世界部としてやらなきゃいけないのは男側を逃さないことだ。こんな時期に日立、あるいは云上さんに逃げられたら、門ちゃんの心情がどう転ぶか分かったものではない。少なくとも、良い方向に転落しないということは確かだ。

 中絶することが門ちゃんの意思として決定した以上、話し合いも意味ないかもしれないが、それでも最終的にはやはり二者間で話し合う必要があるように私は思う。何よりも二人の問題だと、未成年ではあるが当事者どうしの問題だと、だから門ちゃんは苦しんでいるのだと、私は思う。

 一番側に居るべきなのは、私でも、母親でもない。

 妊娠させた相手なのだ。今はそれが不明瞭、二択になってしまっているが。

 本来あるべきペアは、そこなのだ。

 冷食のハンバーグを一口で食べて、弁当箱に蓋をする。


 私は門ちゃんに、怪井化するほどの悲しみを抱いて欲しくないのだ。


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