頭痛のやんだ火曜日へ #弍
午前中の疲れを癒し午後の英気を養う一日の真ん中、昼食休憩時間。
その更にど真ん中、授業が一区切りついたという安息が、心休まる時間の名残惜しさへと遷移する頃。一通のメッセが手元に届いた。
「やまいー、昼休みにスマホなんてやめときなー? また先生来て没収されても知らんよー?」
昼食友達に割りかしガチで注意されつつも、それをフルシカトして机の下のスマホに目をやる。机の横にはリュックを引っ掛けてあるし、背後は椅子が引けないぐらい狭いので不意に覗かれる心配はない。じゃあどうやって座ったんだと言われるかもしれないが、それは椅子を置いた所に机を持ってきたと事実を述べる他ない。休憩時間に友達と机を突き合わせることぐらい、よくあることだろう。
私は、偶然通りかかった先生が偶然教室内を覗かないことを軽く祈りつつ、井世界部のみで使用しているアプリをタップする。
<イナエノマ
音無門の交際相手について調べてたら、三年五組の日立日ってやつの名前が多く上がった。夏休み以前に一回だけ、音無門と一緒にいる所を見られたらしい。でも日立本人は否定してるらしいし、信憑性には欠けるから出来るなら本人に確認取った方が賢明かと。
3-5の日立……あー、あの檻に入れられた猿みたいに騒がしい連中の一人か。
門ちゃんの彼氏について、私が聞き取り調査を行えば怪しさ全開・噂の流布必至だったので三人に頼んだのだけれど、まさか苦手な人種が候補に上がるとは。女子同士、特に浅い関係を好む私が、他人の有る事無い事を根掘り葉掘り訊くのは中々に浅はかな行動だと言える。
これでも自分の外面、キャラクターに関しては客観視できているつもりなのだ。
苦手なんだよなぁ無駄に声大きいの。と私情を溢しつつ、感謝の言葉をフリック入力していると、次のメッセージが届いた。
<イナエノマ
本人と直接話せた。会話の流れで音無門について聞いてみたら、「あんなの付き合ってる内に入らない」とのこと。付き合ってはいないらしいが、判断は任せる。他にも手伝えることあったら遠慮なく言ってくれ。
あんなの付き合ってる内に入らない――――どうとでも取れる言葉だ。この言葉には、当たり前だが日立くんの視点でしか意味が入っていない。だから、起こる可能性としては門ちゃんが勘違いしてるかしてないかの二択だけだ。
門ちゃんは付き合ってると思ってるのか。
門ちゃんも付き合ってないと思ってるのか。
そのどちらかだ。
……いや、もう一つ。考え得る可能性としてもう一つあるのは、日立くんが嘘を吐いているという可能性だ。
付き合っていると思っているのに、付き合ってないと嘘を言った。考えてみればその可能性の方が高い。佐々井は話し振りからして日立くんをクロめで見てるっぽいが、噂通り単純に関係性を否定してきた可能性も否めない。高校生が恋愛関係を秘密にしたがるのは普通なことだ。
いや、でも。日立くんの言った文言は恋愛関係を否定してこそいるけれど、門ちゃんと何らかの関係性があったことは否定していない。と言うか、寧ろ関係性があったと言っている。言っているようなものだ。
あんなの付き合ってる内に入らない。これを鵜呑みにして信じるなら、付き合うまではいかない関係値を築いたということになる。
傍目から見て、関係値0の二人が?
赤の他人同士、どうやって知り合ったのかも分からないような二人に熱愛疑惑が掛かっていることに、遅まきながら驚く。
陽キャを履き違えたような日立くんと、陰キャの皮を被ったような門ちゃんが、知り合いどころか恋仲? そんなことがあるのだろうか。
佐々井もある程度の裏が取れているから情報として寄越してくれたのだろうが、それでも信憑性に欠けるとは、なんとも絶妙に微妙な情報筋なのだろう。
私は、一度は送る指を止めた感謝の言葉を、今度はしっかりと送信して、そのまま別のアプリを起動する。
行動は早い方が良い。私だけで事を考えていても状況は良くならないのだ。勿論、事態が悪くならないように言動には慎重になるけど。
友達や家族と連絡を取る為の方のメッセージアプリに、熟慮しつつ文字を打ち込んでいると、その相手からタイミング良くメッセージが飛んできた。
<門ちゃん
先輩、今耕織館まで来れますか?
その後に、すみませんというスタンプが付いてきた。
私は「私も今誘おうと思ってたとこ!」と送り、その後に今行くというスタンプをおまけで付けて席を立つ。席を立つというか、形的には、机を少し前に押して椅子を斜めに向け、さながら隙間から出てくるタイプのお化けみたいに這い出た感じだけど。
こういう時の為に、僅かに机を離して組んでくれる友人達に感謝しつつ、彼女達の「どしたん? トイレ?」という疑問に、「ちょっと用事できた」とだけ返して教室を出る。
廊下に出た途端、やけに教室の喧騒が恋しくなるのはなんでなんだろうなぁ。
そう、義務教育も含めたら十二年間も感じてる謎に向き合いつつ、各教室の前を耕織館へと歩く。私は三年一組なので、玄関までは三年生の全クラスを聞き回ることになる。その中でも一際脳に響くのは、やっぱり五組だ。今日も今日とて他の教室と比べて一段と騒々しい。五組の前の廊下だけ、異国の料理屋を通り過ぎる気分だ。
しかし現実はプロの作り立てではなく、親の手作りの匂いだけど。
それを鼻腔に認めながら、私は井世界部専用のアプリにスタンプ機能が実装されることを切に願った。
***
水耕高校の吹奏楽部に昼練はない。ので、自主練を顧問に申し出ない限り耕織館は開かない。
門ちゃん鍵借りてきたのかな、と思いつつ校舎東に聳え立つ木々の間を歩いて、待ち合わせ場所へ向かう。五時間目の開始時刻は十三時。後三十分もない。
私は目的地へと辿り着き、早歩きしたせいで荒くなった呼吸を落ち着かせてから
「お待たせ」
と声をかける。
門ちゃんは、俯いて「いえ」と首を振る。
昨夜とは違う、昼間の明るい林内に違和感を感じながら、呼び出した側の門ちゃんが話し始めるのを待つ。
林の外れにあるからか、耕織館周辺は歩いてきた道より幾分明るい。
「昨日はごめんなさい。病井さんが私のこと心配してくれての行動だっていうのは分かってたんですけど、他の人にあそこまで打ち明けるの初めてだったから、怖くなっちゃって。その、ごめんなさい」
会って早々、門ちゃんは謝罪の言葉と共に頭を下げる。
暗闇の広がる夜ならまだしも、こんな日の明るい昼間に屋外で堂々と首を垂れられたら、逆に申し訳なくなる。
私は急いで訂正の言葉を口にする。
「いいって、そんな。顔上げてよ。昨日も言ったけど、昨夜のは私が門ちゃんのこと考えてなかったのもあるから」
門ちゃんが頭を上げたのを見て、私は話を昨晩のことから逸らす。
「それに、今日呼んだのはそれだけじゃないんでしょ?」
昨日のことは昨日のこと。あれは昨日のうちに解決してた筈だ。それをわざわざ掘り返してわざわざ謝る為だけに呼び出すのは、些か人が悪いようにも思う。というか、門ちゃんはそういうことをするタイプではない。恩着せがましいならぬ、謝罪着せがましいようなことを門ちゃんはしない。
思っていた通り、門ちゃんには別の要件があったようで、ゆっくりと口を開き、話し始めた。
ただし、その内容はあまりにも拙く、あまりにも取り止めもなく、あまりにも思ったことをそのまま吐き出すような喋りではあった。
「はい。その、私、お腹のことであそこまで話せたの病井さんが最初で。それでその、病院とか相手のこととか、自分で調べてみたけどどうしたら良いか分かんなくて。もし良かったらご助力願いたくて。他に頼れる人もいないし。一人じゃどうしても不安で。何が良いのかも分からなくて。調べても調べても、自分一人じゃ決断する勇気もなくて。私、人見知りな癖に、慣れた人には生意気なこと言っちゃうから、中学でも先輩とは上手くいかなくて。それで、高校入っても吹奏楽部続けるか悩んでて。そしたら、病井さんが誘ってくれて。入った後も、この半年弱の間だけだけど、先輩達とトラブルなくやれてるのは私のこんな性格を受け止めてくれる病井さんがいたからで。だから、迷惑かけたくない思いもあって。話せなくて。相談しようと思えなくて。でも、病井さんは私のこと気にかけてくれるから、だから多分すぐにバレちゃって。こんなことなら、裏切るような形でバレたなら、病井さんに全部話とけばよかったって、そう思ったんです。それでその、病井さんにこれからお腹のこといっぱい相談しても良いですか。自分じゃ分からないこともあるから、出来ないこともあるから。インターネットで相談する窓口とかもあったけど怖くて。今、頼れるのが病井さんしかいなくて。迷惑かもしれないけど。嫌かもしれないけど。でも……でも……お願いします」
殆ど震えた声で喋り、目も合わせてくれなかった。
けれど――――後輩の思いの丈を、救いを求める手をどうして振り払うことができようか。
「うん。言われなくても、私はそのつもりだったよ。寧ろ、どうやって手伝おうか考えてたらぐらい。だから、自分から辛い、苦しいって言ってくれてありがとう。その助けて欲しいを伝えてくれてありがとう。私も出来ることには限界があるとは思うけど、でも出来ることは全てするから」
私も何故か鼻声になっていて、笑顔を返すのがやっとだった。
「ありがとう、ございます。本当に。ありがとうございます」
掠れた声で紡がれるそれに、門ちゃんが抱えていたものを感じ取る。
思わず門ちゃんの手を取り、耕織館の脇にあるベンチに連れて行った。
二人で腰掛けて、日の差し込む地面と木々をなにとなく見つめる。ベンチは野晒しになっているからか少々ざらついていた。
「門ちゃん、相手の男子について、両方とも名前は教えられない?」
私の唐突な問いに、門ちゃんは淡々と滑らかに答える。
「一人は日立日で、もう一人は別の学校の云上雨です」
日立日は佐々井のくれた情報通りだな。ただ、もう一人は別の学校か。
……
「門ちゃんは昨日、その二人のどっちの子か分からないって言ってたよね。それってさ、二人と付き合ってる意識なのか、つまりは恋人になった期間にズレがあるのか。それとも片方だけと付き合ってるつもりなのか、もしくはどちらとも付き合ってる意思はないのか。どれなのか教えてもらってもいいかな。突っ込んだ質問なのは重々承知なんだけど」
この質問は、門ちゃんを手助けする上では重要度の低い、する必要のない質問かも知れない。
「……日とは付き合ってます。雨さんとは、一回……短い期間だけ付き合いがありました」
ありがとう、と応えて、私は沈黙する。
…………門ちゃんは付き合っていると思っているのか。
日立は付き合ってるうちに入らないと、虚言かも分からない証言をしていて……。
もし仮に今ここでそれを門ちゃんに教えたとして、信じてもらえるかな。信じたとして、それは門ちゃんにとって過重なストレスにならないかな。その結果、彼との縁を切るなんてことにならないかな。
色んなものを天秤に掛けて、少なくともこれは今言うべきことじゃない、と私は結論付ける。
この、すれ違いというか、門ちゃんからすれば裏切りを、日立本人の口から直接聞くよりも先に、いつか私が伝えなければいけないのは理解しているけれど、今はまだ言えない気がした。
まばらに陽光が照らす草葉を見ながら、気になったことを慎重に尋ねていく。
「連絡がつくのはどっちか聞いても良い?」
「日です」
日立とは連絡が取れるのか。別の学校の、雨さんだっけ。そっちは完全に諦めた方が良いかも。井世界部も流石に他校までは抑えていない。
次に私は、一番重要な質問を投げかける。
「門ちゃんは、これからどうしたい?」
「どうしたいっていうのは」
「産みたい? 産みたくない?」
「私は…………う、産みたい……です」
意外だ。思いがけず、門ちゃんの方を見そうになる。
「それはどっちの子でも?」
門ちゃんは静かに首を縦に振る。
林の中を郭公の鳴き声がゆったりと満たす。
これについては、その選択の理由を深く訊くまい。
「日立とは連絡が取れるなら、取り敢えず今のまま取れる状態を保っておいてね。もう片方みたいに取れなくなったら困るから。それに付随して、今の段階では絶対に赤ちゃんができたってことは話さないでね。あんまり考えたくないけど、万一逃げられたり、噂がもっと広まりかねないから。水耕高校にいるうちは逃げられないと思うけど、徹底して無視されたら敵わない。そうなる前に、病院でDNA検査して、どっちの子か分かった後で相手と今後について話し合えば良い」
門ちゃんがコクリと頷く。
「病院には誰か一緒に行ければ良いんだけど、どうかな? 親御さんとは無理かな」
本来なら男側と行くのがベストなんだけど、今回はそれも難しいので代案として、両親を提案してみる。
門ちゃんは静かに首を左右に振る。
「まだ話してもないので」
「そっか。私がついていければ良いんだけど……」
産婦人科に女子学生二人。注目を浴びるのは本意ではない。私だって偉そうに今後の方針をベラベラ喋っているが高校生なのだ。
「お母さんだけとか、お父さんだけとか、片方だけでも話せそうにない?」
「……お、お母さんだけなら」
門ちゃんの小さな声が希望の光を答える。
「なら、お母さんに話してみよう。もし怖かったら電話で伝えようよ。そうすれば私が一緒にいてあげられるから」
「うん。ありがとう」
門ちゃんが、ホッとしたような表情を見せる。
そろそろ昼休みの終わりも差し迫ってきたので、私は急いでまとめに入る。
「今の時点でやらなきゃいけないことは二つ。病院に行って検査をすることと、日立と連絡を取り続けること。前者は、お母さんと行くのが望ましいけど、どうしても無理だったら私と行こう。後者は、もしその相手との子供だった場合二人で結論を出す為に必要だからね」
「はい。頑張ります」
そう応えて、両手を握りしめてやる気を見せる門ちゃん。
そこへ、私は水を差すようなことを言う。
「それで、なんだけど。今日の夜、帰ってからお母さんに話せそう?」
「今夜ですか」
顔の筋肉が強ばり、固まる門ちゃん。
「うん。門ちゃんも中学とかで習ったと思うんだけど、妊娠って週数を重ねるごとにどんどん選択肢が狭まっていくの。門ちゃんは今の所、産むって選択で考えてるけど、もしかしたらしばらくして産みたくないって意思が変わるかもしれない。あるいはお母さんや相手の男子が産むなって言うかもしれない。そうなった時に、もう産むしかない状態だって知るよりも、事前にいつまでに結論を出さなきゃいけないか分かってた方が精神的にも良いと思うの。だからね、門ちゃん。病院に行って検査するなら早い段階が望ましいし、嫌かもしれないけどお母さんに話すのも早い内じゃないと後から取り返しがつかなくなるかもしれない」
震えつつも、両手を先程より強く握りしめて門ちゃんは言う。
「わ、分かりました。でも、怖いから、やっぱり一人じゃ伝えられそうにないから。部活終わりに病井さんに側にいてもらっても良いですか?」
その質問に、私は笑顔で答える。
「うん。それならお安い御用だよ」
門ちゃんも心の陰りを打ち消すように笑って応える。
「ありがとうございます」




