話が一向に進んでない #弍
中レンガに大羊が倒れ伏したのを見て、二階の南廊下から朝の戦闘を見守っていた連中が、中レンガへと飛び降りてくる。強化された身体能力を活かしてというか、信用して不器用に着地をきめる。中でも一番危なっかしく最初に両足をついた高めツインテの小金井が、真っ先に口を開く。
「お疲れ様でしたー」
次いで、自らの失態により朝の仕事が増えた唐井が
「お疲れ様です。じゃ、自分はこれで」
と言って、めんどくさそうに昇降口へと去っていく。彼と同じ水曜日チームの小金井も、病井の隣にいる少女に手を振って彼の後ろに続いていく。水曜日チームはあっさりしてるな。
各曜日ごとの空気感の違いを感じつつ、彼等にお疲れと返して、満開の桜の木の横で立ち止まった月曜日チームを見る。
「お疲れ。昨日はごめんな、朝の当番見に行けなくて」
「いいよ、佐々井。私も頭痛くて休んだし。それは蛇ちゃんに言ってあげて」
そう言って、病井は蛇ちゃんと呼ばれた女子を半歩前に押す。
「昨日は休んじゃって申し訳ない。俺は佐々井って言うんだ。君は?」
「ワタシは蛇井って言います。いえいえ、昨日は虎井と部長が来てくれたので大丈夫でした」
「それなら良かった。君は虎井とは面識があるのか」
「そうっすね。自分ら幼馴染なんで。あ、自分、虎井って言います」
虎井は、そう言って病井に会釈をする。筋肉質な体と日に焼けた肌から、野球部ないしは外部かと思われがちだが、虎井は室内競技のハンドボール部所属である。
病井は自己紹介を受けて、自己紹介で返す。
「私は病井って言います。よろしくねー。今日は私が来てるから間井部長は来ないよ。それでね、今日は話があるって言ってたでしょ? 昨日の夜にメッセ送ったと思うんだけど」
大羊の蒸発を確認しつつ耳を傾けていると、身に覚えのない話が出てきた。
「俺は送られてないんだけど、いなくなった方がいいか?」
「あ、いや、いてくれて良いよ。用事があるなら引き止めないけど」
虎井の斧によって頭蓋骨の左目部分の亀裂が広げられた大羊は、突き刺さる斧と共に頭部の一部がレンガへとめり込んだ体勢で寝ている。
「じゃ、聞いてることにするよ。色々知っておいたら手助けできる可能性がある」
「おっけー。話を戻すと、蛇ちゃんと虎井くん、君達は音無門ちゃんの妊娠について話は聞いてるよね」
妊娠?
聞こえた単語に、目線を黒髪セミロングの病井へと移す。
「聞いてます。茹でだこウインナーさんから昨日メッセージが飛んできました」
「ワタシも、同じ1年5組だからって会議終わりに伝えられました」
それを聞いた病井は「やっぱり、門ちゃんと同じクラスの人にも連絡してるよね……」と独りごちてから、次の質問をする。
「二人はその後本人に直接聞いたりした?」
「いえ、何も。びっくりしたけど、流石に放課後になってからじゃ何もできなくて」
「ワタシは一回話しかけてみたんですけど、妊娠の話まではできなかったですね。そんな風に見えなかったし、話すの初めてだったんで……」
「ううん。ありがとう。もう一個だけ質問なんだけど、二人はクラス内で音無門ちゃんが妊娠したって噂、耳にしたことある?」
「オレは無いっすね。男子だし、女子の話はあんまり流れてこないというか」
「ワタシも今回初めて知りました。クラス内で全く関わりが無かったのもありますが、多分ワタシが噂話に疎いからだと思います」
言って、蛇井は申し訳なさそうに視線を下げる。
「ううん。私もそんなの結構あるよ。たった一人でクラスの巷説全部に耳を貸すなんて無理だって」
フォローしつつ、病井は続ける。
「じゃあ、二人にも情報共有しといた方がいいかな。一応確認しとくと、ここから先話すことは誰にも言わないでね」
虎井と蛇井、俺は首を縦に振る。井世界部で仕入れた話を外に持ち出さないことは部員にとって常識だ。
井世界部なんてものは存在しないし、部員同士の接点もない(一部虎井や蛇井みたいに高校以前から知り合いという例外はあるが)。その方が何かと都合が良いのだ。陰口や噂話は異なるグループに所属していた方が集めやすいし、密な繋がりは井戸端会議からの排斥に繋がる。学校を存亡の危機に陥れる怪井の源が、人間のストレスとされている以上、そのストレスに気づけないなんて事態は避けるべきだ。
そのために極力、俺らは顔も名前も隠して協力し合う。裏での接触の影響は少なからず必ず表に出るし、無意識の視線や仕草によって他人は勝手に相関図を作るから、俺らは匿名・初期設定アイコンで情報を流し合う。客観的にも主観的にも、接点は少なければ少ないだけ良い。
だから、今みたいに顔を突き合わせるのは例外中の例外だ。曜日を跨いでお互い自己紹介なんて、唐井がやらかしてなかったら実現していないだろう。
これは別に唐井を誉めているわけではない。逆に罵っている。
話を、今している話し合いに戻そう。
病井が、昨夜聞き出した情報を語り始める。
「私、門ちゃんと同じ吹奏楽部なのね。それで昨日、本人に色々と直接聞いたんだけど、どうやら妊娠した子供のお父さん候補が二人いるらしいんだ。一人は音信不通で、もう一人は連絡がつくみたいで」
聞き手側の三人の空気が変わる。驚愕したような、不穏なような、不安定な空気に。
それが分かっているのか分かっていないのか、病井は三人それぞれの目を見つめる。
「そこでなんだけど、佐々井を入れて三人には相手の男子を探して欲しい。本人から聞き出せればそれがベストなんだけど、私じゃその、聞きづらいから。男子じゃなくて、男性かもしれないけど。片方でもこっちで分かれば、あとは当事者同士の問題にできる。話し合いで解決しそうならその場を作るし、話し合えないなら門ちゃんの決断を尊重する。今はとにかく、妊娠した事実だけで話が一向に進んでないことが一番の問題。どうすれば良いのかって蹲って、右往も左往もしないで時間だけが悪戯に過ぎていってるのが問題なんだ。妊娠したことが生徒間で広まってるのも問題だけど、それは解消班の子が手を回してくれてるって確認済みだから、私たちの出る幕はない。……今、母体である音無門ちゃんはすごく不安定な中にある。僅かでも不安の種を取り除くためにも、男性側との話し合いは不可欠だと、私は思う。だから、どうにか力を貸して欲しい」
最後には、頭を下げる勢いだった。一年生の時に一緒の曜日チームだったが、病井がここまで熱弁を揮うのも珍しい。
人って三年でここまで変われるんだなと、しみじみ思う反面、感情的な彼女を落ち着かせる必要性も感じた。
「妊娠させた相手を探すのは分かったが、病井、あんまり私情に呑まれるなよ。大丈夫だとは思うが、一応な」
「分かってるよ、自分でも普段通りじゃないのは。だから、冷静になる為にみんなに頼ってる」
「そうか。なら、心配ないな」
病井は頷き、後輩二人に向き直る。
「二人はどう? 頼めるかな?」
「ハイ、問題ないっす。女子の噂話は難しいけど、男探しだったらまだ楽勝っす」
「ワタシも、恋バナ好きな女子数人にあたってみようと思います」
「ありがとう。それじゃあ、片方だけでも分かったら私に連絡してね。他にみんなで共有したいこととか疑問はある?」
微かに相合を崩した病井の質問に、俺達は顔を見合わせてから首を左右に振る。
その後、病井の解散の合図で俺達はバラバラに防火扉へ向かう。
俺は二階の南東階段へ足を進めつつ、脳内のゴシップ好き達をリストアップする。あいつは去年同じクラスだったけど今更話しかけたら不自然だよな、あいつは下の学年の話あんまり興味ないからな……と取捨選択を幾度かし、ゴシップ大好き人間を最終候補まで絞る。
あとは今日会った順に探りを入れようと、そう決めて、俺は禍々しい紋様のゲートを潜った。
***
「吹部の一年と付き合ってるやつ? 一年の方の名前は知らないけど、一緒に帰ってるの見たってやつなら一人知ってるよ。サッカー部の日立ってやつなんだけど。……そうそう五組の。夜中に一年の女子と歩いてるの見られてるから、俺の見立てじゃ間違いないね」
「音無? ……あー、吹部のラッパ吹いてる子か。佐々井が人の恋愛に興味持つなんて、明日は豚タンかハルバードでも降るかもね。知ってるよ、その子なら。確か、五組の日立と一回噂になってたかな。だいぶ前だけど」
「吹部の一年ってことなら、俺は日立しか知らないなぁ。あれだろ? 夏休み前に目撃されたやつ。意外性はあったけど本人は否定してるし、目撃談が一回しかないから俺は嘘だと思ってる」
恋愛ゴシップには事欠かない奴ら複数名にそれとなく訊いてみたら、三人から同じ名前が上がった。因みに全員に詳細まで尋ねたが、妊娠やそれに準ずるワードは出てこなかった。情報通の彼等に伝わってないということは、三年生で妊娠の事実を知っているのは井世界部員だけだと考えて良いだろう。
集めた限りでは信憑性の薄い情報を、一度整理してみる。
日立日。サッカー部所属、三年五組所属で、裏では(井世界部ではなく陰口としての意味)動物園と呼ばれる騒がしい連中の一人。運動が得意で、勉強も自称進学校内ではそこそこ。サッカー部でもムードメーカーを気取る、若干ナルシストが入ったようなタイプ。恋愛に関しては、音無門との疑惑以外には、かなり前に一回だけ。それも本人は否定していたらしいが、当時付き合っていた女子が認めたとのこと。その後、いつの間にか別れ、いつの間にか音無門との噂が流れていたらしい。
と、いうのが訊いた情報の全て。
ただまあ、情報通の間でも意見が割れてるところを見ると、本当にただのうわさ程度の話しかない。だからこそ、異世界部員の耳にも入らなかったと言えるのかもしれないけれど。
日立についても、ナルシストと評されているのに付き合ってることは隠したがる人間性だったりして、信じていいのか分からない。
が、取り敢えず病井に伝えておく。噂の真偽についてはともかく、日立日と音無門の付き合ってる疑惑が出回っていたのは事実だ。これは病井を通して本人に確認するのが手っ取り早い。
少しでも解決の足掛かりになれば良いのだが、と送信ボタンをタッチして、平べったい精密機器の電源を落とす。制服のポケットに右手ごと入れて、隠れていた男子トイレの個室を出ると、なんと日立がいた。小便器で用を足している真っ最中の、日立がいた。
驚愕し、そして凡ミスに気づく。
大便器のある個室から出てきて、激流の音がしないというミスに。
誰もいないと思ってレバーを下げずにドアを開けたのになんでいるんだよ。普段は集団でトイレに来て喧しいのに、なんで今は一人で静かにタイル張りの壁を見つめてるんだよ。
俺がレバーを下げようかと右足を個室に戻すと、日立が用を足し終えて振り返る。
「剣道部部長の佐々井、だよね? なになに? 昼休みにスマホ?」
それは制服のポケットに仕舞ったはずなのに、日立がそんなことを聞いてくる。
「いや、違うけど」
「いいって。大便から出てきて水流さないってことはスマホだろ? じゃなきゃ単に流し忘れだけど臭くないし」
「あ、あーばれちゃったな」
精一杯笑いつつ、ポケットから暗い画面を覗かせてみせる。
日立と喋るの初めてだよな? 最初から距離近いんだな、日立。
「やっぱり。別に隠す必要ねーって。先生にチクらねーし。それよりも、お前が学校でスマホとかいじんの意外だわ。部長とかやってっから運動も勉強もできる真面目系かと思ってたわ」
「いやいや俺も高校生だから。普通にスマホ触るし」
手洗い場で手を洗い、鏡の前で前髪をセットする日立としばし談笑する。
「まじ? なんか今までスポーツできるやつだけど話しかけにくいなあって思ってたんだけど、一気に親近感だわ。もしかしてあれ? 彼女とかもいる系?」
「残念ながら今はいないかな。そう言う日立は?」
「俺? 俺もいないよ。そう言う意味でも親近感だわ」
全部の文章の最後に笑が付いてそうな喋り方で、日立の方から話題を振ってくれる。ありがたいので、うまく乗っかることにした。
「いないってマジ? 噂で聞いたんだけど吹部の子と付き合ってるって、その子とは別れたん?」
「だいぶ前の噂だけどそれまだ信じてるやついたのか。別れる以前に元から付き合ってねーって。あんなん付き合ってるうちに入んねーから」
口調も態度もヘラヘラとしたまま変わることなく、ある意味素っ気なく日立は返答する。
「あんまり噂とか信じるタイプに見えないけど、案外ミーハーなんだなお前。おし。良い感じだし先戻るわ」
んじゃまた。と変わり映えのしない前髪に満足気になって日立は出て行く。
――――あんなん付き合ってるうちに入らない。
それは恋愛事に精通していなくても分かる、非道く醜悪な悪魔の言葉だった。




